第34話【アイザック視点】

「おお! やはり婚約解消は仮初だったか! いやぁ! 仲が良い事は良い事だ!」


オリヴィアの父上は、嬉しそうに去って行った。


「……ふぅ、これでしばらくは大丈夫ね。ありがとう」


周りに人が居ない事を確認したオリヴィアは、すぐに手を離して私から距離を取る。


本当に、嫌われたんだな。


今までのオリヴィアなら、ずっと私の側に寄り添っていたのに。


「ごめんなさいね。アイザックはロザリーが好きなのに」


感情のない目で、私に話しかけてくる。エドワード達と話す時と大違いだ。


「……いや、私こそ今まで申し訳なかった……」


「もう散々謝罪して貰ったわ。無事婚約解消されたし、気にしないで。それよりロザリーの養子先が決まって良かったわね」


ロザリーの養子先を探してくれたのはオリヴィアとエドワードだ。混乱している中、わざわざオリヴィア自身が直接出向き、依頼してくれた。


表向きは、優秀な学園生を救う為。

本当は、ロザリーを私の婚約者とする為。


学園は完全封鎖されているので、ロザリーと会う事は出来ない。私が頼んでも、養子先は見つからなかっただろう。そして噂だけが広まり、ロザリーを危険に晒す事になっただろう。


公爵家は年頃の子どもが居ない。後継はまだ生まれたばかりだ。口は固いが、納得しないと動いてくれない。最初は会ってもいない元平民を養女には出来ないと渋られたが、オリヴィアが説得してくれた。彼女が言うなら良いだろうと、ロザリーと一度も会っていないのに話は纏った。しかも、オリヴィアは何度も手紙でロザリーの意志を確認してくれた。


本当に私と結婚する気があるのか。嫌なら必ず教えてくれと聞かれており、オリヴィアを気遣いが感じられた。オリヴィアに報いる為にも私の隣で生きていきたいとロザリーからの手紙に書かれていて、泣いた。


だけど、そのせいでオリヴィアがどんな目に遭うのか。馬鹿な私は想像出来ていなかった。


ロザリーの養子先を選定する前に、エドワードの提案で私とオリヴィアの婚約解消を発表した。王太子印があれば、婚約解消は父上の決済が無くても可能だからな。父上も、宰相やエドワードが上手く誤魔化してくれた。


そしたらすぐに、オリヴィアの父上が城に怒鳴り込んで来た。


それはもう、物凄い剣幕だった。


婚約解消するなら要らないと、オリヴィアに乱暴を働こうとした。マーティンが止めてくれたが、恐ろしい顔をしていた。彼は私の前では穏やかに話す事が多いから、見た事がない姿だった。


そう言ったら、オリヴィアの父上を説得して追い返した後、エドワードから1時間説教された。


扉の前にマーティンを立たせて、誰も来ないようにしてこんこんと叱られた。


「あのさ、興味がないにしても酷すぎる。オリヴィアの父親は、いつもああだよ。儀式をしようとした時だって拒否したオリヴィアを殴ろうとしたでしょ? あの時だってマーティンが止めたんでしょう? 僕は後から先生と駆けつけたけど、アイザックはずっと居たよね? なんで止めなかったの?」


「確かに、オリヴィアは儀式を嫌がっていた。だけど、私が頼めば了承してくれると思ったんだ。父上もうるさかったし……私も、楽がしたかった。それに、オリヴィアを殴ろうとしていたなんて知らなかった」


「どうせ、俯いて居眠りでもして、ちゃんと見てなかったんだろ。マーティンが居なかったらどうなってたと思う?! オリヴィアが殴られそうになっても何もしないでぼんやり座ってるなんてほんっと最低だよ。いい、絶対にロザリーに同じ事をしないでよ! ちゃんとロザリーを見てあげて! オリヴィアは貴族だから、アイザックが好きだから我慢してくれた。だけどロザリーは、アイザックの為だけに貴族になったんだよ。本当なら、平民として穏やかに暮らせた女の子を引っ張り出したのはアイザックなんだから! 絶対に大事にしてよ! でないと、オリヴィアが可哀想過ぎる!」


「何故、オリヴィアなんだ。そこはロザリーではないのか?」


そう言ったら、初めてエドワードに殴られた。彼は力は強くない。だから跡にもならなかったが、初めて殴られて頭が働かなかった。


凍てつく氷のように冷たい目で睨まれると、震え上がってしまう。


「ロザリーを大事にするなんて当たり前だ。けど、オリヴィアの事だって考えろ。オリヴィアがどれだけアイザックの為に努力してたか知らないからそんな事言えるんだろ。僕は知ってるよ。オリヴィアは苦手な外国語も、古代語も必死で勉強してた。僕も努力してたけど、オリヴィアは僕と同じ勉強をしながら淑女教育や王妃教育も受けてた。並大抵の努力じゃ出来ない。僕はオリヴィアと同じ事は出来ない。しかも、オリヴィアはアイザックを守る為に護身術も身に付けた。寝る暇なんてほとんどなかったと思うよ。それだけ忙しいのに、アイザックの好みを全て把握して、好みが変わっても的確なプレゼントを渡してた。オリヴィアから貰った物で、気に入らない物、ある? ないでしょう? アイザックはいつも同じ物しかあげない手抜きぶりだけど、オリヴィアが一度でも同じ物をあげた事ある?」


文具、服、装飾品から書籍に至るまで。

オリヴィアから貰った物で私が気に入らなかった物はない。高価な物から安価な物まで、全て私の気に入る品ばかり贈ってくれた。だけど私は、そんな事婚約者なら当たり前だと思っていた。


けど、違う。


私がオリヴィアに渡していた薔薇は、彼女の嫌いな花だった。ただ嫌いな訳じゃない。嫌な思い出もある見たくもない花。それを受け取って、彼女は笑ってくれていた。好きな食べ物もケーキではなく、ミルクと蜂蜜だと言う。初対面のロザリーでも知っている事を、私は知らなかった。


「僕、何度も言ったよね? もっとオリヴィアを大事にしろって。そんなんだから、愛想尽かされるんだよ。……ねぇ、もう良いよね? 僕ね、ずうっと前からオリヴィアが好きなんだ。アイザックと婚約する前からオリヴィアの事が好きなの。だけど、僕じゃオリヴィアを助けられない。オリヴィアを救えるのは王子であるアイザックだけだった。だから、アイザックの婚約者候補にオリヴィアを推薦したんだ。あの親だから父上は嫌がったけど、オリヴィアは優秀だからって薦めたのは僕だ。婚約が決まった時は寂しかったけど嬉しかった。オリヴィアも、アイザックを好いてるみたいだったからね。けど、アイザックはオリヴィアを大事にしなかった。面倒な事は押し付けるくせに、オリヴィアに与えるのはトラウマもあるくらい嫌いな薔薇の花と好きでもないケーキだけ。とんでもない事をしたって後悔したよ。どうしたらアイザックがオリヴィアを大事にするのか分からなかった」


泣きそうな顔で私に詰め寄るエドワード。

そうか……私はなんて鈍いんだ。友の気持ちに、全く気がつかなかった。


何度も私に忠告してくれたエドワード。

私がオリヴィアを愛していれば……きっと一生知る事のなかったであろう友の気持ちに触れて、胸が張り裂けるように痛い。


「……なんて顔してんのさ。僕に悪いと思ったとか言わないでよ。今度こそ本気で殴りたくなる。オリヴィアはさ、どうしてアイザックが好きだったか分からないって言ってた。そこまで言われるってよっぽどだよ。確かにアイザックは自分で婚約者を選べない。それは王族の宿命だ。オリヴィアが好みじゃなかったのかもしれない。でもさ、もうちょっとくらい、優しく出来なかったの? みんなには優しいのに、どうしてオリヴィアだけ無関心だったのさ」


「父に決められた婚約者だったからだろうな。最初は良かったのだが、オリヴィアが優秀だと言われるようになって、エドワードと仕事までするようになって……父もオリヴィアを褒めるようになった。私はオリヴィアに嫉妬していたんだ」


「陛下がオリヴィアを褒めたのは優秀で便利だったからでしょ。単なる駒としての扱いだよ。アイザックも、そうじゃん」


「そうだな。オリヴィアには何度謝っても足りない」


「そこは一生後悔してよ。ま、オリヴィアはもう気にしてないみたいだけど。おかげで僕にもチャンスが巡ってきたしね。ライバルはかなり多いけど、負けるつもりはないから」


「……ライバル?」


「よーく観察してみると良いよ。気が付いても、言っちゃダメだからね」


よく観察するようになると、すぐにわかった。オリヴィアを好いている者達は、皆優秀だ。オリヴィアも、私の前で見せた事のないリラックスした表情を見せている。


オリヴィアがこんな風に笑うなんて、知らなかった。


私も人の事は言えないが、オリヴィアは相当鈍いのだろう。あれだけあからさまにアプローチされているのに、あっさり結婚したくないと言うなんて……。まさか、オリヴィアはあの3人以外の男を好いているのか?


ふと、彼らに負けず劣らず優秀で、1ヶ月前から姿を見せない男の事を思い出した。


いや、彼が居なくなった時はまだ私達は婚約していた。オリヴィアの事だ。婚約を解消しないと他の男を恋愛対象として見る事はないだろう。


では、彼女が結婚したくないというのは本音か……。男を信頼してないという事か。きっと私のせいだよな。罪悪感で、胃がキリキリと痛む。


「どうしたの? 胃が痛いなら診察して貰う?」


「いや、大丈夫だ」


「大丈夫じゃなさそうよ。ちゃんと診てもらいましょう。でないと、ロザリーが心配するわ」


オリヴィアに促され、侍医の元へ行く。その間も、オリヴィアはサイモンを探していた。


私に向ける視線に、かつての愛情はない。


私はオリヴィアにとって、本当にどうでも良い存在なのだと実感した。今心配してくれたのも、あくまでも臣下として。以前のような愛情溢れる視線を向けられる事はない。


今更ながら、寂しいと思った。

だけど、そんな事を思うなんて許されない。


私はオリヴィアの気持ちを踏み躙ったのだから。


私は、今頃火花を散らしているだろう彼らの愛がオリヴィアに届く事を願う事しかできない。

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