5.スペードで十三枚

 警察署の署長室に呼ばれたツグミは、緊張した面持ちで署長の前に背筋を伸ばして立っていた。昇進試験の結果は、署長から直々に告げられる。


「ツグミ・ギア、よく頑張ったな」

 その後に続く、「だがbut」の言葉を覚悟していたツグミだったが、端末に送られた結果に薄い色の目を見開く。ぽんぽんと肩を叩かれて、ツグミは署長に軽くお辞儀をした。



 署長室から出てきたツグミに、ロザリンドとジョエルが駆け寄ってきた。カイは育児休暇に入っているので、署で年の近い仲のいい警察官といえば、この二人しかいない。


「どうだった?」

「気を落とすな、ツグミ」

「ジョエル! もう落ちたことにしないの!」


 問いかけるロザリンドに、もう慰めに入っているジョエルが叱られた。にやりと笑ってツグミは左手でピースサインを作った。


「受かったのか?」


 今日はハルバート班は内勤なのだろう、後ろから覗き込んだヴァルナが、心底意外そうに目を丸くする。


「ギアは根性があるから、受からないと言えば受かる、そういう奴だ」


 さらりと述べたアスラに苦笑を向けてから、ツグミはいそいそと携帯端末で報告のメールを打つ。


「そしたら、研修に行かないといけないね」


 おめでとうと言いつつ、どこか心配そうなロザリンドに、ツグミはハッとする。落ちることしか考えていなかったが、昇進後には泊まり込みの研修があった。期間は二日だが、その間、家事能力というか……生活能力の低いジーン、リリア、そして、幼いレオーネを家に残しておくことになる。家庭優先で育児休暇をとっているカイが、昇進試験を受けたがらない理由に思い至って、ツグミは頭を抱えた。



 仕事を定時で上がったのだろう、駐車場でツグミを待っていたジーンの体をツグミは抱きしめて、抱き上げてしまう。バランスを崩して落ちないように、ジーンは反射的にツグミの首にしがみ付いた。


「昇進おめでとう」

「ありがとう」

「お祝いは何がいい?」


 問われて、ツグミは少し迷った後に、ひっそりとジーンの耳元に囁く。


「ロザリンドと、ジョエルと、ステーキ食べに行く約束して、仕事上がるの待ってるんだけど……一緒に、来てくれる?」


 ステーキという言葉に、一瞬ジーンの体が強張った気がしたが、すぐに感情の薄い空色の目を伏せて頷いた。レオーネの晩ご飯は、仕事が遅くなる日はツグミが作って冷蔵庫に入れているものを、リリアが温めて一緒に食べているので心配はなかった。好き嫌いを克服しようとしているジーンは、最近はある程度食の幅が広がった。だが、サンダルの底のような分厚く大きなステーキを食べられるとは思えない。


「別のに、変えてもらおうか?」

「大丈夫だ」


 目を合わせずに答えるジーンに、ツグミが苦笑する。


「無理しなくても……」

「ツグミも若いんだから、肉をガッツリ食べたいよな」


 射撃訓練以来、妙にジーンに突っかかるジョエルの笑顔に、ロザリンドが「すごく美味しいお店なんだよ」と目を輝かせていた。


「店の場所を私の端末に送ってくれ、ロジー」

「了解」


 端末を操作するロザリンドに、ジーンが地図を受け取って場所を確認する。髪を括っていたシュシュを外してポケットに押し込み、ヘルメットを被って、バイクに乗るジーン。先に出ると指先で示して、駐車場からバイクを出した。


「ジーン、食べられるのかな?」

「マッシュポテト食べてたらいいんじゃないか?」

「ジョエル、ジーンにはすっごく意地悪だね」


 ロザリンドに指摘されて、ジョエルは苦笑する。


「赤毛で……あれが兄さんだったらどうしようとか、ちょっと思って……」

「年齢が合わないよ!?」


 ジョエルがイギリスから合衆国に国籍を移してまで探している腹違いの兄が、ジョエルと生まれ月が三か月しか違わないと聞かされているツグミのツッコミに、ジョエルはため息を付いた。


「探しても、探しても、たどり着ける気がしないんだ」


 弱音を吐いたジョエルに、ツグミがその背中を撫でる。癖のある赤い髪を引っ張って、ロザリンドも元気付けた。




 ツグミが研修で家を空ける初日の昼休みに、ラボの喫煙室で携帯端末を開いたジーンの視界に、少し前に届いたメールが入る。ちょうどツグミも研修の昼休みらしかった。吸っていたタバコを灰皿に押し付けて消して捨て、ジーンは通話ボタンをタッチする。

 二コール目の途中で、通話は繋がった。


「ジーンだ」

『ジーン! ツグミだよ。変わりはない?』

「半日も経ってないのに、変わりがあるはずがない」


 素っ気ない物言いに、電話の向こうでツグミが息を吐くのが分かる。


『早く帰りたい……』

「しっかり、研修を受けて来い」


 激励して通話を切ろうとするジーンに、ツグミが慌てて言った。


『好きだよ、ジーン! レオーネとリリアにもよろしく伝えて!』

「私が仕事を上がったらな」


 今度こそ通話を切って、ジーンは喫煙ルームから出る。休憩室で弁当を広げようとして空いている椅子に座ると、金髪に緑の目の男性とも女性ともつかない中性的な美人、フェリアが人懐っこく笑いながら隣りに腰掛けてきた。


「それが、噂のツグミのお弁当?」

「噂になっているのか?」

「あ、ごめん、言葉のあやっていうか、俺が、一度見たかっただけだよ」


 あっさりと訂正して、興味深そうに弁当箱を覗き込むフェリアに、ジーンは「あなたの昼食は?」と問いかける。


「俺? 実はまだ、あまり固形物が食べられなくて、ゼリー飲料で済ませたよ」


 感情の薄い空色の目でフェリアを凝視したジーンに、フェリアは平たい腹を撫でた。


「信じられないよな?俺も二回目だけど、全然信じられない。ここに赤ん坊入ってたんだぜ」

「傷は塞がっているのか?」

「一応、皮膚の再生治療は受けた」

「アージェマーといい……そこまでして、仕事がしたいのか」


 若干呆れた風情を見せたジーンに、フェリアが綺麗なエメラルドグリーンの目を瞬かせた。


「リードも人のことは言えないんじゃないか?まぁ、俺のは半分は意地だけどね」


 どちらでもあるという性別で、気分の悪い思いもしてきたであろうフェリアの言葉に、ジーンはため息を付く。


「後ね、俺、おっぱい出ないの。見ての通り、つるんぺたんだろ? 乳腺ないらしくてさ、だから、俺が見ても、カイが見ても同じ。平等なんだ」


 それならば人員が潤沢にいる警察署よりも、人員不足の警察ラボの職員であるフェリアが職場復帰するのを、二人で話し合って選んだというフェリア。包み隠さぬ大らかな物言いに、ジーンは僅かに戸惑ってしまう。


「リードもツグミと子どもを持つ決断をしたんだよな。子どもは体調を崩しやすいし、仕事を休まないといけない日も多いから、ある程度は覚悟しておいた方がいいよ」

「……忠告、心に留めておく」

「かったいなぁー! もっと明るく行こうよ、仲良くしようって!」


 自分より体格のいいフェリアに背中を叩かれて、ジーンは前のめりになった。思ったよりも身が薄くて、衝撃に弱いジーンの体付きに触れて気付いたのか、背中を撫でようとする手を、ジーンは遠慮した。


「あまり、触られるのは好きじゃないんだ」

「そうなんだ。あ、そうだよな、ごめん、俺、結構、無神経っていうか、大雑把で」


 ようやく事件のことに思い至ったらしいフェリアに、ジーンは疲れのようなものを覚えながら、もそもそとお弁当を食べる。復帰したフェリアに、警察ラボは賑やかになりそうだった。




 何時になってもいいから、部屋に戻ったら電話をしてほしいとツグミからメールが入っていて、ジーンは指紋認証のロックを開けて、部屋に入った。日付は変わりかけているが、リビングに灯りが点いていて、テレビがついていて、深夜の通販番組が流れている。長いソファでリリアとレオーネが抱き合うようにして眠っていた。


「ただいま、リリィ、レオーネ。遅くなってすまなかった。ここで眠ると風邪を引く。ベッドに……」


 声をかけると、眠たげに目を開けたレオーネがジーンの細い腰に抱き付く。


「おかえりなさい、ジーン」


 強くしがみ付かれて、ジーンはレオーネの癖のある前髪を掻き上げて、額にキスを落とした。目を覚ましたリリアも続いて抱き付いてくる。


「ジーン、遅い」

「すまない」


 謝るジーンをリリアは上目遣いに見上げた。


「ツグミ、早く帰ってこないかな……」

「研修も仕事だ」

「仕事は……大事だけど」


 むくれたリリアに、ジーンは定時に帰れなかったことを心底詫びる。忘れていたわけではないが、ツグミがいないからといって、もうすぐ18歳のリリアがそんなに寂しがるとは思わなかったのだ。


「ジーンは寂しくないの?」


 リリアとレオーネの視線を受けて、ジーンは携帯端末を手に持つ。レオーネを膝に乗せて、リリアの肩を抱いて、ジーンはツグミに電話をかけた。

 数回のコール音の後、慌てたような風情でツグミが出る。


『ごめん、寝てた!』

「ツグミ! 僕、お弁当全部食べたよ」

『レオーネ。明日には帰るから』


 電話の相手がジーンでないことと、この時間にレオーネが起きていることに驚いている様子のツグミ。リリアがレオーネの手から携帯端末を受け取って、話し出す。


「ジーンがすっごく寂しがってる!早く帰って来て!」

「寂しいのはリリィだろう?」

「違いますぅー!ジーン、自覚ないけど、連絡しても会えない時は、寂しいから自分から連絡したがらないでしょ」


 指摘されて、ジーンは黙り込んだ。


『ジーン? ジーン? 声を聞かせてよ?』

「ジーンは聞くと寂しくなるから、出られないって」

「言ってない」


 淡々と否定するジーンに、リリアが携帯端末を押し付ける。受け取って、ジーンは黙り込んでしまった。


『誰? 今、携帯持ってるの、誰?』


 電話の向こうでツグミが困惑している。


「明日は定時に上がって待ってる」


 小さく呟いて、通話を切ったジーンにリリアが半眼になった。


「ツグミじゃなかったら、ジーン捨てられちゃうよ。まぁ、捨てられたら、私と結婚すればいいけどね!」

「リリィは妹だ」


 冗談めかしたリリアに、真面目に答えるジーン。レオーネが毛布を抱き締めて、「今日は一緒に寝てもいい?」とジーンを見上げた。リリアも同じようにジーンを見上げる。


「私の妹と息子は……」


 僅かに呆れたような声音を出しながら、ジーンは二人を纏めて抱き締めて、一緒にツグミの部屋のキングサイズのベッドに連れて行った。


「ジーンが寂しいから、一緒に寝てあげるだけなんだよ」


 小首を傾げるリリアに、ジーンは毛布を被せて「いいから寝ろ」と額にキスをする。



 翌日の夕方、研修を終えて帰って来たツグミは、ジーン、リリア、レオーネの三人に迎えられた。

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