7.ハートで十四枚

 甘ったるい独占欲を、左手薬指のシンプルな指輪が満たしてくれる。にやけるツグミにロザリンドとジョエルがひそひそと囁き合っていた。


「ツグ、春が来ちゃったみたいだね」

「全身から幸せオーラ出てるよな」


 微笑ましく見守る赤毛二人の横を通って、ヴァルナが手を上げる。


「おはよーギア弟! ちゃんと、ゴム使ったか?」

「セクハラです!」


 ぎらりと薄い色の目に殺気を滲ませるツグミに、「大事なことだろう?」とにやにやするヴァルナ。その背中に、ひたりと手が添えられた。振り向けないでいるヴァルナに、静かで落ち着いた声が告げる。


「膝と肘、どちらがいい?」

「……肘、で許せ」


 ごくりと唾を飲んで目をつぶったヴァルナの側頭部に、足と腰を使って遠心力を付けてのジーンの肘がきれいに決まった。ほとんど体格の変わらない相手からの容赦のない攻撃に、態勢を崩してよろけたヴァルナに、思わずジョエルが吹き出す。薄赤い目を細めて、「覚えてろ、赤毛ども」と呟き、ヴァルナはロッカールームから出てきたアスラの元へ走って行った。

 ツグミのそばにジョエルとロザリンドが寄って来て、ヴァルナの言う「赤毛ども」にツグミは囲まれることになる。


「おめでとう、だよね?」


 上目づかいで確認するロザリンドに、ツグミが照れ臭く笑った。


「ありがとう……式は、姉さんが落ち着いたら、合同で小さく挙げようかって言ってるんだけど、ロザリンドも良かったら」

「え?いいの?」

「ロジー、来てくれないのか?」


 むしろ、それが驚きだとでもいうようなジーンに、ロザリンドはジョエルをちらりと見る。俺は遠慮しますとばかりに、ジョエルは両手を上げた。


「あーなんか、幸せオーラが漂ってる」


 近付いてきたアートに、ツグミはジーンを見てまたにやける。ジーンは特に表情も変えず、淡々と仕事に戻った。



「どういう心境の変化だ?」


 にやにやするアージェマーに、ジーンはシガレットケースからタバコを取り出して、一本口に咥えた。出動の要請がなかったので、ラボに事件証拠を確認しに行ったら、出くわしたアージェマーも、喫煙ルームに向かうところだったらしい。まだ結果が出ていない事件証拠を待つ間、ジーンはタバコに火を付ける。アージェマーも自分のタバコに火を付けた。


「情報が早いな、アージェマー」

「どっちも聞いてるよ」


 その言葉に、ジーンはアージェマーに向き直る。


「手を貸してほしい」

「内容によるね」

「楽しいショーになるはずだ」


 珍しく微かに笑みを浮かべたジーンに、アージェマーが不敵に笑った。


「そうか、ジーンがそれほど言うなら、乗らないわけにはいかないな」

「では、この男に付いて調べてほしい」


 端末に送った情報に、アージェマーは目を細めた。




 退院したリョウの家に行くと、ジーンは問答無用でリョウとアケビにサンドイッチにされるようにハグをされた。兄の後ろでリリアが嬉しそうに笑っている。


「ジーン、ツグちゃんをよろしくね!」

「ツグミ! ミスター・リードを大事にするのよ!」


 リョウの挨拶と、アケビの恫喝に、ジーンは挟まれたまま、目を瞬かせてツグミに助けを求めた。助けられるわけないと、ツグミは笑って、降参と両手を掲げる。


「姉さん達、ジーンとリリアの食べられるもの準備した?」


 挟まっているジーンを姉二人の間から引き抜いて、ツグミは自分の方に引き寄せた。


「抜かりがあると思ったか!」


 ドヤ顔をするリョウだが、か弱い赤ん坊の泣き声に、急いで家の中に入って行った。一同もそれに続く。冷蔵庫から出したオレンジジュースをグラスに注いで、リリアに渡し、勝手知ったる様子でソファに座らせるアケビ。家の中で赤ん坊を抱っこしていたハンが、「いらっしゃい」と微笑んだ。


「ちょっと待っててね。リラにおっぱいあげてくるから」

「急がなくていい」

「ありがとう、ジーン、あなた、本当にいい男ね」


 答えてリラを抱いてばたばたと二階に上がっていくリョウに、ツグミは苦笑しながら、ジーンと並んで長いソファに座る。ハンがツグミにはビール、ジーンにはアイスティーを出した。氷の浮かんだグラスを受け取り、ジーンは小さく礼を言う。


「雰囲気が柔らかくなったよね。ツグミのせい?」


 穏やかな問いかけに、ジーンは小首を傾げた。


「私は私だ」

「うん、でも、前よりもずっと優しい顔をしてる」

「そんなに怖かったか?」

「だって、君は危険と判断すれば、俺を殺せるでしょ?」


 何度も出動で組んでいるハンから出た剣呑な言葉は、柔らかな口調と全くそぐわない。それに、ジーンは僅かに空色の目に穏やかな色を乗せる。


「ハルバートは殺さない。リョウにツグミを取り上げられるから」

「あはは。ジョークが言えたんだ」


 声を上げて笑うハンに、ツグミはジーンのグラスを持つ左手を見た。薬指に小さな砂利のようなダイヤモンドが埋め込まれたシンプルな指輪がはまっている。形のデザインはツグミのものと同じだが、ジーンの方にはツグミの願いで目立たないように石が埋まっているものを選ばせてもらった。


 半休をもらって婚姻届を出しに行ってから、まだ五日しか経っていない。簡単な事務手続きを終えた後で、ジーンとツグミは直接装飾店に行って、指輪を選んだ。付けたがらないかと思っていたが、ツグミが欲しいと言ったら、ジーンはあっさりとそれを了承してくれた。

 ただし、一つだけ条件を付けて。


 リリアの小さな右手の薬指に、ジーンとツグミのものと同じデザインのシンプルな指輪がはめられている。誰と一緒にいてもリリアを大事に思っている、というジーンの言葉に、学校から帰ったリリアは号泣して指輪を受け取り、それ以降ずっと右手薬指につけていた。

 ピンクゴールドのお揃いの三つは、ジーンの赤い髪を意識してのものだったが、ツグミが選んだ時にそこはかとなくジーンが嬉しそうにしていたから、恐らく、好きな色なのだろうと分かった。そういえばジーンの携帯端末がシャンパンピンクなことを思い出し、ツグミはにやける。

 ここ数日にやけっぱなしのツグミに、リリアもジーンも特にツッコミは入れて来なかった。それどころか、リリアは「ツグミが幸せそう……ロジーにメールしないと!」とわけのわからないことまでやっていた。


「今度ね、ロジーとケーキ屋さんに行って、この指輪見せるんだ」


 嬉しそうにハンとアケビにリリアが説明していると、リョウがリラを抱いてものすごい勢いで階段を駆け下りてきた。お腹がいっぱいになったのか、足音にも起きず眠っているリラをリビングのベビーベッドに寝かせて、リョウはキッチンに向かう。立ち上がって手伝いに行くアケビに、ツグミも立ち上がろうとしたが、「主役は座ってなさい」と言われて、ジーンの横にすとんと腰掛ける。


「ツグミ」


 名前を呼ばれて、ツグミはジーンを見た。


「どういう顔をすればいいか分からない」

「いつも通りでいいよ」


 助けを求められて、ツグミはジーンの肩を抱いた。




 吸っていたタバコを銀色の筒状の携帯灰皿に落とし、ジーンは携帯端末に送られてきた情報に素早く目を通す。さすがアージェマーは情報が早いと、胸中で呟いてから、ジーンは携帯端末の液晶画面に指で触れた。タッチした電話番号の相手は、すぐに通話に出た。


「ラフェーリです」

「ジーン・リードだ」


 おや、と電話の相手の声が喜色ばるのに、ジーンはうんざりと目を細める。


「お待ちしていました。あなたならば、すぐにたどり着くだろうと思っていましたよ」


 慇懃無礼を絵に描いたような喋り方に、ジーンは吐き気を覚えた。


「お前ほどの男が、どういうつもりで、父の方に付いているのか分からないが、ツグミに手を出すのはやめろ」

「手を出すだなんて、とんでもない。彼の方から、して下さいプリーズと言われなければ、私が動くはずもないなんて、聡明で美しいあなたなら、ご存知でしょう。あぁ、そうでした、あなたの写真はとても素晴らしかったです。思い出すだけで、下半身がいきり立ちます」


 雄弁に、熱っぽく語る男、ラフェーリの「して下さいプリーズ」という言葉に、やはり彼がジーンの把握している情報は全て持っていると確信する。軍の諜報部のエリート、黒髪のダリル・ラフェーリ。


「私の映像はどこに流れても構わない。ツグミを傷付けるような情報だけは、どこにも流すな」

「ご安心ください、リード中尉……いえ、もう昇進が決まっていたので、大尉とお呼びすべきでしたね、失礼いたしました、リード大尉。まだ、何もどこにも流してはおりませんから」

「元中尉であって、今は、ただのリードだ」


 言いながら「まだ」ということは、いつでも流せると言外に相手が言っていることを理解するジーン。訂正されてラフェーリは気にしてない様子で「申し訳ありませんでした」と紙よりも薄い謝罪をしてきた。


「ツグミには、何もしないでくれ」

お願いしますプリーズと仰らないんですね。私は、あなたが繰り返し繰り返し言うあのセリフが、大好きなんですよ。言って下さいませんか?」

「私には、なんでもして構わないから……お願いしますプリーズ

「あぁ……たまらない。あなたって、本当に最高にそそる方ですよね。きっと、眼鏡もお似合いになるんでしょうね」


 そこまで知られていたのかと、ジーンは舌打ちしたい気分になった。


「私を満足させて下さいね、愛しく美しい、ジーン・リード元中尉」


 リップ音と共に、通話が切れる。続いて携帯端末が震え、ラフェーリからのメールを受信したことを注げた。


 また連絡を致します


 添付されていた画像を、ジーンは表示された瞬間に削除しかけたが、一つ息を吐いて、そのまま保存する。それから、もう一度携帯端末の液晶画面をタップした。


「アージェマー」

「ジーンだ」

「どうだった?」


 問いかけられて、ジーンは僅かに目を細める。


「あなたのおかげで、うまくいきそうだ」

「それなら良かった」


 次の礼はどんな野菜になるのかと、アージェマーの言葉に、ジーンは真剣にそれを考えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る