10.ダイヤで十五枚

 すぐに退院できたので、ツグミは翌日には普通に出勤していた。よほど反省しているのか、口数の少ないジーンはツグミが入院している間中、付き添っていてくれた。偏食なジーンはいつもの輪をかけて食欲がなく、経過観察されているツグミの方が心配になるほどだった。

 あまり近寄らず、病室の椅子で腕組みをしてほんの少しまどろんだだけのジーン。リリアのことはロザリンドに頼んだと言っていたので、ツグミも安心していた。

 警察署に出勤すると、ツグミは上司たちに囲まれてしまう。


「大丈夫だった?」


 新生児がいるためと、ツグミに投与されていた薬がそれほど危険なものではなかったために、お見舞いに来られなかったリョウから言付かったと、ハンが近付いてくる。


「逮捕出来て良かったけど、動画がネット上に広がってて、情報班が対処に追われてるよ」


 苦笑したのはアートだった。


「あたしは、胸がすく思いだったけど……ツグミには、つらかっただろうね」

「俺より、ジーンがショック受けてるみたいで」


 慰めるようなサキの言葉に、一同に声もかけずにまっすぐにロザリンドの元に向かったジーンをツグミは見た。策略に乗せられたとは思ったが、ツグミはもう怒ってはいない。ジーンにはジーンなりの考えがあって……多分、昇華できなかった怒りと憎しみがあって、そのことを相談もされなかったのは悲しかったが、ジーンが深く反省していることは分かった。


「ジーン、リリアは高校に送っといたよ」

「本当にありがとう」


 目を伏せて静かに言うジーンに、ロザリンドは有無を言わせずハグをする。


「今度から、絶対に相談してね!」

「分かった」


 勢いよく飛び付かれてよろけたジーンに、後ろからヴァルナの手が体を支えた。


「タバコ臭い……肺がんになって死ぬぞ。まぁ、あの脅し文句は悪くなかったな」

「脅しではない、本気だ」


 言いながら、ジーンはヴァルナの手を引っ張って、くるりと自分と体を入れ替える。必然的にヴァルナはロザリンドの腕の中に入ることになった。


「うわっ! やめろ! 匂いが付く!」

「私が臭いみたいに言わないで!」


 言い合うヴァルナとロザリンドを置いて、ジーンは署の奥に大股で歩いていく。


「ロザリンド」


 ツグミに声をかけられて、ロザリンドはツグミを見上げた。


「どう思う?」

「分からないけど、前に戻っちゃったみたい」


 最初の他人を拒絶したような雰囲気が戻っていると指摘されて、ツグミはため息を付く。


「俺は気にしてないんだけどな」

「ツグのこと、大好きなんだね」

「やっぱり、そう思う?」

「わっ! 肯定した!」


 にやけたツグミに、ロザリンドは明るく笑った。


「ところで、一つ、お願いがあるんだけど」

「結婚祝い?」

「そんな感じ」


 頼みごとをして、ツグミはロッカールームで着替えをする。


「ツグミ・ギア、カウンセリングの予約をとれ」


 ロッカールームを覗いてかけられたアスラの上司命令に、ツグミは「はい!」と元気よく答えた。あれだけの経験をすれば、カウンセリングを義務付けられても仕方ない。


「ジーン・リードにも伝えておけ」

「了解です!」


 答えてから、アージェマーから変えたカウンセラーとジーンが仲良くやっているのか、気になるツグミ。踏み込まれるのは好きではないかと思って、まだそういうことも聞いていない。

 聞きたいこと、話したいこと、見たいもの、まだまだたくさんある。


「これから、ずっと一緒なんだし、大丈夫かな」


 楽観的に呟いて、ツグミは制服に着替えた。


 ジーン・リードの異動が告げられたのは、ツグミがジェレミーとのパトロールから帰ってからだった。




 休憩室に集められたラボの職員の中で、アージェマーだけがにやにやとしていた。そのアージェマーよりもやや小柄な赤い髪の男性、ジーン・リードは視線を受けて、口を開いた。


「ジーン・リードだ。弾道検査と施条痕検査が専門だが、実地での経験はまだないので、指導願いたい」

「彼の論文は素晴らしかったよ。ガーディアは今も抜けてるが、またいつ抜けても構わないような体制を作っておけというお達しでね。実地経験はないらしいが、優秀なスナイパーだったそうだから、弾道検査に関しては、期待していいと思ってる。……ていうか、なんでもやってもらうけど」


 万年人不足のラボに新人が来たと、職員は色めき立つ。


「あの論文は私も目を通したが、悪くなかった」

「アージェマーにしては最上級の褒め言葉か?」


 ちらりと空色の目を向けたジーンに、アージェマーは僅かに眉を潜めた。


「視力の方はどうなんだ?」

「一応、無理をしなければ、日常生活をできる程度で抑えられそうだ。コンタクトは苦手だが、眼鏡は似合う気がしない」

「悩むのはそこなんだな」


 スナイパーとして決定的な問題として、ジーンは自分の視力が急激に下がっていることを、スナイパーが受ける定期検査で知った。年齢的なものかとも思ったが、眼科医に相談するとそれほど楽観的なものではなかったらしい。ただ、今すぐに失明する危険性はないし、日常生活に支障がない程度の視力は残るだろうということだった。


「視力に関しては、現代病ともいえるからな」


 パソコンやタブレット端末が流通し、ほとんどの紙書類が資源節約のために消えたこの時代においては、液晶画面と何時間も睨み合うのは日常のこととなっている。


「ツグには話したのか?」

「色々あって……異動のことも、まだ」

「こじれるぞ?」


 やや楽しそうな気配のアージェマーに、ジーンは半眼になった。


「もう、こじれてる気がする」


 それを聞いてアージェマーが笑う。


「左手薬指に、指輪を光らせて何を言う」

「……これ、ちょっと、可愛いよな」


 ほんのりと嬉しそうに左手の薬指を見たジーンに「ツグに言ってやれ」とアージェマーは笑った。そして、ふと真顔になって手を差し出す。


「ラボへようこそ」


 その手をジーンはそっと握り返した。




 ラボでの初日を終えて、帰ろうと駐車場に降りたら、バイクのところでツグミが待っていた。後ろめたい思いが湧き上がって立ち止まったジーンに構わず、ツグミは駆け寄ってジーンの体をしっかりとハグする。


「ラボ職員に採用されたんだって? おめでとう!」

「……あ、ありがとう」


 怒ってないのかと上目使いでツグミを見たジーンに、ツグミはにこにこと笑いかけた。


「人を撃ち殺すたびにカウンセリングにも行かなくてよくなるし、ジーン、やりたかったんだろ?」

「研究職に付きたかったのは、確かだ。でも、視力が落ちてきていて、スナイパーは続けられないと言われた」

「相談してほしかったな」

「すまない」


 明らかに肩を落とすジーンに、ツグミは俯いたつむじにキスをする。


「ジーンが決めたことだから。それより、いつも通りに戻ってくれよ。また、遠くなったみたいで悲しい」

「いつも通りの定義が分からない」

「……あんたらしいよ。リョウが式の日取りを決めたいから、帰りに寄らないかってメール来てたから、待ってたんだ」


 リョウという名前に、ジーンの纏う気配がますます沈んだ。


「ねぇ、ジーン。リョウもアケビも俺も怒ってないよ」

「怒ってくれた方が、気が楽だ」


 ジーンは呟いて、バイクの鍵を取り出す。




 警察が手を回しても広がりが止められなかった、ジーンのダニエル逮捕劇の動画は、もちろんリョウの目にも入っていたらしい。ツグミがリリアを迎えに行っているので、先にリョウの家に着いたジーンは、問答無用でソファの正面に座らされた。ベビーベッドでリラが眠っている。


「二度としないで」

「謝って済むとは思ってない」

「そういう問題じゃないの。ツグちゃんが危ないことになったのも、嫌だけど、私は、あなたが危険なことに巻き込まれるのも嫌。ジーン、忘れないで、ツグミと私は姉弟だし、ツグミのパートナーのあなたは、私にとっても家族なの。世界中で見世物になんてされたくない。粗末に扱わないで!」


 警察署で一つの班を率いるというだけあって、リョウの眼差しも物言いも力強かった。


「分かった」


 頷いたジーンに「ならいいよ。この話は終わりね」とリョウはすぐに表情を切り替える。アイスティーをジーンに渡して、キッチンでアケビとハンが晩御飯を作っているのに、ジーンが立ち上がって手伝おうとしたら、アケビに止められる。


「ジーンは座ってて」

「家族なら、私もできることはしたい」


 言ったジーンに、ハンがゆったりと微笑んだ。


「じゃあ、リラを見ていてくれる?」


 キッチンからリビングに戻って、ジーンは椅子を引き寄せてリラのベビーベッドの近くに座る。覗き込むと、リラがハンによく似た李色の目でジーンの方を見ていた。指先でおでこを撫でると、目を瞬かせる。


 リリアが小さな頃から、違和感を持っていた。時々こっそりと実家に帰った時に、リリアは大抵庭で遊んでいた。友達と遊ばないのかと聞いたら、学校以外の外出は禁じられていると答えた。父親のことを聞いたら、「パパはエスパーなんだって。おうちにいなくても、リリィのことはぜんぶわかってるっていってた」と答えられて、違和感が確信に変わった。

 早くリリアを家から出さなければ、あの男の手に堕ちる。軍を辞めてすぐにリリアを迎えに行ったが、ミルワースに妨害されて、それ以後、ほとんど連絡も取れなかった。

 手遅れになるかもしれないと思いながら、ミルワースから逃げるだけで精一杯で、心をすり減らして、遂に何も考えられなくなった。


「こうしてると、ジーンがお父さんみたい」


 いつの間にかツグミに連れて来られていたリリアが、ジーンに並んでベビーベッドを見下ろしていた。


「甥か姪がほしいか?」

「うん……でも、ジーンが幸せなのが一番」

「私はリリィが幸せなのが一番だ」

「ダメ! お兄ちゃんなんだから、ジーンが先に『幸せ』のお手本を見せてよね! 私はそれからでいいから」


 唇を尖らせたリリアを、ジーンは抱き寄せる。小柄なリリアはジーンの膝の上に腰掛けた。


「あのさ……ジーンとリリアが、構わないなら、養子を迎えてもいいと思うんだ」


 後ろから声をかけたツグミに、リリアは目を輝かせて、ジーンは不思議そうに首を傾げる。確かに同性のカップルが養子をもらうことは多いが、ツグミはともかく、ジーンは自分が父親になれるのだろうかと不安を覚えなくもない。


「考えてみて」


 答えないジーンに、ツグミは慣れた様子でそう告げた。




 パソコンの液晶画面を覗き込んで、白い髪に赤い目の小柄な男性と、金髪に赤い目の男性が爆笑している。それを後方で銀髪の男性が直立不動で見るともなくただ存在していた。


「うっわぁ、やっぱり、欲しいわー、ジーン・リード。ねぇ、ユーリちゃん、なんとかならない?」

「これは……あはははは!」


 何度も再生している動画の中で、赤い髪の男性が金髪の壮年の男性に、冷ややかに告げている。


「あー、最高。めちゃくちゃ欲しい、ねぇ、ユーリちゃぁん」

「甘い声を出すな、気持ち悪い」


 言いながら、金髪の男性も、堪え切れず吹き出していた。

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