7.ハートで十四枚
年末から新年にかけて、人の動きも大きいし、箍も外れやすくなるのか、警察関係者は忙殺される。その期間、休暇を振り当てられてしまったジーンは、まだ月齢が低いので延長保育ができないリラを預かって、リビングに折り畳み式のベビーベッドを置いてゆったりと過ごしていた。
妊娠中にピアノ曲を聞いていたというリョウの娘であるリラは、ベビーベッドを引き寄せてジーンが電子ピアノを弾くと大喜びして小さな手足をばたつかせる。レオーネやリリアも学校から帰って来て、リラを可愛がっていた。
大晦日の日、事件が起こったので出動して遅くなるとメールをくれたツグミよりも、リラを迎えに来たハンの方が早かった。
「ツグミじゃなくて悪いね」
「さっき、遅れると連絡があった」
寒くないようにリラに厚着をさせてハンに渡そうとすると、リラが暴れてジーンの腕を離れたがらない。
「すっかり懐いてしまって。うちのお姫様は、面食いだね」
くすくすと笑いながら、泣き出したリラを軽く揺すって宥めるハンに、ジーンが小声で問いかける。
「どうなっている?」
「今のところ、忙しいからそっちまで手が回ってないのが現状」
「年明けにシェンナを借りたい」
「分かったよ」
穏やかに答えてから、親愛の頬へのキスをしようとするハンに、ジーンはあからさまに身を引いて逃げた。空色の目で警戒するように見られて、ハンが笑い出す。
「頬にキスもダメなの?」
「急にはやめてくれ」
「フェリア・ガーディアが、お堅くて難しいって、嘆いてたよ」
「甘くてちょろいよりは、ましだ」
真面目に返すジーンにハンはもう一度笑ってから、「
「リラ帰っちゃったの?」
眠たげな様子で、パジャマでリビングに出てきたレオーネを、ジーンは軽く抱きしめる。
「明日、リョウの家で一緒に過ごそうって誘われた」
「行きたいなー。ジーンとツグミとリリアも行くんだよね?」
目を輝かせるレオーネに頷くと、嬉しそうにぎゅっとジーンに抱き付いてから、「お休みなさい」と部屋に戻って行った。ソファに腰掛けてタブレット端末を操作しながら、見るともなく年末のテレビ番組を付けていると、リリアが部屋から出てくる。ごく自然に膝に乗ったリリアに「重い」と告げて、ジーンは「失礼ね!」と怒られた。
「ツグミ、まだ帰ってこないの? 年が明けちゃうよ」
ちらりとリリアが見上げた壁掛けの電波時計は、十一時を回っている。タバコを吸うからと、リリアを降ろして、ベランダに立ったジーンは冷たい風に赤い髪を晒して、シガレットケースからタバコを一本摘まみだす。親指と人差し指で摘まんで、火を付けて吸い込んだ。細く吐いた紫煙は、寒さで吐息まで白かった。
後ろから抱きしめられて、コートの中に体を入れられて、ジーンはゆっくりと上を向く。
「そんな薄着で! 風邪を引くってば」
しかも裸足だし!と言うツグミのコートの中で温められつつ、ジーンは吸ったタバコを筒状の銀色の携帯灰皿の中に突っ込んだ。タバコを処理したのを確認して、ツグミがジーンにキスをする。
「ただいま」
「お帰り。お疲れ様」
何度か軽い触れるだけのキスを繰り返して、ジーンとツグミはリビングに戻った。ソファではリリアが眠っている。
小柄なリリアの体を抱き上げてベッドに運んでから、ジーンはツグミと並んでソファに座った。ツグミが甘えるようにジーンの膝に頭を乗せてくるので、ジーンは短い髪をわしゃわしゃと撫でる。
「あんたと出会ってまだ一年経ってないんだと思うと、不思議な感じがするよ」
「私もだ」
ピアノバーで名前も知らないままに、存在だけおぼろげに知っていた時期はあったが、深く知り合ってからは九ヶ月程度しか経っていない。濃い九ヶ月だったとしみじみ思うツグミに、ジーンが乱れた髪を直すように優しく撫でてくる。
「今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします」
ばっと体を起こして改まったツグミに、ジーンは緩慢な動作で首を傾げた。
「こちらこそ」
小さく頭を下げたジーンを、ツグミは抱きしめる。
シャワーを浴びて、日付が変わってからしばらく何をするでもなく、そばにいてお互いにキスをしたり、触り合ったりしていたジーンとツグミだったが、1時前には一緒にベッドに入った。
「明日は休みだー!」
ベッドの中でジーンを抱きしめるツグミに、ジーンが真面目な顔で呟く。
「リョウのところに明日は行くから、今夜は……」
「そういう意味じゃないからね!」
リラを抱っこできないと困ると言うジーンに、ツグミが苦笑した。
「どうしたの?」
問いかけるツグミに、ジーンは小声で聞いた。
「ジーナが良かったら寄らないかって、メールをくれたんだが……」
「いいよ。レオーネ、お祖母ちゃんに会いに行こうか?」
声をかけられて、後部座席でレオーネが青い目を丸くする。
「お祖母ちゃん、いるの!?」
「私の母だ。嫌ならば……」
「会いたい!」
即答するレオーネに、リリアが笑った。
「ジーナはピアノ弾くんだよ。ジーンより上手かも」
「本当?」
期待する目のレオーネに、誰もダメとは言えなかった。
途中で花屋に寄ったジーンが、白いカサブランカの花束を買ってジーナのアパルトメントに行った。
「ようやく、孫を見せてくれたね」
扉を開けて歓迎するジーナに、レオーネがもじもじとツグミの後ろから顔を出す。
「僕、パパもママも両親いなかったから、お祖母ちゃんって初めて」
「ジーナよ。よろしくね」
部屋に入ると、年代物のグランドピアノの置いてある防音室があって、レオーネのテンションが跳ね上がる。
「弾いてもいい?」
「いいわよ」
許可を取って、レオーネは恐る恐るピアノの鍵盤に触れた。電子ピアノとは全く違う音色が流れる。
「すごいよ、ジーン。本物のピアノだ」
「ジーナ、一曲お願いしてもいいかな?」
「嫌よ。一緒に弾きなさい」
ジーンを手招きして、二つ並んだピアノの椅子に座らせてしまうジーナ。
「私は、ジーナほど腕がないし、なまらせてるから」
「言い訳はかっこよくないよ」
言われて、ジーンは楽譜を選んでジーナと共に弾きだす。途中、ジーンの方が付いて行けずに指が転んでしまったのも、レオーネは気にならなかったようで、連弾が終わるとジーナとジーンの背中に飛び付いていた。
「電子ピアノとはキーの重さが違う」
悔しそうに指を動かすジーンに、ジーナがくすくすと笑う。とりあえず、弾いている間全部を動画に納めたツグミは、この上なく満足そうだった。
「時々遊びに来てくれたら嬉しいわ。ピアノしかない家だけど」
ハッピーニューイヤーと、レオーネの額にキスをして、ジーナは名残惜しそうに一同を見送る。
「ラヴィーナを引き取ることができたら、部屋も足りなくなるし……いずれ……いつか、家を買って、一緒に暮らせたらと思ってる」
「気にしないで。私は私で自由に生きてる」
小さく呟いたジーンに、ジーナは緩々と首を振った。
シャワーも浴び終えて、レオーネもリリアも眠った深夜に、ベッドの上に座って真正面から見据えられて、ツグミはジーンの空色の目を嫌な予感を覚えつつ見つめていた。
「首と、ここら辺、見える位置に、キスマークか噛み痕を付けてほしい」
「そ、そういう趣味あったっけ?」
今度は誰に相談しようと慌てるツグミに、ジーンはゆっくりと説明する。
「ミルワースとの面会の時に、あの男を激怒させたいんだ」
「でも、ジーン、首苦手じゃなかったっけ?」
「ツグミなら平気だ……と思う」
シャンパンピンクのパジャマの襟元を大きく開けるジーンに、ツグミが恐る恐る首筋に唇を寄せた。ぎゅっと目をつぶって、明らかに耐えている様子のジーンに、心が鈍る。
「嫌なんだよな? ねぇ、ジーン、嫌ならやめよう?」
「平気だ」
遠慮しつつも、歯を立てると、ジーンの喉が悲鳴を堪えるようにひゅっと鳴った。ものすごい背徳感の中、ツグミはジーンの首筋と鎖骨のあたりに噛み痕とキスマークを薄く付ける。
「終わったよ? 大丈夫?」
鏡で痕が付いていることを確認してから、ジーンはほっと息を付いてツグミの腕の中にもたれかかった。
「じゃあ、次だ」
「ま、まだあるの!?」
復讐や目的のためならば、ジーンがかなり手段を選ばないタイプであると、ダニエル・リードの件で理解していたつもりだったが、予想外のことをされそうな気がして、ツグミは身構える。さっさとパジャマを脱いで、枕元に畳んで置いたジーンは、裸のままツグミに抱き付いた。
「ガーディアが……求め合ってする性行為は、楽しくて気持ちいいものであるべきだって……ツグミ、教えて」
掠れた誘う声に、ツグミが抗えるはずもなかった。
シャツの一番上のボタンまで留めて、赤いネクタイを締めて、スーツ姿で来たジーンが、白い布の手袋を付けているのに、セリカは驚く。
「大丈夫かい?」
「無駄に触れられたくないだけだ」
素っ気ないともいえるジーンの物言いに、本当に大丈夫なのかと思いつつ、セリカは刑務所の入り口で銃を預けて、ボディチェックを受ける。元々ジーンは銃を携帯していないので預けることはなくボディチェックだけ受けていた。
面会室に連れて来られたアンドリュー・ミルワースはジーンの姿を見て、薄い笑みを浮かべる。ストーカー、強姦、ジーンの殺人未遂に、余罪がかなり加わって、ミルワースの刑期はそれなりの長さになっていた。
「ジーン、今月は君の生まれ月だ。幾つになっても変わらず美しいね」
手に触れようとするミルワースに、素早くジーンは手を引く。セリカがテーブルの下で、ミルワースの脛を蹴った。
「気安く声をかけるんじゃない! 聞かれたことだけに答えろ!」
「女のヒステリーは嫌いだ。ジーンのように物静かで冷静ならいいのに」
「彼の名前は、ミスター・リード!気安くファーストネームで呼ぶんじゃない」
睨み付けるセリカの隣りで、ジーンは自然な動作でネクタイを緩めて、首元を開ける。首筋の赤い噛み痕に、ミルワースの目が釘付けになった。
「お前のコレクションを、誰に譲ったか……もしくは、誰が収集したか、答えろ、ミルワース」
静かなジーンの声に、ミルワースは歪んだ笑みを浮かべる。
「取り引きをしようじゃないか、愛しいジーン」
「取り引きができる立場と思っているのか?」
掴みかからんばかりの勢いのセリカに、ジーンは小首を傾げた。
「どんな?」
「君の手にキスをさせてほしい」
「なんだ、こいつ!気持ち悪い! リード、やめておけ!」
心から叫んだセリカだが、ジーンはミルワースに白い手袋を付けた左手を差し出した。手袋を外したところで、薬指にはまっているピンクゴールドの指輪を見て、ミルワースは動作を止める。
「どうせ、満足などさせてもらっていないのだろう?君は私でないと満足できない」
「若くて、大きいから、体はきついけど、とても優しいし、楽しんでいる」
ふわりと眼元を緩ませたジーンに、ミルワースは手袋を投げ付けて「面会は終わりだ!」と看守に声をかけた。
「いいのか、リード?」
「これが狙いだ」
ネクタイとシャツを正して、ジーンはセリカと共に刑務所を出る。
刑務所内でも、金さえあれば携帯端末を手に入れられる。早いうちに看守を買収してそれを手に入れていたミルワースは、苛立ちながら一人部屋で電話をかけていた。
「どうなってる、ケアリー?」
その声に電話の相手は困惑しているようだった。
『リードがそちらに行くように、仕向けましたが』
「私のジーンが、あんな卑猥なことを口にして……他の男に足を開いているなんて」
『そ、それは……』
気弱に声を震わせた相手に、ミルワースは一気に告げる。
「これ以上、私のジーンが汚される前に、始末をつけろ!」
通話を切ってから、ミルワースは携帯端末に保存してある、首に赤い布を巻かれた鮮やかな赤い髪の男性の裸体の画像を見て、目を細めた。
「通話の相手は、デイヴィッド・ケアリーだね。軍時代のミルワースの補佐官で、あまり軍人としての成績は良くなかったみたい」
情報解析をしてくれていたロザリンドに、ジーンがネクタイを外して、襟元を緩めて、息を付く。
「サイトの運営者も多分そいつだろうね」
顔を顰めるセリカに、ロザリンドが次々と情報を引き出した。
「今は軍を辞めて、自宅で仕事してるみたい。パソコン関係だね」
「じゃあ、当たりだな」
出動命令を出して、セリカは準備に走って行く。
「ロジー、ありがとう」
「うん、いいけど、ジーン、しばらくはシャツのボタン留めといた方がいいよ」
指摘されて、首筋の痕を思い出し、ジーンはいそいそとシャツのボタンを留めた。
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