【時代逆行】文明の利器禁止で事件に首突っ込んでみた EP8

 ここはお馴染みの≪梟亭≫ではない。青藍大学内にある食堂その名もそのままの≪青藍食堂≫である。すでに大学自体は春期休暇に入っているが、サークル活動などで構内には数多くの学生の姿が見られる。≪青藍食堂≫の中にはお昼時ということもあり、それなりに盛況で、学生たちがあちこちで食時と談笑を楽しんでいる。

「再来週には入試が始まるらしいですよ」

 高槻はガラスケースの中に並んでいるメニューの食品サンプルにカメラを向けながらそう言った。

「金を払って試験を受けるとは、物好きな連中だよ」

「大学入っとけば何とかなるって考えの人も多いでしょうしね」

「もうそんな時代でもないだろうに──この煮込みハンバーグのまわりにあるやつ、なにこれ?」

「きのこじゃないですか。『たっぷりきのこの煮込みハンバーグ定食』って書いてあるでしょ」

「入試の期間はガラガラになるわけ?」

「そうみたいですね。代わりに受験生たちがやってくるんでしょうね。……瀬田さん早く決めてくださいよ」

 ガラスケースの前でウロウロしながら、瀬田はああでもないこうでもないとメニューを一つ一つ吟味している。

「あのね、高槻くんね、こういうところでハズレを引きたくないのよ」

「じゃあ、カレーでいいんじゃないですか」

「今日はカレーの気分じゃないんだよ」

「じゃあ、その山菜そばは?」

「そばねえ……」

 渋る瀬田に高槻はイライラを募らせる。

「事件の調査から現実逃避しようとしてません?」

「失礼な。俺の頭の中の二割は占めてるぞ」

「小さすぎでしょ」

 瀬田は券売機の前にやって来て、山菜そばのボタンを押した。提供カウンターの前でトレイと割り箸を取って食券を差し出す。

「でも、調査期間が長引き過ぎるとだんだん解決が遠のいちゃうんじゃないですか?」

 現実を突きつけられて、瀬田は溜息をついた。

「酒を飲んですべて忘れたい。ここには酒はないのか?」

 食堂のおばちゃんが顔をしかめる。

「あるわけないでしょ。大学の中はお酒禁止よ」

「大学生って毎日飲み会してるんじゃないのか?」

 瀬田の偏見に高槻が呆れて首を振った。おばちゃんがそばをトレイに載せながら言う。

「昔はそうだったけど、それで色々問題起こす子が多くて禁止になったんだってさ」

「山菜を気持ち多めにしてほしかったんだが」

「また今度来なさい」

 冷たくあしらわれて瀬田は不服そうに空いている席へ向かっていった。隣のテーブルでは、女子学生の集団がスマホ片手に盛り上がっている。高槻は瀬田が映るようにテーブルの上にカメラを置いて、カレーを載せたトレイをカメラの死角に置いた。

「瀬田さんってお酒飲むんですか?」

「飲まないよ」

「え? さっき飲むって言ってたじゃないですか」

「ああいうこと言ってみたかったんだよ。酒飲んで忘れるみたいな」

「そういう中学生みたいな憧れって大人になると消えるもんですけどね……」

割り箸を割ってそばと山菜を混ぜつつ、瀬田は難しそうな顔をした。

「たださ、高槻くんさ、≪スプリングタイム≫を探す手掛かりが今のところ何もないんだよね」

「昨日の二人の話を聞くと、なんというか……フィクサーみたいな印象でしたけどね」

「だから厄介なんだよ。自分は手を汚さないようにして、他の奴らを動かしてたわけだからさ」

「そもそも、なんで≪スプリングタイム≫なんて名前をつけてたんですかね?」

「そりゃあ……ん?」

 そばを啜っていた瀬田が表情を強張らせる。

「何か気づいたんですか?」

「このそば柔らかすぎだよ。茹でてから時間が経ってる」

 心底残念そうに丼に割り箸を置く。

「しょうがないですよ。時短でしょ。……で、何か言いかけてましたけど」

 文句を言いながらもそばを口に運ぶ様子からすると、瀬田は目の前の食べ物を無意的に胃に収めようとする習性があるのかもしれない。

「≪スプリングタイム≫が好きなんだろ」

「でも、≪スプリングタイム≫が流行ってたのって五年くらい前でしょ。今じゃ何やってるか知らないし……今の学生にしてはなんかちょっとズレてる気がしますけど」

「あのね、高槻くんね、世の中流行が全てじゃないのよ」

「まあ、そうですけど……」

 そう言って高槻はカレーにスプーンを差し込んだ。隣のテーブルの女子学生が二人のおじさんの無価値な会話にチラチラと目を向けている。

「≪スプリングタイム≫って言えばさ」その女子学生が声を潜めた。「この前、安倍川夏子が来てたの知ってる?」

「知ってる。たまになんかやってるよね」

「あのおばさん胡散臭くない?」

「なんかうちの親あの人好きなんだよね」

「マジで?」

「怪談やってるんだっけ?」

「知らないけど、≪赤いコートのカナコ≫の話したんだって」

「うわ、出たよ。あたしのトラウマ」

「そうなの?」

「≪カナコ≫のウワサ出た時にさ、うちの中学でも結構問題になったのよ。でさ、うちのクラスでなんか≪カナコ≫見たとかって子がいてさ、パニックみたいになって……なんていうの、集団ヒステリーみたいな感じになっちゃったのよ」

「やばいやつじゃん」

「なんかもうクラスの女子の大半が過呼吸になっちゃってさ。あたしは大丈夫だったんだけど、その光景がめっちゃ怖くてさ、未だに夢に出てくんのよ」

「うわー、それキツイね」

「でも、安倍川夏子が言うには、≪カナコ≫って実在するらしいんよ」

「マジで? 知りたくなかったんだけど……」

「なんか、それで警察が動いてて、安倍川夏子が呼ばれたらしい」

「え、すごくね?」

 女子学生たちの話に耳を傾けていた瀬田が、急に彼女たちの輪に入って行った。

「あのさ、その話って、ホント?」

「え? ……はい、そうですけど」

 突然みすぼらしい男に話しかけられて、女子学生たちの盛り上がりは一気に冷めていった。

「その≪カナコ≫ってさ、あの≪カナコ≫? ≪スプリングタイム≫の『kanako』を口ずさんでるってやつ?」

「はい……」

 女子学生たちは退散の気配を醸し出しながら答えた。

「そいつが実在するの?」

「詳しくは知らないですけど、そうみたいです……」

 瀬田はじっと考え込んでいる。女子学生たちはその隙にそそくさと去って行ってしまった。後で鷺市警察署のホームページに不審者情報が追加されるかもしれない。

「なに急に話しかけてんですか」

 高槻が瀬田の首根っこを掴まえて席に座らせても、彼は考えを巡らせているようだった。

「≪カナコ≫ねえ……」

「そもそもどういう話なんですか、その≪赤いコートのカナコ≫って?」

「そういう都市伝説があるのよ。夕方に現れるの、赤いコートを着た女が。しかも、包丁を持ってんの。で、ずーっと『kanako』の口ずさんでんの」

「だから、≪カナコ≫って呼ばれてるんですか?」

「そう。街の中を彷徨ってて、その歌が聞こえたらすぐに耳を塞いで家に帰らないといけないわけよ。もし会っても目を合わしちゃいけないの」

「目が合ったらどうなるんですか?」

「そりゃあ、もう、グサーッよ」

「ええ? 急に?」

「逆に急じゃないグサーッなんてあるのかよ」

「なんか現代の口裂け女って感じですね」

 瀬田はそばを勢いよく啜った。その勢いで具の細竹が眉間に貼りついた。しっかりとその瞬間を捉えた高槻は満足した顔だったが、瀬田は表情も変えずに細竹を取って口の中に放り込んだ。

「高塚に話を聞きに行くか」

「安倍川夏子を連れて来たっていう? なんでですか?」

「試験問題を盗み出そうと提案した奴の名前が≪スプリングタイム≫でしょ。で、≪赤いコートのカナコ≫が口ずさんでるのが≪スプリングタイム≫の『kanako』なわけだ。で、その≪カナコ≫が実在してるんだろ。何か繋がりがありそうじゃん」

「偶然じゃないですか?」

「世の中さ、信じられない偶然の連続ってあるじゃん。俺もこの前さ、家の近くの自販機で缶のコーラ買ったらさ、当たりが出てさもう一本コーラ買ったのよ」

「なんで同じやつ買うんですか」

「で、スーパー行ったら、同じコーラが六十円で売ってて一本買ったのよ。よく考えたら自販機のコーラ百二十円だったわけ。つまりさ、一本六十円で三本買ったことになるのよ」

「……そんなすごい偶然じゃないでしょ。っていうか、なんで同じやつ買うんですか。バカなんですか?」

「しかもさ、高槻くんさ」瀬田は意味深な表情を浮かべた。「コーラも赤い缶なんだよね。≪カナコ≫も赤いコート着てるんだよ……これ何かあるよね」

「もういいです。メシ食ったら高塚先生のところに行きましょう」


* * *


「また来たんですか?」

 高塚は笑っていた。どこかハプニングを楽しんでいるような節がある。彼はパソコンでの作業を切り上げて、瀬田と高槻に椅子を勧めた。

「すいません」高槻がカメラをセットしながら頭を下げる。「この人が聞きたいことがあるということなので、また来ちゃいました」

「いや、いいですよ。どうしたんですか?」

「≪赤いコートのカナコ≫が実在すると安倍川夏子は言っていたそうだな」

 藪から棒にそう言い放つ不躾な瀬田。しかし、高塚は特に気分を害することもなく表情を明るくした。

「ああ、そのことね。そうそう、どうやら安倍川先生が調べたところ、元ネタがあったみたいなんですよ」

「元ネタ?」

「確かね、五年くらい前の鷺市警察署のホームページでね、不審者情報が更新されるでしょ。あれにね、元ネタがあると言うんですよ」

 研究室の本棚には数多くの民話や神話、伝承などを扱った書籍が並んでいる。高槻はそれらを一瞥して、高塚に目をやった。

「それって、普通じゃないんですか?」

「民俗学的には、こういう都市伝説は昔の出来事だったり、住民感情だったり、そういった色々が折り重なって出来上がるんですけどね、≪赤いコートのカナコ≫は、まさにその不審者情報が発端になっているんですよ。こういう例はちょっと見たことがないですね」

「どういう情報だったんだ?」

「ええとね……」高塚はデスクの引き出しからノートを取り出してページを繰った。「夕方に赤いコートと赤い靴を履いた若い女が目撃されてるんです。目撃したのは鷺市の小学生で、その子によれば、『kanako』という曲を口ずさんでいたんだそうです」

「ええ……」

 瀬田が思い切り顔をしかめてブルブルと身震いした。

「ちょうどその後に≪赤いコートのカナコ≫って都市伝説が急激に広がって、ニュースにもなったでしょ。安倍川先生はそういうのがSNSで広がったんだと言ってましたよ。そういうのもあって、実は≪赤いコートのカナコ≫って全く同じ話が全国にあって、その土地土地に出没してるっていうウワサが流れてるんですよ」

「いろんな場所で都市伝説になってるんですか?」

「そのせいで、その曲を歌ってたバンドも呪われてるっていうウワサがバンバン出ちゃって、それで結局バンドは解散しちゃったんですよ。結構有名だったんですけどね」

「解散しちゃったんですか」

「まあ、ひどいイメージがついちゃいましたからね」

「警察が安倍川夏子に協力を仰いだって言ってたよな」

「ええ。新鷺駅の件で」

「新鷺駅の件ってなんだ?」

「赤いコートの女が目撃されたっていう……あれ、話しませんでしたっけ?」

 瀬田が怯えたような表情を顔に貼りつけた。

「言ってないよ……目撃されてんの……?」

「安倍川先生は都市伝説の研究家でもあるので、彼女の知見を得たかったそうですよ。情報を整理できる人間がいないと、また五年前みたいにパニックが起こる可能性もありますからね」

 瀬田は顔面を蒼白にして自分の肩を抱いた。

「瀬田さん怖がってます?」

「怖がってないよ。ただ、夕方の路地に赤いコートを着た女がつったってこっちを見ているのを想像して体が振動してるだけだよ」

「十分怖がってるじゃないですか」

「今回目撃された人影については、私も詳しいことはまだ何も知らないんですよ。もうそこは警察の領域になるので」

 瀬田はじっと考えている

「瀬田さん、やけにこの件を気にしてません?」

「いや、だってさ、≪カナコ≫を彷彿とさせる赤いコートを着た女が目撃されて、安倍川夏子がやって来たんでしょ。それで、この大学の一〇三で講演をやったわけよ。その講演の影響でゴスペルサークルが場所移動して、ドミノ倒しみたいにブレイクダンス部が広場に移ったわけじゃん。そのせいで掲示板に封筒を貼った奴を誰も目撃してないのよ。で、その封筒を掲示板に貼りつけるっていう提案をした奴の名前が≪スプリングタイム≫なんだよ……偶然にしちゃ出来過ぎてない?」

「でも、偶然……」

 高槻もそう言い切れなくなってしまう。

「ブレイクダンス部の奴らの話だとさ、場所移動はたまにあるって言ってたじゃん。たぶん、この場所移動の連鎖って、いつも同じなんだよ」瀬田は高塚を見た。「安倍川夏子と会うと講演を頼むって言ってたよな?」

「そうですね。一種の遊びみたいなルールですけど」

 高槻は青藍大学の手帳を開いてメモを見直していた。

「ちなみに、新鷺駅の辺りで安倍川夏子にあったとおっしゃってましたけど、それはどういうきっかけで?」

「最近、医者に運動しろって言われてて、それでウォーキングしてるんですよ。自宅が木戸駅の近くにあるんですけど、そこから河原町の方にずーッと歩いていくってのをやってるんですよ」

「ああ……」高槻が頭の中で地図を広げる。「途中で新鷺駅の辺りを通りますね」

「そうそう、そこでバッタリね」

 瀬田は顔に皺が増えて急に五歳くらい老けたようになってしまった。

「それで今回の事件のスイッチが入ったわけだよ……」

「確か……人間科学部の試験問題のアレで調べてるんですよね? こんなところで油売ってていいんですか?」

 もっともな疑問をぶつける高塚に対し、瀬田は興奮気味にまくし立てた。

「だ~か~ら~、≪カナコ≫と試験問題のアレが繋がってる可能性があるんだって」

「どうやって?」

「それをこれから調べるんだよ!」

 興奮状態の瀬田はそのまま立ち上がった。

「ちょっと、瀬田さん、どこに行くつもりですか?」

「鷺市警察署」

「ついに自首するんですね」

「違うわ!」


* * *


 もはや懐かしの鷺市警察署である。カメラの前に引っ張り出された刑事課の二宮がおどおどした様子を見せている。

「二宮さん、お久しぶりです」

 高槻がなあなあな感じで挨拶すると、二宮も作り笑いをして見せた。この≪名探偵チャンネル≫では、初回の「一切質問せずに事件解決してみた!」以来の登場だ。

「いきなりどうされたんですか?」

 気弱な二宮だから、不躾な瀬田の突然の訪問を受けて心の奥底にある種の恐怖感のようなものを抱いているのは当然のことだ。高槻が手短に今回の件についての説明をする。それが終わるや否や瀬田が二宮に詰め寄るようにして尋ねた。

「新鷺駅の近くで赤いコートの女が目撃されたっていうのは本当か?」

「本当ですよ。それで何人も駆り出されていきましたから」

「どういう目撃情報だったんだ?」

「赤いコートに赤い靴、それに赤い傘を差した女が立っていたというだけなんですが、五年前のこともあって、不安を感じているという地域住民の方からの連絡が多発しまして……それで、我々が動いたというわけです」

「あのさ、高槻くんさ、確か≪カナコ≫は傘は差してなかったよな?」

「差してないですね」

「雨が降っていたせいで傘を持ってるバリエーションが増えたんだな」

 しかし、その瀬田の言葉に二宮は首を振った。

「いえ、目撃情報があった日は晴れてましたよ」

「おかしいだろ。なんで傘差してんだよ」

「分かりませんよ……日傘かなんかじゃないんですか」

「赤い日傘なんかないだろ」

「私に言われましても……」

 傘という新しい付加情報を瀬田は気にしているようだった。考えを巡らすように無精ヒゲを撫でつけている。

「警察の方では、その目撃情報にどう対処をしたんですか?」

「ひとまず、目撃情報の精査とパトロールの強化を行いました」

「目撃情報はいくつもあったんですか?」

「それが……」二宮は困惑したような表情だ。「色々な人が赤いコートの女を見たと言っているんですが、証言がバラバラなんですよね。傘を差していたり、いなかったり。時間帯も朝から夜中まで幅がありました。目撃された場所も曖昧な場合が多く……信憑性のない証言も多々あったと聞いてます」

「現実とウワサと都市伝説がごちゃ混ぜになってる印象ですね」

「そうかもしれません。五年前のパニックのこともありましたからね」

「それで情報を整理するために安倍川夏子を呼んだんですか?」

「そうらしいです。赤いコートの女に酷似した≪赤いコートのカナコ≫の都市伝説を研究されている安部川さんなら、情報を精査できるという声があったそうで……」

 瀬田が鋭い眼を向けた。

「で、その安倍川夏子は今はどこで何やってんだ?」

「今回の件についてのフィールドワークを行ってるようです」

「安倍川夏子に会おうと思ったらどこに行けばいい?」

「確か……鷺中央駅のそばにあるホテルに滞在していたと思いますから、そこに行けば会えるかもしれません」

 瀬田は礼もそこそこに立ち去ろうとしたが、高槻が慌てて止めた。

「もうこの動画を締めたいんで、瀬田さん、締めの一言をお願いします!」

「二宮、言っといてくれ」

 そう言って署の正面玄関の方へ歩いて行ってしまう。

「すいません、二宮さん、このカンペを読んでもらえると……」

「私でいいんですか? ……え~、ご視聴ありがとうございます。フォローといいねをよろしくお願いします。また次回も観てください」

「ありがとうございました」高槻は走り出す。「瀬田さん、待ってください!」

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