第三部

1.クラブで十三枚

 買い替えたベッドはツインのキングサイズで、男性二人が寝ても充分な広さがあった。長身で大柄なツグミはともかく、ジーンは小柄なのでキングサイズでなくてもいいだろうと言うジーンを押し切ったのは、一つ考えがあってのことだった。


 養子をもらおうと、ツグミは真剣に考えていた。もちろん、子どものいない夫婦はたくさんいるし、その選択を否定することも、差別的に考えることも、もちろんツグミはしなかったが、リョウとツグミとリラとハン……そして、リリアと過ごすジーンは戸惑っているようだが、やはり少し嬉しそうで、両親との子ども時代はほぼなかったと分かっているジーンに、家族を持ってほしいと思ってしまった。ツグミはジーンのパートナーであり、姉や姪達も家族であると思っている。けれど、それ以上をツグミはジーンに持ってほしかった。


 小さな家族が来れば、寂しい時には一緒に眠りたいと言うかもしれない。運び込まれたベッドは部屋の三分の一を埋めたが、ツグミはあまり気にしていなかった。結婚祝いにリリアが作った夕焼け色のキルティングのベッドカバーをかけて、ベッドメイクするとツグミは満足して部屋を出た。


 早くジーンと一緒に寝たかったが、仕事がオフのツグミと違い、ジーンは連続殺人事件の犯人を追っている班からの依頼で、最近はやたらと忙しいようで、ツグミが眠ってから戻ってくることもよくある。そういう時は、ツグミを起こさないためなのか、ストレスでタバコを存分に吸いたいのか、ジーンは自分の部屋で眠ってしまう。前のように酷い不眠症からは解放されたようだが、時々眠そうにしているのは働きすぎているからだけじゃないとツグミは思っている。


「寂しいのは、俺だけなのかな」


 呟いて、ツグミは車の鍵を手に取った。昇進試験の勉強で忙しいので、ツグミも休日にできることはしておかなければいけない。養子縁組のサポート団体にも連絡を取らなければいけないし、空っぽの冷蔵庫も満たさなければいけない。

 計画を立てながら、ツグミはエレベーターに乗り込んだ。



 眼科医はジーンの母親くらいの年齢の柔和な女性だった。検査を終えて、ジーンは診察室に入る。警察の定期検診で視力が落ちているのは分かっていたが、それがどこら辺まで抑えられるのかは、重大な問題だった。楽観視はできないが、日常生活を送れる程度に視力が残ればいいと、絶望視もしていない。

 電子カルテを操作しながら、検査結果を見て、眼科医は穏やかに告げた。


「視力低下は、今のところ緩和状態ですね」

「今のところ、というと?」


 確認するジーンに、彼女は困ったような表情になる。


「原因が分かっていないのです。網膜も水晶体も問題はありませんでした。恐らくは、短期間に受けたストレスのせいではないかと、推測しているのですが」


 心当たりがありすぎて、ジーンは僅かに顔を顰めた。ストレスで人はどんな病気にもなるという。癌になった症例だっていくつもある。


「カウンセリングは受け続けているのですか?」

「いや、最近はもう受けていない」

「そうですか……とにかく、症状は進んではいません。裸眼で生活できる範囲でしょう。そもそも、現代人にしては、ミスター・リードは視力が高い方でしたし」


 そんなに大急ぎでスナイパーを辞めることもなかったのかもしれないと思ってから、ジーンは現在の仕事を思って息を吐いた。細身だ小柄だ華奢だと言われるが、元々軍育ち、体力はある方なので、ラボの仕事にハードさは感じていない。時々睡眠不足にはなるが、不都合なくやれていると思う。残業の多さに、アージェマー共々主任に呼び出されたのも、あまり気にしていなかった。


「精神科医でも、カウンセラーでもありませんが、ストレスが原因だとすれば、症状が落ち着いているということは、現状の精神状態が落ち着いているということなのでしょうね」


 ちらりと左手薬指の指輪を見られて、ジーンは自分の指にはまるシンプルなピンクゴールドの指輪を見つめる。小さな砂利のようなダイヤモンドが埋め込まれたそれは、ツグミと一緒に選んで買ったもの。


「安心した、ありがとう、ドクター」


 礼を言って、ジーンは受信結果のデータを自分の端末に受け取って、病院を出た。支払いは警察の組合の保険で賄われるらしい。

 ツグミとアージェマーに、結果をメールしてから、ジーンはバイクでラボに戻った。




 個人的に頼んでいた検査結果が端末に届いて、ジーンはしばらくその結果を見つめていた。まだ働き始めて2か月とはいえ、警察ラボで仕事をしているので、結果を読み違えることはない。無表情にメールを閉じたジーンの視界に、喫煙ルームに向かっているのであろう、シガレットケースを手にしたアージェマーが入る。ジーンも白衣を脱いで、シガレットケースを持って、ぺたぺたとサンダルで歩くアージェマーを追いかけた。


「新婚旅行の土産をありがとう」


 横に並ぶとアージェマーに言われ、ジーンは小さく頷く。


「野菜が、検疫の関係で持ち込めなかったんだ」

「別にベジタリアンではないのだがな」


 最初にカリフラワーを渡してから、ジーンからのアージェマーへの贈り物はほとんど野菜と決まってしまっていた。ダニエル・リード事件の時には、ジャックオーランタン型に飾ったカボチャを渡した。

 今回はそれができなかったので、リンゴに黒猫が寄り添うガラス細工の小さなオルゴールを贈ったのだった。新婚旅行でツグミと観たオペラのアリアの流れるオルゴール。外側と曲を奏でる中身のパーツを選べる工房で、ツグミと一緒に選んだ。ロザリンドには白い小さな天使の形のオルゴール、サキには小さな黄色い小鳥の形のオルゴール。男性陣には酒でいいと、ツグミが選んでいたので、ジーンは見ていただけだった。


「甘いハネムーンだったみたいだな」


 にやにやとからかわれて、喫煙ルームでタバコを咥えつつ、ジーンは目をそらす。初日の失態に付いては誰にも話していないのに、ツグミの表情から何か感じ取っているものは多いようだった。


蜜月ハニー・ムーンだ、甘いものじゃないのか」

「そういうことが言えるようになったとは」


 大仰に驚いたアージェマーに、ジーンは話題を変える。


「アージェマー、犯罪的遺伝子が存在して、それが引き継がれる、という学説に付いてどう思う?」

「暴力的傾向が遺伝するというのは、かなり有力らしいが……ダニエル・リードの件か?あなたにそういう傾向があるとは思えないが」

「何人もの人間を平気で殺しているのに?」

「何か、検査を頼んでいたな。良くなかったのか?」


 問われて、あっさりとジーンは首を左右に振った。


「全く。でも、不安にならないわけじゃない」


 ツグミが養子をもらおうと言った時、ジーンの頭を過ぎったのはそれだった。自分は父親と同じことをしないだろうか。


「私には友人がいるんだ」


 突然のアージェマーの言葉に、ジーンは不思議そうに目を瞬かせる。


「ジーン・リードと言って、忍耐強くて、仕事ができて、少し愛想はないが、いい奴なんだ。……もう少し自分を信じてもいい」


 冗談めかした後に真面目になるアージェマーに、ジーンは少しだけ笑って「ありがとう」と小さく礼を言った。


「アージェマー、リード、ここにいたの!? たまには定時に帰ってよね!」


 二人を探していた主任に怒鳴られて、アージェマーとジーンはタバコを咥えて顔を見合わせた。




 残りの仕事を夜番に任せて、強制的に帰らされたジーンは、部屋に戻るや否や、目を輝かせて飛び付いてきたツグミを受け止めきれずに思い切りよろけた。勢い余ったと慌ててツグミが、ジーンを支える。


「今日は早かったね。解決したの?」


 嬉しそうなツグミに「まだだが、証拠物件は揃ってきて、追い詰められてると思う」と答えて、ジーンはオレンジ色のコートを脱いだ。スナイパーをやっていた時は、目立つ色は着られなかったが、ジーンが赤やオレンジ、ピンクが好きと、ツグミは少しずつ好みを把握してくる。恐らくはミルワースから逃げ回っていた時期は、着るものを選ぶ余裕もなく、また、目立たないように目立たないようにしていたのだろう。最近は薄ピンク色のシャツを着ていたりして、それが似合っているので、ツグミは我がことのように嬉しかった。

 自分の好きなものを着られず、自分の好きな場所に定住できず、どれほど心をすり減らしたのだろう。それを思うと泣きたいような気分になるツグミだが、せっかく夕食前にジーンが帰って来てくれたのに、めそめそしている場合ではない。

 一緒に長いソファに腰掛けて、タブレット端末で養子縁組支援団体のページを開くツグミ。


「ジーンさえよければ、次の休みにでも会いに行こうかと思ってて」

「……ツグミはいい父親になりそうだ」


 あまり乗り気ではないジーンに、ツグミは眉を下げた。


「あんたも、そうだよ。リリアがどれだけあんたを慕ってると思う?」

「リリィは妹だ」

「でも、お父さんよりお父さんだったって、前に言ってたよ」


 大きな手に肩を撫でられて、ジーンはツグミを間近から真っ直ぐに見る。


「私は、あの男の遺伝子を引き継いでるから、元々、子どもは作らない、結婚はしないつもりだった」

「俺が男性じゃなかったら、してなかった?」

「多分」


 素直なジーンに、「じゃあ、俺は男性で良かったな」とツグミが笑った。


「あんたはさ、気にしすぎだと思うよ。そういうこと気にしてたら、リリアはどうなるんだよ」

「リリアは、ダニエル・リードの子どもじゃない」


 はっきりと口にしたジーンに、ツグミが目を丸くする。

 リリアの母親、アデーレが逃げたと聞いた時、ジーンの中でくすぶっていた違和感が確信へと変わった。

 結婚するまでは優しかったダニエルが、暴力と独裁で支配し始めた時に、もしも、優しくしてくれた相手がいれば、アデーレは必ずその相手によろめいただろう。その結果として生まれたのがリリアで、それをダニエルが知っていれば、復讐として、そして歪んだ愛の発露として、リリアに異様な執着を燃やしてもおかしくはない。


「私だけなんだ、ダニエル・リードの血を引くのは」


 だから、自分が最後にすれば続かないと、淡々と告げるジーンの肩を、ツグミが抱きしめた。


「俺が女性だったら、俺はあんたの子どもが欲しいと思ったし、あんたが女性でも同じことを思ったよ。お願いだから、俺の大事な生涯の伴侶を、貶めるようなことは言わないでくれよ」

「ツグミは優しいから……」

「あんたは、強くてかっこいいだろ。俺とあんたは同じじゃなくていいんだよ」


 別々の視点から、別々の立場から、子どもを愛せると、静かに告げたツグミに頷いてから、ジーンはその肩にもたれかかった。


「リリィに、このことを告げる時に、一緒にいてくれるか?」

「いないわけがないだろう!」


 当然と鼻息荒くするツグミに、ジーンは僅かに笑ったようだった。



「ロジーロジーー! 私、ジーンと血がつながってなかったのー!」

『え!?そうなの?似てるのにね』

「うん。あーもっと早く知ってたら、ツグミじゃなくて、私がジーンと結婚するんだったのにー」

『あ、そういう結論に至っちゃうんだ』

「え? ショックじゃなかったわけじゃないけど、ジーンはジーンだし、ジーンが私のこと大事なの知ってるもん」

『そっか。それなら良かった』


 その夜、ロザリンドに電話をしてはしゃぐリリアの声が、リリアの部屋から長時間聞こえたとか。

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