9.クラブで十五枚
気が付けばツグミは見たことのない部屋のソファに座らされていた。頭の芯が痺れるような鈍い感覚があるが、意識はなんとか保っていられるし、視界も少しぼやけていたが目も見える。体が動かないのは、何か薬物を使われているせいだろう。声を出そうとしても、僅かなうめき声しか出ない。
「目を覚まされましたか?」
聞こえてきた声に、視線だけ動かしてツグミは悪趣味に笑う黒髪の男性を見た。その後ろで、金髪に青い目の男性が不機嫌そうにソファに腰掛けている。黒髪の男性は楽しそうにタブレット端末を操っていた。その画面をツグミに見える位置に持ってきて、くすくすと笑う。
液晶画面には、ソファに座ったツグミの映像が映っていた。角度からして、天井近くにカメラが仕込まれているのだろう。
「さて、どうしましょうか」
タブレット端末に映る映像に入り込むように、黒髪の男性はツグミのシャツに手をかける。それがボタンで開くものではないと分かって、当然のようにポケットから折り畳みナイフを出して、襟元から臍下まで一気に布を裂いた。肌に傷は付かなかったが、素肌が外気に触れてツグミは表情も動かせないままに、胸中だけで慌てる。
手袋の指先を噛んで引き抜いた男性が、素手でツグミの厚い胸板に触れて肌の感触を味わうようにゆっくりと撫でまわした。
「この体で彼を抱いたんですよね。羨ましいなぁ。少しだけ、私が借りたら彼はどんな顔をするでしょう?」
首筋に唇を寄せられて、ツグミは必死に体を動かそうとするが、指一本動かない。
「いい絵が撮れたかなー。待っていて下さいね、すぐに彼に送ります」
すっと離れてタブレット端末を操作し始めた黒髪の男性だが、途中で手を止めた。
「思ったより早かったですね」
形のいい唇に手を当ててぽつりと呟いた瞬間、扉が蹴破られる音がして、禿頭に入れ墨を入れてサングラスをかけた長身の男を先頭に、ジーン、アレックスが入ってくる。ソファから立ち上がった金髪の壮年の男性に、黒髪の男性は愉快そうにタブレット端末を覗き込んでいた。
「不法侵入だ」
「ははっ! ジーンの配偶者を拉致しといてよく言うよ!」
笑いながら、アレックスがツグミの前に立つ。
「いやー、ダニエル・リード大佐、お久しぶりだな。おかげで片目は失ったが、生きて帰ってきたよ」
禿頭の男も声を上げて笑った。
「発言には気を付けた方がいいのでは? この部屋の映像と音声は、世界中に配信されていますよ」
余裕の表情で告げた黒髪の男性に、ジーンはにっこりとこの上なく美しく微笑みかける。
「ダリル・ラフェーリ、私は警察官だが、自分が逮捕されるところを世界中に配信したいのか?」
「あなたはそんなことはなさいませんよ。何でもすると、仰ったではないですか」
剣呑なジーンの言葉に、ラフェーリと呼ばれた男は興奮気味に嬉しそうに言った。
「ジャンマリー、ツグミを」
ジーンの指示に、ジャンマリーがツグミを担ぎ上げて、カメラに入らない位置にずれる。
「それで、勝ったと思うのか?」
金髪の男性、ダニエル・リードの言葉に、ジーンは冷ややかに告げた。
「まだお前がリリアを盗撮盗聴するくらいで、手を出してなくて本当に良かったと思っているが、リリアのプライバシーを侵害したことに付いて、私はお前を許す気はない」
「何を偉そうに。私はリリアの親だ」
「作って産ませただけで、育てもしないものを、親とは呼ばない。その上、育てば手籠めにしようと思っていた癖に。私はな、お前の下卑た視線がリリアに向いていることに、ずっと気付いていた。私が臆病だったから、対処するのが遅くなったが、ツグミのおかげで、覚悟もできた」
独特の威圧感のあるかすれ声を張り上げて告げるジーンに、ダニエルは不敵に笑う。
「立場というものを、理解していないようだな。私が持っているものを知っているだろう?」
それはリリアのプライベートな映像だったり、ジーンとミルワースの映像だったり、ツグミの兄のスサキの映像だったり……果てはツグミとジーンの映像だったりするのだろう。それを全部承知の上で、ジーンは自分よりかなり体格のいいダニエルの胸ぐらを掴んで、ツグミの座っていたソファにぽんと投げるように座らせた。
体格で勝っていても、老齢のダニエルと現役の警察官のジーンでは、腕力が違う。
「貴様、何を……」
「ショータイムだ、この×××野郎」
低く静かに告げて、ジーンは自分のシャツのボタンに手をかけた。
「何をしている! 助けないか、ラフェーリ!」
押さえつけるようにして覆いかぶさっているジーンに、ダニエルがラフェーリに助けを求める。しかし、ジーンはアージェマーから得た情報で知っていた。
ダリル・ラフェーリが極めて悪趣味であること。男性が性行為を強要されている映像を集めて、それを見るのが趣味であること。そして、何よりも。
「この映像は世界中に配信されているんだろう? どうする、ラフェーリ。止めるか?」
ちらりと空色の目で長し見ると、ラフェーリはタブレット端末を握りしめて、頬を紅潮させて明らかに興奮していた。
「配信を! カメラを今すぐ止めろ!」
「止めていいのか、ラフェーリ?」
問われて、ラフェーリが唾を飲み込んだのが、ジーンには分かった。追い打ちのように、ジーンは薄らと微笑みをラフェーリに向ける。
「大好きなんだろう、私みたいな華奢な男が、体格のいい男を組み敷いているのが。私に、抱かれたいんだろう?」
ラフェーリが手に入れた画像、動画の中で、全てジーンは抱かれる方だった。だからこそ、ラフェーリの趣味を知って、利用できると考えたのだ。ジーンがダニエルを抱けば、それに重ねて、ラフェーリは自分がジーンに抱かれている妄想ができる。その映像を撮り逃すような生半可な変態ではないと、アージェマーからの報告でははっきりと書いてあった。
「ラフェーリ! 何をしている!」
悲鳴のような声を上げるダニエルに、ラフェーリはしばらく興奮を抑えきれないように息を荒くしていたが、ややあって、頬を紅潮させたまま、はっきりと告げる。
「申し訳ありません、大佐」
死刑判決でも突き付けられたかのように、ダニエルの顔色が蒼白になった。そのシャツに手をかけながらジーンは静かに冷たく見下ろす。
「リリアの映像を全て消去するか、それとも、雌犬以下だと思っている息子に掘られるか、どちらか選ばせてやる」
ダニエルがどちらを選んだかは、言うまでもなかった。
「あー僕の大好きなジーン・リードが帰って来たよー」
「鬼畜ぶり健在で、安心しました」
喜ぶアレックスと冗談めかして敬礼するジャンマリーに、うんざりした様子で、ジーンはシャツを正す。そして、残りの処理を二人に任せて、部屋の隅に座らされているツグミに駆け寄った。
「ツグミ、すまなかった……すぐに救急車を呼ぶから、ごめん……本当にすまない」
いつもは感情をあまり宿さない空色の目が泣きそうな気配がして、ツグミは慰めようとするが手が動かない。
「本当に……あなたは、素晴らしい方です。心からお詫びを申し上げます。あなた達に関するデータも全て消去しましょう。だから……だから、一度だけ、抱いてもらえませんか」
心酔した様子のラフェーリに、ジーンは無表情になった。
「断る」
「たまらない……」
うっとりと呟くラフェーリに、アレックスが手錠をかけて連行する。データの処理を終えたダニエルも、連行されていった。
「ツグミ、本当にすまなかった」
自分の指輪を外して、ジーンはツグミの指にはまっていた指輪も外し、纏めてポケットに入れる。
「愛想を尽かして構わない。婚姻も、すぐに破棄できる」
薬のせいで言いたいことも、したいことも、何一つできないまま、ツグミは救急車で搬送されて行った。
搬送される救急車の中で意識を失って、ツグミが目覚めた時には、病室にジーンの姿はなかった。涙目のアケビがベッドに横たわるツグミを見下ろしている。
「アケビ、ジーンは?」
答えないアケビに、ツグミはまだよく動かない手を動かして、携帯端末を探す。ツグミの気持ちが分かったのか、アケビは何も言わず、ベッド脇のテーブルからそれを取って渡してくれた。
力の入らない手でどうにか操作すると、ジーンからのメールが一通入っている。慌ててツグミはそれを開いた。
婚姻届を出したり、リリアと三人お揃いの指輪を付けたりすれば、ダニエル・リードが動かないはずはないとジーンは予測していたこと。それを利用して、ダニエルの首根っこを押さえようとしたこと。ツグミを利用した上に、許してほしいとは言えないので、婚姻は破棄して構わない、引っ越し先が決まったらツグミの部屋の家具を全部送るということ。
読み終わって、ツグミはふつふつと腹の底から怒りが込み上げてくるのを感じた。それは、利用されていたからだけでも、そのためだけにジーンが自分に抱かれたかもしれないということだけでもない。
怒りと抜けきれない薬で震える指で、携帯端末を操作して、ツグミはジーンに電話をかけた。
「ツグミだ! 謝る気があるのなら、今すぐ、病室に来い!」
いつになく強く言って、一方的に通話を切ると、ほんの数分でジーンはツグミの病室に駆けてくる。不安そうで、身の置き場がなさそうなのに、やはりどこか薄いジーンの表情に安心しながら、ツグミは近くに来るようにと手招きをした。口を開くことなく、ぎこちなくジーンがツグミのそばに来た。
「俺の、指輪、返して」
言われるままに、ジーンは二つの指輪をツグミの手の平に置く。震える手で左手の薬指にはめようとして、ツグミは指輪を二つとも落としてしまった。床に転がる指輪を、ジーンが黙ったまま拾い上げる。
ツグミは怒りを滲ませたまま、左手を突き出した。少し迷ってから、ジーンがツグミの薬指に指輪をはめる。
「あんたのも、付けて」
「ツグミに?」
「違うよ!あんたにだよ!」
怒鳴るツグミに、ジーンはぎこちなく自分の指に指輪をはめた。それを確認して、ツグミはようやく長く息を吐く。
「俺を愛してるから抱かれたんじゃないのか? 俺を愛してるから、婚姻届にサインしてくれたんじゃないのか? 俺は信じない。あんたは、俺を利用するような奴じゃない」
「実際に、利用してたんだ。父親を逮捕するための餌にした」
指輪のはまった自分の左手を隠すように、右手で握りしめたジーンに、ツグミは首を振った。
「違う、あんたは、俺を愛してる! そうなんだよ!」
「そうだとしても、ツグミは、私を許さなくていい」
「馬鹿か! 本当に馬鹿だな、あんたは! 俺はあんたが好きなんだよ? 確かに、怒ってないわけじゃないけど、俺を助けに来たジーンに……惚れ直したよ」
はっきりと告白してから、ベッドに身を沈めてツグミは手を伸ばしてジーンの筋張った手を握った。
「俺を信じてよ」
少し弱々しくなったツグミの囁きに、ジーンの唇がわなないて、空色の目から涙が一滴零れる。
「ほら、泣くほど愛してるじゃないか」
呆れたように言って、ツグミはジーンの体を抱き寄せた。
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