【時代逆行】文明の利器禁止で事件に首突っ込んでみた EP2
三人は青藍タワーの裏手のドアから外に出た。そこはもうピロティになっている。ピロティには壁際に飲み物やアイスなどの自動販売機や証明写真の撮影機が置いてあり、商業施設のちょっとしたスペースのようになっている。
「ここがその掲示板なんです」
ピロティの壁際の一角に長い緑色のボードが掲示されている。掲示板にはサークルのフライヤーや特別講演のお知らせ、はたまた個人の趣味で描いた絵が掲出されている。
「大学っぽいですね」
瀬田には分からないその感覚を高槻が口にすると、金山はニコリとした。
「ここは、基本的には自由に使っていいことになっています。もちろん、公序良俗に反するものは廃棄されますけど」
「ここに封筒が貼りつけてあったのか? ピンか何かで?」
「ガムテープです」
「ガムテープに指紋が残ってたんじゃないのか?」
「そうかもしれないですけど、安城先生が封筒と一緒に捨ててしまいましたし、学部長も警察沙汰にしたくなさそうでした」
「ふん、所詮閉鎖されたコミュニティってのはそういうもんだよな」
瀬田は呆れたように掲示板に背を向ける。ピロティは奥行きは五メートルほどで、ピロティのすぐ外には広場になっている。今はその広場の片隅でギターを弾いている女子学生がいる。
「そこの広場では、待ち合わせに使ったり、おしゃべりしている子たちがいたり、サークルの子たちが出し物をやっていたり、いつも賑やかですよ」
瀬田は冷めた目で学生たちの姿を追っていたが、やがて顎ヒゲをさすりながら言った。
「ここは人通りがかなり多い。ということは、目撃者がいるかもしれないな」
三人はピロティを出て、研究室棟の方へ歩き出した。ビルの谷間といったような雰囲気のある小路を行きながら、高槻が質問をする。
「試験問題の流出は今までもあったんですか?」
「いや……私が知る限りはなかったですね。関わっていない他学部については分かりませんけど、もしそういうことがあったら会議の議題に上ると思います」
「試験問題が流出しても問題化させないつもりなんだろ。それじゃあ、意味ないだろ」
瀬田の辛辣な言葉に金山は返す言葉がないという様子だった。
「私もそう思いますけど、学部長や学長が内々にというのであれば、わざわざ波風を立てるのも……そういうのってエネルギーが要りますしね」
「これから会う安城ってのが騒ぎ立てたいわけか」
「まあ、言葉はアレですけど、そうですね」
高槻はきな臭さを感じていた。
「あの、すみません、青藍大学として今回の調査はどういう位置づけなんでしょうか? 一応大学側の許可はあるんですよね」
「もちろんです」
「揉み消すために僕たちがいるわけではない?」
「ないです。ないと思います」
「急に気弱になったな」
瀬田がチクリとやると、金山は当惑して頭を下げた。
「すみません。きっと大学側としては、安城先生との関係性も保ちながら犯人探しをしたいんだと思います。だから、警察ではなく瀬田さんというのも、都合が良かったのかも」
「WeTubeで流しますけど、大丈夫なんですかね? もちろん、細かい情報は伏せますけど」
生温い気配を感じた瀬田たちだったが、やがて目の前に五階建ての建物が現れると、気を取り直したように表情を変えた。
三人は研究室棟に入ると、一階の廊下を奥まで進んだ。ひと気の少ない廊下に靴音が響く。一階の廊下の行き止まりには階上へ向かう階段があるが、その手前の部屋が目的地だった。ドアに札が掲げてあり、安城公房と書かれている。ドアの脇にはICチップを読み取るリーダーが埋め込まれている。金山がドアをノックする。
「安城先生、金山です。瀬田さんをお連れしました」
しばらくして、電子ロックが外れる音がした。ドアを開けて顔を見せたのは、胡麻塩頭で痩身の男だった。神経質そうな目で瀬田と高槻を一瞥すると、ドアを大きく開けて、
「どうぞ」
と言った。
「親近感の湧く部屋だなあ」
そう瀬田がつぶやく安城の研究室は雑多なものだった。床から瀬田家よりも高く積まれた本の塔が所狭しと並び、何が入っているのか分からない段ボール箱も積み重なっている。ゴミこそないが、冊子から化け物の舌のように紙が飛び出していたり、いつの時代の本なのか分からないほどボロボロの物があったり、とにかく紙の物量がすさまじい。それだけではなく、壁際には建築物の写真を額に入れたものが何枚も重ねて立てかけられていたり、手作りのような白い都市模型も乱雑に置いてあったりする。
部屋の奥には安城のデスクがあり、そこもパソコンやちょっとしたスペースがある以外は本が堆く積み上げられている。デスクの手前には申し訳程度にテーブルと椅子が置かれ、そこだけは物が少ないエリアになっていた。安城はデスクの椅子を回転させてテーブルの方を向いた。瀬田たちは狭いスペースに突っ込まれている椅子に腰かけたが、金山は座る場所がないのでテーブルのそばに立った。
「君が瀬田くん?」
安城が顎で瀬田を示した。瀬田も対抗するかのように腕組みをして顎を突き出す。
「いかにも」
「そのカメラは?」
安城は訝しむように高槻のカメラを指さした。
「WeTube用の動画を撮影してます。大丈夫ですかね?」
安城は鼻で笑った。
「まあ、問題ないよ」
「テレビの取材だと思ってくれれば、それで大丈夫です」
高槻は軽い気持ちでそう言ったが、人間どこに地雷があるか分からないものだ。安城は不機嫌そうに溜息をついた。
「私はね、そんなテレビに迎合して人気取りをしようなんて思ってないんだよ」
「いや、すみません、そういうつもりじゃ……」
安城は止まらない。ただ、憤りの向く先は高槻ではないようだった。
「この大学にもやたらとテレビに出てご高説をばら撒く奴もいる。篠原とか」
「心理学部の篠原先生です」
金山が短く注釈を入れる。
「犯罪心理学が専門だか知らないが、ちょっと世間を賑わす犯罪者が出るたびに嬉々としてテレビで喋ってる。大学の仕事を放り出して、自分の仕事は学生に丸投げして。ゼミ生を蔑ろにしてるんだよ、ああいうのは。私より古参だか知らないが、そんな甘い考えで大学に居座られたんじゃ溜まったもんじゃない」
熱い愚痴を矢継ぎ早に打ち込まれては、さすがの瀬田も黙っているしかできなかった。金山は恐る恐る切り出した。
「それで、安城先生、例の試験問題の件なんですが……」
「ああ、そうだったな。こっちとしては、早く犯人を上げたくて仕方ないんだ」
「誰かが試験問題を流出させたということですか?」
高槻が尋ねると、安城は首を振った。
「盗み出したんだろう。どうやったかは知らんが」
「助手か何かいないのか? そいつなら好き放題できるんじゃないのか?」
「助手なんてもん必要ない」
バッサリと切り捨てられて、瀬田は、なるほどと小さく言うに留まった。瀬田と違ってメモできる高槻は、金山からもらった手帳に目を落とした。
「ええと、安城先生のゼミ生が中央棟の掲示板で不審な封筒を見つけて、先生に報告しに来たと。それで、先生も一緒に現場を見に行ったんですよね」
「そうだ。だが、それは問題じゃない」
「それは……どういうことですか?」
安城はデスクの上のプリントアウト二部を手に取ってテーブルに置いた。どちらの頭にも「人間科学概論後期試験問題」と印字されている。
「こっちがもともとの問題。そして、こっちが差し替えた問題。このことがあって、問題を全部差し替えたんだよ。おかげであの日は夜遅くまでここで作業するハメになった」
「じゃあ、試験問題は流出してないんじゃないか」
顔をしかめる瀬田だったが、安城は金山を一瞥した。まだ話していないのか、という不満を口にするかのように。
「この差し替えた問題が流出してるんだよ」
「ええと……つまり……」
高槻が難しそうな顔で要約しようとするが、すぐに安城が先を続けた。
「掲示板の封筒に入っていた試験問題は、差し替える前のものということなんだよ」
瀬田が無精ヒゲをジャリジャリと言わせた。高槻は手帳にペンを走らせる。
「差し替えた試験問題はどこに保存してあったんですか?」
「ここだよ」安城は親指で背後のパソコンを指した。「それと、大学の共有サーバ」
「共有サーバ?」
日進月歩するIT技術に瀬田が詳しいはずがなかった。金山がすかさず説明をする。
「先生方のパソコンは大学のネットワークに繋がっていて、試験問題や学生の評定に関わるデータなど必要なものを大学のサーバに置いていただくようにしているんです。私たちはそのデータをもとに作業をしているんです」
瀬田の目が光る。
「ってことは、大学の事務員なら試験問題のデータを見ることができるんじゃないのか?」
「……ですが、事務員にそんなことをするメリットはないと思います」
結果的に疑われる形になって、金山はそのように弁明したが、それだけでは瀬田を納得させることはできなかった。
「分かんないじゃん。学生と繋がってる事務員がいて、そいつのために試験問題を横流しした可能性だってあるわけだし」
「でも、大学のオフィスのプリンターにはどのデータを印刷したかの記録が残ります。調べたところ、試験問題を不正に印刷した形跡はありませんでしたし、大学のパソコンはUSBメモリを使えないようになっているので、データを持ち出すこともできません。アプリもダウンロードができないようになっていますからデータだけどこかに送るということもできません。使っているメーラーも記録が残るようになっていますが、不審なものはありませんでした」
「画面に映した試験問題を写真で撮影したらどうなる?」
瀬田が鋭く質問すると、金山は黙ってしまう。だが、瀬田は彼女に追撃をしなかった。別の考えがあるようなのだ。
「とはいうものの、わざわざ掲示板に封筒を貼り付けたってのが、ずっと引っ掛かってるわけなんだよ」
「どういうことです?」高槻が目を向ける。「つまり、ハッタリだったってことですか?」
「先生が掲示板を見に行った時、この部屋は空っぽだったわけでしょ」
「さっきも言っただろう」安城が瀬田の想像を一蹴する。「その後で試験問題を全部差し替えたんだ」
「部屋の中に誰かが隠れていて、先生が作業した後にパソコンからデータを盗んだのかも」
「この部屋のどこに隠れるというんだ。だいいち、この部屋は電子ロック式で、ドアを閉めると十秒で密室になる」
「どうやって開ける?」
金山が答える。
「登録された教職員カードか学生カード、もしくはマスターキーカードで」
「登録されているカードを持っている学生は?」
今度は安城が首を振る。
「学生は一人もいない。勝手に入られるのは癪だからな」
「登録されている教職員は?」
「ここが電子ロック式に変わった時に私だけにさせた」
瀬田の目が金山に向けられた。
「マスターカードキーってのは?」
「緊急時以外には使いません。厳重に管理して金庫に収められています」
瀬田は考え込むように黙ってしまった。
「つまり、この部屋は密室で誰も中に入ることはできなかった、と」
高槻がまとめると、必然的に視線が金山に集まってしまう。差し替えられた後のデータにアクセスできるのは、大学の事務員以外にいないのでは……そんな考えが漂っていた。
疑惑を残しつつ、ここで動画は終わりを告げた。
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