【視覚遮断】目隠しして事件解決してみた! EP8

 夢が警察に保護されてから三日、東京のどこかにある街を騒がせた一人の少年の失踪事件の話題が世間のワイドショーから急速に消えていった。その理由の一つは、夢が事件についてほとんど何も語らなかったことだろう。鷺市警察署の人間たちは、存在するかもしれない誘拐犯のために連日捜査を行っていたが、大きな進展はなかった。

 瀬田が車椅子から重い腰を上げたのは、夢の保護から四日目のことだった。舞台は鷺市第二小学校の会議室。そこに呼ばれたのは、夢とその両親、快斗とその両親、塚本、清水の八名だった。そこに、瀬田と高槻が加わる。

 視覚遮断というルールによって課されていたサングラス型目隠しと車椅子の呪縛から逃れた瀬田は高槻を伴って学校の廊下を歩いていた。

「初めて来た感覚だな」

「ずっと見れなかったですもんね。それで、今回は事件関係者を集めて真相を話すということですけど、なんでこのタイミングで?」

「思った以上に夢が何も喋らないんで、これ以上、火を燻らせるのはマズいと思っただけだよ」

「気持ち悪いままにしておけないって感じですか?」

「まあ、そういうこと」

 到着した会議室の引き戸に手を掛ける。戸に嵌っているガラスから、すでに室内に全員が揃っているのが見える。長テーブルがロの字型に組まれ、用意された席にみんなが座っている。瀬田はゆっくりと戸を開けた。呼び出された面々の視線が一点に集まる。瀬田は勿体ぶった歩き方で、自分のための空席に腰を下ろした。

 高槻はあらかじめ室内に設置していたカメラをチェックしながら、さっきのことを思い返していた。

『どういうことを話すか知りませんけど、それが終わったら島田茜さんを夢くん虐待の件で任意同行する予定なので、それだけは邪魔をしないでください』

 清水は電話の向こうで語気を強めた。警察は夢失踪と夢虐待を、もはや別個のものとして扱っているようだった。

 瀬田が初めて自分の目で見る関係者たちに少しだけ感動していると、清水が痺れを切らした。

「今回の件について話してくれるとのことですが」

「そうそう、そのことなんだけどね、そうだな……どこから話せばいいのか」

「要点だけ話してください」

 清水がせっかちに切り返す。瀬田は夢の名を口にした。警戒心剥き出しの夢が瀬田の方を見つめた。

「お前から何か話すことはないのか?」

 そう問われても夢はテーブルの上に目を落とすだけだった。

「まあ、いいさ。それがお前の選択なら、それでいい。だけど、大人は違う。この四日間、そのことを思い知っただろ?」

 夢は固く結んだ口をようやく開いた。

「サギドンが助けてくれたんだ」

「夢……」

 困ったように茜が声を漏らす。

「そう、サギドンってのが、最も重要なものだったわけなんだよ」

「どういうことですか?」その言葉を清水はいまだに掴めていない。「UMAみたいなものじゃないんですか?」

「俺たちにとっては、そういうものかもしらんが、子どもにとっては全く違うんだよ。経験ないのか? 子どもの頃に自分の言っていることを大人たちが微塵も信じてくれなかったってことが」

 瀬田以外の大人たちはいまいちピンと来ない様子だった。あの頃のことを忘れてしまったのか、もともとそんなことがなかったのか、どちらだろうか。

「夢はサギドンを探そうとしていた。だから、一番手近で言うことを聞きそうな快斗に目をつけたんだよ」

「つまり、子どもながらの冒険心に火がついていたということ?」

 清水はそう言うと、瀬田はうなずいた。

「夢の部屋には冒険小説を絵本にしたものが多かった。つまりね、清水さんね、絶海の孤島で遭難しながら座礁した船から持って来たなけなしの干し肉を大切に食うことにロマンを感じるもんなんだよ、少年ってのは」

「はあ……」

 清水と塚本は呆れたように納得した振りをした。しかし、高槻は大きく首肯した。

「分かります、分かります。干し肉とか食糧庫にぶら下がってるサラミとかね」

「そいつをナイフで切り取りながら食うんだよ、サバイバルの中で」

 少年のロマンに、夢もひそかに目を輝かすのが分かった。清水は早く進めたいらしい。

「それで、サギドンを探したことと今回のことに何の関係があるんですか?」

 と言って、苛立ちを滲ませた。

「快斗は、サギドンはともかく、夢に連れ回されるのが嫌だったわけだ。だが、横暴な年上に凄まれて一緒に行かざるを得なかった。あの日、夢はあらかじめリサーチしていた、あのため池に快斗を連れて行った。サギドンを探しに行くために。そこで、快斗が話したように喧嘩になり、夢はため池に落ちてしまったわけだ」

「違う!」夢が大きな声で否定をした。「快斗は関係ない! 俺が勝手に滑って落ちただけだから!」

 その必死の主張を聞いて、瀬田は口元を緩ませた。

「快斗、夢はそう言ってるぞ」

 注目を浴びて快斗は目を泳がせた。しかし、すぐに意を決して言った。

「僕が島田くんを落としたの」

「ウソつくなよ!」

 声を荒らげて夢がテーブルを叩いた。両者の親が子どもを宥めに掛かる。高槻がその様子に子どもの頃の帰りの会の出来事を思い返していた。クラスの男子がある女子をバカにして泣かせてしまった。話し合いで決着がつくまで誰一人帰ることはできなかった。

「二人ともお互いを庇ってるような……」

「そういうことなんだよ、高槻くん、そして、どちらの言い分も裏づけが取れない水掛け論なんだよ。ため池だけに」

 最後の不謹慎な瀬田の冗談は動画上では削除された。高槻による炎上リスクの軽減だ。

「それで、瀬田さんは何を話したいんですか?」

 話のポイントが分からないまま成り行きを見守っていた清水は我慢しきれずにそう聞いた。

「その後のことなんだよ。夢は教室に置き勉をしていた。だから、普通よりもランドセルは軽かったわけなんだよ。快斗が逃げ出してしまって、夢はランドセルのおかげで少しの浮力を得て助かることができた」

「あっ!」塚本が声を上げた。「去年の夏に着衣水泳の授業をしたんです。そこで、ランドセルを使って水に浮くことができると教えたことがあります」

「学校の授業も少しは役に立ったわけだ。だけど、夢にとっては命が助かっただけじゃなかった。つまり、快斗がこんな目に遭わせるほど自分を嫌っていたんだと知ることになったわけだからね」

 夢が下唇を嚙んで俯いた。その頭を茜が撫でる。しかし、清水は瀬田の言葉を簡単に受け入れることはできなかった。

「いや、ちょっと待ってください。助かったなら、なんで夢くんは家に帰らなかったんですか? おかしいじゃないですか、何日も帰らないなんて」

 その目は島田夫妻に向けられていた。疑いの念がそこには込められていた。

「もともと帰らないつもりだったからだよ」

 瀬田がさらっと答えるので、清水も夢の両親でさえも自分の耳を疑ったようだった。

「自分が嫌われてると思ったからですか?」

「いや、最初から帰らないつもりだった。サギドンを見つけるまでは」

「一体何なんですか……サギドンって……!」

「サギドンはこの街の守護神で、正義の味方で、誰も見たことがない。子どもたちにとっては憧れの存在なんだよ。見つけることができればヒーローになる。だから、夢はそいつを見つけるまで帰るわけにはいかなかった」

 理解の及ばないロジックに清水は諦めたように溜息をついた。しかし、瀬田は何事もなかったかのように続ける。

「とはいえ、冬の水に落ちたわけで、寒くてサギドンを探すどころではなくなった。おそらく、応急処置的に服の水を絞ったはいいが、ずっと外にいるわけにもいかない。そこで、夢は河原町の空き家に目をつけたんだよ。そこなら、人目を忍んで隠れておくことができる」

「なんで夢くんが最初から家に帰るつもりがなかったって言い切れるんですか?」

 ずっと疑問に思っていたことを高槻が聞くと、瀬田は即答した。

「島田家から消えたお菓子は夢が持って行ったんだよ。そいつをランドセルに入れておくために教科書類は学校に置きっぱなしにしたわけだ。そのお菓子ってのは、少年にとっての干し肉みたいなもんだ」

「お菓子で空腹を凌いでたってことですか?」

「そういうことだね。次の日にまたサギドンを探しに行くために英気を養ってたわけだ。その翌日あたりは捜索に出たかもしれないが、警察が動き出してからは空き家に隠れ続けた。一人の時間ってのは、内省的なもんだ。自分をため池に落とした快斗のことを考えて、これまで自分がやって来た行いを見直すことになった。その結果、夢は空き家を出て行くことにしたんだよ。そして、サギドンに助けられたと言って、ヒーローになろうとした」

「たったそれだけのために……」

 茜が涙を流した。瀬田は深い瞳の光を彼女に投げかけた。

「本当に、『たったそれだけのこと』だったと思うか?」

 涙に濡れた目を茜は瀬田に向けた。瀬田は言った。

「なぜ他の子どもに横暴なのか。なぜサギドンを探そうとしていたのか。なぜサギドンを見つけるまで帰らないと考えたのか。なぜその考えを改めずに、頑なに家に帰らなかったのか。なぜヒーローになりたがったのか。お前は考えたのか? この四日間はお前にとって何の時間だったんだ?」

 強い口調で茜に問い掛ける瀬田の声に、茜はただ茫然としていた。

「子どもにだって親の事情は分かるもんだ。父親の再婚でやって来た母親が自分のことを嫌っていることだって分かっていたはずだ。それでも母親であることは覆らない。他人に横暴になって命令を下すのは、他人を縛りつけて自分のそばに置きたいからだ。誰かを説き伏せる力もない子どもなんだから、自分を否定されないように力で押さえつけるしかないだろ。頑なに帰らなかったのは、心配させて母親の気を引きたいから。サギドンを見つけてヒーローになりたかったのは、母親に認められたかったから……全てはお前に認められようとしてやったことなんだぞ」

 茜は両目からポロポロと涙を落とした。頬を押さえることもできず、涙が止まらなくなって、彼女は声もなく泣いた。

 茜が泣き止むまでずいぶん長い時が経った。ここが潮時と、清水が立ち上がろうとしたその瞬間、瀬田が手を上げて彼女を制した。

「ちょっと待て」

「邪魔をするなって……」

 言い返そうとした清水の前で夢が茜を抱きついた。今度は嗚咽を漏らして、茜が夢を強く抱きしめる。近隣住民も案ずるほどに怒号が飛び交っていた家庭だったが、夢はただ両親と仲良く暮らしたかったのだろう。そのために、サギドンは必要な存在だった。少なくとも、夢はそう考えていたはずだ。

「毎日サギドンを探して駆けずり回っていたせいで、体に傷もできたわけだ」

 瀬田がそう告げた瞬間、清水はハッとして茜に伸ばしかけていた手を引っ込めた。ずっと身動ぎしなかった宗也が静かに頬を濡らして茜と夢を丸ごと抱きしめた。

「今までごめんな」

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