8.スペードで十四枚

 黒髪に黒い目のラテン系の男性、ダリル・ラフェーリはタブレット端末の中で繰り広げられる暴行の動画を、うっとりと目を細めて何度も何度も舐めまわすように見ていた。時折、艶のある長くしなやかな真紅の布を首に巻かれて、ほとんど死んでいるような全裸の赤毛の男性の画像の妖しい美しさに、ため息を付く。自分の下半身に手を伸ばそうとしたところで、携帯端末が呼び出し音を上げて、ラフェーリは不愉快そうな表情になった。しかし、出ないわけにはいかない。


「ラフェーリです」


 切り替えの早いラフェーリの声は、既に明るく穏やかなものになっていた。


『いつになれば、リリアは私のところに戻ってくるんだ』


 名乗りもしない相手に、ラフェーリは内心でため息を付く。背徳的なものが大好きなラフェーリであるが、それは男性同士のものに限られていて、父親と娘のそれなどあまり興味がなかった。けれど、電話の主はラフェーリと契約をした。

 タブレット端末に映る、赤毛の男性の白い裸を指先でなぞるラフェーリ。


「お待たせして申し訳ありません。もう少しで、準備が整います」


 全てが終わったら、この美しい生き物が自分のものになる。全てを奪われて、心を壊した彼にどんな優しい言葉をかけよう。どれだけ甘やかそう。部屋に閉じ込めて、誰にも見られないようにして、毎日愛を囁こう。

 想像するだけで、体が熱く疼くような気がして、ラフェーリは小さく息を吐いた。


『私のリリアがあの男たちと同じ指輪を付けているなんて、この上なく不愉快だ』


 その男たちの片方は間違いなく、電話の相手の血を引いているはずなのに、同性愛差別主義者で男女差別主義者である彼は、息子を息子と思っていない。彼にとっては、無価値なもの。簡単に切り捨てられるもの。けれど、ラフェーリにとっては、この上なく魅力的な存在。


「ミスター・ミルワースが執着したのも分かりますね……」


 電話の相手に聞こえないように呟いてから、ラフェーリは見えもしないのに笑顔を作った。


「ご安心下さい、もう少しで大事な娘さんは手元に戻ります」


 盗聴も盗撮もハッキングも、ラフェーリにとっては息をするより簡単なこと。相手が警察官であることは少しハードルを上げたが、それくらいの障害があった方が尚更燃えるというものだ。


「彼から、直々に電話をもらいました」


 あの掠れた声を携帯端末越しに聞いた時の興奮を思い出して、ラフェーリは恍惚と微笑む。彼の恋人の体格のいい警察官も、悪くはない。いらないのならば、観賞用に二人別々に飼ってもいいかもしれないと、ラフェーリは楽しいこれからの生活のことを考える。


『あっちも警戒しているということか』

「彼は、可愛い恋人のためならば、自分はなんでもすると仰っていました。愛って素晴らしいですね。どこまでできるのか、見せてもらいましょう」


 ねぇ、あなたも見たいでしょう?

 悪趣味に囁いたラフェーリに、電話の相手は呆れたようだったが、『さっさとしろ』と命じて通話を切った。命令することに慣れきったその口調に辟易しながら、ラフェーリはまたタブレット端末に視線を落とす。

 タブレット端末の中で、赤毛の男性が自分を抱く相手の名前を呼ぶ。


――ツグミ


 掠れて余裕のないその声に、ラフェーリは笑みを深くした。




 携帯端末に送られてきた画像に、ツグミは息が止まるかと思った。

 ジーンがミルワースに暴行を受けている画像も、兄のスサキがマフィアに暴行されている画像も、ある程度は予測していたし覚悟もしていた。それらが世界中に配信されたとして、もちろん、ジーンもリョウもアケビもリリアもショックは受けるだろうが、それらは全て過去のものであり、誰も覚悟ができているものだった。

 しかし、今開かれたのは、明らかにツグミとジーンのそれで、場所はツグミの部屋のベッドに間違いなかった。


「ジェレミー、ごめん、俺、急用を思い出したから、今日はこのまま帰る」


 パトロールを終えて署に戻ってきたタイミングを図ったかのように……いや、恐らくは今も監視されているのだろう、タイミングを図って送られてきたメールに、ツグミは相棒で年上のジェレミーに謝り、ロッカーで素早く制服から私服に着替えて、早退届を出して大急ぎで部屋に戻った。

 指紋認証で鍵を開けて、自分の部屋に駆け込むと、携帯端末の画像を確認して、角度からどこにカメラが隠されているかを探し出す。部屋に入ってすぐの本棚の本の一冊が見覚えのないもので、引っ張り出すと中が空洞になっていて、小さなレンズが背表紙から覗くように設置されたカメラが入っていた。電池の続く限り無線で仕掛け主に映像を送り続けるタイプのものだろう。

 ジーンの家の自分の部屋という、一番安心できるはずの場所を侵された衝撃は、尋常ではなかった。もしかすると、ジーンやリリアの部屋にも同じようなことがされているかもしれない。すぐに連絡をしないとと、携帯端末を手に取ったツグミに、番号非通知の相手から着信があった。唾を飲み込んで、ツグミは震える手で着信を受けた。


『お気に召しましたか?』


 響いた声は、前にコーヒーショップでツグミがコーヒーをかけた男性のものだと、すぐに分かった。


「あんた、何をした!?」

『安心して下さい、大事なお嬢さんと綺麗な方には、何もしておりません。あぁ……綺麗な方に何かしたのは、あなたでしたね、これは失礼しました』

「今すぐ、データを全て消去しろ!」

『落ち着いて下さいよ。ほら、怒ると折角の可愛い顔が台無しですよ?』


 今この瞬間も見られているのかと思うとぞっとして、ツグミはカメラを本の中から引きずり出して、床に投げ捨てて踏みつける。その音を聞いていたのか、携帯端末の向こうで笑い声がした。


『乱暴な方ですね。でも、嫌いじゃないですよ、そういうのも」

「ふざけるのもいい加減にしろ!」


 ミルワースに抱いた時以来の強い殺意を覚えて、ツグミは携帯端末を握りしめる。


『電話ではお伝えできないことがあります。下に車を用意しています、直接お話をしましょう』


 デートの約束でも取り付けるような、楽しそうな声に、ツグミは一瞬だけ迷ったが、携帯端末を握って、部屋を出た。エレベーターでジーンに連絡を取ろうとするが、圏外になっていることに愕然とする。そういえば、周辺の狭い地域だけを圏外にできる機械を使った犯罪を追いかけていたことがあった。推測するまでもなく、それを使われたのだろう。そんなものは、このご時世、ネットでどれだけでも手に入ると、捜査していたロザリンドが言っていた。

 それならば、どうするべきか。

 降りるエレベーターの中で必死にツグミは考えていた。このまま、ジーンに連絡も取らず車に乗ってしまえば、相手の思うつぼだ。けれど、従わなければ、ツグミの部屋に入ってこられるとはっきりと示している相手が、どんな手段に出るか分からない。それがツグミやジーンならば、ある程度身は守れるし、覚悟もしている。

 けれど、リリアは小柄で幼くか弱い、ただの十七の少女だ。

 マンションのエントランスから出ると、白い車が停まっていて、運転席に黒髪の男性が不気味な笑みを浮かべて座っていた。


「乗って下さい」


 声は穏やかで、言葉は丁寧だったが、それは間違いなく脅迫だった。あの夜、ミルワースの車に乗ったジーンの気持ちが、心を過ぎる。


――夜で、高速道路に上がる時に、街の灯りが見えて、もうあの中には戻れないと思った。まだ、気が付いたら、どこかで、あの男に『お願いしますプリーズ』と私は言い続けているんじゃないかと、思ってる


 あの言葉を聞いた時、ツグミはジーンがどこか手の届かないところに心を置いてきてしまったようで、酷く切なく悲しくなった。自分は今、ジーンに同じ思いをさせようとしているのではないだろうか。

 躊躇うツグミに、開いていた車の窓から黒い手袋を付けた手が伸びてきた。

 その手に握られていたスプレーを吹きかけられて、ツグミの視界が反転する。立っていられなくて、地面に膝を付いたツグミに、運転席から降りてきた男性は、自分の口と鼻を布で押さえていた。その黒い目が、この上なく楽しそうに笑っていたのが、最後に見えた光景だった。




 休憩室に呼び出されたロザリンドは、平日なのにリリアがそこでチョコレートマフィンを頬張っていることに目を丸くした。リリアはロザリンドの顔を見て、嬉しそうに目を輝かせる。


「ロジー、リリアを今日、頼んでもいいか?」


 ジーンに頼まれて、ロザリンドはリリアを見た。リリアはきょとんとして、チョコレートマフィンを食べるのを止める。


「ツグと喧嘩したの?」

「いや。でも、愛想は尽かされる予定だ」

「それはないよ」


 言い切ったロザリンドに、ジーンは緩々と首を左右に振った。


「自分でも、酷いことをしていると思っている」


 言いながら、ジーンの顔に浮かんだ暗い笑みに、ロザリンドは怪訝そうな顔をする。


「それでも、あの男だけは、何があろうと……ツグミに愛想を尽かされようと、絶対に地獄を見せてやる」

「ジーン、顔が怖いよ?」


 ツッコミをロザリンドが入れた時、ツグミの相棒の警察官、ジェレミーが足早にジーンに歩み寄ってきた。


「リード、ツグミがものすごい形相で早退していったんだが、具合でも悪くなったのかもしれないから、様子を見てきた方がいいと思う」

「ありがとう、そうさせてもらう。リリア、ロジーの言うことを聞いて、署から出るな」

「はーい。ねぇ、今日、ロジーの家にお泊りしていいのかなぁ?」


 事情を全く知らないのであろうリリアは、無邪気にロザリンドに問いかける。ジーンは靴を仕事用のものから、バイク用のゴツイブーツに履き替えて、駐車場に向かった。その途中で携帯端末で電話をかける。


「アージェマー」

「ジーンだ。獲物が餌に食いついた」

「そうか……くれぐれも気を付けて」


 これから起こることを唯一知っているであろうアージェマーは、芝居がかって厳かに激励した。

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