【時代逆行】文明の利器禁止で事件に首突っ込んでみた EP5

 青藍大学の試験期間が終わりを告げ、構内には本来の活気が戻っていた。カメラは学生の雑踏を掻き分けるようにしてこちらにやって来る瀬田を捉えていた。あのピロティが背後に見えている。

「ダメだね」

 瀬田は疲労感のある顔でそう言った。動画上では、ここで瀬田が学生に聞き込みをする映像が倍速で流されていく。

「やっぱり、掲示板に封筒を貼りつけてた人間を見てる奴は見つからなかったわ」

 高槻は腕時計に目をやった。

「今日が一月三十一日なんで、二週間くらい前の出来事ですもんね」

「それとね、ブレイクダンス部の連中の印象が残ってるっぽいんだよね」

「ああ、それでもう他の記憶が掻き消されちゃってるみたいな感じですか」

「余計なことしやがって、ブレイクダンス部の奴ら……」

「いや、彼らは悪くないでしょ」

「聞けば、わりと盛り上がってたらしいんだよ。百人以上はまわりで見てたとかいう説もある」

「百人っすか。すごいっすね」

 広場は四方が数段の階段になっていて、周囲より少しだけ低くなっている。この広場を取り囲めば百人程度の観衆は容易に達成できそうだ。

「デモの主催者が言ってる参加者人数みたいなもんだろ」

「何と比べてるんですか……」

「そういうイベントめいたものがあると、サークルのOBとかもよく来るらしい。この大学にはそういう風潮があるとか言ってた」

「アットホームなんですね」

「あのね、高槻くんね、アットホームな職場ですっていうバイト募集の文言ほど胡散臭いものってないよ」

「まあ、それは分かりますけど、ここ大学ですから」

「どうせ暇人しかいないんだろ、OBに」

「なんちゅうこと言うんですか。……となると、ちょっと聞き込みでは収穫なかった感じですかね」

 瀬田が得意げに顎を上げた。

「あのね、高槻くんね、俺だぞ。そこは重要な証言拾ってきてんのよ」

「お、やるじゃないですか。どういう情報ですか?」

「ブレイクダンス部の連中がその時の様子を撮影してたらしい」

「ということは、何か映ってるかもしれないですね」

 瀬田は意気揚々と歩きだした。どうやら、ブレイクダンス部が割り当てられている部室というのが、部室棟という場所にあるらしいことも聞き出していたようだ。広場を出て、研究室棟に向かうのと同じように五号館と八号館の間の小路を行く。

「そういえば」高槻は前を行く瀬田の華奢な背中に目をやった。「清洲さんが、インターセプターは小型PCを研究室の外に隠した可能性があるって言ってたじゃないですか。それを隠せる場所があるかどうか、ちょっと確かめてみません?」

「なるほど。そういえば、そんなこと言ってたな」

 二人は研究室棟に入って行った。しかし、安城の研究室の付近には、とても物を隠せるような場所は見当たらない。

「建物の外かもしれないな」

 瀬田はずんずんと研究室棟のまわりを歩き出した。研究室棟の裏手はひと気が少なく、この先に建物があるわけでもない奥まった場所なので、ただ建物の裏手に沿って十メートル足らずの幅の道が続いているだけだった。研究室とは反対の方向は壁と木々が並んでいるだけだ。

「隠せる場所あるじゃないか」

 瀬田が指さしたのは、ちょうど安城研究室の窓のそばに生えている腰の高さほどの茂みだった。安城研究室のブラインドの隙間から、部屋の中が見える。安城は不在のようだった。

「巡回する警備員も茂みの中までは確認せんだろうな」

「そうですね、それに夜だったらたぶん見えないでしょうしね」

「しかしさ、高槻くんさ、そこまで投資するってのは、ずいぶんアレだよな」

「まあ、普段使ってるものを流用したのかもしれないですけどね」

 瀬田は辺りを見渡した。

「ジメジメした場所だな」


* * *


 二人は部室棟の三階に来ていた。エレベータがないため、階段を上って来た瀬田は息も絶え絶えだ。死にそうな瀬田に高槻は思わず笑ってしまった。

「大丈夫ですか、瀬田さん?」

「もうこの建物やだ……」

 フラフラの足取りで辿り着いたのがブレイクダンス部の部室だ。ドアの向こうから学生たちの話声が漏れ聞こえている。瀬田はドアに手を掛けた。

「いいか、高槻くん、もし金をせびられたらダッシュで逃げるぞ」

「なんでスラム街に踏み込む覚悟決めてんですか。早く開けてくださいよ」

 瀬田はドアをノックしてゆっくりと引き戸を開いた。部屋の中の学生たちが怪訝そうな顔でこちらを見ている。

「ちょっと聞きたいことがあるんだが、代表者いるか?」

 奥の方から浅黒い肌の長身の男子学生がやって来た。瀬田の前に立つと身長の差が歴然だ。

「君……二メートル近くある?」

「いや、百九十ですね」

「ああ、そう」

 瀬田はすっかり気圧されている。

「何かご用ですか?」

「君がここの代表者か?」

「そうっすよ。部長です」

「一月十六日のことを聞きたいんだが、中央棟のそばの広場で出し物やってただろ?」

 記憶の糸を手繰り寄せて、部長は相好を崩した。

「ああ、あれは出し物じゃなくて、実戦練習っすね」

「ずいぶん見物客がいたそうじゃないか」

「たま~にあそこでやるんですけど、その時には結構人集まりますね」

 瀬田が何を求めているのか詮索するような目を部長は向けてきた。

「その時にさ、映像撮ってたって聞いたんだわ」

「ああ!」部長は部屋の中の人間に声をかけた。「この前の広場でやったやつ、撮影してたよな?」

 向こうから返事がある。一人の学生がスマホを片手にやって来るのが見える。

「あ、いや……」

 瀬田の表情が一変する。一万円の足音が彼の耳には聞こえていた。そんな足音があるかは分からないが。やって来た学生と何かを喋りながらスマホに夢中になっている部長に、瀬田の声は届いていない。

「これなんすけどね」

 部長が突然スマホの画面を瀬田の眼前に突きつけた。そこには、大勢の学生たちの前でワンハンドフリーズを決める部長の姿が映し出されていた。

「はい! アウト~!」

 高槻の嬉しそうな雄たけびが上がった。部長が唖然と見つめる中、瀬田は頭を抱えて床に両膝をついた。

「え? え? なんすか?」

 部長が訳も分からずにいる中、高槻は興奮気味に瀬田にカメラを向けた。

「このチャンネル始まって初めての罰金です!」

「おいぃぃ……! ふざけるなよ、お前えぇ~!」

 部長を見上げる瀬田の目には涙が浮かんでいた。

「罰金一万円ですよ、瀬田さん!」

 力なく立ち上がった瀬田の表情は、我を忘れたストーカーみたいだった。

「今のは不可抗力だろ」

「残念ですが、罰金です」

 心底凹んだ様子で、瀬田はパンツの後ろポケットから財布を取り出した。その中から、震える手で一万円札を抜き取って、高槻に差し出した。

「あざ~す!」

 罰金と言いつつ、この一万円はダイレクトに高槻の懐に入るものだ。不労所得一万円を得た高槻は、心ないインタビュアーのように瀬田に詰め寄った。

「どうですか、今の気持ちは?」

「最低だよ」そう言って彼はギロリと部長を睨みつけた。「お前のせいだからな!」

「いや、何がどうなってんすか……?」

 ようやく高槻から≪名探偵チャンネル≫のルールや人間科学概論の後期試験問題の流出について調べていることなどの説明を受けると、部長は何とも言えない表情で瀬田を見つめた。

「なんか……なんかすいません」

「もういい。一万払ったから映像は観させてもらうからな!」

 自暴自棄になって部長からスマホをひったくると、食い入るように映像に見入った。しかし、十分ほど粘りに粘って瀬田が出した結論はなんとも悲しいものだった。

「……映ってないわ」

 映像では、たまに青藍タワーのピロティが映りこむのだが、学生たちの人垣があることもあって、掲示板のそばに人影を確認することはできなかった。

「なんだよ!」

 瀬田は部長の大きな手にメンコのようにスマホを打ちつけた。

「……なんかホントにすいません」

 どんよりとした空気が流れる。さっきまで盛り上がっていた部屋の中の学生たちも、こちらの雰囲気を察して静まり返ってしまっていた。

「一万円をドブに捨てたよ……なんて気持ちの良い金の使い方だ」

 引きつった笑みを浮かべる瀬田に、部長は弁解をする。

「でも、そういうことをやってるなんて思わなかったんで……」

「別に気にしなくていいですよ」

 一万を手にした高槻が軽く慰める。

「なんなんだ、お前らは?」瀬田がこめかみに青筋を立てている。「あんな広場で格好つけやがって。見せびらかせてたんだろ。女にモテようとしやがってよ」

 まったくもって大人げない言いがかりに、さすがの部長も言い返す。

「いや、違いますよ。本当は別の場所でやるつもりだったんです。いつもの場所で。でも、そこをゴスペルサークルが使ってたんで、しょうがなくあそこでやってたんですよ。たまにあるんです、こういうことが」

「てめえ、本当だろうな? テキトーなウソついてんじゃねえぞ」

 貧相な体でドスの効いた声を響かせる。ここまでくるともはやチンピラである。

「本当ですって。小体育館があって、俺らはいつもはそこでやってるんです。でも、そこをゴスペルが使ってたんですよ。ゴスペルはゴスペルで一号館のデカい教室を使ってるんですけど、そこが施設予約で取られてたんです。たまにあるんです」

「お前、調べてウソだったら一万寄越せよ」

 これはもう脅迫に近い。瀬田が詰め寄るので、部長もついに臨戦態勢だ。

「じゃあ、高塚って先生に聞いてみてくださいよ。安倍川夏子の講演をその教室でやったのが高塚先生だから」

「安倍川夏子? あのオカルトの?」

「そうっすよ。大学のホームページでも募集してましたから」

「お前分かってるよな。今からマジでそいつに聞きに行くからな」

 捨てゼリフを吐いて、瀬田はブレイクダンス部の部室を後にした。


* * *


 青藍タワーで金山を呼び出した暴走機関車こと瀬田は、高塚のもとに案内するように迫った。

「高塚先生も、今は研究室棟にいらっしゃると思いますけど」

「早く俺を連れていけ」

 有無を言わさぬその様子に、金山は怯えた顔のまま先導することになった。

「安倍川夏子が講演をしたと聞いたが本当か?」

 今や一万円を取り戻すのに必死の瀬田は小走りの金山の背中に問い掛けた。

「そういえば、やってらっしゃったと思います」

 オカルト研究家として名高い安倍川はたびたびテレビにも出演し、時にはワイドショーのコメンテーターも務める著名人だ。

 青藍タワーを出て広場を突っ切り、研究室棟への道を行く。

「こんな時に聞くのはなんなんですが」高槻が青藍大学の手帳を片手に尋ねた。「安城先生が使っているネットワークには学生も接続できるんでしょうか?」

「先生の許可があればできますよ。大学のネットワークは二種類あって、学生が使うものは有線と無線がありますけど、教職員が使うネットワークは有線しかありませんけど、研究室では学生が先生の作業の補助などを行ったりするので、先生が許可をして学生に教職員用の有線LANを使わせることもあります」

「じゃあ、無線で教職員用のネットワークには接続できないんですね」

「そういうことになりますね」

 そうこうやり取りをしている間に、三人は研究室棟に到着した。

「さっきからこの辺りをグルグル回ってるような気がする……」

「いや、瀬田さんが余計なことしようとしなければそうなってないんですよ」


* * *


「ああ、一〇三の施設予約したの、私ですよ」

 高塚研究室の主、高塚は快活にそう答えた。瀬田がガックリと肩を落とす。高塚は人懐こそうな男で、失望する瀬田を見て心配そうに言った。

「大丈夫? この人めちゃくちゃ落ち込んじゃってるけど」

「ああ、大丈夫です大丈夫です。気にしないでください」

「あんたが安倍川夏子を呼んだばっかりに……!」

 恨み節を放つ瀬田に高塚は訳も分からずに謝らされた。

「でも、しょうがないんですよ。安倍川先生とは十年来の付き合いでね、この前、偶然にも新鷺駅の辺りで会っちゃったもんだから、講演をお願いしたんですよ。昔から偶然会ったら講演をお願いするっていうルールでやって来たんですよ」

「なんだ、そのルール……」

 完全敗北した瀬田はミイラみたいに表情なく、椅子に腰掛けたまま硬直してしまった。

「ホントに大丈夫、この人?」

 突然現れて、問い詰めて、意気消沈するガリガリな男を前にすれば、誰でも高塚のようになってしまうだろう。高槻は瀬田が気力を回復するまでの間を繋ごうとしていた。

「でも、安倍川夏子が鷺市にいるなんて意外ですね」

「新鷺駅の辺りで妙な事件があって、警察がその調査の協力者として安倍川先生を呼んだらしいですよ。講演でもちょっとその話してもらいましたけどね」

「あのさ……高槻くんさ……俺はもうどうでもいいんだよ、こんな話」

「瀬田さんが望んでここまでやって来たんでしょうが」

 瀬田の失礼な言動を詫びて、一同は青藍タワーまで戻ってきた。

「なんか、すみません、お忙しいところ呼び出してしまいまして……」

 高槻が金山に頭を下げる。そのそばには抜け殻のような瀬田の姿がある。

「いえ、全然大丈夫です。高槻先生にまで今回の問題が波及しているとは思いませんでしたけど」

「いや、まあ、あまり関係ないと思いますけどね」

 金山は不思議そうに首をかしげた。

「高槻くんさ、もう今日は帰ろうよ」

「まだ三時にもなってないですよ」

「いいよもう。今日は良い情報得られなさそう。俺の勘は当たるんだ」

「一万円でどんだけダメージ食らってるんですか」

「あのブレイクダンスの奴、今度街で見かけたら俺は理性を保てるかどうか分からないよ」

「なに犯罪者予備軍みたいなこと言ってんですか。まあ、でも、地道に情報収集していくしかないんじゃないですか」

「いや、もう乗り上げたね、暗礁に」

「諦めるの早すぎでしょ。元気出してくださいよ」

「じゃあ、一万返してくれ」

「それはすいません」

 恨みのこもった目で高槻を睨む瀬田は、カメラに顔を向けた。

「フォローといいね、分かってるな?」

「急に締めないでください!」

「やかましい、帰るぞ!」

 尻をプリプリとさせながら遠ざかっていく瀬田の姿をカメラはずっと捉え続けた。

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