【視覚遮断】目隠しして事件解決してみた! EP2

 唐辛子の風呂に浸かっているような移動中の車内の様子は高槻の判断で見事にカットされた。車内での清水は一切コミュニケーションを取ろうとせず、高槻が期待していた撮れ高はなかった。というわけで、動画は石山家に到着する辺りから始まった。キューで足元を確認して車を降りる瀬田は、やはり只者ではない雰囲気を出している。ただ単にそういう雰囲気を出しているだけで、本当に只者ではないかというとそういうわけでもない。

「さすがに寒さが堪えてくる時期だ」

 ブルリと身震いして、瀬田は周囲の気配を全身で感じようとしていた。

「吉沼町って、田んぼがいっぱいあるイメージだけど、田んぼの匂いはしないね」

「瀬田さん、田んぼの匂い分かるんですか?」

「いや、テキトーに言ってみただけ」

 清水が小さい音で舌打ちをした。瀬田がギョッとしてキューを握りしめると、彼女は一軒家の門前に歩いて行ってインターホンを押した。

『はい』

 女性の声が応答する。

「鷺市警察署の清水です。ご連絡していた件で伺いました」

『あ、はい。少々お待ちください』

 声色を変えた清水に抑圧された怒りを感じ取った瀬田はお口にチャックをした。

 家のリビングに通された一同は三人掛けのソファを促されて、仲良く腰掛けるハメになった。出迎えてくれたなつきに許可を取って固定カメラを一台とテーブルのそばに置いて、高槻は手持ちの小さなカメラを片手に構えた。なつきはキッチンからお菓子とコーヒーを載せたお盆を運んできて、一人一人の前にカップを置いて行った。

「これは……キリマンジャロ?」

 鼻を鳴らした瀬田が鋭く尋ねた。なつきは苦笑した。

「どうなんでしょう。インスタントなもので……すみません」

「なるほどね」

 違いの分かる男を演じてテーブルの上に手を伸ばした瀬田だったが、ちょうどいい具合に指先が熱いコーヒーにホールインワンした。

「あっっっつ!!」

「あら、大変」

 なつきはキッチンに飛んで行って、濡らしたハンドタオルを持ってきた。タオルを指先に巻く瀬田を横目に、清水が話を始めた。

「一昨日、快斗くんの件で一度お話をお聞きしたんですが、今日はこちらの瀬田さんが改めてお話を聞きたいということでお時間を取っていただきました。わざわざありがとうございます」

 清水が深々と頭を下げる。なつきは恐縮した。

「いえいえ……。事件性がないということでしたけど……ええと、そちらの方は……ビリヤードをやってらっしゃる方ですか?」

「俺はWeTuber探偵・瀬田だ」

「WeTuber……はぁ、そうですか」

 なつきは、室内でサングラスを取らない不躾な男に不思議な目を向けていたが、胸の中の疑問をしまい込んだまま、清水に視線を移した。

「警察としては、現状では捜査に踏み込むことができないのですが、こちらの探偵の方に今回の事件について調べていただいて、もし何かがありましたら私どもが引き継ぐ形になるかと思います」

「まずは例の留守電を聞きたい」

 瀬田が短く言うと、なつきはうなずいてスマホをポケットから取り出した。彼女はスマホを操作して、該当の音声を再生した。

 快斗のすすり泣く音が聞こえる。わずかにその音が揺れているのは、歩いているからだろう。そばを車が通りすぎる音が何度も聞こえる。鼻を啜る音と少しだけ漏れ聞こえる嗚咽が続いて、音声は終了した。全部で二十秒ほどの留守電だった。

「どうです、瀬田さん?」

 瀬田は顔を中空に向けていた。

「奥さんね、さっきコーヒー持ってきてくれた時にカサカサって音がしたんだけど、お菓子持ってきてくれた?」

「あ、はい。バウムクーヘンを……」

「なるほどね」

 清水が肘で瀬田の二の腕を突いた。

「真面目にやってください」

「ああ、すまんすまん」高槻が手に取ったバウムクーヘンを受け取って、個包装を破きながら先を続けた。「視覚が封じられると結構聴覚が研ぎ澄まされるもんでね」

 バウムクーヘンにかじりつく。吟味するように何度もうなずく。

「それで、実際に聞いてどうだったんですか」

 怒りを滲ませながら清水がそう言うと、瀬田は人差し指を立てた。

「もう一度聞かせてくれ」

 なつきがうなずいてもう一度音声を再生する。母親としては何度も聞きたいような内容ではないはずだが、彼女はそんなことはおくびにも出さなかった。もう一度聞き終えたのと同時に、瀬田はじっくりとバウムクーヘンを味わい終えた。清水が呆れていると、瀬田が口を開いた。

「途中あたりでさ、小さく水の音してない?」

 なつきが飛び跳ねるようにしてもう一度スマホで音声を再生した。今度は最大音量で。快斗のすすり泣きと車の通過する音が一瞬だけ途切れる瞬間に、確かに「じゃぶん」という水音が聞こえる。瀬田が言葉を付けくわえる。

「でね、最後らへんで変な音がするのよ」

 一同は耳をそばだてる。最後に抑えた嗚咽が漏れて一台の車が過ぎて行った後から最後の瞬間まで、遠くの方で「カラカラカラカラ……」と軽い金属がこすり合うような音がしている。

 清水が難しい顔をする。

「なんか……大量のアルミ缶が集まってるような音みたいな……」

「でも、これじゃ、どこから電話を掛けて来たかは分かりませんね」

 大きく息をついて高槻がそう呟いた。その表情にはやや失望の色が滲み出ていたが、瀬田は大きなあくびで緊張感など微塵も見せなかった。

「その電話の内容は正直どうでもいいんだよ。何が起こったのかを快斗に問い詰めりゃあ全部解決なんだよ」

 不服そうに溜息をついて、清水が言う。

「快斗くんは家でもこの件について何も話そうとしないんですよね?」

「はい……」なつきは不安げだ。「留守電があった日に強く聞き過ぎたのか、意固地になってしまったのもありますし……そのことについて聞くのも気が引けてしまって。なので、あまりあの子を刺激したくないんです」

 ほら、と言わんばかりに清水は瀬田を睨んだが、視覚を遮断された男はテーブルの上のコーヒーを手で探るばかりだ。

「君の方で」唐突に瀬田の顔が隣の清水に向く。「この件について何か情報を集めてるんじゃないのか?」

 図星を突かれて清水は目を丸くした。

「なんで知ってるんですか」

「事件性なしとして引き上げた君はずっとこの件を気にかけていただろ。だから、この辺りの不審者情報や不審車両の情報には目を光らせていたはずなんだよ」

 事もなげに言ってのけた彼を清水はまじまじと見つめた。

「意外と鋭いんですね」口からは強がりが出た。「実は、気になる情報が」

「なんですか?」

 なつきが身を乗り出すと、申し訳なさそうに清水が苦笑いする。

「大したことではないかもしれないですが、快斗くんが留守電を残した翌日、つまり昨日のことですが、この吉沼町で不審な男性が目撃されたという情報があるんです」

「快斗がその人に……」

 思い詰めたようななつきの目。清水は慌てて言葉を継いだ。

「あくまでそういう目撃情報があったというだけです。関連があるかも分かりません」

「快斗はよく電話をしてくるのか? 仕事中だったんだろ?」

 二つ目のバウムクーヘンを寄越すように高槻に命令する。

「いえ……FINEを送ってくることはありますけど、電話自体そもそもしない子なので……だからこそ、心配になってしまうんですよね。きっと、よっぽどのことがあったんだと思うんです」

 深刻な顔で不安を口にするなつきに瀬田は安穏とした声をかける。片手には食べかけのバウムクーヘン。

「断言できるわけじゃないけどもね、快斗が問い詰められても何も言わないのは、誰かに何かをされたわけじゃないということなんだと思うんだよな」

「どういうことですか?」

「頑なに口を閉ざすのは喋らないと心に決めたから。赤の他人に何かをされたのなら、喋るはずだろ」

 瀬田の言葉を耳にしてなつきは少しだけ胸を撫で下ろしたように息をついた。

「君の旦那さんはどう考えてるの?」

「快斗が自然と話すまで待とう、と。無理に聞き出すよりは、本人が話したいと思って話すのが一番だと言ってました」

 瀬田は無表情のままじっとしていたが、徐に、

「この部屋に家族の写真はある?」

 と尋ねた。なつきは「ええ」とうなずいてテレビの横にある腰高の棚を指さした。その上に、旅先で買ったであろう様々な置物が置いてあり、その中に家族で撮った写真を飾った写真立てが混ざっている。高槻がそのことを口頭で伝えると、瀬田は満足そうに口元を緩めた。手に残っていたバウムクーヘンを一気に平らげると、立ち上がった。

「これで話は聞けた。我々はドロンするとしよう」

 歩き出す瀬田だったが、カーペットに足を取られて盛大にすっ転んだ。


* * *


 高槻の車の中だ。石山家にやって来る間は呉越同舟の趣のあった車内だったが、今では空気はいくぶんか和らいでいた。高槻もその様子を感じ取ってカメラを回し始めた。

「瀬田さん、話を聞いてみて、どうでした?」

「余ったバウムクーヘンもらって来ればよかったな」

「いや、家庭のお茶請け選手権やってるわけじゃないんですよ」

 ひそかに頬を緩ませた清水の気配に気づいたのか、瀬田が彼女の方に顔を向けている。

「な、なんですか?」

「君は絵に描いたような警察官だな」

 清水は顔をしかめた。

「どういう意味です?」

「若いんだけど、権威主義的なところがある。俺は警察組織の構造の外側にいる人間だから、邪険に扱おうとしただろ」

 胸の前にナイフをチラつかされたような心持ちで清水はそっぽを向いた。

「だって、誰だってこんなふざけた格好の人間が来たらそう思いますよ」

 読者諸君の賛同の声が気負えるようだ。

「だけど、正義感はある。俺みたいに」

「瀬田さんに正義感なんてないでしょ」

 高槻が口を挟むと、瀬田は意味ありげに微笑んだ。

「快斗は自分の感情をコントロールできない状況に出くわしたんだと思うんだよな。まあ、つまりさ、小学一年生くらいなら、そういう場面は腐るほどあるわけでさ、大したことじゃないかもしれない」

 ところが、清水は違う見方をしていたらしい。

「さっきはお母さんの前だったので言いませんでしたけど、子どもが誰かに何かをされて黙っているケースはいくつかあります。例えば、自分が辱めを受けるようなことをされた時とか……」

 高槻の中に嫌な予感が走る。

「ええと、つまり、それって、性的な……」

「そういう可能性もあると思うんです」

「そうかなあ」瀬田は納得していない様子だ。「考えすぎだと思うんだがなあ……。ところでさ、当日の帰宅途中の快斗を見たって人はいないのかね?」

「市内の学校はすべてグループで登下校しているはずなので、一緒に通学している子どもたちが何か知っているかもしれないですけどね」

「快斗の通っている小学校は?」

「鷺市立第二小学校」

 運転席の高槻がエンジンをかける。

「行ってみますか?」

 瀬田と清水が同時に返事をした。乗り気な清水に瀬田は意外な顔をした。

「君さ、捜査でもないのについてくんの?」

「最近の学校のこと知らないんですか? 部外者は中になんか入れないですよ。その点、警察官の私がいれば役に立つんじゃないですか?」

 瀬田はしばらく考えていたが、ようやく自分自身を納得させられたようだった。

「まあ、確かに、一理あるか。邪魔だけど」

「聞こえてますよ」

 嫌味には嫌味で返す清水であったが、さきほどよりも瀬田に対する警戒心はほぐれたらしい。車が発信すると、瀬田の出で立ちを改めて舐めるように見回した。

「なんでキューを持ってるんですか?」

「高槻くんが杖代わりに貸してくれたんだよ。こいつ、昔はビリヤードが趣味だったんだって。笑えるよな」

 運転席から声が返ってくる。

「なんで笑えるんですか。僕の勝手でしょ」

「いや、なんでキューを杖代わりにしてるんですか。ビリヤード業界の人から怒られますよ、絶対」

 清水が声を大にすると、瀬田も我が意を得たりというように彼女を指さした。

「そうだよな。俺も同じこと言ったんだよ」

「杖ってどこで買うか分からなかったんで……ないよりはマシでしょ」

 高槻がクレイジーな弁明を見せる。清水は混乱していた。

「え? ずっと目が見えなかったわけじゃないんですか?」

「いや、目は見えるのよ。ただ、目隠ししたままで事件解決しなくちゃいけないの」

 ポカンと口を開け放つ清水。瀬田は高槻に尋ねる。

「清水さんに今回の企画話してないのか?」

 高槻は黙ったままだ。瀬田は恐る恐るWeTubeの企画のことを説明した。それを聞いた清水の顔が見る見るうちに怒りで赤く染まっていく。

「呆れた」シートに背中を押しつけて清水は鼻の頭に皺を寄せた。「呆れて物も言えません。そんなふざけたことしてたなんて。一瞬でも信用しようとした私がバカでした」

「一瞬でも信用しようとしたのか。可愛い奴め」

 込み上げる悪戯っぽい笑いを隠すことができず、瀬田は歯を見せた。

「あなたたちには正義はないんですか!」

 泣き出しそうに叫ぶ清水を前に、瀬田も高槻も慌ててしまった。

「まあ、瀬田さんの腕は確かですから。どういう形であれ、正義という方向性ではいるつもりですけどね」

「じゃあ、変な小細工しないで普通に動画にすればいいじゃないですか」

「そうすると、面白みに欠けて誰も観てくれないんですよ」

 ディレクター魂の叫びを穏便な言葉に変えて解き放つ高槻の姿に同情したのか、清水は居住まいを正した。

「そもそも本当に探偵なんですか?」

「ちゃんと警察から認可された証書みたいなの持ってるよ」

 清水は信じられないといった表情を包み隠さず顔に貼りつけた。

「なんで探偵になろうと思ったんですか?」

「ある日」瀬田は神妙な面持ちで話し始めた。「夢に俺のじいさんが出てきた。じいさんは俺を手招いていた。後をついていくと、森の中の巨大な神殿に辿り着いたんだ。その奥に入って行くと、一人の男が俺を待っていて、こう言うんだ。『そなたは探偵になりたいのじゃな?』……右上に選択肢が出てきて、俺は間違えて、『はい』を選んでしまった……というところで目が覚めたんだ」

「絶対ゲームのやりすぎでそんな夢見ただけですよね」

 聞いて損をしたというように清水が自分の爪に目を落とした。

「その時、俺のじいさんはまだ健在で、俺はじいさんの家で昼寝してたんだよ。起きて茶の間に行ってみると、じいさんが探偵を追ったドキュメンタリー番組を観ていた。その体験が俺の中に深く刻まれたんだ。だからかな、探偵になったのは」

「探偵に助けられてとか小説に影響されてとか、そういう分かりやすい話かと思ってました。理解に苦しむ話をありがとうございました」

 無感情のお礼を述べて、清水は車窓に顔を向けた。ちょうど校庭のまわりを囲む高い緑色の網が見えてきた。鷺市立第二小学校だ。高槻は学校近くの駐車場に車を停めると、運転席から二人を振り返った。

「動画の二本目がここで終わります」

「え? もう二本目終わる? なかなか時間の進みが早いもんだね」

「動画の終わりってどうやって決めてるんですか?」

 清水が至極当然な疑問をぶつける。

「まあ、何となくの肌感で。これくらいで一本になりそうだなというタイミングを見つけてるだけです。……というわけで、次回は、留守電を残した快斗くんの学校に突撃します。瀬田さん、どういうことを期待してますか?」

「ん~、まあそうだね、たぶんグループ下校してた他の連中が何か知ってると思うんで、快斗が隠蔽した真実ってやつを白日の下に引きずり出してやろうかね」

「そんな好戦的なことやめてください」

 清水が冷静に瀬田を制すると、高槻はカンペを出した。

「というわけで、清水さんも一緒にこれ読んでください」

 瀬田と清水が声を揃える。

「ご視聴ありがとうございます。フォローといいねをお願いします」

「私をこのチャンネルの一員にしないでくださいよ」

 清水が不満をぶちまけた。

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