後日談『連合軍の勝利』 ハネムーン
――連合軍とは、ナポレオンと副官を除くプレイヤーのことである。
――ナポレオンの宣言した枚数を、ナポレオンと副官で取れなかった場合、連合軍の勝利となる。
新婚旅行は、ジーンの希望もあってヨーロッパに出かけた。博物館にオペラ、観光とスケジュールをいっぱいの旅行に、ジーンも心なしか飛行機の中で嬉しそうだった。忙しい時期だったが、新婚旅行の休暇を与えないわけにはいかないと、ラボも警察署も配慮をしてくれたらしい。リリアを残していくのは心配そうだったが、リョウが責任をもって預かると言っていたので、ジーンも旅行の計画に乗ってくれた。リョウはリラがもう少し大きくなって、飛行機に乗れるようになってから新婚旅行の計画を立てているようだ。
ジーンは結婚式以来、時々母親と連絡を取っているようで、先日も連弾をするとか言って出かけて行っていた。自分を置いて行った母親に恨みがないのかと問われたようだが、あの父親から逃げられて、しかも無事で今まで生きていてくれたことの方が、ジーンにとっては嬉しかったようだった。
技術が進んで時間が短縮されたとはいえ、長時間のフライトに疲れていないはずはないと、到着した日は何の予定も入れず、ホテルに直行する。折角の新婚旅行なので、少し贅沢をしようと予約したホテルは上品で、部屋もバスルームも広かった。
「窓から街並みが見えるよ」
興奮気味に窓際に駆け寄ったツグミに、ジーンも寄っていく。いつも見慣れたものと違う、古くからの街並みを保存してある光景に、二人はしばし見入った。時刻は夕暮れに差し掛かり、斜めになった赤い日が街を夜へと導いている。
「ジーンとの初旅行がハネムーンだなんて」
感動に打ち震えているツグミに小首を傾げて、ジーンは部屋の小さな冷蔵庫を開けた。ガス入りのミネラルウォーターのペットボトルを手に取ろうとするジーンに、ツグミがそれを止める。
「下のレストランで予約をとってるんだ」
その後はバーに行こうと手を差し出すツグミに、「ドレスコードは?」とジーンはオレンジのコートに襟を立てて第二ボタンまで開けたいつものシャツという自分の格好を見下ろした。
「平気だよ。ネクタイしろなんて言われない」
「そうか」
繋ごうとした手をあっさりと無視されて、ツグミはめげずに肩を抱こうとするが、逃げられてしまう。ジーンが探している場所に見当がついていたので、ツグミはホテル内案内図をタブレット端末で開いて、すぐにそこに連れて行った。
喫煙ルームでタバコを吸って、ようやく寛いだ雰囲気になるジーン。飛行機内だけでなく、ホテル内も喫煙のマナーが厳しかったので、かなりの時間我慢していたようだ。そんなに量を吸う方ではないが、続けて二本吸って、満足げに喫煙ルームから出てくる。一緒にいたいのだが、ジーンはツグミに副流煙を吸わせたがらないので、喫煙ルーム前の革張りの椅子で待っていたツグミは、戻ってきたジーンに立ち上がった。
レストランは高級な雰囲気だったが、形式ばった様子ではなく、先に告げていたジーンの偏食をアレルギーや宗教食と同じように対応してくれていて、ツグミもジーンも安心して食事ができた。少し値段は張ったが、我がままの効くところを選んでよかったと、ツグミは心から安心する。
ロゼのシャンパンで乾杯して、特別なフルコース(肉も魚もない)を食べて、ツグミとジーンはバーに移った。
ピアノの生演奏が流れるホテル最上階のバーでは、一面ガラス張りの窓から夜景が見える。ツグミはビールを、ジーンは赤ワインを飲みながら、チーズを摘まんでゆったりと過ごしていた。
「明日は博物館と、オペラ観劇だから、深酒するなよ」
「少しくらいでは酔わない」
機嫌がいいのか、ボトルの赤ワインをペース早く飲んでいるジーンに、ツグミが苦笑する。今までは飲んでいた薬の関係であまり飲んでいるところを見たことはなかったが、前に赤ワインが飲みたいと言っていた通り、赤ワインが好きなのだろう、白い頬をほんのりと赤らめて、いつもの表情の分かりにくい淡い中、どこか幸せそうにしているジーンに、ツグミも嬉しくなる。
「ゴルゴンゾーラも蜂蜜をかけたら、意外とえぐみがなくなるよ?」
「遠慮する」
「たまには食べてみたらいいのに」
素っ気ない返事に、笑って喋っていると、キャミソールドレス姿の二人組の女性が席に近付いてきた。赤いドレスの黒髪の方がツグミに微笑みかける。
「観光ですか?良かったら、一緒に飲みません?」
黒髪の女性の後ろで、金髪の女性がちらちらとジーンを見ていた。
「申し訳ないけど、ハネムーンなんで、この人と二人きりで飲みたいんだ」
「あ……ごめんなさい、お邪魔しました」
恥ずかしそうに言って、女性たちは離れていく。ワイングラスに口を付けたジーンが、夜景を見下ろしながら「もてるな」と小さく呟いた。
「いや、あれは、ジーン狙いだよ」
やや不愉快になりつつ呟いたツグミに、ジーンが空色の目を瞬かせる。
「まさか」
「あんた、自分がそれだけかっこよくて、色気があって、きれいなのか、自覚してないだろ?」
「そういうことを言うのはツグミだけだ」
すっとグラスを傾けて、一気に飲み干してから、ジーンはツグミの体に自分の体を寄せた。肩を抱いて密着しても逃げられず、ツグミの方が驚いてしまう。ツグミを真っ向から見つめる空色の目が誘っているような気がして、ツグミはそっとジーンの唇に自分の唇を重ねた。
ワインとタバコの香りの口づけ。
顔を離すと、ジーンはまだツグミを見ている。
「ジーン?」
「それで、おしまい?」
酔っているのか、口調が少し幼くなっているジーンに、ツグミはガラステーブルの上のボトルを持ち上げた。案の定、空になっている。一本も飲んだのかこの人はと思いつつ、ツグミはジーンを支えるようにして立ち上がった。
「部屋に戻ろう」
「あるけない」
「じゃあ、支えるよ」
体を支えようとした腕に抱き付かれてしまって、ツグミはそのままジーンを抱き上げる。普段ならば、降ろせと言われそうだが、今日は黙ったままツグミにしがみ付いていた。
部屋に戻って、靴を脱がせてベッドに寝かせると、思ったより強い力で腕を引かれる。覆いかぶさる格好になって、ツグミは間近でジーンを見た。
「あんた、ものすごく酔っ払ってるだろ?」
「しらない」
「水をとってくるから、飲んで少し覚ました方がいいよ」
「いやだ」
「嫌だって、あんたなぁ」
呆れるツグミを引き寄せて、ジーンはちろりと出した舌先でツグミの唇を舐める。完全に誘われていると分かって、ツグミは上着を脱いだ。
「ハネムーンなんだろう?ぜんぶ、ツグミがして?」
僅かに甘えたかすれ声に、抗うことなどできるはずもなかった。
目を覚ましたジーンが勢いよく起きようとして、腰を押さえてベッドに突っ伏す。眠っていたツグミも、傍らの動きに目を覚ました。
「大丈夫か?」
「だいじょうぶ、じゃない」
いつも以上に掠れた弱々しい声で言われて、さすがに無茶をさせすぎたとツグミは反省する。だが、ツグミに甘えるジーンの姿は、あまりにも愛しすぎて、本能が理性を焼き尽くすには充分すぎた。
「動ける?ごめん……あんた、あまりに可愛かったから、つい」
「もうすぐ三十五歳に可愛いとか言うな」
「……昨日のこと、覚えてる?」
問えば、ジーンの顔がほんのり赤くなったので、全部覚えているのだと察するツグミ。黙り込んでしまったジーンに、ツグミは手を貸す。
「シャワー浴びようか」
その間にベッドメイクをお願いしようとサービスの番号を押すツグミに、ジーンは顔を見せたくないのかツグミの胸に顔を埋めていた。
「今日、博物館とオペラだけど、行けそう?無理なら、どっちかキャンセルするけど」
「行く。時間ギリギリまで寝て、回復する」
どちらもジーンが行きたがっていたので、いい張るジーンにツグミが微笑む。
「動けなかったら、俺が抱いて行こうか?」
「這ってでも行く」
「あんたなぁ」
シャワールームの中でツグミに洗われながら、ジーンはひたすら「行く」と言い張った。
「俺がいる時以外でアルコール摂取禁止ね」
笑いながらジーンを洗うツグミに、ジーンは俯いたまま答えなかった。
午前中にはなんとか動けるようになったジーンは、その日、ツグミと博物館とオペラ観劇に行った。オペラの途中で、だるそうにツグミにもたれかかって来たのも、ツグミは幸せに受け止める。
新婚旅行はまだ4日残っていた。
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