【時代逆行】文明の利器禁止で事件に首突っ込んでみた EP10

 瀬田から一万円を受け取って懐を温めた高槻は、二宮に案内されて入って行った小さな会議室の窓から真っ暗な外の景色を眺めた。風が窓を叩いている。

「今夜から吹雪になるらしいですよ」

 二宮が資料とスマホを持って戻ってきた。瀬田は一万円を搾取されて力なくつぶやいた。

「南極観測隊ごっこができるな」

「そんな危険なごっこ遊びないでしょ」

「四万も取られて俺はもう凍死するしかないんだよ」

「そんなに思い詰めてたんですか。ところで瀬田さん、これから相見さんのご実家に電話を掛けようとしてるわけですけど、その狙いは何ですか?」

 冷たくなった指先を腹の辺りに擦りつけていた瀬田は丸めた手の中に息を吹き入れた。

「相見紗南さんとその弟について聞きたいのよ。その話の内容によっては俺の考えていることが裏づけられるの」

 二宮は瀬田に急かされて、早速相見家へ電話を掛けた。スピーカーフォンにしたスマホからコール音が何度か流れる。

『はい、もしもし』

 明るい声色の女性の声だ。二宮がスマホに顔を近づける。

「相見さんのお宅でしょうか?」

『はい、どちら様でしょうか?』

 一気に声に警戒色が点る。二宮は柔らかい声でスマホに頭を下げた。

「私、東京の鷺市警察署の二宮と申します」

 スマホの向こうが絶句しているのが伝わる。

「相見さん?」

『あの……何かあったんでしょうか?』

「相見佳乃さんでしょうか?」

『何かあったんですか?!』

 紗南の母親・佳乃が声を張り上げた。五年前に彼女が亡くなった際にも鷺市警察とやり取りをしただろう。その頃の記憶がふっと蘇ってきたのかもしれない。

「奥様、落ち着いてください」刑事の端くれとしての貫禄を二宮が見せる。「少しお聞きしたいことがあるだけなんです」

『本当に何もないんですか?』

 縋るような声に瀬田がボソリとこぼす。

「何もないわけじゃないけどな」

『……なんですか?』

 高槻が無言で頭を叩くと、瀬田は口元を押さえてそっぽを向いた。二宮はすぐに先を続けた。

「こちらで少しゴタゴタガありまして、その関係でお聞きしたいことが出て来てしまったんですよ」

『ゴタゴタ? 東生のことですか?』

「東生さんというのは……息子さんですか?」

『息子です』

 また何か言おうとした二宮を手で制して瀬田が口を開いた。

「東生は大学生か?」

『……どなたですか?』

「瀬田だ」自己紹介になっていない自己紹介だ。「こっちの大学である問題が起こったんで、その調査をしてるんだが」

『青藍大学ですか?』

「なんで分かった?」

『息子もそこの大学に通っているんです』

 瀬田たちは密かに視線を交わらせた。

「嫌な思い出があると思うが、息子も青藍大学に?」

『私は止めました。でも、あの子が行きたいというから』

「学部は?」

『文学部です。……一体何があったんですか? あの子は無事?』

「まあ、無事だと思うが」

『思うじゃ困るんですよ!』

 激高した声がスマホから飛び出す。二宮がすかさず宥めに掛かった。

「何か事件があったというわけじゃないんです。大学内の問題でして」

「東生は五年前、相当なショックを受けていたそうじゃないか」

『そりゃ、そうです。私たちみんなそうです。あの子もお姉ちゃんっ子ですし……』

 言葉が過去形でないところに、まだ過ぎ去ったものとして処理しきれていない佳乃の思いが垣間見える。

「それなのに、青藍大学に行きたいと言ったのか? なぜ?」

『勉強したいことがあるとだけ言っていました。強く反対もできず……』

「安城という教授の名前に聞き覚えは?」

『ありません。あの子、大学のことはほとんど話してくれないので』

「文学部を選んだ理由は?」

『あの子、昔から本が好きですから。……それから、確か、安倍川夏子がたまに講演をするから、とも言っていましたね』

「安倍川夏子に興味があった?」

『オカルトとかが好きなんです』

「普段から連絡はしてるのか?」

『もちろんです。あの子、昔から体が細くて病弱なところがあるから、心配なんです』

 瀬田は無精ヒゲをザリザリと鳴らしながら何かを考えていた。

「東生がどこに住んでいるかは分かるよな。鷺市内か?」

『そうです。確か……新鷺駅っていうところの近くだったと思います』

 瀬田はニヤリと笑ってうなずいた。しかし、すぐに真顔を取り戻した。

「紗南がああなってしまった理由については、何も心当たりがないのか?」

 しばしの沈黙。

『ありませんよ……ある日突然塞ぎ込むようになって……連絡をしても声が暗いままなんです。こんなことなら……もっとそばにいてあげればよかった』

「紗南はコンビニでレターパックを買っていた。何か送られては来なかったのか?」

『私が知る限りは何も……あの……これは何を調べているんですか? 紗南が関係あるんですか?』

 あろうことか、瀬田はそこで二宮に全てを丸投げしてしまった。彼は慌ててスマホに顔を近づけた。

「ちょっと大学での問題を調べている中で形式的に色々な方にお話をお聞きしているんです。ご協力ありがとうございます。お忙しい中すみません」

『これで大丈夫ですか?』

「バッチリです。ありがとうございます。それでは、失礼します」

 二宮はそそくさを通話を切った。

「瀬田さん、どういうことですか?」

 高槻が瀬田に顔を向けた。窓がガタガタと音を立てる中、瀬田は椅子に深く腰掛けて腕組みをしている。

「あのね、高槻くんね、まだ断言できる段階じゃないのよ」

「でもずいぶん確信をもってるような空気醸し出してましたよ」

「俺の頭の中に描いてるものはあるけどさ、もう本人にぶつけるしか確かめる術はないのよ」

「本人っていうのは、相見紗南さんの弟さんのことですか?」

 結論を先回りされて瀬田は不服そうな表情を見せたが、肩をすくめて認めざるを得なかった。

「まあ、そうだね。≪スプリングタイム≫は東生に間違いはないよ」

「勝算はあるんですか?」

「東生は姉の死の真相に迫ろうとしてたはずなんだよ。青藍大学に入ったのもそれが動機だと思う。で、姉が≪赤いコートのカナコ≫だと分かって、姉が好きなバンドの名前をBlabberの名前にしたわけ」

「ええと……それは全て人間科学概論の試験問題を盗み出すために?」

「そこはなんとも言えないけどね。たぶん、自分ではコントロールできない力を試そうとしていたんだろう」

「自分ではコントロールできない力? アメコミ映画みたいなこと言いますね」

「そう表現するしかないんだよ」

 窓がガタガタと揺れる。二宮が不安そうに窓の外に目を向けた。

「ひどくなってきましたね……」

 瀬田はゆっくりと立ち上がった。

「さっさと帰ろう、高槻くん」

「え? もういいんですか?」

「だって、この天気じゃ、外出たら死んじゃうよ」

「死にゃあしないと思いますが。じゃあ、調査の続きは明日でいいんですね?」

「雪が積もったりしてなかったらね」

「予報では、夜の間は吹雪いてるそうですけど、朝には晴れるとなっていましたよ」

 二宮がそう言うと、瀬田は苦い顔をした。

「じゃあ、続きは明日だね」

「瀬田さん、今めちゃくちゃ面倒臭そうな顔しましたよ」

「人が活動していい気温を下回ってるんだよ」

 霊長類最弱の男がぶつくさと何か言っている。

「じゃあ、今日はここまで、ということで……」


* * *


 太陽の光が青空に浮かんでいる。カメラがパンすると、何やら深刻そうな瀬田の顔。動画のテロップには、「翌日・午前七時半」とある。

「いきなり呼び出されてびっくりしましたよ……まだこんな時間ですよ、瀬田さん」

 眠気の残った高槻の声。

「あのね、高槻くんね、ちょっと嫌な予感がしたのよ。明け方におしっこ行った時にさ」

「朝方におしっこって……もうおじいちゃんのエピソードじゃないですか」

「だから、ちょっと早めに出発しようと思ってさ」

 そう言って歩き出す瀬田の周囲には雪が積もっている。車道は車の往来で雪が薄くなっていたが、車道の脇や歩道はまだ白い雪化粧のままだ。瀬田は固い雪の地面を踏みしだきながら、高槻のワンボックスカーが置いてある駐車場に向かっていた。

「晴れてますけど、めちゃくちゃ寒いっすね……」

「冬なんだから当たり前だろ」

 瀬田が昨日とは別人のようなことを言って高槻を呆れさせる。呆れたままカメラを構えた高槻は滑ってバランスを崩した。

「ツルツルのところ危ねえ」

 二人はなんとか車に辿り着き、乗り込んだ。

「早く暖房つけてくれ」

 乗り込むや否や瀬田が注文をつける。

「さっきは寒くなさそうだったじゃないですか」

「車の中は外より寒いってのは宇宙の真理なんだよ」

「聞いたことないですけどね」

 高槻はエンジンを掛けて、最弱人間の仰せの通りに暖房のスイッチを入れた。

「それで、瀬田さん、どこに行くんですか?」

「東生の家。昨日、二宮に場所を聞いたでしょ」

「直接対決ですか」

「まあ、そんなところだね」

 高槻がアクセルを踏み込んで車は発進する。新鷺駅付近へは十五分ほどだ。

「嫌な予感ってなんですか?」

 ルームミラーの中の瀬田に高槻が問い掛ける。

「おしっこが外れたのよ、便器から」

「いきなり汚い話しないでくださいよ」

「朝方におしっこ外すのは縁起悪いじゃん」

「縁起以前の人間としての問題だと思いますけど」

「とにかくそういうわけなのよ」

「いや、どういうわけですか」

 車はやがて新鷺駅の近くまでやって来た。朝だからか、車の数がそれなりにある。

「そろそろじゃないか?」

 さっきから瀬田が運転席の高槻に口を挟んでくる。運転手からすると、殺したくなるような感情が湧いてくるところだ。

「この先を右折して入って行ったところですね」

「ふ~ん」

 聞いておきながら窓の外に目をやる瀬田であった。対向車線の歩道を小学生の集団登校のグループ向こうに向かっている背中が見える。雪の地面を見て笑っている。その向こうから自転車に乗ったスーツの男がやって来て、何かを避けるように急に車道にハンドルを切った。すぐ後ろに迫って来た路線バスに気づかない様子の男は歩道と車道の境目で盛大に滑って転倒した。車道のど真ん中に倒れ込んだ男の両足と自転車にバスが乗り上げた。車内にも聞こえるほどの悲鳴が上がる。バスが急ブレーキをかけて、後輪をスライドさせて停まる。

「うわっ!」

 高槻が声を上げて停車させた。瀬田が突然車のドアを開けて車道に飛び出した。

「高槻くん、救急車!」

 瀬田に似つかわしくない俊敏さで倒れ込んだ男のもとに駆け寄る。自転車はグニャグニャに変形し、カゴに入っていた鞄は飛び出し、中身が周囲に散らばっていた。

「大丈夫か?」

 男の両足は不自然に折れ曲がっている。男は顔面蒼白の状態で返答できずに呻き声を漏らすだけだ。周囲の車から外に出てきた人々や歩道を歩いていた小学生たちは口を噤んでこの様子を遠巻きに見ていた。

 瀬田の目が道路に転がった青藍大学のペンに向けられた。高槻がカメラを抱えてやって来る。

「救急車呼びましたよ!」

 しかし、瀬田の視線に気づいてカメラをそちらに向けた。

「高槻くん、これ、青藍大学のペンだね。俺たちももらったやつ」

「この人も……」

 瀬田はバスのそばで呆然としている運転手のもとにものすごい勢いで距離を詰めていった。

「何してたんだ、お前は!」

「そこの茂みで何かが光って……」

 運転手が道路の向こうの植え込みを指さした。野次馬が集まって来た中をズンズンと進んで行って、瀬田は植え込みの中に目を凝らした。

「なんですか?」

 瀬田が凝視する場所に近づいていく。

「そこに……CDが」

 瀬田が指さすところ、植え込みの中に盤面を裏にしたCDが刺さっていた。そっとそのCDを摘まみ上げてひっくり返し、盤面に目をやった。高槻はそれを見て絶句してしまった。盤面には「スプリングタイム kanako」と記されているのだ。瀬田は再び車道の方へ走り出して、男が自転車のまま滑って転倒した場所に膝をついた。その辺りだけ、雪が氷のようにツルツルに固まっている。

「高槻くんね、これ水が撒かれてるんだよ」

「何が起こってるんですか……?」

 瀬田は立ち上がって周囲を見渡した。今や騒然とした路上。クラクションが鳴り、野次馬が口々に言葉を発している。遠くから救急車のサイレンがかすかに聞こえる。バスに引かれた男は今も横になったまま。そのそばに混乱した様子のバスの運転手がついている。

「自転車でやって来て、あの小学生の集団を避けて車道に出ようとしたところで滑って転び、そこにこのCDの光の反射で目が眩んだ運転手のバスが突っ込んだ……」

 瀬田は一人つぶやいて、倒れた男のもとに歩み寄った。痛みに耐える男の目の前にCDを掲げる。男は苦痛に歪む顔でそのCDに目をやると、途端に顔に驚愕の表情を浮かべて悲鳴を上げた。

「嫌だ……! やめてくれっ!」

 両足が潰れているのにもかかわらず、這って逃げ出そうとする。あまりにも異常な反応。

「高槻くんさ、東生の家はこの先だって言ったよね」

「え? はい」

 瀬田は高槻が顔を向けた方へ駆け出した。

「ちょっと瀬田さん!」

 高槻は自分が運転してきた車を見やったが、エンジンがかかったままなのを見て、誰かが路肩に移動してくれるだろうと判断して瀬田の後を追った。

 高槻の持つカメラの激しく揺れる映像が次第に暗転して、動画はここで終了する。

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