【名探偵爆誕】一切質問せずに事件解決してみた! EP5

 地平線間際の太陽が空を真っ赤に染める。瀬田は棚引く雲を見て、何を思ったのか、

「焼肉食いたいな」

 と呟いた。

 二人の落ちこぼれは福富町駅の二駅先にある鷺中央駅の近くにあるセントラルタワーというオフィスビルのそばに立っていた。十五階建てで一面ガラス張りのビルは、鷺市の景観では若干浮いた存在で、建設当初はそれなりに反対運動も起こったという。しかし、蓋を開けてみれば、常に企業のオフィスで満たされ、鷺市の経済活動の一翼を担うまでになった。

 二人のおじさんはビルを見上げすぎて痛めた首をトントンしながらWeTubeの五本目の動画を開始した。

「瀬田さん、刈谷さんの勤めてる会社の前まで来ましたけど」

「来たね」

 吹き抜ける風を寒そうに受け止める瀬田はやや緊張気味だった。刈谷が勤める株式会社クラフトパワーはセントラルタワーの八階をオフィスとしている。

「前回の終わりで刈谷さんに話を聞かないとって言ってましたけど、具体的には何を聞こうとしてるんですか?」

「まあ、刈谷さんがね、ひったくり犯を山崎じゃないと言っているわけじゃん。その根拠が知りたいわけなのよ。それを聞いたら、事件の様子がより明らかになるんじゃないかっていうね」

「事件そのものを改めて見直そう、と」

「そんなところだよね」

 落ち着いて喋ってはいるが、この男、さきほどまでセントラルタワーの一階で受付の人間に侵入を阻まれて大揉めに揉めていた。少し疲れた顔をしているのはそのせいだ。動画上では、テロップでもそのことが暴露されている。

「さっき色々ありましたけど、これからどうします?」

「刈谷さんをここに呼び出そうかなと」

 セントラルタワーの一階にはカフェの路面店が併設されており、その周辺はテーブル席や石のベンチなどが置かれていて、鷺市にしては色気づいている。二人はカフェで飲み物を頼んでテーブル席につくと、刈谷にFINEで電話をかけた。

『はい』

 きびきびとした声だった。仕事モードに違いない。

「今、会社の下にいるんだが、早く来てくれ」

 相変わらず横柄な物言いである。

『今ですか? 仕事中なんですけど』

「そろそろ休憩でも取った方がいいだろう」

 夕方五時を回ろうとしている。人によっては一日の最後の仕上げに掛かるような頃合いだ。そのタイミングで外に呼び出すというのはほとんど悪行に等しい。刈谷は聞こえよがしに溜息をついた。

『……今から行きます』

 一方的に通話が切られた。瀬田は満足そうである。

「勝ったな」

「勝ちましたね」

 高槻の気のない呼応に瀬田は気を良くしたのか、カフェのカウンターで刈谷のためにソイラテを注文した。

 瀬田がソイラテをテーブルに持ってくるのと同時にセントラルタワーの正面入り口が開いてグレーのパンツスーツ姿の刈谷が現れた。スマホを耳に当てて、眉間に皺を寄せてしかめっ面をしている。

「──……七部って言ったでしょ。…………いや、あのさ、聞いてないじゃなくて、参加する人数は分かってるじゃん」

 怒りを滲ませながら彼女はやって来て、スマホの向こうの人間に強い口調をぶつけながらテーブル席についた。声をかけづらいそのオーラに瀬田は恐る恐るソイラテを渡した。刈谷は仏頂面で片手だけ挙げて礼を示す。

「…………だったら、最初から多めにやっとけばいいんだし、いちいち聞くことじゃないでしょ。…………あのさ、それ、いつのファイルのデータ使った? …………だーかーらー、十五時に更新したからねって伝えたよね?」

 瀬田と高槻はかしこまったまま、話を切り出すこともできずに刈谷が話し終わるのをただただ待つしかできなかった。

 しばらくして決着がついたのか、舌打ちとともに刈谷が電話を切って、ソイラテを一口飲み込んだ。

「ああ、すみませんね、出来の悪い部下でして」

「……いや、大丈夫です」

 刈谷の剣幕にすっかりドン引きしてしまった瀬田は、さきほどまでの威勢はどこ吹く風といった様子だ。引きつった笑いで場を繋ぐだけで、なかなか本題に移ろうとしない瀬田の足を高槻がテーブルの下で軽く蹴飛ばした。瀬田は慌てて刈谷に同調した。

「ま、まあ、部下ってのは使えないもんです」

「そうとは限らないですけど、それでも使わないといけないですからね」

 沈黙。

 痺れを切らして、高槻が切り出した。

「瀬田さんがね、ひったくり犯は本当に山崎さんじゃなかったのかってめちゃくちゃ疑ってるんですよ。もう親の仇みたいに」

「いや……」瀬田は刈谷の様子を窺いつつ高槻に食って掛かる。「そこまで言ってないじゃん。『ちょっとどうなんですかね~?』みたいなことをちょっとだけ言ったか言わなかったくらいの感じだったじゃん」

「まだ疑ってるんですか、陽平さんのことを?」

 刈谷と高槻に迫られて、瀬田は観念した。

「まあ……そうですね。警察にも言ったと聞きました。ひったくり犯は山崎じゃないと」

 瀬田はすっかり丸くなってしまっていた。

「言いましたよ。私は陽平さんのことはよく知っているつもりだし、匂いで分かりますから」

「匂い……犬みたいだ」

「女の人の方が匂いを感じる力が強いんですよ。彼はタバコを吸いますけど、ひったくり犯からはその匂いは感じられなかった……ただそれだけのことです」

 瀬田は高槻と顔を見合わせた。瀬田は言いづらそうに口を開いた。

「そのタバコの金を払っているわけだ」

 刈谷の鋭い視線が瀬田に向けられた。

「山崎は収入に見合わない部屋に住んでいる。みんなが言っていたぞ。あなたが山崎のケツを持っているんだと。金のことで揉めていたであろうことは容易に想像がつく」

「第三者からはそう見えるでしょうね。確かに、そういうこともありましたけど、今はもう違いますから」

「とてもそうは思えないが」

「陽平さんは夢に向かって頑張っていますし、それを叶えるためのプロセスもちゃんと説明してくれました。そういうことも含めて私は納得しているんです。外野にとやかく言われる問題じゃない」

 コーヒーで唇を湿らすと、瀬田はデリケートな問題を前に思案深げに喉を鳴らした。

「山崎が色んな女と遊び歩いていることも知ってのことなら、俺からは何も言うことはないが」

「じゃあ、何も言わないでください。私は陽平さんを信じている。ただそれだけです」

「だが、向こうがどう思うかは分からん。あなたがもし……」

「私が浮気を? ただでさえ忙しくて、新しい出会いの機会もないのに。誰かに興味を持つことなんてありませんよ」

 ソイラテをグイっと行くと、刈谷は意思の強い瞳で瀬田を迎え撃った。

「そうやって、いつまでも金を吸われ続けて、ある時気づくんだ。『私の数年間は何だったのか?』と」

 刈谷は口の端を歪めてアイロニカルな笑みを漏らした。

「あなた私のお母さんですか? そこまで言われる筋合いはありません」

「山崎があなたの母親公認かどうかは疑わしいな」

 刈谷は答えなかった。顔を背けてソイラテを口に運ぶ。

「あのですね、お金のあるなしがすべてじゃないんですよ。お金があっても使えない人間は使えません」

 刈谷はそう言いながら眉間に皺を寄せてしかめっ面をする。

「まあ、それは人ぞれぞれだろう」

「お金がなくても優れた人はいます。ただ、お金がないせいで苦しんでしまっているだけです。そういう人を支えたいと思ったことがあなたにはないんでしょうけどね」

「確かになさそう」

 高槻がポツリと漏らす。瀬田は無表情で高槻を見つめた。その様が人間性の薄っぺらさを如実に表しているようでもあった。刈谷は立ち上がって、ソイラテを掲げた。

「ごちそうさまでした。もう話をしても無駄だと思いますんで、行きます。仕事が待ってるんで」

 最後を強調すると、刈谷はヒールの音を響かせながらセントラルタワーの中に消えていった。一陣の冷たい風がやって来て、空になった瀬田のカップを倒す。

「あのさ、高槻くんさ……」

「なんですか」

「……寒いね」

 哀愁のある一言に、高槻は提案した。

「≪梟亭≫に戻りましょうか」


* * *


 暖かい店内。ジャジーな音楽。ふかふかの座席。定位置のボックス席はホームといってもいい安心感がある。マスターがやって来て、ホットコーヒーを置く。

「なに、まだそれやってるの?」

 そう言って高槻のカメラを指さす。

「そうなんすよ。結構時間かかってまして」

 動画にテロップが入る。≪梟亭≫のマスター、菊川だ。いつも二人の撮影を快く許しているという聖人のような男だ。

「俺が無能みたいな言い方するなよ」

 菊川の真逆の男が口を尖らせた。

「でもま、それで瀬田くんが有名になったらおっちゃんも嬉しいよ」

 笑いながらカウンターに下がっていく菊川を見て、高槻は言った。

「ずいぶん可愛がられてますね、菊川さんに」

「まあ、俺の鷺市の親父みたいなもんだからね」

「なんかすごく誤解を生みそうな表現っすね。付き合いは長いんですか?」

「俺が生まれた時に取り上げたのが菊川さんだっていう説もあるくらいだね」

「刈谷さんと話してどうでしたか?」

 ものすごい勢いで話が展開したせいで、瀬田はびっくりしてしまった。

「今の話、面白くなかった?」

「今の話って何ですか?」

 目をギョロッとさせて瀬田が息を飲む。

「え、カットした?」

「刈谷さんと話してどうでしたか?」

 繰り返す高槻に怯えつつ、瀬田は話を先へ進める。

「うん……まあ、そうだね、ちょっと肩透かしを食らったような感覚があったよね」

「なんか途中からお母さんみたいになってましたけど」

「なんでお父さんじゃないんだよ」

「男でもお母さんになり得るという……多様性ってやつじゃないですか」

「言葉の定義がグラグラになってるだけだろ、それ」

 チクリとやってコーヒーを啜ると、瀬田は真面目に話を続けた。

「つまりさ、刈谷さんはさ、ひったくり犯からタバコの匂いがしなかったから山崎じゃないって言ってるわけでしょ」

「そういうことになりますね」

「それはさ、やっぱり証拠のない部分の話なわけよ。ひったくり犯の目出し帽とか服が見つかったわけでもない。だから、タバコの匂いの成分がついていたかどうかっていうのは確かめようがないわけじゃん」

「まあ、まさに……」高槻はニヤリとした。「煙に巻かれたってわけですね」

「え、なにそれ。俺もそういうの言いたかった」

 羨ましそうに高槻を見つめる。

「そんなことはどうでもいいんですよ。どうするんですか? 証拠がないってことでイライラしてたわけじゃないですか。結局、刈谷さんに話を聞いてもそこのところは分からなかったですよね」

「う~ん、そこなんだよね。これだと、堂々巡りのまま決着つかないっていう動画になりそうなんだよな」

「さすがにそれはやめてください」

「これぞまさに」瀬田はニヤリとした。「やめられない、止まらないってやつだな」

「何もうまくないですけど」

 不服そうに頬を膨らませて、瀬田は気分を一新するように伸びをした。

「まずさ、事件をちゃんと整理した方がいいよな」

「ああ、まとめます?」

 二人が喋る中、画面に事件の情報が羅列されていく。

・被害者は自宅マンションの目の前でひったくり被害に遭った

・犯行時間が夜十時四十分と遅く、目撃者はなし

・犯人は目出し帽と手袋を着用

・犯人は逃走後、近くの公園のゴミ箱にバッグを捨てた

・被害者の財布からは金が抜き取られていた

・被害者のバッグに入っていたノートパソコンは破壊されていた

・被害者の交際相手が仕込んでいたYtagがバッグの中から見つかった

・Ytagから被害者の交際相手の指紋が検出

・Ytagは被害者の交際相手のYphoneと同期されていた

「なんかこうしてまとめると要素が相当少ないですよね」

「ひったくり自体が瞬間的な犯罪だからね」

「僕の感想ですけど、まとめたところで何も変わらなかったなという感じなんですけど」

 腕組みをしたまま瀬田はゆっくりと口を開いた。

「高槻くんね、一個ね、俺の中に仮説があるのよ」

「なんですか? 言ってくださいよ」

「もう先に言っちゃっていいの?」

 高槻は腕時計に目をやった。

「もうそろそろこの動画も終わるんで、ちょうどいいタイミングじゃないですか」

「あ、ホントに? じゃあ、言うけどさ……」コーヒーを一口。「犯人について確かなことが一つあるんだよ」

「なんですか?」

「犯行の中でバッグの中に指紋を残していないってことなんだよ」

「まあ、そうですね。手袋してたって言ってましたしね」

「実際に手袋してたかどうかは、もうどうでもいいのよ。事実として、犯人は犯行の中ではバッグの中に指紋を残してない。だから、犯人が手袋をしてたとか目出し棒を被ってたとかタバコの匂いがしなかったとか、そういうのも裏付けがないのよ」

「え、まさか、刈谷さんがでっち上げた?」

 瀬田は不機嫌を絵に描いたような顔で高槻を睨みつけた。

「先に言うなよ……」

「え、マジで言ってるんですか?」

 興を削がれてあからさまにテンションを落とした瀬田は暗い表情でうなずいた。

「そうだよ……」

「いや、すいません。そんなに落ち込むとは」

「あのさ、高槻くんさ、ミステリーとか読んだことないの?」

「UFOとかの特集ですか?」

 瀬田は心の底から残念そうに肩を落とした。

「そういうミステリーじゃなくてさ、推理小説ってやつだよ。色々あるじゃん」

「いやぁ……ホントに本を読んでこなかった人生だったんですよね」

「本だけにホントに?」

「で、それがどうしたんですか?」

「……今のつまらなかった?」いまさらながらに自分のセンスに疑問を感じ始めたらしい。「まあ、とにかくさ、ミステリーだと探偵役の人の話は邪魔とか基本しちゃダメなの。解決編とかはちゃんとみんな黙ってるものなの」

「ああ、戦隊ものの変身シーンとかと同じってことですか」

「いや……違うけど……まあ、そうなのかもしれないけどさ……」

「そろそろ締めるんで早めにまとめてもらえます?」

 恨めしそうな視線を投げつけて、瀬田は先を続ける。

「刈谷さんはひったくり犯が山崎だと分かっていて、奴が逮捕されないように庇ってるんだよ」

「めちゃくちゃあっさりした結論ですね」

 高槻は笑ったが、瀬田は納得がいかない。

「だからさ、高槻くんさ、探偵役の人の推理は結論だけ言えばいいってもんじゃないのよ。ちゃんと筋道立ててさ、ロジックで盛り上げるみたいなことも考えてやってんのよ」

「分かりました。今後、瀬田さんが推理的なことしてる時は何も言いません」

「いや……違うんだよ。そうじゃないんだよ。いい感じの疑問を差し挟んでくるとかさ、あえて反論するとかさ、そういうコールアンドレスポンスがあっての一体感が大事なんだよ」

 瀬田なりの強いこだわりが披露されて、今度は高槻のテンションが底をついた。

「もうどうすればいいか分かりませんよ」

「わりとさっきまでちゃんとできてたから自信持ちなよ。結論っぽいところに来たら黙ってていいからさ」

 二人のおじさんが互いを慰め合っているというどうしようもない光景だ。

「で、これからどうすんですか」

 仕切り直したものの、元気のない高槻の振りが入った。

「ちょっと明日、罠を仕掛けようかなと」

「はい、楽しみです」

「いや、高槻くん、全然楽しくなさそうに言うなよ」

「瀬田さん締めてください」

「あ、例のやつね。ご視聴どうも。フォローといいねをしてくれ」

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