【対決】探偵から挑戦状を叩きつけられました EP5

 翌日の午後一時過ぎ、瀬田は神妙な面持ちで濃厚なチーズケーキを口に運んでいた。≪梟亭≫のマスター・菊川の手作りだ。

「高槻くんさ」フォークにこびりついたクリームチーズを唇で舐りながら瀬田が言う。「あいつと推理対決をして、俺の番なのに何も調べてなくて冷や汗かきまくりっていう夢見たのよ」

「すごいストレス抱えてるじゃないですか」

 高槻もチーズケーキにフォークを立てながら応じる。

「もう死ぬしかないと思ってたら目が覚めたんだけどさ、首のところ汗びっしょりなのよ。それが一時間前」

 この日の午前三時頃まで外に出ていて、布団に入ったのが四時前だとしても、それなりにちゃんと寝ている計算になる。主人公らしく全然眠れなくて事件のことを考えていたというわけではないらしい。

「でも、ホントに正夢になっちゃいますよ」

「それは避けたいんだよな」

「やっぱり、金谷さんが犯人だと見てるわけですか?」

「まあ、今のところはあいつしか具体的な容疑者っていないからね。でも、断言はできないわけ。だから、あいつを調べ上げるしかない」

「昨日は聞きそびれたんですけど」口直しのコーヒーを一口。「金谷さんに若者に対しての怒りがないか聞いてたのはなんでなんですか?」

「あのさ、高槻くんさ、よく気づいたね」

「どうもありがとうございます」

 唐突に褒められて高槻は恐縮する。

「あれはさ、この一連の放火事件に関係すると思ってたからなんだよ。というのもさ、二〇〇九年の同日三件の時は被害に遭った家には高校生がいたわけじゃん」

「三人とも友人同士だったんですよね」

「そう。で、この前の放火では、大家がアパートに学生がいるって話してたじゃん」

「そんな話してましたっけ」

「マンションの方は時間がなくて調べられなかったけどさ、そこに共通点があると考えてるわけよ」

「被害に遭った家に学生が住んでいるって、僕が言いませんでしたっけ? 瀬田さんは犯人が何でそのことを知っていたのかってのを気にしてましたけど」

「まあ、とにかく、共通点の一つではあるわけじゃん」

「話はぐらかしましたね」

「逆に言えば、それが分かれば犯人には近づけるわけ」

「それと、放火に遭った家に学生が必ずいるかどうかも調べないといけないですよね」

「まあ、そうなるね」

「そもそも、なんで学生のいる家に放火するんでしょう?」

「俺が気になってるのはさ、そういうことよりも、犯人にとっては被害の程度はどうでもいいっぽいってことなんだよね」

「そういえばそうですね」

「犯人にとっては火をつけるってことが何より重要だったわけだよ。別に被害を出そうとしてるわけじゃない。灯油を染み込ませた新聞紙を丸めて火をつけたやつを投げ込むってのも、すぐに逃げようとしてる感があるし」

「でもなんかそれってこれまでの話と矛盾してません? だって、犯人はターゲットを絞って放火してるわけですよね。だったら、より被害を大きくさせたいんじゃないですか?」

「だから、被害の程度はどうでもいいんだよ。火をつけるだけでいいんだって」

「なんでですか?」

「俺は犯人じゃないから知らんよ」

「瀬田さんが犯人だったらよかったのに」

「それどういう意味?」

「とにかく、まだまだ調べなきゃいけないことが大量にあるってことですね」

「まあ、そうだね。まずは事件のあった時間に金谷を目撃した人間がいないか探さないとな」

「骨が折れそうですね」

 ドアベルが鳴る。嫌な予感とともに瀬田が入口の方を見ると、摩耶と立花が立っていた。彼らはこちらに来ず、ドアのそばに留まったままだ。摩耶の白い歯が光った。

「瀬田、君の負けだぞ」

「なにおぅ!」

 江戸っ子みたいに威勢よく立ち上がる瀬田だったが、摩耶は勝利宣言を掲げたまま、店の外に出ようとする。

「これから真相を話すから、君も興味があったら来てもいいぞ」

 瀬田は無言で歩き出した。高槻が機材をまとめて慌てて追いかけていく。

 店の前には高級外車のヘラセラティが停まっていた。立花がその運転席に乗り込んでいく。摩耶は後部座席のドアを開けながら振り返った。

「別の場所で話をするから、迷子にならないようについてきてくれ」

 高槻は急いで駐車場へ向かった。


* * *


「あいつ絶対、車自慢するために来ただろ」

 ヘラセラティのお尻を眺めながら、瀬田はイライラしたように貧乏揺すりをしていた。

「しょうがないっすよ。ちょっと調べましたけど、確かに有名な探偵らしいですから」

「車なんてペシャンコにすればただの鉄のゴミだろ」

「ペシャンコじゃないから価値があるんですよ。っていうか、瀬田さんの夢が正夢になっちゃいますよ。どうするんですか?」

「こうなったら予言者として新しくWeTubeを始めるしかないか」

「いや、ふざけてる場合じゃなくて」

 瀬田は腕組みをする。

「あいつの言い分を聞かんと判断できん。それに、あの野郎、俺よりも先に事件のことを調べていたに違いない。ペテン師め」

 ヘラセラティは大通りを抜けて、河原町方面に向かっている。

「金谷さんの家に行くんでしょうかね」

 河原町のメインストリートから脇道に逸れる。しばらく進むと、木々の生い茂る一角が見えてくる。

「あれが≪小津の社≫ですよ。この辺りが小津って地名らしいです」

「ふ~ん」

 瀬田は興味なさそうに窓の外を眺めた。正面に石造りの鳥居があって、由来書きの看板もあるのだが、周囲はフェンスで囲まれている。ヘラセラティは≪小津の社≫を過ぎてしばらく進み、とある長い塀の家の前で停まった。

「え……ここは……」

 恐る恐るブレーキをかけて減速する高槻が思わず声を漏らした。

「なに? デカい家だな」

「ここ、ヨネハラグループの会長の家ですよ」

「あの〝ヨネハ~ラ~グループ~♪〟の?」

 瀬田が口ずさむCMソングは、総合商社の米原商事を筆頭とした日本を代表する巨大企業グループのものだ。

「こんなしょぼい街に住んでたのか」

「会長がこの街の出身なんですよ」

 摩耶たちが車を降りる。それに倣って瀬田たちも車外に出るが、瀬田は警戒心マックスだ。

「なんでここに?」

 摩耶たちに近づくと、意地悪な言葉が投げて寄越される。

「迷子にならずについて来れたじゃないか」

「趣味の悪い車だから否が応でも目に入って来たんでな」

 摩耶は鼻で笑って大きな門に向かった。インターホンを押してしばらくすると応答があり、門が自動で開き始めた。四人は防犯カメラに見守られながら、米原邸の敷地に足を踏み入れた。和風の庭園が広がり、よく手入れされた低木が並ぶ。向かう先は平屋の巨大な日本家屋だ。庭の向こうには古い蔵も建っている。

 玄関の前に一人の女が立っていた。彼女は深くお辞儀をして四人を出迎えた。

「摩耶様とお客様、お待ちしておりました。御案内致します」

 玄関を入ると、和風ながら随所に洋のテイストを盛り込んだ内装の空間があり、高い天井からはシャンデリアが下がっている。女の後について、庭園を望む廊下を進む。

 辿り着いたのは、広い洋室だった。大きな一枚板のテーブルが置かれていて、すでに椅子に座って待っている先客がいた。

「お、二宮じゃないか」

 瀬田が声を上げる。このチャンネルではお馴染みの鷺市警察署刑事課の二宮である。

「どうもこんにちは……」

「なんだ、緊張してるのか?」

「こういう場所初めてでして……」

 室内には、二人の老人と瀬田たちと二宮が集まっている。

「では、藤吉郎様をお呼びいたしますので、お掛けになって少々お待ちください」

 瀬田たちは勧められた椅子に腰を掛けた。

「ずいぶんと大袈裟なことだ」

 瀬田が嫌味ったらしく口を開く。摩耶は瀬田を一瞥する。

「器の小さい人間には大袈裟に見えるらしい」

「ああ、そうか、誰かに見守られてないと何もできないから仕方ないか。小便も応援されないと出ないんじゃないか?」

「夜中にトイレで起きるほどの老いぼれだから泌尿器に並々ならぬ執着があるようだ」

「夜中にトイレで起きるなんてことがあるのか。そんな経験がなかったから知らなかったわ。さすが経験者の体験談は物が違うね」

 呆気にとられる二宮に高槻がこっそりと耳打ちする。

「すみません、ずっとこんな感じなんです……」

 しばらくすると、部屋のドアが開いて和装の老人が現れた。何人かが自然と立ち上がったが、瀬田は読者諸君の期待に応えるかのように座ったままだった。

 米原藤吉郎は真っ白な髪を撫でつけ、齢九十にもかかわらずしっかりとした足取りで一番奥の席に静かに腰かけた。

「いいよ、いいよ。もうみんな座って」

 にこやかにそう言うと、一同は腰を下ろした。瀬田はというと、その場で座り直して、あたかも今座りましたと言わんばかりの顔をした。米原は一堂に会した面々に満足そうな視線を送った後、摩耶に目をやった。

「摩耶くん、一連の放火事件について、報告があるらしいね」

「はい。事件の真相が明らかになりましたので、今からお話ししたいと思います」

 高槻はバツが悪そうに手を挙げた。

「あの、すいません、カメラ回してても大丈夫でしょうか?」

「うん」米原はうなずいた。「何かインターネットでやってるんだろう? 好きなようにしなさい」

「すみません、ありがとうございます」

「それじゃあ、摩耶くん、頼むよ」

 摩耶は仰々しく頭を下げた。

「五日前の三月二日、本宮町と北本宮町の集合住宅が放火された件は、被害は押さえられたものの凶悪な犯罪には違いありません。私はこれを暴くため、詳細な調査を行いました」

 瀬田を見る目が優越感に浸っている。摩耶は二人の老人に腕を伸ばした。

「こちらは長岡さんと大塚さんです。お二人が見たものについてお話しください」

 長岡がうなずいた。

「ちょうどその二日の深い時間に北本宮町の放火されたマンションのそばに不審な自転車が停まっているのを見たんです」

「正確には何時頃ですか?」

「三時半くらいです」

「その自転車というのは──」摩耶はジャケットの内ポケットから現像した写真を一枚抜き出した。「これですか?」

「そうです、それです」

 摩耶が掲げたのは、シルバーの自転車を収めた写真だった。瀬田は険しい表情だった。

「その『不審な自転車』ってのはどういう意味なんだ?」

「見慣れない自転車だった、ということだ。そんなことも読み取れないのか」

 長岡も言う。

「普段そんなところに自転車なんかないから、おかしいなとずっと思ってたんです」

「そして、大塚さん」

 摩耶が促すと、大塚が話し始める。

「本宮町のあの被害に遭ったアパートのそばで、歌いながらフラフラと自転車をこいでいる男を見たんだ」

「何時頃ですか?」

「事件があった三時頃」

「どんな男でしたか?」

「四、五十代のだらしなさそうな男で、その写真の自転車に乗ってた」

 瀬田は小さく溜息をついた。高槻には分かっていた。そのシルバーの自転車は金谷が乗っていたものと同じだ。

「なるほど」摩耶は微笑んだ。「この事件の犯人像は、次のようなものです。一つ、犯行時間からすると、ひと気のない深夜に行動をする人間。二つ、無差別に住宅に放火しようとするほどに鬱屈した感情を抱えており、おそらく社会に対して大きな怒りを持っている人間。三つ、車が入れない路地で犯行に及んでいることから、自転車で行動している人間。その理由は自動車免許を持たないか車を持っていないからだと考えられます。四つ、放火に新聞紙を使っており、新聞紙を手に入れやすい環境にある人間。五つ、放火に灯油を使っており、灯油を手に入れやすい環境にある人間。そして最後に、この街の地理に詳しい人間」

 摩耶はジャケットの内ポケットからもう一枚の写真を取り出してテーブルの上に置いた。遠くから金谷を捉えたものだった。

「金谷幸吉、四十五歳、鷺市河原町に住んでおり、現在定職についていません。さきほどの自転車の写真は彼のものです。大塚さん、あなたが見たのはこの男ではありませんか?」

 大塚は写真を手にして、目を丸くした。

「この男だよ! 間違いない!」

 摩耶は得意げに手を広げて見せた。まるで、手品の披露を終えたマジシャンのように。

「この金谷ってのが犯人というわけか。河原町に住んでると言ってたよね?」

 米原がそう尋ねると摩耶は深くうなずいた。そして、二宮を見る。

「そのためにこちらの二宮さんをお呼びしたんです。これから、金谷幸吉の家で証拠物を見つけ出します」

 二宮は脂汗を額に滲ませた。

「え、ええと……しかし、令状が……」

 米原が咳払いをする。

「二宮くんといったかな。令状は不要といえるんじゃないかな」

「……といいますと?」

「ここには事件当時、放火現場のそばを自転車で走っていた金谷という男を目撃した証人も、その自転車が別の放火現場に置かれていたのを目撃した証人もいるわけだ。つまり、逮捕に足る理由がある」

「で、ですが……」

 米原はまだ続ける。年齢を感じさせないはっきりとした言葉と頭の切れだ。

「今回は人が住んでいる建物に放火をされたわけだから、現住建造物等放火罪が適用される。懲役五年以上で無期懲役や死刑もあり得る罪……それも二件だ。逮捕状を要しない緊急逮捕の要件は死刑または無期、もしくは懲役三年以上の罪を犯したことを疑うに足る十分な理由がある場合で急速を要する場合だ。金谷がどこにも逃げないとどうして言い切れる?」

「お言葉ですが……」

「逮捕と家宅捜索が一体化できることは刑事訴訟法第二二〇条で明らかだ。逮捕の現場に証拠物が存在する可能性が高く、金谷がいつ逃亡するか分からない」

 ハンカチで額の汗を拭って、二宮は顔を引きつらせる。

「しかし……署ではリスクを軽減するために、可能な限り規定の順序に則って……」

「ここで議論している間に犯人を逃がしたら、誰のせいになる?」

 米原から迫られて、二宮は言葉に詰まってしまう。

「二宮さん、私たちは法律の議論をしに来たわけではないんですよ。凶悪な犯罪者を白日の下に晒すためにやって来たんです」

 二宮は揺れていた。ここでの判断が大きなものになることを彼は十二分に理解していた。米原がジッと見つめる中、二宮はついに折れた。

「分かりました。応援を呼びます」

「それでいい」

 米原がニコリと笑った。二宮はスマホを取り出して、待機していたらしい仲間に指示を出した。

「それでは、私たちも参りましょうか。金谷の自宅へ」

 長岡と大塚と立花が一斉に立ち上がった。

「私はここで待っているよ、吉報をね」

 米原は満足そうにそう言った。ゾロゾロと部屋を出て行く面々に、高槻は焦りを感じていた。

「瀬田さん、どうします?」

「まあ、行ってみるしかないんじゃないの」

 瀬田は意外と冷静な様子でそう言ってみせた。なかなか動かない二人に米原は笑いかけた。

「君たちはどうする? 昼飯でも食べていくか? 天かすをたっぷりかけたぶっかけうどんならあるぞ。私の好物なんだ」

「すまんね」瀬田は立ち上がった。「そんな暇ないんだわ」

「いってらっしゃい」

 米原の笑みに瀬田は軽く手を挙げた。

 動画はここで終了する。画面に「つづく」の文字が浮かび上がった。

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