5.クラブで十四

 警察ラボの職員であり、警官であるジーンが現場に出ることはほとんどないのだが、強盗事件で被害者や犯人の立ち位置、弾の軌道などを正確に調べてほしいと要請されて、年末の吹雪く中、ジーンはフェリアと共に乱射事件の現場であるガンショップに来ていた。

 銃を盗もうとした手口や撃ち殺された犯人の格好から見て、地元のギャングということは分かっていたが、黄色いテープを潜って血痕の残る店内に入ると、フェリアが既に死体の位置にダミー人形を置いて準備を始めていた。ジーンは壁の銃弾の痕一つ一つにポインタを刺していく。


「ツグミが首のところに痕付けてたけど、新婚はいいねー」

「ガーディア、セクハラだ」

「ごめんなさい」


 即座に謝ったフェリアに、ジーンはため息を吐いた。仕事もできるし、性格も明るいし、人懐っこいし、フェリアは悪い人間ではないと思うのだが、表現が直接的過ぎてジーンは苦手なところがあった。


「俺、犯人ね」


 最初に犯人が入って来て銃を撃った場所に立って、フェリアが指で銃の形を作って狙いを定める。タブレット端末で記録を引き出し、ジーンが読み上げた。


「レジにいた店主の足に一発」

「了解、ばぁん! とね」

「それから、悲鳴を上げた客の脇腹に振り向いて一発」

「はいはい」

「続いて、倒れて体を引きずりながら、銃を取った店主の額に一発」

「オッケー」

「店主の撃った銃弾は逸れて、天井に。奥から出てきた店員の肩に一発、倒れたところに二発」

「数が多くなってきてるな」


 確かめるように歩を進めながら、ダミー人形を撃つ動作をしていくフェリアに、ジーンが片手でそれを止めた。妙な空白に気付いたのだ。


「そこ」

「ここだな」


 多分、そこに引っ掛かりを感じたから、担当警官はラボに検証を頼んだ。弾の軌道が通っていてもおかしくない場所を、わざと犯人が避けていたような痕跡がある。その空白の場所にジーンが立った。


「続けよう」


 記録通りに検証を進めていくにつれて、その人物が銃撃戦の間中、ほとんど動かずにその場所にいたことが解明される。犯人は一人ではなかったということなのだろう。


「銃声を聞いた付近住民が通報してから、約十五分で警察が来て、一人の犯人を撃ち殺した」


 読み上げた記録に、フェリアが眉間に皺を寄せる。


「もう一人はどこに行ったんだ?」




 結果の記録写真を送っている最中に、電波が悪くなったのでフェリアが店内から出た。準備をしてくれたフェリアに変わって、ジーンはダミー人形とポインタを回収する。戻ってきた足音に振り返った瞬間、乱暴に髪を掴まれた。


「動くな!」


 意外に若い声に、ジーンは視線だけで相手を確認する。黒髪の二十歳前後の青年が、ジーンの背中に銃を突き付けていた。


「喋るな、歩け」


 両手を上げて無抵抗の意を示して、ジーンは裏口に向かう。多分、すぐにフェリアが気付いてくれるだろうとは思っていたが、銃口を背中に突き付けられている、という状況は気持ちのいいものではなかった。

 裏口の車に乗せられて、運転するように命じられる。その間も助手席の青年の銃口はしっかりとジーンを狙っていた。


「人を殺したことはあるのか?」

「うるさい、黙れ!」


 眉間に銃口を突き付けられて、ジーンは口を閉じる。警察官の資格は持っているが、尋問はジーンの得意とするところではなかった。

 車が走り出すと、彼はジーンに携帯端末を出すように命じ、それを渡すと、無造作に窓から投げ捨てる。追跡機能を警戒してのことなのだろうが、あれのストラップ気に入ってたのになどと、ジーンは場違いに思った。

 彼が、恐らくはもう一人の犯人なのだろう。しかし、犯人側の銃弾の施条痕から、事件に使われた銃は一種類と特定されている。もう一人の犯人は銃を撃つ必要のない地位にいたのか、それとも恐怖で撃てなかっただけなのか。張りつめた雰囲気でジーンの眉間に銃を突き付ける黒髪の青年からは、後者の雰囲気が漂っていて、油断させれば銃を取りあげられるかもしれないとジーンは機会をうかがうことにした。

 連れて来られたのは場末のモーテルで、コートに銃を隠したままジーンを狙って、彼はジーンを部屋に押し込める。


「撃ってないんだろう?」


 落ち着いたジーンの声音に、黒髪の青年は硬い声で答えた。


「俺は何もしてない……殺すなんて聞いてなかった……あんた、証明してくれよ」

「証明はできる。だから、銃を下ろせ」


 正面から黒髪の青年を見据えて、説得しようとしたジーンに、彼は黒い目でじっとジーンを見る。それから、空いている方の手で、携帯端末を取り出した。


「嘘ついてるんじゃないだろうな……都合のいいことを言って」


 言いながら、彼は携帯端末の録画ボタンを押して、角度を決めてテーブルの上に設置する。


「ズボンと下着を降ろして、ベッドに両手を付け」

「そういう画像を撮っても、脅しにはならない」

「いいから、言う通りにしろ!」


 引き金にかけた指に力がこもったのに気付いて、ジーンは僅かに陰鬱な表情になって、ズボンと下着を降ろして言われた通りにベッドに両手を付いた。


「あんたの動画をネットで見たことがある」


 背中にのしかかりながら、耳元で囁かれてジーンは「私は変態誘発フェロモンでも出しているのか」と胸中で独り言ちる。ベルトを片手で上手く外せず、銃口が背中から離れる気配がした瞬間、ジーンは振り向きざまに肘を彼の股間に的確に打ち込んだ。

 声もなく悶絶する彼の手から落ちた銃を拾い上げ、ズボンと下着を上げながら、うずくまった彼の眉間に銃口を突き付ける。


「私は機嫌と気分が悪い。下手な動きを見せたら、容赦なく撃つからな」


 告げて、彼の携帯端末を取って、録画を中断し、ジーンはフェリアに連絡を取った。




 駆け付けた制服警官は、迅速に黒髪の青年を逮捕して連れて行った。車から降りてきたフェリアが、ジーンに駆け寄る。


「大丈夫だった?何もされてない? 一人で残したらいけなかった……本当にごめん」


 心配そうにジーンの顔を覗き込み、心底申し訳なさそうに謝罪するフェリアに、ジーンは「何もされてない」と短く答えた。


「顔色がものすごく悪いよ……病院に行く?」


 助手席にジーンを乗せたフェリアに、ジーンは黒髪の青年の携帯端末を黙って渡す。映し出されている動画に、フェリアは顔色を変えた。


「ちょっと……なんだこれ! あいつ、殺してやる!」

「未遂だ。それより、ラボに帰りたい」


 証拠品だからと消さなかったそれを、怒りに顔を歪めて証拠袋に入れて、フェリアは車を運転してラボに戻る。事件を聞きつけたのか、ラボではアージェマーがジーンを待っていた。


「大丈夫か?」

「アージェマー……あまり平気じゃない気がする……」

「安定剤は?」

「前の分は全部処分した」


 使わなくなったから安定剤を処分したというジーンに、「調書は後にして、病院に行った方がいい」とアージェマーが助言する。


「そんなに酷い顔をしているか?」

「表情がなくなってる」


 付き合いがそこそこになって、仲のいい友人であるアージェマーにも感情が読めないような表情を今しているのかと、ジーンは自分の顔に手をやった。回収された携帯端末に連絡が入って、ジーンはそれを受ける。


『リード、先に言うが断って構わない。あの下衆野郎が、リードとなら話をするってだんまりを決め込んでて……義務じゃないから、断って構わない』


 セリカからの電話に、ジーンは額に手をやった。頭の芯が鈍く痛むような気がする。


「署の方に向かう」

『本当に、すまないね』


 脱いだばかりのコートを着て、ジーンはエレベーターに乗り込んだ。




 署の入り口で待っていたセリカは、被害者でも扱うように丁寧にジーンに説明をした。取調室の隣りの別室で自分たちが見ていること、必要ならばツグミを呼んでも構わないということ、顔を見て無理そうならすぐに中断して構わないということ。


「少しだけ、ツグミに会って来てもいいか?」

「部屋を一つ空けてる。そこで、ツグミは待ってるよ」


 促されて、ジーンは被害者などが調書を取るのを待つ間に、落ち着くための小さな部屋に入った。落ち着かない様子で部屋を歩き回っていたツグミが、ジーンの姿を視界に入れて、駆け寄る。セリカは席を外してくれた。


「ジーン」


 大丈夫とも、何があったとも聞けないでいるツグミの腕をジーンが掴む。引っ張って、自分の背中にぴたりとツグミの体を引き寄せて、後ろから抱きしめられているような格好にするジーン。普段あまり背中は触らせたがらないので、ツグミは驚いたようだが、されるがまま、ジーンを優しく抱きしめた。


「安定剤が欲しい……のと、本当に何もされてないと記録に残したいから、終わったら病院に行きたい。一緒に来てほしい」

「分かった。早退届を出しとく」


 了承したツグミの腕の中で目を閉じて息を吐いて、ジーンは少しの間、全身から力を抜いていた。




 取調室では、手錠で拘束された黒髪の青年、ゴードン・ベケット、19歳が憮然とした表情で椅子に座っていた。マジックミラーになっている隣りの部屋で、セリカとハンが待機している。


「赤毛のあんた! 俺が撃ってないって証明できるって言ったよな」

「撃ってないことは証明できるが、警察官の連れ去りと、強姦未遂は免れない」


 淡々と告げるジーンに、ベケットは必死に取り繕った。


「情報があるんだ。取り引きさせてくれよ」

「強盗に関する情報か?」


 尋問も交渉も得意ではないので、単刀直入に問いかけたジーンに、ベケットは下卑た笑みを浮かべる。


「あんたの、だよ」

「……どういう、意味だ?」


 ダニエル・リード逮捕の時の動画が出回っているので、ある程度のことは覚悟の上だが、そんなに自分は有名なのだろうかと僅かに戸惑ったジーンに、ベケットは言葉を続けた。


「アングラにあんたのファンサイトみたいなのがあるんだ。結構古い画像から、すっごいのまで、集まってて、かなり賑わってる。俺も、何度も世話になったよ」


 目の前で、自分の画像を性的対象にしたと告げられて、ジーンは表情を無くす。元々表情が薄いのでそれに気付いていないのだろう、ベケットは饒舌に語り始めた。


「髪が短くて若い頃のあんたの画像から、色々あるんだ。サイトのパスワードも全部教えるから……」


 バンッと激しい音を立てて、取調室の扉が開いて、ものすごい勢いでセリカが入って来る。緩慢な動作で彼女を見上げるジーンの二の腕を掴み上げて、セリカは問答無用で廊下に引きずり出した。


「リード! 聞こえてるか、リード!」

「聞こえている。私は正気だ」

「誰か、ツグミ・ギアを呼んで来い!」


 怒鳴り声に似たセリカの命令に、近くにいた制服警官が駆け出す。


「本当に悪かったね。胸糞の悪い思いをさせて」

「シェンナのせいではない。それよりも、彼が発砲していないことは真実だ」

「リード、自分のことを考えてくれ。頼むから」


 そんな手の届かないところに消え失せそうな顔はしないでくれと、セリカは嘆くように呟いた。


「サイトに付いては調べておく。情報はメールする。ツグミ、リードはしばらく休ませた方がいい」


 着替えて準備していたツグミが迎えに来たのに、ジーンを引き渡して、セリカは「早く病院へ」と二人を送り出す。ツグミの車の助手席に乗ったジーンは、膝の上で手を組んで空色の目でそれをぼんやりと見詰め、一言も喋らなかった。




 病院で検査をして、全身の記録を撮り終えて、ジーンが衣服を整えている間、ツグミはアケビに呼び出されていた。


「怪我は一切していないし、性的暴行の痕跡もなかったよ。そこは安心して、ツグミ」


 空いた診察室で二人きりで話されて、ツグミはほっと息を吐く。信用していなかったわけではないが、ジーンが自分との関係がおかしくなることを懸念して、何か隠していないことに安心した。


「ただ、前のこともあるし、かなり、精神的にはぶり返してると思うのよね……ツグミも休暇をとって、休ませてあげた方がいいかもしれない」

「そうするよ、ありがとう」


 礼を言うツグミの体を、アケビが軽く抱きしめる。


「あなたもショックよね。カウンセリングには、二人とも行きなさい」

「予約しとくよ」


 素直に頷く弟に、アケビは「しっかりね」と激励を送った。




 いつもより少し長めのシャワーを浴びて、出てきたジーンがタブレット端末でセリカからのメールを確認していたツグミの手元を覗き込んで来たので、ソファの隣りを空けて、ツグミは一緒にタブレット端末を見られるようにした。ベケットの言葉通り、そのサイトが存在したこと、そのサイトの管理者を情報班が探していることなどが、メールには書かれていた。

 サイトに載っていたという画像を確認して、ジーンは僅かに眉間に皺を寄せる。肩の上までしか髪を伸ばしていない若いジーンの寝顔の画像が、そこに映されていた。


「二十四、五の時だ……ジャンマリーが軍基地で盗撮して、売りさばいてた」


 その後で、ジャンマリーを泣くまで蹴って、データを消させて、買った相手を全部吐かせて全部データを消させたのだが、この時代の画像を持っている相手の心当たりといえば、嫌な名前に辿り着く。

 ミルワースがジーンを襲ったのは、ジーンが二十九歳の時。もうすぐ六年が経つ。それよりももっと前からジーンを狙っていたのだとしたら、ミルワースがこの画像を持っていてもおかしくはなかった。

 ミルワースの持っていた画像が誰の手に渡り、どうしてここに存在するのか。

 それ以外の画像は、ラフェーリあたりでも探し出せたものだが、これだけは、何かが違うとジーンの直観に訴えかける。


「ミルワースに面会をして、聞きたいことがある」

「それは、駄目だよ。ジーン、あんたは今、安定剤が必要なくらい不安定なんだから、無理をしちゃいけない。この件はセリカに任せよう?」

「私が、聞きたい」


 珍しく強く言い切ったジーンに、ツグミはタブレット端末を置いてその体を抱きしめた。


「薬を飲んで、休もう? 少し落ち着いてから、今後のことは考えよう」


 もうすぐリリアとレオーネも帰ってくるし、あまりにも不安定な姿は見せられないと、ジーンに安定剤を飲ませてベッドに連れて行ったツグミに、ジーンはその袖を引く。言葉は出なかったが、求められたことを理解して、ツグミはジーンの額と頬にキスをして、抱き締めてベッドに横になった。

 ぎゅっと体を縮こまらせて、ツグミの腕の中でしばらく強張っていた体が、緊張がほどけて、穏やかな寝息が聞こえるまで、ツグミはその髪を優しく撫でていた。

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