12.スペードで十五枚

 季節は二月に入っていた。道路の凍結などで転倒の危険があると、ジーンはバイクを禁止された。しばらくバスと電車で通っていたが、妙な男に髪を触られたという話をしたら、ツグミが送り迎えをするか、あまり遅くなったらタクシーで帰るようになった。

 定期検診で行った眼科で、視力の低下は起きていないと言われて、ほっとしてジーンは待合室で待っていたツグミのところに行く。休憩時間を合わせてもらったというツグミは、ジーンを病院に送り迎えするために車を出してくれていた。


「検査結果は?」

「問題ない」


 眼鏡で矯正するまで視力は落ちていないとの報告に、ツグミはほっとしたようだった。


「元が視力良すぎたんだよ、あんた」

「かもな」


 ジーンを助手席に乗せて、ツグミは警察署に戻る。また夜に、とキスをして別れてから、ジーンはラボへのエレベーターに乗った。途中の階でロザリンドが乗り込んできた。


「病院の帰り? どうだった?」

「今のところ異常はないが……」

「リリアがメールしてくれたの」


 基本的に自分の情報はリリア経由で筒抜けなのだと、ジーンは納得する。


「リリィのバイト先は?」

「今度遊びに来てってメールもらったよ」


 嬉しそうに笑ってから、ロザリンドはふと真顔になった。


「じゃなくて、ジーンを待ってたんだよ。戻ってこなかったから署の方に戻ろうと思ったんだけど、ちょうどエレベーター降りてる途中で、来たって聞いて」


 それで、急いでエレベーターを止めて、次のエレベーターに乗ったらジーンが乗っていたというロザリンドに、ジーンはゆるりと首を傾げる。


「今さっきラボに届けた銃弾なんだけど、ミザリーが施条痕まではとってくれたんだよね。で、これが、前の殺人事件の銃弾の施条痕なんだけど……」

「一部が一致している……」


 タブレット端末に映し出された二つの弾丸の映像に、ジーンは呟く。

 一般的にライフル銃と呼ばれる現代式の銃は、火薬で銃弾がスピンしながら発射される。そのために、銃の筒の部分の痕が銃弾に残るのだ。


「これは、銃の知識のあるものが、筒の部分を削った可能性がある」

「証明できる?」


 問いかけたロザリンドに、ジーンは「やってみる」と答えた。

 ロッカールームから白衣を出して、コートを突っ込んでいると、向こうから来た人影に、ジーンはびくりとする。軽く片手を上げたのは、フェリアだった。


「お帰り、リード……ごめん、驚かせた?」

「いや、平気だ。ガーディアのロッカーはこっちなのか?」


 男性用のロッカールームだったことを指摘すると、フェリアは「俺みたいなのは難しいところでさ」と笑う。そういえば、ラボには男性用と女性用の他に、誰でも使っていい車椅子でも使える個室トイレがあった。フェリアやジーンなど、事情のあるものは主にそこを使っている。


「ロッカーは俺だけのために増設できないだろ」


 言いながら帰り支度をしているフェリアに、ジーンが首を傾げた。


「日勤ではなかったか?」

「ナディーンが吐いたらしいんだ。心配だから、上がらせてもらった」

「そうか、お大事に」

「リードも。脅かして悪かった」


 性別はこうだが俺はでかいから、と笑うフェリアを見送って、ジーンはラボに入る。パソコン端末をいじっているアージェマーが、振り返らずに言った。


「聞いたか?」

「ロジーから聞いた。3Dプリンタで銃の複製を作って、それを手が加えられた施条痕と同じように削ってみようと思う」


 コンピューターを使うとしても、誤差が少しでも出れば成立しない方法に、アージェマーがジーンの顔を振り返る。


「ツグミに今日は帰れないってメールした方がいいかもしれないね」

「アージェマーは、私が意外と負けず嫌いと知ってると思ったが?」

「四時間」

「二時間半」

「じゃあ、健闘を祈ってるよ」


 軽口を叩きあってから、アージェマーとジーンは作業に入った。




「銃弾の照合ができたって」


 ロザリンドの携帯端末に入った情報に、地元警察が動き出す。応援要請されたツグミは、ジェレミーと一緒に車に乗り込みながら、携帯端末で時刻を確認した。日勤のジーンの終業時刻の数分前。


「間に合わせたんだ……」


 ロザリンドから事情を聞いていたツグミは、胸中で拍手を送る。明日は、ラヴィーナを迎えに行くから、今日は定時に上がってとの約束を守ったようだった。

 容疑者が無事逮捕されて、ツグミはジーンを迎えに行く。


「三時間かかった……」


 と、なぜかジーンはやや不満げだった。




 前の養子斡旋団体の不正が発覚して、新しい施設に移ったというラヴィーナは、環境が変わったせいか、それとも月齢が上がったせいか、迎えに来たツグミとジーンに大泣きをした。


「どうされますか?」


 担当のスタッフも困った様子で聞くので、ツグミがジーンを見ると、ジーンは穏やかにラヴィーナをあやしている。


「小さいし、最初は慣れないと思う。私たちはどちらも男性だから」


 チャイルドシートを準備していたツグミは、車の後部座席のチャイルドシートにラヴィーナを乗せて、ジーンが隣りに座った。抱き上げられて少し落ち着いてきたラヴィーナだったが、チャイルドシートに乗せるとまた大声で泣き出す。


「ラヴィーナ、少しの間だけ我慢して」


 掠れたジーンの声は、小さなラヴィーナのお気に召さないようで、ジーンは困り果てているようだった。

 部屋に戻ると、暫定でリビングの端にラヴィーナの遊びスペースが作ってあったが、用意していたおもちゃも気に入らず、ずっと泣くラヴィーナに、家で待っていたレオーネが目を丸くする。可愛いクタクタのクマちゃんのぬいぐるみを見せたり、音の鳴るおもちゃを振ったりするが、ラヴィーナはジーンの腕にしがみ付いてひたすら泣いていた。

 このままでは調子でも悪くするのではないかとジーンとツグミが心配になった頃、学校から帰って来たリリアがラヴィーナが泣いているのを見て、子ども用のストローの付いたコップにオレンジジュースをいれて手渡す。ラヴィーナは涙目のまま、それをしっかりと受け取って飲み始めた。


「ツグミ、もしかして」


 ジーンの呟きに、ツグミは即座にキッチンに立つ。淡い味付けの野菜の入ったスープとシリアルを三回お代わりして、ラヴィーナはやっと落ち着いたようだった。幼児用の椅子を降りて、ジーンの後を付いて回る。


「お腹が空いてたのか」

「すっごい食いしん坊さんみたいだね」


 苦笑するツグミに、レオーネがほっと胸を撫で下ろした。


「ジーン、だ」

「じん」

「そう。あっちがツグミ」

「つぐ」

「そうだ。こっちがお兄ちゃんのレオーネ」

「れお」


 ソファに座ったジーンのお腹の上に座って、ご機嫌で繰り返すラヴィーナ。


「リリア、よく分かったな」


 ツグミに言われて、リリアはドヤ顔になる。


「私、小さい頃、ずっとお腹空いてたら機嫌悪かったから」

「その割に育ってない」

「ジーン!」


 すかさず突っ込んだ兄に、リリアが顔を顰めた。


「リリアよ。リリア」

「りり」


 ラヴィーナが小さな手で、リリアの頬に触れる。




 季節は巡る。

 新緑の季節になって、ようやく、ツグミとジーンが出会ってから一年が経った。記念日に何かしようというツグミに、あれを記念日にしたくない、結婚記念日とかにしてくれと素っ気なくジーンが言ったので、ツグミはラヴィーナとお揃いの小さなくたくたのウサギちゃんのぬいぐるみをそっとベッドに置いていたら、なんとなく嬉しそうに頭に乗せていたので、それでよしとした。

 春にラヴィーナは三歳になった。ふくふくと丸い頬の可愛い赤毛の幼児を、初めて見た時にジーンに似ていると、一目惚れしたことを白状すると、ジーンは「気付いていた」と静かに答えた。

 ラヴィーナの三歳の誕生日は、リョウとリラとハンとアケビと一緒に、リョウの家で祝った。


「ピアノを習っているんだよ」

「誰が?」

「俺が。リラが好きみたいだから」


 ハンに、もう少しリラが大きくなったらリラにピアノを教えてほしいと言われて、ジーンは困ったように空色の目をさまよわせる。


「私は、独学だから……」

「それでも、俺は、ジーンにお願いしたいな」

「私も」


 ずいっと会話に入って来たリョウに、「その時にリラが嫌でないなら」とジーンは小さく答えた。


「リラ、ジーンからピアノ習うの?ずるい、僕も」


 声を上げたレオーネに、「お前はもう私よりうまい」と言われてレオーネはむくれる。


「私も練習するから、連弾しよう」


 金髪を撫でられて、ようやくレオーネは機嫌を直したようだった。


「うちから通える学校にしようかな」

「そうしてほしいな。俺とジーンだけじゃ不安だ」


 ジーンやレオーネの様子を見てぽつりと呟いたリリアに、ツグミが微笑む。リリアの顔がぱっと輝いた。それから、右手の薬指にはめている、細いピンクゴールドの指輪を見つめる。


 ジーンとツグミとリリア、お揃いのそれ。


「一年間、色々あったけど、あんたに出会えて良かったよ」


 呟いて、ラヴィーナを抱っこするジーンを抱き寄せたツグミに、ジーンはそっと頬にキスをした。


「私も」


 小さく言ってから、恥ずかしかったのか離れて行ってしまうジーンを、ツグミはにやけて見ていた。


 一年前には、予想もしなかった今が、ここにある。

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