【高槻の手記】瀬田という男について

 僕が瀬田という男と出会ったのは、梅雨が明けたか明けないかという頃合いだったかと思う。その頃の僕はというと、自分の人生のつまらなさに辟易していたところだった。テレビ番組の制作会社で働いていた僕は、それなりに裁量も持たされ、チームのリーダーとして部下たちを動かしていた。その一方で、上司やテレビ局、クライアントの言いなりになり、彼らに命を握られていた。僕らはスポットライトで煌びやかに輝くステージとは少しズレた場所にいる。僕らは光の輪の外側にいて、そこは確かに存在する場所なのに、あたかも存在していないかのように扱われていた。常に他人を活かすために使い捨てられる駒だった。そういう思いに取り憑かれてからというもの、仕事に身が入ることはなくなった。



 世界規模の動画配信サイト≪WeTube≫が世間に浸透していた。僕はそこで繰り広げられているコンテンツづくりの手探り感を観るのが好きだった。ものづくりは真似から始まる。彼らは、彼らの観たテレビ番組や映画、ドラマ、アニメというものを下敷きに、より良いと自分たちが思うものを作ろうとしていた。そこには型などないように思えた。



 高校や大学時代の友人が家庭を持ち、身近な人間関係は仕事から派生したものばかりになっていた。この業界に対する鬱屈した感情を酒臭い息とともに吐き出す……それが日常だった。僕らは正しいと感じていたし、そうやって何かに抗うことで自分自身を肯定しようとしていた。今考えれば、腐っていたのだと思う。



 腐ってつまらない毎日から逃れたくて、次のことなど考えずに仕事をやめてしまった。僕の目の向く先はWeTubeだった。逃げ込む先がまたコンテンツ制作というのも視野狭窄の極みかもしれなかったが、希望というか夢を抱えている自覚はあった。



 ただ漠然と動画コンテンツを立ち上げようとした僕だったが、最初の壁が立ちはだかった。「何をやればいいのか」ということだった。昔からテレビが娯楽の中心にあった。だから、テレビのような、しかし、テレビと違うものをやろうとした。



 僕が好きなコンテンツにドキュメンタリーがあった。中でも、この日常に生きる自分では到底触れられないような世界を見せてくれるものが好きだった。例えば、身近な例でいえば、警察に密着するタイプの物はよく観ていた記憶がある。犯罪撲滅に熱心な警官、自己中心的な違反者たち、正義と悪とは必ずしもくっきりと住み分けられているわけではない。そこに世界の縮図を見た気がした。



 WeTubeで実際に起きた事件をリアルタイムに追うコンテンツを作ろうと思ったのは、まだ梅雨が始まる前だったと思う。仕事をやめて三か月後くらいだ。そう思ったはいいが、僕にはテレビ局の後ろ盾はない。警察について回ってカメラを回すなどという芸当はできっこなかった。そこで、この鷺市の治安状況や警察の実績などを調べることにした。



 鷺市では、年間十人に満たないくらいの人間が行方不明になっていた。行方不明者は特別な事情がない限り、警察は捜索に当たらないということを知った。警察というのは、はっきりしている。事件性の有無で腰を上げるか否かを決めるのだ。そうした失踪人の調査をするのが、探偵だった。探偵といってもビジネス化されていて、映画やドラマで見るような劇的なことをやる人種ではない。彼らは丹念に調査をして証拠を探し、ものによっては警察が動くきっかけを作る。僕は探偵に目をつけたが、しっかりと探偵業をやっているところほど、僕が密着をしたいという願いははねつけられた。言葉を選ばずに表現すれば、彼らにとって僕は邪魔にしかならないというのだ。それは理解できた。だが、どうしても諦めきれなかった。探偵の中には奇特な人間もいるはずだと感じていた。



 その日、アポを取った探偵と待ち合わせ場所の事務所に向かった。久しぶりの晴れ間が広がり、僕は何となく、今日はいい日になると直感していた。ところが、その直感に陰りが差した。事務所と聞いていた待ち合わせ場所に到着したが、そこは≪梟亭≫という一軒の純喫茶になっていた。間違いかと思い、やり取りをしていたメールを確認するが、送られてきた住所と純喫茶の場所は一致する。



 不審に思いながらも、店に入った。カウンターとテーブル席のある居心地の良さそうな喫茶店だった。カウンターにはロマンスグレーのマスターが立っていて、僕に会釈をした。

「お好きなところにどうぞ」

 僕は確認をしたくてカウンターに近づいた。

「ここって、事務所としても使われてますか? 瀬田という人なんですが」

 マスターは愉快そうに笑顔になりながら、身体を傾けて奥のボックス席に声をかけた。

「瀬田くん、いらっしゃったよ」

 奥の席からすっと立ち上がる酷い風体の男がいた。男はのそのそと歩いてきて、軽く手を上げた。

「よぅ、待ってたよ」

 初対面にもかかわらず馴れ馴れしいその男──瀬田は痩せた体にシンプルだがどこで買ったか分からない服をまとい、ボサボサの頭に無精ヒゲを生やしていた。

「高槻です」

 手招きをした瀬田にボックス席に連れていかれる。とても探偵とは思えなかった。席につくと瀬田は辛気臭い顔をして窓の方に目をやった。

「夏が始まるよ。暑いの苦手なんだわ」

「そうなんですか。……あの、失礼ですが、ここが事務所なんですか?」

「勝手に使わしてもらってんの。場所代はタダだしさ」

 最低な男だと思った。

 そんな男と一緒に人生を掛けた博打をすることになるとは思わなかった。

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