【時代逆行】文明の利器禁止で事件に首突っ込んでみた EP3
研究室棟をバックに厚手のコートを着込んだ瀬田が寒そうにしている。痩せているせいで普通の人間よりも悲惨そうに見える。
「瀬田さん、安城先生に話を聞きましたが、どんな印象でしたか?」
「う~ん、なんか傲岸不遜な奴だったね」
「それを瀬田さんが言いますかって感じですけどね」
「どうも不思議な事件だよね。今までの話を総合するとさ、試験問題は二回流出してることになるじゃん」
「ああ、掲示板と差し替えた後のと」
「うん。最初にさ、掲示板にバーンとやっちゃったせいで試験問題差し替えられちゃってんだよね」
「なんでコソコソやらなかったんだ、と」
「そうそう、二度手間になったわけじゃん、犯人からしてみたらさ」
「それで、今から掲示板の封筒を発見したというゼミ生二人に話を聞きに行くわけですけど……金山さん」
浮かない顔の金山が気後れしたように曖昧な返事をする。それも当然だろう。大学の事務員が疑われているということは、彼女自身が疑われているということでもある。
「安城先生からその二人に連絡をしてもらいまして、ゼミで使っている教室が開いているので、そちらに向かおうと思います」
そう言って彼女は歩き出した。微かに憤りを滲ませるように。
安城のゼミが行われる教室は、青藍タワーの横に建つ三号館の三階にあった。三〇六教室とプレートが掲げられている部屋の中には、すでに二人の男子学生が待っていた。二人はそれぞれ芦屋と島本と自己紹介をした。高槻は早速カメラを回して聞き取りを始めた。
「掲示板に試験問題在中と書かれた封筒が貼りつけてあった件について話してください。まず、どういう流れで封筒を見つけたんですか?」
「あの日は」アッシュブルーの髪をした島本が答える。「年明け一発目に大学来たんで、サークルでみんなと会って、こいつも同じサークルなんすけど、卒論の仕上げに図書館で文献調べようと思って、一緒に行ったんですよ」
「その時に封筒を見つけたんですか?」
今度は芦屋の方が答えた。
「いえ。図書館に行く途中で掲示板の前を通るんですけど、その時はなかったんです。それで、図書館に行く前に学生部でお世話になった人に挨拶をしておこうと思って、中央棟に入ったんです。挨拶を済ませて、図書館へ行こうとしたら、掲示板に封筒が」
「人間科学概論の試験問題だったんですね?」
「というか、その封筒だけっすね。中身はもうなくて」
「学生部にいたのが五分くらいですか?」
二人はうなずいた。高槻は金山から聞いていた五分という文言に手帳の上でグルグル丸をつけた。
「君たちはさ」瀬田が興味なさそうに聞く。「就職は決まってんの?」
就職が決まってなさそうな男の質問に二人は顔を見合わせたが、「決まってます」と言った。
「どういう会社なの?」
目の前のみすぼらしい男に答えるべきなのか島本は金山と高槻の様子を窺ったが、すぐに答えてくれた。
「俺はデータ会社に」
「僕は都市計画系の公益財団法人です」
芦屋が答えると。瀬田はただ「ふ~ん」とうなずくだけだった。高槻は構わずに話を続けた。
「それで、安城先生の研究室に行ったんですね?」
「そうです。明らかにおかしい状況だったので」
当時の様子を思い出してか、芦屋は表情を強張らせた。
「その後はどうなりましたか?」
「研究室で先生に報告を。そうしたら、自分で確認するから案内しろと言って……それで三人で掲示板のところまで行きました。先生は封筒を確認してその場でグシャグシャにして……」
「それで、私たちのところに先生から連絡があったんです」
芦屋の後を継いで金山がそう言った。高槻は二人の学生の方を見た。
「その時の安城先生の様子は?」
「怒ってたっすよ。問題を全部差し替えなきゃとか言って」
「そのさ」瀬田がいつの間にか前のめりになっていた。「掲示板のところってさ、人通り多いじゃん。誰が封筒を貼りつけたか、聞かなかったの?」
芦屋が首を振った。
「聞きましたけど、誰も見てませんでしたよ。その時、広場でブレイクダンス部が公開練習してて、みんなそのまわりを囲んで観戦してたので」
「ブレイクダンス部ぅ?」
間の抜けた瀬田の相槌に島本が返す。
「たま~にあそこで公開練習してんすよ。いつも人が集まってて……」
芦屋がうなずく。
「確か、東京の大会かなんかで優勝してるんですよ。それで結構人気があるんです」
「あのさ、君たちさ、その人間科学概論ってのはさ、そんなに難しいの?」
瀬田がそう聞くと、芦屋が少し考えて答えた。
「厳しい方だと思いますね。人間科学概論は一年の必修なんですけど、普通に単位落として二年とか三年がいたりしますから。出席は取らないですけど、講義をちゃんと受けていないと試験では点が取れませんよ」
「持ち込みは可なんですか?」
高槻の問いに島本が答えようとしたが、瀬田が口を挟む方が先だった。
「なに、持ち込みって? ファミレスにおにぎり持ってくみたいな感じ?」
「いや、そんな悲しい話じゃなくて、講義のノートを持ち込める場合もあるんですよ、大学では」
「答え放題じゃん」
「それで出席の代わりとする先生もいますけど、ただ答え丸写しっていう試験じゃないものもありますよ。論述問題とかね」高槻は島本の方を見た。「……それで、すいません、持ち込みは?」
「なしっす」
「ああ、それは厳しいですね……」
同情する高槻たちを瀬田は不思議そうに見ている。
「なんで?」
「ざっくり言うと、半年分の試験範囲を覚えていかなきゃいけないわけですよ。それなのに、出席点が加味されないのは、学生としてはキツいものがあると思います」
「でも、大学生って一年の半分は遊んでるって聞いたよ」
「まあ、そうっすね……」
二人の学生は苦笑いした。
* * *
二人の学生を解放して、瀬田たちは三〇六教室で撮影を続けていた。
「どうですか、瀬田さん?」
机に頬杖を突いて、瀬田は意味ありげな視線を金山に向けた。
「あの安城ってのはさ、色んな人間から嫌われてそうだよね」
同類相憐れむというところだろうか。
「まあ、学生で好きって人はいなさそうではありますね」
「だったらさ、そういう奴の鼻を明かしてやりたいってのも出てくる可能性はあるわけよね」
「そこまでしますかね。だって、バレたら退学どころか刑事事件に発展するかもしれないじゃないですか」
「分からないじゃん。感情で突っ走る奴だって世の中にはいるよ。そもそもさ、なんであの人は自分の研究室をあんなに厳重にしてるわけ?」
水を向けられて、金山はやや渋ったが口を開いた。
「学生を信用していないんだと思います。実は、以前にも人間科学概論の試験問題を盗もうとして研究室棟に忍び込もうとした学生がいたらしくて……どれも未遂に終わったみたいなんですが」
「ほら」我が意を得たりと瀬田が声を上げる。「有名になってんだよ、なかなか単位を寄越さない高圧的なジジイとしてさ」
「つまり、それが動機になってる可能性もあるってことですか」
「金山さんはどう思ってるわけ?」
探るような目で覗き込む瀬田に、金山は降参したように息をついた。
「確かに恨みは買ってるかもしれません。学生や私たち事務員に対する態度に我慢をしている人もいます」
「事務員の方もですか?」
「きっと誰のことも信用していないんだと思います。自分が常に正しいと思ってる」
弱小チャンネルとはいえ、カメラの前でずいぶんなことを言う。日頃から鬱憤が溜まっているのかもしれない。
「事務員が安城に嫌がらせをしたりとかしてるんじゃないの? 勝手にデータ消したりとかさ」
瀬田は意地悪く言った。暗に事務員犯人説を推し進めようとしているようにも見える。
「そんなことしませんよ! むしろ逆です。共有サーバにファイルを置く決まりなのに、なかなか更新されないので確認したら、置いたと言い張ったり……。この前の試験問題の差し替えだって、試験が近いのでこちらとしては早くデータをもらいたいのに、全然更新してくれず、催促をしたら、もう置いたと怒られて……」
「で、実際はどうだったんですか?」
「忘れてたらしく、その後しれっと共有サーバに置いてありました」
「ジジイ化しちゃってんだよ」
ジジイ化している最中の瀬田が言うと説得力があるものだ。
「篠原先生も多方面で忙しくされていますけど、きちんと仕事をこなしてくださいますし、学生の間では人気ですから。三年生のゼミがあるんですけど、毎年満員になりますから」
感情論的になってしまう空気に高槻が歯止めをかける。
「とはいえ、今回の件は行き過ぎな気もしますけどね」
静かな時間が流れる中にチャイムの音が聞こえてくる。それを合図にするように、一同は解散の雰囲気を見せた。金山に事件解決の約束をして、瀬田たちは大学内のカフェに向かった。
* * *
「なんでテラス席なんだよ」
瀬田がぶつくさと文句を垂れる。両手でホットコーヒーのカップを包み込んで暖を取っている。
「外なら撮影してもいいということだったんで」
「撮影しなくていいよ、じゃあ」
「撮れ高必要なんで」
「こんなことなら≪梟亭≫に戻った方が良かったんじゃないの」
一陣の風に瀬田は身を震わせる。なぜかひもじそうに見える。
「大学でまだ調査続けなくていいんですか?」
「分かんない。寒い」
「まあ、大学側はいつでも好きな時に調査していいということでしたしね。で、ひと通り話を聞いて回って、どうでした?」
「そうね……」コーヒーを一口。「なんで試験問題が盗み出されたかっていうことになるとさ、まあ、安城が恨みを買っていた線は強いよね」
「事務員が怪しいんじゃないかっていう空気がありましたけど」
「どうなんだろうね。ノリで言った部分もあるけどさ」
「ノリだったんですか」
「ノリだったけどさ、仮に私怨で試験問題を盗み出したとしてさ、事務員がその方法で恨みを晴らすというのは考えにくいよね。事務員の不始末に見られるわけだしさ。試験問題をやってやるっていう発想がなんか学生的じゃん」
「ああ、なんか分かります。学生にとっての世界での復讐の仕方みたいな感じありますもんね」
「まあ、それはあくまで動機ありきで考えたらの話だけどね。ただ問題はさ、なんでわざわざ目立つような場所に、わざわざ分かりやすく試験問題在中って書いた封筒を貼りつけたのかってことなんだよ。そのせいで盗み出した試験問題を差し替えられてるわけだからね」
「中身を持って行った学生は偽物掴まされたようなもんですよね」
「それも不思議なんだよな。五分の間に封筒が出現して、その中身が消えたってのは、ずいぶんと早業だよな。まるでそこに封筒が現れるのを知っていた奴らがいるみたいに」
「どこかで情報共有してたんですかね? 今はSNSもありますから、Blabber(ブラッバー)とかでやり取りしてたのかも」
主流のSNSとして普及したBlabberは利用者も多く、匿名性もあることからたびたび社会問題に発展することもある。
「だとしても、俺は見れないけどね」
罰金一万円を死に物狂いで回避しようとしている瀬田にとって、現代のテクノロジーは全てが敵だ。
「確認できれば一発で解決したかもしれなかったのに」
「どうだかね。だってさ、高槻くんさ、Blabberでやり取りできるなら、なんでそこで画像かなんかで共有しなかったのよ」
「……そういえばそうですね」
「でしょ? わざわざ掲示板を使う意味はないわけよ。つまりさ、掲示板を利用した理由があるんだよ」
「例えば?」
行き交う学生の姿を眺めながら瀬田は言う。
「安城を研究室から外に誘き出すため」
「でも誰も中に入れないんですよ」
「部屋のすぐ横に階段があったでしょ。そこに待機してて、安城が飛び出していくのを確認してドアを開ければ行けるよ。十秒の余裕はあるんだから」
「安城先生が出て行かなかったかもしれないのに?」
「出て行く方に賭けたのかもしれない」
「仮に部屋に入れたとしても、そこには差し替えられた試験問題はないんですよ」
瀬田は重々しく溜息をついた
「そこなんだよね……安城は自分で試験問題を差し替えて、自分で大学の共有サーバに置いたわけだから、そこに介入するのは難しい。何か仕掛けをしたのかもしらんが、いかんせん俺はあえてIT方面の知識は入れないようにしてきたんだ」
この期に及んで子どもみたいな強がりを発揮する。
「要はITの知識がないと」
「あえてね。人って弱点があった方が可愛げがあるだろ」
「僕には瀬田さんが弱点だらけにしか見えませんけど」
午後から大学にやって来たこともあり、すでに日が傾いて気温が下がってきた。瀬田はブルブルと震えながら手の中に息を吹き込んだ。
「まあ、明日、ちょっと技術屋のお友達に話でも聞きに行くか」
「えっ?」瀬田の意外な言葉に高槻は驚きの声を漏らした。「瀬田さんに友達なんていたんですか?」
「あのさ、高槻くんさ、鷺中央駅の近くにさ、≪エムズベーカリー≫ってパン屋あるの知ってる?」
「ああ、人気店ですよね」
「あそこに売ってるクリームパンとメロンパンをさ、明日あるだけ買っといてほしいんだけどさ」
「え、なんでですか?」
「まあ、いいじゃん。それくらいいいでしょ」
「別にいいですけど……」
瀬田は不敵な笑みを浮かべた。
「よし、決まりだな」
そして、テーブルの上のカメラに目線を送った。
「視聴ありがとう。いいねとフォローしろよな」
「勝手に締めないでくださいよ……」
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