8.スペードで十四

 デイヴィッド・ケアリーの郊外の家への出動にはツグミも要請されることになった。前のことがあったので、ジーンは銃を携帯の上、後方での出動となった。


「たっのしーい、逮捕!」


 この上なく愉快そうなヴァルナと、それを半眼で見下ろしながら狙撃銃を担ぐアスラ。


「ツグミはリードのそばを離れないで!」


 セリカに命じられて、言われるまでもなくツグミはしっかりとジーンのそばに立つ。


「警察だ!」


 扉を蹴り開けたハンと、突入するヴァルナとセリカ。指でそれぞれ指示を確認し、一部屋一部屋見ていく。


「クリア!」

「こっちもだ」

「つまらーん!」


 口々に声が上がり、家の中にケアリーがいないことが確認された。パソコンがついていて、今さっきまでここにいた気配はする。


「周辺を探せ!」


 ハンの指示に、待機していた警官たちが動き出した。


「車がガレージにある! 遠くには行ってないよ」


 ガレージを覗いたセリカに、ヴァルナが活き活きと走り出す。獲物を追いかける肉食獣さながらの姿に苦笑しつつ、セリカも後に続いた。窓から狙える位置にいたアスラも周辺の捜索に加わった。

 ジーンはハンの許可を得て、ツグミと一緒に家に入る。むっとするような、生ごみと濃い人の体臭に、ジーンは顔を顰めた。ケアリーは身の回りのことにあまり頓着しない性格のようだった。

 パソコンを確認していると、ミルワースとやり取りをした形跡があって、ジーンは僅かに不快そうに笑う。笑っているジーンの暗い顔に、ツグミがパソコンを覗き込んだ。


「あんな男でも、好かれるらしい」


 ケアリーからのミルワースへのメールは、恋情が透けて見えるようなもので、ツグミはぞっとする。軍時代からケアリーはミルワースを想っていたようだった。

 パソコンを押収する体勢のツグミに、ジーンは部屋を出る。廊下を歩いて、癖のように歩数を数えているとふと妙なことに気付いた。


「つぐ……」


 廊下の柱の一つが急に開いて、ジーンは引きずり込まれる。左脇のホルスターから銃を抜こうとするより早く、銃口が額に突き付けられた。

 外観よりも内装の方が狭い、それはつまり、隠し部屋があるということで。息がかかるほどに狭く暗い隠し部屋に引きずり込まれて、壁に押し付けられて銃を奪われながら、ジーンはちらりとケアリーを見た。くしゃくしゃの焦げ茶色の髪と目の小太りの男性。年の頃は四十代前半くらいだろうか。


「ミルワース大尉が、貴様などに執着する意味が分からない」

「私にも分からない」


 素っ気なく言うと、銃のグリップでこめかみを殴られる。銃を粗末に扱うと暴発するぞと胸中で毒づきながら、ジーンは黙った。


「お前のパートナーを始末しろと言われている……お前は、ネットでアイドルにしてやろう」


 今までの映像や動画でもかなりのアクセスがあったから、ライブでもやったらものすごいことになるだろうと、臭い息を吐きながらジーンの耳を舐めるケアリーに、ジーンは冷ややかな視線を向ける。


「そっちなのか?」


 問われて、ケアリーはごくりと唾を飲み込んだ。


「違うだろう、お前、抱かれたい方だろう?」

「な、何を……!?」


 図星を突かれたのか口ごもるケアリーに、ジーンは緩く笑う。


「ミルワースがどういう風に私を抱いたか、教えてやろうか?」

「大尉を侮辱するようなことを言うな!」


 引き金に力を込めて、ケアリーは叫んだ。




「ジーン!? ジーン、どこにいる?」


 さっきまで後ろにいたはずのジーンがいなくなって、探していたツグミは、響いた銃声に心臓が凍るかと思った。慌てて廊下を走るが、どこで何が起こっているか全く分からない。銃を抜いて構えてもう一度廊下を歩いたところで、大声で名前を呼ばれた。


「ツグミ! ツグミ! 助けて!」


 柱の中から聞こえた声に、ツグミは柱を調べる。開くと、狭い中でジーンと小太りの男性が銃を奪い合っていた。


「動くな! 銃を捨てて、両手を頭に乗せろ!」


 舌打ちする男性、ケアリーは銃を捨てて、両手を頭に乗せる。引きずり出していると、銃声を聞きつけたヴァルナ、セリカ、ハン、アスラが駆け付けてくれた。


「ジーン!」


 ケアリーを投げ捨てるようにして預け、左腕を押さえているジーンをツグミが抱き締める。


「撃たれたのか?」

「かすっただけだ」


 滴る血に、ツグミは真っ青になった。




 かすっただけというには、深いジーンの左腕を病院で縫って処置してもらって、ツグミはラボに戻るというジーンを必死で説得していた。


「撃たれたんだよ! ジーン、撃たれたんだからね?」

「ケアリーの取り調べに、立ち合いたい」

「ジーン!」


 強く言うと、ジーンが空色の目を僅かに彷徨わせる。


「怒ってるよ! 今は間違いなく、俺は怒ってるからね! 俺がいたのに、ジーンが怪我しただけでもショックなのに、その上、無理されたら、俺、心労で死んじゃうかもしれないなー!」

「ツグミ……あれは、不可抗力だ」

「不可抗力って、死んでたかもしれないんだからな」

「ツグミは助けてくれるって信じてた」


 ぽつぽつと答えるジーンに、ツグミは泣きたいような気分になった。


「信じてくれるのは嬉しいけど……もう、ジーンが危ないのは嫌だ」


 涙目になっているツグミを、ジーンは背伸びして怪我をしていない方の手でそっと撫でる。その手を頬に押し当てて、ツグミは目を閉じた。


「ピアノ弾けなくなったらどうするんだよ……俺、あんたのピアノ好きなのに」


 手の平にキスすると、諦めたらしいジーンはツグミと一緒に家に帰ることにしたようだった。




 ケアリーは軍でも落ちこぼれの部類で、それに目を付けたミルワースが彼を他の兵士からのいじめから守り、露骨に可愛がって、手先にしたらしい。一時期はジーンを手に入れて満足していたミルワースだったが、逮捕されてからその歪んだ根性を発揮して、ケアリーに散々甘い言葉を囁いて、ジーンをどうにか自分のところへ来させるようにとしむけた、というのが今回の事件の全容だった。


「そもそも、ジーンが大尉に昇進するからって、襲ったっていうだけでも信じられないのに、他の男を操ってまでとか……」


 心底ミルワースを死刑にしてやりたいと願うツグミに、セリカがため息を吐く。


「恐ろしいことに……リードを本当に愛してたんだろうね」

「愛じゃなくて、ただの変態だろう。気持ち悪い!」


 吐き捨てたヴァルナに、ロザリンドが目を丸くした。


「ヴァルナも、愛とか分かるんだ?」

「俺を何だと思ってるんだ、この赤毛!」


 匂いが付くと、下がるヴァルナにじりじりと距離を詰めるロザリンド。


「リードは大丈夫なのか?」


 アスラの問いかけに、ツグミは両手で顔を覆った。


「やたらと色気全開なんだけど……怪我人だし、色々あったから、ゆっくりさせてあげたいのに、なんか……俺、本当にダメな奴で、むらむらと……」

「それは、緊張が解けたんじゃないの?」


 ハルバート班の部屋で話しているので、パソコンで報告書を書いていたハンが会話に加わる。


「俺には、ほっぺにキスもさせないよ、彼」

「しようとしたんですか!?」

「挨拶だよ?」


 近寄りがたい雰囲気のあるジーンに、気軽に頬にキスで挨拶をしようというハンにも驚いたが、させなかったというジーンについても、ツグミは初耳だった。リリアやレオーネとは普通に頬や額にキスをし合っているし、ハグもしている。ツグミには答えに困った時など、頬や唇にキスで誤魔化すこともある。


「むらむらと若さに任せて、ってか?」

「俺を獣みたいに言わないで下さい!我慢してます!」


 ヴァルナに反論した瞬間、扉が開いてジーンが空色の目を瞬かせた。


「我慢、させてる?」

「ちょっと、ここだけ聞いて落ち込まないで!?」


 慌てるツグミに、ヴァルナが場違いに笑っていた。




 新年早々の逮捕劇が終わって、ミルワースが携帯端末を取り上げられて独房に入ったという知らせを聞いて、ツグミはほっと安堵していた。情報班が目を光らせてくれているが、あれ以後、ジーンの画像が大々的に出回っているという話は出ていない。しかし、ツグミの前ではハンの言う通り、緊張が解けているのだろう、どこか甘えたような、色気が全開のジーンに、ツグミは落ち着かなくなる。今のジーンの画像が出回れば、ミルワースのような輩が出てきてもおかしくないと思うのは、自分がジーンを好きだからだけの欲目ではないような気がする。


「ジーン、銃の携帯許可書とろうか?」


 ソファでツグミに寄り掛かってタブレット端末を操作しているジーンに言うと、小首を傾げられた。


「使うと思わないし、あまり使いたくもない」

「使わないのが一番だけど、俺はジーンが心配なんだよ」

「私に興味があるのは、ツグミだけ。他はみんな刑務所の中だ」


 あっさりと言うジーンに、危機感がない!とますます心配になるツグミ。渋い顔のツグミに、ジーンが頬にキスをする。


「あ! ツグミとジーンがいちゃついてる! ジーン、私も私も」


 冷蔵庫を漁っていたリリアが、オレンジジュースを持ってソファに座るのに、ジーンは身を乗り出して頬にキスをした。


「うちの妹様は、甘えただ」

「ジーンもツグミに甘えただから、同じでしょ」


 小さな胸を張るリリアに、ジーンは苦笑したようだった。


「僕も、僕も」


 電子ピアノを弾いていたレオーネが部屋から出てきたのに、ジーンは両手を広げて迎える。頬と額にキスをされて、レオーネはくすぐったそうに笑った。


「パパとママも仲が良かったんだよ。僕、ツグミとジーンが仲がいいとホッとする。二人とも大好きだから」


 照れながら言うレオーネを、ツグミも抱きしめて頬と額にキスをする。それから、お正月にリョウから渡されていた写真の額縁を部屋から持ってきた。


 ツグミが十二歳の頃の写真。


 両親と、スサキ、リョウ、アケビ、ツグミの四兄弟が揃って映っている写真は、それが最後のものだった。


「もう死んでしまったんだけど、これが、俺の両親で、こっちが、兄さん、なんだ」


 家に飾りなさいと渡されたそれは、以前のツグミならば見ることのできなかったもので、リョウもそれを分かっていて先日まで渡さなかったのだろう。


「……ツグミのお兄さん、赤毛だったのか」

「赤毛って程じゃないけど、赤っぽい茶色だったかな」


 言われてツグミは思い出す。ずっと忘れていた記憶。

 頬を伝った雫に、ジーンがソファに座るツグミを抱きしめて薄い胸板に顔を埋めさせてくれた。


「今度、みんなで写真を撮りに行こうか」


 穏やかなジーンの声音に、ツグミはジーンの胸に顔を埋めたまま頷く。


「お祖母ちゃんも一緒がいいな」

「ジーナの都合も聞いてみよう」


 レオーネの可愛いお願いに、ジーンはツグミの髪を撫でながら答えた。

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