【対決】探偵から挑戦状を叩きつけられました

【対決】探偵から挑戦状を叩きつけられました EP1

 春が近づいてきた。

 動画配信サイト≪WeTube≫の片隅にある≪名探偵チャンネル≫の視聴者にはお馴染みの≪梟亭≫には今日も相変わらずジャジーな音楽がゆるやかに流れていた。ボックス席のカメラの前に陣取るボサボサ頭の瀬田は無精ヒゲを生やした顔でボケーッと座っている。春のうららかな陽気とは正反対のオーラをまき散らす様は公害みたいである。

「高槻くんさ、なんでカメラ回してんの?」

 死ぬほど眠そうな声で瀬田が聞いた。もっとも寝ていても起きていても大して変わらない男ではあるが。

「≪名探偵チャンネル≫の第四弾を始めようと思ってるんですけどね……」

「前回のやつがこの前終わったばかりな気がするんだけど」

「まあ、いいじゃないですか。回転が早いんですから、このWeTube界ってのは」

「ふ~ん」

 心底どうでもよさそうに皿の上のシュークリームに手を伸ばす。≪梟亭≫のマスター・菊川が新商品として出そうとしているらしいが、その試作品である。高槻は手元のプリントに目を通す。

「今回もこのチャンネルにメールをもらったんですよ」

「人気者じゃん」

 口の中をカスタードクリームでいっぱいにして瀬田が自慢げに言う。

「それはいいんですけど、内容がおっかないというか……。メール読みますよ。『拝啓、IQ十五の君へ……この度はWeTubeで幅を利かせているお前たちに挑戦状を叩きつけるべく参上する次第です。きたる三月六日の午前十一時に首を洗って待っていなさい。それから、≪梟亭≫の場所が分からないので、至急教えるように』……っていうやつなんですけど」

「ふざけすぎだろ、そいつ」

 シュークリームを食べ終わったと思えない苦々しい顔に、カウンターの向こうの菊川が心配そうな顔をしている。

「面白そうなので受けてみることにしました」

「あのね、高槻くんね、面白けりゃなんでもいいってわけじゃないのよ」

「いや、なんでもいいんです」

 有無を言わさぬ返事に瀬田は思わず口を噤んだ。しかし、腕時計に目をやると憤りを隠せない様子だ。

「もう十一時十四分じゃん」

 そう言ってカメラに腕時計の文字盤を見せつける。

「あれ、瀬田さん、新しい時計じゃないですか」

「そうなんだよ。オミミガのマウントマスター」

 嬉しそうな笑みをこぼす瀬田に読者諸君は寂しい思いを抱えているかもしれない。羽振りが悪いどころか羽をもぎ取られたような男だった瀬田がそれなりにする高級腕時計を手首に巻くとは、この世も終わりが近づいているのかもしれないとお思いかもしれない。しかし、物事というものは変化するものである。

「清洲さんのおかげじゃないですか?」

 高槻がそう言うと、瀬田は目に見えて表情を曇らせた。

「俺のおかげだろ」

「前回の≪文明の利器禁止で事件に首突っ込んでみた≫シリーズの再生回数見ました?」

「まあ、見たか見なかったかでいえば、見たという記憶がないでもない」

「清洲さんが出てる回だけ異様に再生回数多かったじゃないですか。あれ知ってます? ネット上でプチバズりしたんですよ」

 瀬田はマウントマスターを引っ込めた。

「そうらしいね。Blabberのアカウントが特定されて、あいつ迷惑そうだったぞ。片っ端からブロックしてるってさ」

「動画のコメントもですね、清洲さんに関するものがめちゃくちゃありましたよ。ええと……『清洲かわいい』『おっさんはいいから清洲ちゃん出して』『清洲ちゃんのファンクラブまだー?』『清洲ちゃん結婚してほしい』『喋り慣れてない感じが可愛いねグフフ』『女だけど清洲ちゃんかわいすぎて人生捧げられる』『清洲ちゃんのWeTubeここって聞いてきたんですけど』……とこんな感じで二千くらいのコメントがついてました」

「お前らふざけんなよ。ちゃんと動画観てコメントしろよ」

 瀬田がカメラを睨みつける。

「もちろん、普通のコメントも来てましたよ。瀬田さんが罰金決定したところが人気ですね……『罰金きたー!』『一万円でへこみすぎ』『十万くらいいったらこいつ死ぬんじゃね?』みたいなコメントが多いですね」

「あのな、お前らな、一万取られるのって、心を削り取られてるのと変わらないんだぞ。お前らもやられてみろよ」

「真面目なところで言いますと……解決編のところですかね『谷崎潤一郎の「途上」みたい』っていうコメントがありますね」

「ああ、あいつ、文学部だって言ってたもんな。そこから着想を得た可能性もなくはないよな」

「あとは、『犯人の母親がかわいそうすぎる』とか『子どもが二人ともこんなになっちゃったらやるせないよ……』とか『俺らもすげえ偶然の上で生きてるのかもしれないな』っていうのがありますね」

「そいつらはちゃんと動画を観てる。えらいぞ」

 上から目線の賞賛を送る瀬田に高槻の読むコメントが横槍を刺す。

「『最後の方ゴリ押しすぎて意味分かんなかった』」

「お前はちゃんと最初から観ろ! めちゃくちゃ手掛かりあったじゃねえか」

「あとは青藍大学の学生さんなんでしょうかね、『うちの大学来てたんかい!』って言ってる人もいますね。あとは……恒例のみかんさんのコメントも来てます」

「あっ」瀬田は天敵を見つけたかのように目をかっぴらいた。「みかん、てめえコノヤロー、また性懲りもなくコメントしてきやがったのか!」

 みかんという名の動画視聴者から寄せられるコメントに瀬田は毎回脳の血管がブチ切れそうになるくらい怒りをぶつけるのである。

「『清洲ちゃんの人気に嫉妬している瀬田の顔が浮かぶ。これを機に、自分の不躾な態度や身なりの汚さ、不遜な物言いなどを改めるべきではないか。もっともそんなことができるような人間なら、こんなところで燻っていないだろうが』」

「おい、みかん、コノヤロー! 出て来い、ぶっ飛ばしてやるから!」

「視聴者に『ぶっ飛ばす』はダメですよ、瀬田さん」

 瀬田は軽く浮かした腰をなんとか下ろして、コーヒーを口にした。

「だいいちさ、今回メール送ってきた奴はいつ来るんだよ」

 まるでその言葉を待っていたかのように≪梟亭≫の入口のドアが開いてベルの音が店内に響いた。現れたのは、ピシッとスーツを着こなした男女二人組。どちらも整った顔をしている。二人は菊川と言葉を交わすと、ボックス席の方へやって来た。

「君が瀬田か?」

 明らかに年下の男にそう尋ねられて、瀬田はこめかみの血管を浮き上がらせた。

「さあ、どうだろうかね?」

 男は鼻で笑った。

「ふん、君がWeTubeでギャーギャーやかましくやっているのを観ているぞ」

「俺のマウントマスターの肥やしになってくれてありがたいもんだ」

 男は素早く腕を伸ばして、袖からパシフィック・フィリップの腕時計をこれ見よがしに見せつけた。出会って四秒で絶交しそうな雰囲気である。

「メールくださった方ですか?」

 高槻が聞くと、男はうなずいて透明なフレームの眼鏡を指先でクイッと直した。

「摩耶大河(まやたいが)だ」

 後ろに控えていた女が頭を下げる。

「立花ひかるです」

 摩耶は断りもなく瀬田の隣の席に腰を下ろした。一方、立花はテーブルの脇で立ったままだ。

「立花さんもどうぞ」

 高槻が椅子を勧めるが、立花は静かに首を振った。

「私はここで」

「なんなんだ、お前はふざけやがって」

 背筋のひん曲がった瀬田が乱暴な言葉を吹っ掛けると、背筋の伸びた摩耶が涼やかに応じる。

「メールに『WeTubeで幅を利かせているお前たちに挑戦状を叩きつける』と書いていたのは読めなかったのか? さすがIQ十五。ピアノで弾き語ってやりたいくらいだよ」

「約束の時間が分からないとは、お前のIQはマイナス二百か?」

「IQはマイナスにならないぞ、低脳め」

 バチバチの雰囲気に高槻が口を差し挟む。

「これほど分かりやすく罵り合う大人を僕は見たことないんですけど」

 摩耶は唐突に両掌を瀬田に向けて突き出した。

「十万だ」

「あ?」

「先に事件を解決した方が相手から十万を貰い受けるというルールだ」

 高槻の目が光る。

「どういうことですか?」

「君たちが一万単位で喚いているのを見て、なんてせせこましいんだと思っていたんだ。だから、僕が掲げるルールは『十万円争奪』だ」

 十万円という金額を聞いて、瀬田はやや表情を強張らせた。

「ルールはそれだけですか?」

「いいや、もう一つある」摩耶は人差し指を立てた。毛だらけの汚い瀬田の指とは違う。「独力で調査すること。警察などの捜査機関から情報を得てはならない。もしそれを破れば、君たちが好きな一万円を罰金として差し出すこと」

 瀬田が奥歯を噛みしめる。

「どうします、瀬田さん?」

 鼻息の荒かった瀬田だが、いざ決めるとなるとどうしても金額が気になるらしい。そんな瀬田を挑発するように、摩耶は口を開いた。

「たかが十万で逃げるような臆病者だとは思わんが」

「五万でもいいんだぞ。その方が負けてもダメージが少ないんじゃないか?」

 苦し紛れの瀬田の言葉も摩耶はするりとかわしてしまう。

「自分自身に言い聞かせているのか?」

「いい度胸じゃないか……」瀬田の唇は微かに震えている。「十万でやろうじゃないか。後悔しても知らんぞ」

 摩耶は鼻で笑って、椅子にふんぞり返る。

「決まりだな」

 予期せぬライバルの登場に高槻は笑いを堪えるのが大変だった。

「それで、どんな事件を?」

「立花、説明を」

 摩耶に命じられて、立花が持っていたバッグの中からファイルを取り出した。彼女ははっきりとした口調で資料を読み上げる。

「四日前の三月二日、午前三時から四時の間に二件の放火が確認されています。一件は本宮町の木造二階建てのアパートです。一階部分の外壁が燃えましたが、怪我人などはなし。午前三時過ぎに新聞配達員がアパートのそばで何かが燃えているのを発見して、住民に声を掛けつつ、消火器で初期消火活動を行ったため、消防到着まで被害を食い止められたようです。一方、もう一件の放火現場は一軒目の現場から直線距離で二キロほど離れた北本宮町にあるマンションでした。こちらは、放火のあった翌朝にマンションの住民から壁が焦げていると通報がありました。マンションの外壁が大きく焦げていたものの、それ以外の被害はないようです。いずれの現場でも、放火に使われたのは灯油を染み込ませた新聞紙を丸めて火をつけたものと見られています」

「なんでお前たちに犯行時間が分かるんだよ?」

 喧嘩腰の瀬田が啖呵を切る。貧相な身体つきのせいで、脅威は感じられないのが悲しいところだ。

「基本的な情報は警察から仕入れているに決まっているだろ。小さい脳味噌ではそこまで考えが至らんか」

「あえて聞いただけだわ。赤ちゃんでも疑問が生じるような言い方されちゃあ、確認しないわけにはいかねえだろうが」

「ああ、すまんすまん。君が赤ちゃん以下の知能だということを忘れていたよ」

 罵倒の応酬である。おそらく読者諸君は小学校の教室でこのような言い争いを耳にしたことがあるだろう。

 立花がファイルから資料の紙を一枚抜き出してテーブルの上に静かに置いた。

「物覚えが悪いかもしれないから、事件の概要をまとめたものを渡しておくぞ」

「お前基準でそんなことをされても困るんだが、まあ、お前の頭の出来に合わせてやるとするか」

 菊川がちょうどコーヒーを持って来たところで、摩耶は立ち上がった。テーブルに置かれたコーヒーカップに手を伸ばして一口だけ啜ると、摩耶は鼻で笑った。

「せいぜい頑張るがいいさ。こちらの連絡先もその紙に書いてあるから分からないことがあったら相談に乗ってやってもいいぞ。子どもがラジオに電話かけてくるやつみたいにな」

 勝ち誇ったセリフを残して、摩耶は立花を引きつれて店を出て行った。

「ああ~! イライラする!」

 頭を掻き毟って、瀬田がテーブルを叩きつける。

「イライラしないことだよ」まだ熱いコーヒーカップを手に取って菊川は穏やかに宥めた。「それにしても、お付きの人、すごい美人だったね」

「ふん」瀬田はテーブルの上の資料を引き寄せてグシャグシャに丸めた。「あんなカスにつきしたがっている奴なんざ、ロクな人生を送ってこなかったに違いない」

 ロクな人生を送ってこなかった瀬田が断言するからには、間違いないのだろう。菊川は苦笑しながらカウンターの方へ戻って行った。

「十万を賭けた勝負ですか」

「望むところじゃないか、高槻くん。あのバカをギャフンと言わせてやる」

「ギャフンってまた古臭いですね……それにしても、図らずも今回も縛りルールみたいなのが課されましたね。警察の助けを借りてはいけない、という」

「この街の警察なんてバイト感覚でやってる奴らしかいないだろ」

「そんなこと言ってると怒られますよ。一応、警察署長にはお墨付きもらってるんですから」

 この街……東京のどこかにあるというウソみたいな名前の鷺市(さぎし)。それなりの人口を擁し、それなりの経済規模があり、それなりの治安が維持されている……誰がどう見てもそれなりな都市である。一説では、「それなり」という言葉はこの街が発祥だとか、そうでないとか……。

「事件の概要は分かったわけですけど、どこから手をつけます?」

「う~ん、そうだね、事件を調べてる最中にあのアホ面を見ると活力減退しそうだから、被らないようにしないとな……」

「めちゃくちゃケンカ売ってますね」

「いや、ケンカとかじゃなくて事実だからね。科学者に聞いたら説明してくれるんじゃないの」

「で、どこから手をつけるんですか?」

 ヒートアップしそうな瀬田を制して高槻が軌道修正する。

「まあ、まず推測できるのは、犯行時間からすると犯人は午前三時とか四時に活動しても問題ない奴ってことになるよね」

「夜勤の人とかですかね」

「ニートとか老人とか、あとはドロップアウトしたような奴とかだな」

「瀬田さんみたいな?」

「え? どういう意味?」

「当面の目的はそういう人を探す感じですか?」

 瀬田は渋い顔をする。無精ヒゲを掌でいじりながら、考えをまとめようとしている。

「だけどさ、高槻くんさ、あのクズも同じようなことを考えてるかもしれないじゃん」

「摩耶さんね」

「それは癪だから、別のことを考えたいわけよ。例えばさ、犯人は新聞紙を丸めたやつに火をつけてるんでしょ。だったら、新聞を取ってるかもしれないわけよ」

「まあ、でも、有価物のゴミから新聞を調達してるかもしれないですよね」

「まあね。あとはそうだね……放火だから、犯人は他にもやってるかもしれないよね」

「放火をですか?」

「うん。放火ってさ、繰り返すケースが結構あるらしいのよ。放火癖ってのもあるくらいだしね。現に、今回は同じ日に二件やってるくらいアグレッシブでしょ。これは掘れば何かありそうだよね」

「確かに……でも、どうやって調べるんです? 警察の手を借りたら罰金ですよ」

「こういう時に図書館だよ」

「おお、瀬田さんでも図書館の存在は知ってるんですね」

「……高槻くんさ、俺も大人なのよ」

「図書館で何を調べるんですか?」

「似た手口の放火の記事をね。確か、最近の新聞記事はデータ化されてたはずだから、案外簡単に探せると思うんだよね」

「瀬田さんが図書館事情に詳しいとは思いませんでした」

「図書館はタダで漫画読めるからね」

「やっぱり子どもじゃないですか」

「じゃあ、そろそろ……」

「あっ、待ってください。今回の動画はここらへんで一回区切ろうと思うんで、締めの言葉をお願いします」

 瀬田は力強い眼差しをカメラに向けた。

「お前ら、今回は絶対に負けられない戦いがここにある。あんなクソバカカス野郎にコケにされたんじゃ、この俺の名が廃るというもんだ。マジで今回は全力であのゴミクズに火をつけて消し炭にしてやるからな」

「放火魔みたいなこと言ってますね」

「とにかく、お前ら、よく見とけよ。あのバカが泣いて土下座する瞬間を。いいねとフォローもよろしくな!」

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