2.ダイヤで十三枚

 養子縁組支援団体に指定された施設の面談室で、長い説明を受けてから、ツグミとジーンは候補の子どもと会うことになった。最初は里親からで、月に一回監査と面談があって、それを半年クリアしないと正式な養子縁組は結べない、というのがこの支援団体の決まりだった。また、養子縁組を結んでからも、三か月に一回は監査が入る。

 同性のカップルということで警戒はされているのだろうが、どちらも警察関係者ということで、スタッフの対応は柔らかだった。警察の信用もそれほど落ちていないのかと苦笑しつつ、ツグミはジーンと一緒に子どもと面会する部屋に入った。

 可愛らしいぬいぐるみや色合いのはっきりしたソファなどが配置されたそこは、どこか保育園や幼稚園を思わせる。そこに、数名の幼児がスタッフと一緒に遊んでいた。

 担当のスタッフが手招きすると、赤い髪の3歳くらいの女の子を抱っこしたスタッフが近付いてくる。女の子は丸い緑の目でジーンとツグミを見つめていた。


「ラヴィーナ・ベガです」


 スタッフが紹介すると、女の子、ラヴィーナはこてんと首を傾げる。


「パァパ?」


 ツグミが手を伸ばしてラヴィーナを抱きしめた。


「俺たちが君のパパになってもいいかな?」


 緑の目を丸くして、ラヴィーナはツグミを見上げている。


「ジーン、可愛いね」

「そうだな」


 相変わらず反応の薄いジーンに、ツグミは小声で問いかけた。


「やっぱり、乗り気じゃなかった?」

「いや、どの子でも私のところに来たらちゃんと愛するよ」


 硬い物言いに、ツグミはため息を付く。


「ラヴィーナがどんな生活をしてたか、見ていきたいな」


 少しでもジーンの反応を出そうと、担当スタッフに頼むと、担当スタッフは施設内を見せてくれた。小さな子どもの見守りのできる寝室、プレイルーム、運動のできるホール……。

 ホールから響いてきた拙いピアノの音に、ジーンは足を止めた。担当スタッフが苦笑する。


「レオーネ、ピアノに勝手に触ってはいけないと言っているでしょう。今は、宿題の時間のはずです」


 ホールの奥の古びたアプライトピアノをつま弾いていた、金髪の少年は声をかけられてびくりと肩を震わせた。


「普段は鍵をかけているのですが、あの子はピンで空けてしまうので」


 ため息を付きつつ、少年、レオーネを部屋に戻そうとする担当スタッフを片手で制して、ジーンは歩み寄った。レオーネはどこかぼんやりとした目でジーンを見上げていた。


「カノンを弾いていたな」

「うん……楽譜がなくて、続きが分からないんだ」


 青い目でジーンを見上げたレオーネの隣りに、ジーンが立つ。そっと鍵盤に指を置いて、最初から最後まできっちりと弾いた。


「おじさん、ピアノ弾けるの?」

「プロではないが、弾ける。私は、ジーン・リード」

「レオーネ・ブローシュだよ」


 挨拶をしてから、レオーネはぱたんとピアノの蓋を閉じる。


「ラヴィーナを養子にするの?」

「まだ決めていない」

「小さい子の方が好かれるんだって。僕はもう九歳だから、馴染むのに時間がかかるし……パパとママのことを話したら、帰されちゃった」


 ぽつりと呟くレオーネに、ジーンはツグミをちらりと見た。ラヴィーナを抱っこしていたツグミは、ジーンにとにかく頷いて見せる。


「私の後ろにいるのが、私のパートナーのツグミ・ギア。楽譜は私が持っている」


 ジーンの物言いに、レオーネは青い目を瞬かせた。


「ラヴィーナじゃなくて、僕を、選んでくれるの?」

「できれば、二人とも引き取りたいけど、制度的に一度に二人は無理だし……ラヴィーナは他にも求めてる人が出てくるかもしれない、そうなんだろう?」


 小さなラヴィーナは、一番にジーンたちに紹介されたように、あの馴染みやすい年齢は人気なのだろう。両親のことを覚えているとも思えない。だが、はっきりと両親の記憶があって、年上のレオーネに同じ数だけの機会が与えられるとは限らなかった。


「幸い、うちはどっちも男性だから、パパと呼ぶと混乱するので、名前で呼べばいい」

「パパとママのこと、話してもいいの?」

「話したければ」


 静かに頷いたジーンの顔を、レオーネは信じられないように見上げている。担当スタッフにラヴィーナを渡して、ツグミがレオーネに近寄った。


「俺はツグミ・ギア。俺の大事な人が、君を気に入ったみたいなんだ。ちょっと、俺は若くて頼りないけど、この人は大丈夫。俺たちと暮らしてみない?」

「ピアノを、弾いてもいい?」

「もちろん」


 答えたツグミに、レオーネは慌てて担当スタッフの顔色を窺った。


「レオーネは年齢も高いですし、ギアさんは若いですし……すごく、扱いやすい子どもというわけではありません。何度も返されれば傷付くのは、子どもの方です」

「ラヴィーナなら大丈夫という確信もないけど、ジーンはレオーネを気に入ったみたいなんだ。あのね、あの人が誰かを気に入るのはとても珍しいから」


 お願いしますと頭を下げられて、完全に計画が狂った風情の担当スタッフは、ため息を付いていた。けれど、結局ツグミが根気強く説得して、次の休みにレオーネを里子として引き取ることが決まり、順調にいけばそのまま養子縁組ができるようにことを運べそうだった。



「ツグミは女の子が欲しかったのなら、すまない」


 ゲストルームをレオーネのための部屋に改装しながら、ジーンはぽつりと呟いた。電子ピアノはそのままその部屋に残すことにする。ベッドもそのままだが、壁紙を貼り替えて、勉強机や衣装ケースも準備して、子どもが暮らせる状態に整えられる部屋。


「女の子はリラがいるし、俺も、どっちがとか考えてはなかったんだ。それより、ジーンが気になる子どもが一番でしょ?」

「気になるというか……分からないけど、気が合いそうな……」

「ジーンと気が合うってなかなかいないって」


 ジーンが求めて子どもにしたのならば、そして、レオーネもまた求めてくれたならば、それは限りない幸福な出会いではないのだろうかとツグミは思っていた。

 施設からもらってきたレオーネの画像を携帯端末に映して、ジーンは小さく微笑んで見つめていた。




「れ、レオーネ・ブローシュで、す」

「わ!写真で見たよりも可愛いね。私はリリアだよ。ジーンの妹で、レオーネのおばさんに……あーおばさんになっちゃった!」


 ショックを受けて、なぜかロザリンドにメールで報告するリリアに、ツグミが笑い出す。


「ツグミの姉のリョウだよ。こっちが、娘のリラ」


 抱いていた赤ん坊を屈んで見せるリョウに、レオーネが目を丸くした。


「私はアケビ。ツグミの姉よ。よろしくね、レオーネ」


 握手を求めるアケビに、レオーネは小さな手を差し出す。


「おじさ……ジーン、みんなで暮らしてるの?」

「いや、ここには私とツグミとリリアだけだ」


 レオーネの歓迎会にハンも来たがっていたが、仕事で来られなかった。しかし、来ていたら人数の多さにレオーネはますます混乱したかもしれない。ハンには悪かったが、また今度紹介しようと決めるツグミ。

 部屋に案内されて、レオーネはまず電子ピアノとジーンが揃えた楽譜に飛び付いた。


「パパはね、ピアノが上手だったんだ。ママはパパのピアノで歌うのが好きで……ごめんなさい」


 興奮して目を輝かせたレオーネが、急にしゅんと肩を落として、ジーンが小さな体をそっと引き寄せる。


「謝らなくていい。レオーネの大事な人なら、私たちにとっても大事な人だ。たくさん聞かせてほしい」

「うん……でも、死んじゃったんだ……。怖い人たちが家に入って来て、パパは、僕に、クローゼットに隠れていなさいって、言って……」


 涙ぐんだレオーネの前髪を掻き上げて、ジーンが額にキスを落とした。


「守ってくれたのか。勇敢なお父さんだったんだな」

「レオーネ、話したいことはなんでも話していいから。隠したいことは隠していいよ。でも、好きな人ができたら、相談に乗ったりしたいかも」


 金髪を撫でながらゆったりと微笑むツグミに、レオーネは涙を拭いて頷く。


「泣いてもいい。でも、抱き締められるように、できれば、そばで泣いてほしい」


 抱きしめられて、レオーネは鼻水を啜りあげて頷いた。

 許可を取って、自分の部屋に両親と自分が映っている写真を飾るレオーネに、「そういうのは遠慮しなくていいから!」とツグミが涙ぐんで言った。



 クリスマス、というものはどこも賑やかになる代わりに、犯罪率も上がり、警察関係者は忙殺される。


「クリスマスなんて嫌いだ……」


 続けざまの出動要請に、ツグミは半眼になっていた。


「普通に美人の恋人と、いちゃいちゃするだけのクリスマスって、ないものかな」


 ティーバッグの紅茶を啜る元イギリス人、現在は合衆国国籍のジョエル・J・ランカスターは、夜勤からの日勤で、寝ていない上に自慢の赤毛も乱れている。


「うちには、可愛い息子がいるのに!」


 突っ伏したツグミに、カイが明るく笑った。


「帰るまでは、リョウが面倒見てくれてるんだろう?保育園の延長保育でお怒りの、うちのジェイク様よりはましだよ」


 笑うカイの目が、全く笑っていない。産み月に入っているパートナーのフェリアが入院中なので、息子のジェイクはカイが戻るまで保育園に預けられっぱなしで、最近、荒れてきたと頭を抱えていた。


「リア充め」

「目移りしまくるジョエルと違って、俺は一途なんで」


 警察学校にいた時期にフェリアと出会って、結婚を決めてしまったカイの言に、ジョエルは口ごもる。射撃の腕も確かで、この年齢にしては異例の出世をしているエリートのジョエルだが、女癖が良くないことでも有名だった。仕事関係の女性には絶対に手を出さないが、それ以外ではかなり浮名を流しているらしい。


「俺も一途なんで」


 肩を竦めたツグミに「羨ましくないからな……てか、あの鬼をよく……」と呟き、ジョエルは次の出動要請に出て行った。入れ替わりにサキが入ってくる。


「あー疲れた」


 さすがのサキも、ひっきりなしの出動要請にお疲れのようだった。


「サキー!」


 ゴム鞠のように飛び跳ねて、一直線に飛び付いてきた小さな体を、サキは受け止めた。いつの間にか、娘のリラをツグミも気付かないうちに腕に預けて、リョウがサキに熱烈なハグをしている。ぎゅっと抱き付いて、両頬に軽くキスをして、ようやくリョウは満足して離れた。


「育休中だろう?こっちに出向いてくるとは珍しいね」

「リラを保育園に預ける手続きをしてきたんだ。職場に早く復帰したいから」


 そのついでに寄ったというリョウに、「あまり無理しないんだよ」とサキが苦笑する。


「サキに用事があって来たの。リラの名付け親として、洗礼式に、ぜひ出てほしくて」


 日程を携帯端末から送るリョウに、サキは「この出動要請の嵐が過ぎればね」と笑っていた。




 クリスマスプレゼントはとベッドの中で問いかけるツグミに、ジーンは緩々と首を振る。


「レオーネが来てくれた。充分だ」

「結婚して初めてのクリスマスだよ? そりゃ、ジーンより稼ぎも貯蓄も少ないけど、何か贈らせてよ」


 大きなベッドの真ん中で、ぴったりとくっついて抱き合って、ひそひそと話すジーンとツグミ。掠れたジーンの声はあまり大きくなく落ち着いているので、つられてツグミも穏やかな声になる。


「レオーネとの関係が落ち着いて、無事に養子縁組ができて……まだ、ラヴィーナがあそこにいたら、迎えに行きたい」


 自分のところに来れば誰でも愛すると言ったジーンに嘘はなかったらしく、ツグミが幸せそうに抱いていた小さなラヴィーナを、ジーンは忘れていなかったようだ。暖かな我がままに、ツグミは胸がいっぱいになって、ジーンの顔にキスを降らせる。


「明日、養子縁組支援団体に、連絡してみる」


 一度には無理でも、順を追って二人目を迎えたいというのは、決して無理なことではないだろう。ツグミは新米だが、一応収入があるし、ジーンもラボでは新米だが残業代を含めるとツグミの倍近い収入があった。経済面では問題はないし、レオーネの監査をクリアしていけば、信用も築ける。


「ツグミは?」


 欲しいものはと問われて、任せるとジーンの趣味で可愛いものになりそうな気がして、ツグミは悩みだした。タブレット端末を買い替えたいとか、パソコンのスペックを上げたいとか、実用的なことしか思い浮かばなくて、ツグミは腕の中のジーンをわしゃわしゃと撫でながら、大いに悩む。こういう悩みは、幸福な部類に入るのだろう。

 小さな音がして、部屋の扉が開けられて、ジーンはツグミの腕から逃れてベッドに身を起こした。ぽつんとレオーネが扉の前に立っている。


「大きな音がして……パパとママが……」


 怖い夢を見たのだろう、涙目になっているレオーネに、ジーンが手を差し伸べた。


「おいで」

「もう、大きいから……」

「大きくても、俺とジーンは一緒に寝てるよ。いいよ、レオーネ、こっちにおいで」


 ツグミに促されて、レオーネはジーンとツグミの真ん中におずおずと体を横たえる。抱きしめるジーンの薄い胸板に顔を埋めて、小さく嗚咽を漏らすレオーネ。その後ろから、ツグミがジーンごとレオーネを抱きしめた。

 しばらくすると、レオーネは落ち着いたのか、寝息を立てていた。そっと体を離そうとすると、パジャマの胸をしっかりと握られていて、ジーンはレオーネの額にキスをする。

 身を乗り出したツグミが、ジーンの額にキスをして、ごろりと寝返りを打って二人を解放した。


「ジーンがすっかりお父さんだ」

「お前もだろう」

「あんたさぁ、好き嫌いなくそうか」


 好き嫌いは子どもに影響すると言われて、ジーンは黙って寝たふりを始める。その様子にツグミが苦笑した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る