【対決】探偵から挑戦状を叩きつけられました EP2

 スッキリした青空が広がっている。一方でどんよりとした表情の瀬田を乗せた高槻の車は鷺市立図書館の駐車場にやってきた。

 鷺市立図書館は鷺市役所からほど近い場所に立つ四階建ての建物だ。三年前に改築され、ガラス張りのファサードが陽光を照り返して眩しいが、所蔵されている本が紫外線で痛むという理由でブラインドはいつも閉めきりになっている。地下一階が閉架書庫になっていて、蔵書量はおよそ六十万冊と、それなりの都市にしては無駄に汗牛充棟を誇っている。

 瀬田は図書館の入り口をくぐりながら伸びをした。

「とりあえず、漫画喫茶──じゃなくて図書館で調べられるだけ調べよう」

「瀬田さんが図書館をどう思ってるのかよく分かりました」

 二人は静かな館内を進んで、データベース検索ができるパソコンのコーナーへ向かった。キーボードの前に陣取ると、瀬田は言った。

「ここからちょっと地味になるよ」

「大丈夫ですよ。いつも地味なんで」

 瀬田は素早くマウスとキーボードを操作する。

「どうやって調べるんですか?」

「逓信新聞(ていしんしんぶん)の地方欄だと鷺市のことも結構載ってるから、そこから絞り出す。……データ化されてるのは二〇〇六年からだな」

「十六年分ですね」

「その中でも、放火の手口が同じやつで犯行時刻が午前零時から六時の間に広げて調べようと思うのよ」

「犯人が捕まってる場合もありそうですね」

「再犯の可能性もあるから一応拾っておくとするか……」

 瀬田は気合を入れて手を動かし始めた。滅多に見ることのない瀬田の真剣な横顔に、茶々を入れるつもりだった高槻もそれが憚られるのだった。瀬田は記事を検索してはめぼしいものを画面に表示させてそれをスマホのカメラで撮影していった。三十分ほどで瀬田の手が止まる。

「終わりました?」

 窓の外から伝わってくる春の暖かさに眠そうな目をしていた高槻があくびとともにそう聞いた。

「全部で十六件だね」

「一年一件のペースじゃないですか」

「でもね……まず場所がバラバラなんだよね。でね、やばいのがね、今回みたいに同じ日に複数の放火が起こってるケースがめっちゃあるんだよね」

「どれくらいあるんですか?」

「ええとね……二〇〇九年八月に一軒家が同日三件、二〇一三年八月は一軒家とマンションが同日二件、二〇一八年八月がマンションが同日二件、で、今回のアパートとマンションの同日二件……全部で九件」

「それ全部犯人捕まってないんですか?」

「捕まってない。っていうか、他の奴も全部捕まってない。警察仕事してるのか、これ?」

「ってことは、十六分の九が同日に複数の放火なわけですよね。異常な状況じゃないですか」

 暖かい空気に包まれているのにも関わらず、高槻はブルリと身震いした。

「あとの七件が全部単発で、二〇〇六年八月に一軒家、二〇〇九年二月がアパート、二〇一一年三月のアパート、二〇一八年八月にマンション、二〇一九年七月はマンション、二〇二〇年九月は一軒家、二千二十一年七月も一軒家がやられてる。一応続報的なのも調べたけど、捕まってはないと思うよ」

「じゃあ、今回の放火の犯人と同じ可能性もありますね。十六年野放し状態ですか」

「分かんないよ。データ化されてる期間だけだからさ、それ以上かもしれないよ」

「犯人は少なくとも成人ですね」

 瀬田は椅子の背もたれに寄り掛かって無精ヒゲをジョリジョリとやった。

「まあ、そうだろうね。放火犯の九十パーセントは成人だって言われるしね。男の割合は六十五パーセントくらいで、検挙率は八十パーセントいかないくらいだよ」

「いつも思うんですけど、瀬田さんってそういう犯罪統計にやけに詳しいですよね」

「昔、好きだった女子に下着泥棒みたいって言われて、反論するために統計を調べたのが始まりなんだよね」

「めちゃくちゃ悲しい過去じゃないですか……」

「その女子には『数字で出てるからなに?』って言われて終わったけど」

 瀬田の暗い歴史にそっと蓋をして高槻は話を進めた。

「犯人はランダムに標的を選んでるんですかね?」

「どうなんだろうね。とりあえず、どの家にも人は住んでたみたいだけど。共通項が新聞記事だけじゃ分からんね」

 高槻は瀬田のスマホに記録された写真をスワイプしながら眺めていたが、何かに気づいたように勢いよく写真を確認していった。

「瀬田さん、これ、ほとんど八月じゃないですか?」

 瀬田も高槻のように写真をチェックしていく。

「七~九月と二月、三月だな。同日複数の場合は八月と三月しかない。八月だけで九件……全体の五十六パーセントだ。確かに明らかに偏ってるな。なんでだ?」

「八月っていうと、夏休みとかですかね。だから、夏休みの学生が……」

「いや、でもさ、そいつらは永遠に学生なわけじゃないでしょ。十六年続いてんだよ」

「まあ……確かに。データ化されてない新聞記事も調べたらもっと何か分かるかもしれないですね」

「紙の新聞は調べないよ」

「なんでですか?」

「だって面倒臭いもん」

 子どもみたいに単純明快な理由を突きつけられては、高槻も何も言えなかった。

「そもそもさ、そんなに過去まで遡る必要はないわけよ。要は今回の事件が解決できればいいわけだからさ。余計なことやってるとあのカスに先越されるからね」

「まあ、確かにそうです。じゃあ、とりあえずは、これから今回起こった二件の放火現場を調べに行く感じですか?」

「そうだね。それから……二〇〇九年に同日三件で一軒家がやられてるのがあるから、それも後で調べてみようかね」

 瀬田は椅子から立ち上がってグンと伸びをした。背骨がボキボキと鳴って館内に響き渡る。


* * *


 高槻の運転するワンボックスカーは本宮町の方へ向かっている。四日前に放火の被害に遭ったアパートがあるこの町は福富町駅から徒歩十五分ほどのところにある閑静な住宅街だ。

「放火ってさ」腕に巻いたオミミガのマウントマスターをいじりながら瀬田が言う。「一発じゃ捕まりづらいけど、繰り返すから捕まっちゃうってウワサもあるんだよ。聞いたことある?」

「そんなウワサあるんですか」

「今、俺が作ったんだけどね」

「じゃあ聞いたことあるわけないでしょ」

「でもさ、放火癖で放火を繰り返す人間がいるのは事実でさ、どう考えても鷺市で十六年十六件の放火ってのはあまりにも多いと思うのよ。しかも、同じ手口でさ」

「普通なら捕まりそうなもんですけどね」

「そこなんだよね。犯人はさ、捕まらないような工夫をしてるはずなんだよ」

「放火って衝動的にするもんじゃないんですか?」

「衝動的だったらさ、もっと年間にバラけて放火が起きてるはずなんだよ」

「じゃあ、計画的な犯行?」

「その可能性も考えておかないといけないと思うのよ」

「摩耶さんはどこまで掴んでるでしょうね」

「あいつの名前は出すな。脳の血管が切れそうになる」


* * *


 本宮町のアパートへは少し離れた場所に車を停めて歩いていくしかなかった。車が満足に通り抜けできないような細い路地に現場は面していたからだ。全八部屋でダークブラウンの外壁の木造二階建てのアパートは昔ながらの風情がある。その一階の一番端の部屋の外壁にはブルーシートで覆われている箇所があった。そこに、一人の年配の女性が立っていた。

「こんにちは」

 高槻が声を掛けると、女は力のない笑顔で会釈を返した。

「ここが放火の被害に遭ったんですか?」

「そうだよ」女はブルーシートを優しく撫でつけた。「保険は下りるからいいものの、恐ろしくなっちゃうね」

「大家さんですか?」

 女はうなずいて、大垣と自己紹介をした。住まいも近くにあるらしい。

「どういう状況だったんですか?」

「私も夜中に電話が来て知ったんだけどね。新聞配達の子が気づいてくれなかったら、もしかしたら全焼してたかもしれないって聞いて……」

「それが四日前の三時過ぎ頃ですか?」

「それくらいだったね。ここのみんなが協力して火を消そうとしてくれたみたいで」

 瀬田はブルーシートの周辺にも焼けた跡が広がっているのを眺めていた。

「これだとそこの部屋の人間は住めないだろ」

「そうなのよ。消火活動で部屋の中もグチャグチャになっちゃって……リフォームも必要で。稲沢さんっていうんだけど、すぐに公営住宅の方に移っていったのよ」

「その人はどんな人?」

「稲沢さん? まあ、しっかりした人だと思うけどね。家賃は遅れたりしないし、部屋も綺麗に使ってくれてたみたいだったし……だけど、ずっと一人で暮らしてるから、独り身なんだと思うよ」

「何歳くらい?」

「七十は越えてるんじゃないかしらね。もう定年は迎えてるって言ってたから」

 瀬田は錆びかかっている二階への階段を見上げた。

「ここはどういう人が住んでるの?」

「学生とかフリーターの子とか稲沢さんみたいに一人暮らししてる人とか……何が聞きたいの?」

「いやね、放火されるからには恨みを買ってる人間がいるのかと思ってね」

「私が何を知ってるわけじゃないけど、そんな人たちじゃないと思うけどねえ」

「男女比は?」

「今はみんな男の人だよ」

 瀬田はブルーシートのかかった壁のそばにしゃがみこんだ。

「ここに火をつけられたの?」

「警察の人の話じゃ、灯油を染み込ませた新聞紙を丸めて、それに火をつけてここに投げ込んだか置き去りにしたかっていう話だったよ」

「ふ~ん……なんで犯人は直接ここに灯油を撒いて火をつけなかったんだろうね」

 大垣は顔をしかめた。

「そんな恐ろしいこと言わないでよ」

「でも気になるよね。なんでそんな方法を取ったのか」

 高槻はアパートの全景をカメラに収めながら理解を示した。

「確かに、放火犯としてみたら、どこにも燃え広がらないで終わるかもしれないのに、わざわざ回りくどいことをしてますよね」

「マスコミの人か何か?」

 大垣が少しの警戒心を滲ませた。

「事件を解決しようと思って調べてるだけだよ」

 瀬田はゆっくりと立ち上がった。

「あら、刑事さん?」

「探偵だよ」

「あら、ドラマみたい」

「あのさ、大垣さんさ、何の新聞が使われてたか分かる?」

「逓信新聞だよ。燃え残ったのを住民の子が写真に撮ってて、それで見たのよ。一面にある新聞の題字っていうの? アレが見えてたから」

「燃えてるのを見つけた新聞配達員ってどこで話聞けるかな?」

「近くに日之出新聞の販売所があるんだけど、そこのバイトの子だって聞いたわよ」

「そうか。あと、もう一つ、さっきの稲沢ってのが移った公営住宅はどこにあるか分かる?」

「元宿町の団地あるでしょ。あそこよ」

「なるほど。分かった。助かったよ」

「捜査頑張ってね」

 大垣はニコリと笑って瀬田たちを送り出した。


* * *


 十万円を死守したいのか、瀬田はいつも以上にテキパキと行動していた。一件目の放火被害現場であるアパートを出ると、すぐにスマホで地図を呼び出して最寄りの日之出新聞の販売所を見つけ出すと、車に戻ることなく速足で歩きだした。

 販売店では、外に停めた原付をいじっている男が出迎えてくれた。瀬田が単刀直入に尋ねる。

「この前のアパート放火について調べてるんだが、ここの配達員が燃えているのを見つけたらしいな」

 黒ずんだボロ切れを片手に立ち上がった男の額にはうっすらと汗が滲んでいる。

「そうですよ。まだ高校生なんですがね、良い奴なんですよ」

「その時のことを詳しく聞きたいんだが」

「ここにはいないですよ」男は空を仰いだ。「ああ、もう卒業式終わってるから電話してみたら聞けるかもしれないですけどね」

「ちょっと聞いてみてくれないか」

 男が怪訝そうな顔をするので、高槻が間に入って事情を説明することになった。

「ああ、探偵さんなのにずいぶんひ弱そうな……」

 思わず口から出てしまった彼の言葉を訂正する者はこの世にはいない。男はスマホから発信すると、しばらくして明るい声色で口を開いた。

「東(あずま)くん、今、大丈夫かな? ……あのね、今ね、この前の放火あったでしょ、アレのことで話聞きたいって人が来てるんだよ。……え? 瀬田さんって人なんだけどね」すぐに男は瀬田の方に顔を向けた。「話したいと言ってます。なんでも、瀬田さんの動画を観てるんだそうです」

 ここに来て瀬田たちの追い風になるような言葉だ。自分たちがやって来たことが少しは間違っていなかったのかもしれないと高槻は感慨に浸っていたが、瀬田にはそんな感傷的になるような暇などなかった。

「スピーカーフォンにしてくれ」

 男が画面をタッチすると、東の声が聞こえた。

『もしもし、瀬田さんですか?』

「君が俺のファンか」

『……はい、そうです』

「ちょっと間がありましたよね」

 高槻の茶々に耳もくれずに瀬田は話を先に進める。

「四日前の放火事件について、発見した時の様子を教えてくれないか?」

『いつもあのアパートの前を通るんです、配達ルートなので。あの日もいつもと同じようにあの道を通ったんですけど、やけに明るくて、近づいたらアパートの壁から火が出てて……煙も結構出てたんです』

「自転車で配達してるのか?」

『そうです。原付の免許は持ってないので』

「それが午前三時過ぎだな?」

『そうです。マズいと思って、自転車を降りて、アパートのドアを叩いて回ったんです。「火事だ!」って叫びながら。アパートの人たちが消火器とかを持って来てくれて、一緒に火を消そうとしました』

「消防には誰が連絡をしたんだ?」

『確か、誰かが電話してたと思います。覚えてませんけど』

「で、消し止められなかったんだな?」

『火の勢いは弱まったと思うんですけど、壁の上の方まで燃え始めてて……で、そこにやっと消防車の音が聞こえたんです。あそこの道に車が入れないので、長いホースを引っ張ってきた消防士さんが消火に当たってくれました。すぐに火は消えたんですけど、僕はその後、消防士さんとか警察の人に事情聴取されたんで、その日は配達を続けられなかったんです』

「連絡があって、私が引き継ぎをしたんです」

 男が補足した。

「アパートが燃えているのを見つける前に不審な人間とか車は見なかったのか? たぶん火が出始めてすぐぐらいだろ、君が通りかかったのは」

『警察の人にも聞かれましたけど、見てはいないですね』

 アパートが面している細い路地は東西に伸びる一本の道で、西で他の道と合流するポイントまでは近い方で二十メートルほどしかない。

「君はあの道にどっちの方から入って行ったんだ?」

『商店街がある方からです』

「じゃあ、入ってちょっとでアパートだな」

 アパートの前の道が西の方でぶつかる道を少し北へ行くと商店街の通りに行き当たる。

「となると、犯人は犯行後にすぐに路地から逃げていったか、東くんと反対の方へ行ったかっていう感じですね」

「じゃあ、あの日じゃなくて、今までにあれくらいの時間帯で怪しい奴を見かけたことはあるか?」

『怪しい奴ですか……』

 東は答えあぐねていた。

「なにかこう……フラフラと出歩いてる奴とか、キョロキョロしてる奴とか」

『それで言うと、ちょっと前にフラフラ自転車に乗って歌ってる男の人を見ましたよ』

「歌ってた?」

『はい。その上、無灯火だったので、ぶつかりそうになったんです。でも、向こうは謝りもせずに行ってしまって……』

「どの辺りで見た?」

『本宮町もそうですけど、なんか色んなところを走り回ってるらしいんですよ』

 スマホを持っていた男が再び口を開く。

「他の配達員も言ってましたよ。変な奴がいるって。≪自転車おじさん≫って呼ばれてます」

「街の至る所で目撃されてるわけか……」

 瀬田の目が鋭くなる。早速≪自転車おじさん≫に狙いをつけた様子だ。さっさと切り上げようとする瀬田に電話の向こうの東が声をかける。

『いつも観てます。頑張ってください!』

 応援され慣れていない瀬田はニヤついたが、すぐに真面目な顔になって、

「君は見込みのある。将来デカい奴になるだろう」

 と何様なのかというようなセリフを投げてすぐに次の目的地へ向かおうとした。

「瀬田さん、ちょっと待ってください」

 販売店から少し離れたところで高槻が瀬田を呼び止める。

「なに?」

 気が短そうに指先を動かしながら瀬田が振り返る。

「格好つけてるところ悪いんですが、一旦この動画を締めるんで、例の一言を」

 瀬田はカメラに顔を近づけた。

「俺は今急いでるんだ。いいねとフォローしとけ」

 カメラレンズを臭い息で曇らせた男は、さっさと歩いて行ってしまった。

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