【対決】探偵から挑戦状を叩きつけられました EP3

 元宿町団地は全盛期の十二棟より規模が縮小されて、今では四棟の建物が残るだけだ。放火されたアパートに住んでいた稲沢はここのB棟の一階に移ってきた。

「すぐにここの入居募集に応募したんだよ」

 稲沢は瀬田たちが訪れると部屋の中に二人を招き入れた。室内は簡素で、部屋の隅には運び込んだ段ボール箱が重ねられていて荷解きもまだの様子だった。

「もうあのアパートには戻らないんですか?」

 出された薄いお茶を口に運びつつ高槻がそう聞くと、稲沢は遠い目で窓の外を眺めた。

「あそこにはもう戻らんよ」

「大家がリフォームするって言ってたぞ」

 胡坐をかいて後ろ手で体を支える瀬田は実家にでも帰ってきたような雰囲気を漂わせている。

「一度放火された家に住みたいと思うか?」

「まあ、確かに、出て行きたくはありますね」

「住んでる連中は良い奴らばかりだったよ。一緒に火を消そうと頑張った仲だ」

「放火犯に狙われる覚えはあるのか?」

 ズケズケと聞く瀬田だったが、稲沢は意に介さないようだった。

「俺が? 放火犯に? 人に恨まれるような覚えもないよ」

「でも、どこで他人の恨みを買うか分からないだろ」

「自慢して言うようなことじゃないが、年金暮らしで人との関わりもない。そんな人間が誰に恨まれるというんだ?」

 自分の行く末でも垣間見たのか、瀬田は口を閉ざしてしまう。

「どうせ放火犯も手当たり次第に目についた建物に火をつけて楽しんでるようなバカなんだろう」

 高槻は腕時計に目をやった。午後一時半を過ぎている。

「放火があった時のことを教えてもらえますか?」

 稲沢は大きな音を立ててお茶を啜った。

「教えるもなにも、寝てたんだよ。いつもは五時くらいに起きるんだが、あの時はドアを叩かれて起こされてな。寝ぼけながら外に出たら、本当にアパートが燃えていてびっくりしたよ」

「最近、家のまわりで不審人物を見かけたことは?」

「いや、ないね」

 二人の質問もあまり響かないまま、稲沢との対面は終わりを迎えた。


* * *


 元宿町団地を後にして車に乗り込むと、瀬田は冴えない表情を浮かべていた。

「なんだか難しい状況になってきましたね」

「犯行の時間が時間だけに、情報が少なすぎるんだよな」

「≪自転車おじさん≫をさっさと捕まえないといけないかもしれないですね」

「≪自転車おじさん≫が純金でできてたら捕まえる気も起きるんだけどなあ……」

「でも、今のところは≪自転車おじさん≫しか手掛かりがないですからね」

「おっさんなら十六年間も放火し続けられるもんな」

 高槻はエンジンのスタートボタンを押して、ルームミラーの中の瀬田に聞いた。

「でも、どうして今まで捕まってないんでしょうかね?」

「まあ、真面目に考えるなら、放火されてる場所が毎回バラバラなのがデカいだろうな。いくらパトロールしても必ず手薄になる場所はあるわけだからね」

 心なしかいつもより早口で喋る瀬田を感じて、高槻は車を発進させた。

「次はどこに行きますか?」

「同日二件の二件目のマンションに行こう」

「北本宮町ですね」本宮町と北本宮町は地図上では隣り合う地区だ。「立花さんは放火された二件の建物の直線距離は二キロ程度だと言ってましたよね」

「自転車では行き来しやすいだろうな」

「過去に起こった同日複数件の放火ではどれくらいの距離感だったんですか?」

 瀬田はスマホを操作して脳内に鷺市の地図を思い浮かべるように視線を頭上に彷徨わせた。

「結構離れてるケースもあったよ。本気で自転車漕げば一時間くらい掛かりそうだったよ」

「じゃあ、頑張れば放火できるんですね」

「放火するために頑張るって意味分かんないけどね」

「でも、十六年やり続けてるって、それもうホントに放火癖なんでしょうね」

「捕まえて止めてやらんとな。まあ、たぶん、捕まったら死ぬまで出れないだろうけどな」

 そうこう話しているうちに、車は北本宮町のマンションに到着した。白い外壁の大規模なマンションである。二人は不審者のように建物の周囲を眺めながら歩いて回った。

「どこも燃えた跡はないですね」

「もっと分かりやすく燃え残っててほしいな」

「いや、なんてこと言うんですか」

 マンションの入口から中に入り、高槻は管理人室のドアをノックした。中から作業着に身を包んだ白髪の男性が現れた。

「放火で燃えたのはどこだ?」

「なんですか、いきなり?」

 至極当然な疑問を投げ返す管理人に、例のごとく高槻が事情を説明する。鷲津と名乗った管理人は、それでも不審者を見るような目つきを崩すことはなかった。

「放火で燃えたのはどこだ?」

 改めて瀬田が質問すると、鷲津は訝しながらも答えた。

「駐輪場のそばの壁です」

「さっき見てきたが、何もなかったぞ」

「業者に頼んで壁を塗り直したんですよ」

「じゃあ、もう現状復帰したわけですか?」

「はい」

 鷲津はすぐにでもこの得体のしれないおっさん二人に立ち去ってほしそうだった。瀬田はそれでもバカな振りをして質問を続ける。振りではなくただバカなのかもしれないが。

「不審人物を見た覚えは?」

「分かりませんよ。夜は帰宅しますし、朝に連絡があって来てみたらあの有様だったので」

「マンションの住民に直接の被害はなかったんですか?」

 高槻も瀬田に加勢する。

「ないと聞いてますけどね」

「ここは分譲マンションですよね」

「そうです」

「何部屋くらいあるんですか?」

「八十です。私は何も知らないので、お役に立てないと思いますけどね」

 鷲津はそう言って管理人室からホウキとちり取りを持って掃除に出て行ってしまった。

「愛想の悪いジジイめ」

「それ瀬田さんに言う資格ないと思いますけどね」

「しかし、ここじゃあまり手掛かりは得られなさそうだな。あの女の話じゃ、住民は朝になって壁が焦げているのに気づいたわけだからな」

「まあ、つまり、ほぼ被害なしって感じですね。不幸中の幸いというか」

「もっと盛大に燃えてくれれば色々情報を仕入れられたんだがな」

「まさに炎上しそうなこと言わないでくださいよ」

 二人はマンションのエントランスから外に出た。目の前はセンターラインのない車道になっていて、時折車が行き交う程度だ。屋根付きの駐輪場はマンションの脇にあり、数メートルの間隔を挟んで建物の外壁がある。瀬田が改めてその壁を注意深く見てみると、微かに色の違う部分があるのが分かった。車道との間に身を隠せるような遮蔽物はせいぜい駐輪場のアルミ製の薄い仕切りくらいだ。

 大した収穫が得られないまま車に戻ると、瀬田は頭を掻き毟った。

「なかなか有力な情報が出てこないですね」

「この前の大学の時を思い出してるわ……」

 前回の動画≪文明の利器禁止で事件に首突っ込んでみた≫では、大学で発生した試験問題の流出事件を追ったわけだが、その調査でも瀬田は思うように事を運ぶことができずに苦労していた。

「でも、さっき二〇〇九年の同日三件の放火を調べたいって言ってましたよね」

「そこに望みを賭けるしかないかもな」

「なんでその三件を調べたいんですか?」

「まずはさ、同日に三件っていうめちゃくちゃ異常な感じだよね。なんで別の日にずらさなかったんだっていう純粋な疑問があるよね。あとはね、三件とも一軒家が狙われてるのよ。そうなると犯人の狙いも分かるかもしれないじゃん」

「なるほど。マンションとかだとわざわざ入居者の全家庭を調べないといけないですもんね」

「その点、一軒家ってのは調べるのが楽だからね」

「じゃあ、早速そこに向かいますか」


* * *


 瀬田によれば、二〇〇九年の同日三件の現場は全て五キロ圏内に収まっていた。吉沼町と古市町にまたがるそのエリアに車で向かうと、まず一件目の現場を探すために近所に聞き込みを開始した。しかし、一発目で幸先の悪い情報を引き当ててしまう。

「あそこの家ね、放火があってからすぐ引っ越しちゃったのよ」

 近所の、いわゆる〝物知りおばさん〟が声を潜めてそう言った。放火現場となった一軒家の被害はボヤ程度のものだったが、住人は早々に家を残して出て行ったらしい。今建っているのは、その後にやって来た一家が新しく建てた家屋になるというのだ。

 念のためにその家に聞き込みに向かう瀬田の表情はどんよりとしていた。

「まあまあ、瀬田さん。十年以上前の話なんですし、そういうこともありますよ」

「なんでよりにもよって一件目でそういうやつに出くわすかね……」

 きっと日頃の行いのせいに違いない。

 二人の病院食みたいに薄い期待の通り、現在の家に住んでいる住人は前の住人のことなど知らなかった。ここには二〇一〇年に越してきたのだという。

 続いて、隣町の二件目の現場に向かう。ここでも新聞に載っていない具体的な住所を聞き込みによって割り出すことに成功した。今度こそ向かう先は二〇〇九年の放火被害者宅だ。瀬田の足取りも心なしか軽い。

「瀬田さん、放火された家だと分かった途端、ちょっと嬉しそうにするのやめてください」

 諫める高槻を無視しつつ、瀬田は件の被害者宅のインターホンを押した。家には庭もあり、閉め切られた門から玄関までは三メートルほどある。しばらくして応答がある。

「以前ここで起こった放火事件について調べている瀬田だ。少し話が聞きたい」

 インターホンの向こうで戸惑いながらも了承した女性が玄関口に現れる。

「警察の方ですか?」

「探偵だ」

 瀬田が簡潔に答える。探偵という言葉を聞くとドラマの影響か目を輝かせる人種がいる。現れた女性もその一人だった。

「放火といっても、十年以上前のことですよ」

「失礼ですが」高槻が質問を差し挟む。「奥様ですか?」

「ええ」

「ご家族もご一緒に?」

「夫とですが。息子はもう一人立ちして出て行きましたけど」

 瀬田は門越しに家の外壁などを眺めていた。

「当時はどの辺りが燃えたんだ?」

「向こうに……」庭の端にあるカーポートの方を指さした。「置いてた自転車とそのそばの壁が丸焦げで……壁が燃えただけだったんで家の中は大丈夫だったんですけど」

「ということは、病院の世話にはならなかった?」

「おかげさまで。でも夫は今でも怒ってます。犯人は誰だったのかって」

「夜中に火をつけられたんだよな?」

「そうです。向かいの家の方が気づいて教えてくれて……初めて消火器を使ったんです」

「新聞には丸めた新聞紙に火をつけたものを投げ込まれたと書いてあったが」

「灰になったグシャグシャの新聞紙が見つかったと聞きました。灯油が染み込ませてあったみたいで……」

 十三年後にも全く同じ方法で放火が実行されているということだ。

「誰かに恨まれてたのか?」

「まさか! そんな覚えありませんよ」

「なぜ狙われたんだと思う?」

「さあ……無差別に火をつけて回ってるんじゃないですか。この前も放火があったでしょう?」

 初めて広がりを見せそうな言葉を聞いて高槻は驚いた。

「ニュースでご覧になったんですか?」

「新聞です。うちが被害に遭ってから、そういう記事に自然と目が行くようになってしまって……」

 瀬田の目が光った。

「四日前に放火されたアパートとマンションに知り合いはいるのか?」

「いえ、いないです」

「じゃあ、二〇〇九年の同じ日に放火された家の人間と面識は?」

「それが……」女の顔に影が差す。「二軒とも息子の友達のお宅だったんですよ」

「は? 本当か?」

 思わぬ共通項に瀬田が身を乗り出す。

「当時、息子は高校生で、同じ高校の友達だったんです」

 瀬田と高槻は顔を見合わせた。

「どういうことっすかね……?」

「さっき別の家に行ったら引っ越した後だと言われたぞ」

「ああ、あのお宅はもともと引っ越しを考えていたらしくて、たまたま時期が重なったって言ってましたよ」

「どこに引っ越したんだ?」

「旦那さんの赴任先に。宮城です」

「宮城? 二〇〇九年に?」

「ああ、でも、震災の影響はあまりなかったらしいって息子が聞いたらしいですよ」

「で、他に共通の知り合いはいないのか?」

女は首を捻った。

「いや……いなかったと思いますけどね」

「じゃあ、夜中に歌いながら自転車で走り回ってるおっさんのことは知ってるか?」

「……なんですか、それ?」


* * *


 さきほどの家に三軒目の場所を聞いて向かったが、近づくにつれて庭で飼っているらしい犬の鳴き声が激しくなる。

「犬を飼っていやがる……」

「普通のことでしょ」

 瀬田は及び腰になって三軒目の家の門から庭を覗き込んだ。犬小屋から鎖をつけた雑種の犬が鼓膜を破らんばかりに吠えまくっている。不審人物を追い払おうとしているのだろう。

「黙れ、犬!」

 瀬田の声は黙らない犬の大音声に掻き消された。そろそろ日が傾いて肌寒くなる時間だ。そんな、本来は穏やかであるべき時間に犬の鳴き声がやまなかった。

「デニッシュ、静かにしなさい!」

 窓が開いて女が顔を出した。瀬田たちと目が合うと、恥ずかしそうに会釈をした。

「ちょっと聞きたいことがあるんだが」

 瀬田がそう言うと、女は犬用のジャーキーを片手に現れた。自分を魔法で犬に変えた相手を憎むように牙を見せていたデニッシュは今やジャーキーに夢中だ。

「すみませんね、誰かれ構わず吠えちゃうんです」

「優秀な番犬ですね」

 瀬田はジャーキーを貪るデニッシュを見つめていた。

「白内障ぎみだな」

「そうなんです。もう十五歳だから」

「十五歳……ってことは、十三年前には……」

「まあ、ずっとあんな感じですよ」

 デニッシュは大きな口を開けてあくびをした。

「放火された時も?」

 一瞬で記憶がフラッシュバックしたのか、女の表情が険しくなった。

「あの時は。あの子が吠えまくってくれなきゃみんな死んでたかもしれないです。みんな寝ていたので」

「僕たちはその放火について調べているんです」

 高槻が説明をすると、女は困惑したような顔になった。

「といっても、もうずいぶん昔の話ですし、被害も大してなかったので……」

「ボヤ程度だったのか?」

「花壇が燃えたんです」

 女が目を向ける先には、今は春の花が咲き誇っている。家屋に隣接した場所にあって、発見が遅れれば建物に燃え移っていた可能性もある。

「外から火のついた新聞紙のボールを投げ込まれたのか」

「そうです」

「同じ日に子どもの友人の家も放火されたらしいな」

「そうなんですよ。それでますますびっくりして……」

「あとの二人とは親しかったんだよな?」

「よく夜遅くまで遊び回ってましたよ」

「やんちゃだったわけだ。ということは、誰かの恨みを買った可能性もあるわけだ」

「ないと思いますけどね」瀬田の問い掛けにやや気分を害したようだった。「気が利く子だし、学校でも友達が多かったですし」

「夜中に自転車を乗り回してるおっさんのウワサを聞いたことはあるか?」

「ああ……聞いたことはあります。すいません、忙しいので、もういいでしょうかね」

 瀬田に難癖をつけられたあたりから早く切り上げたそうにしていた女はついに会話を終わらせに掛かった。すでに暗くなりかけていたこともあって、瀬田たちは大人しく立ち去ることにした。


* * *


 車の座席に座っている瀬田を固定のカメラが捉えている。この≪名探偵チャンネル≫の視聴者には、これもお馴染みの画面である。

「闇雲に駆けずり回っても時間を無駄にする気がするな」

「一旦≪梟亭≫に戻って作戦会議でもしますか?」

「そうしようかね」

 瀬田の顔にも疲れが見え始めている。

「じゃあ、ここで動画も締めたいんで、締めの一言をお願いします」

 瀬田はカメラに拳を突き出した。

「絶対に負けないからな! フォローといいねもちゃんとしろよな!」

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