後日談『副官指名』スペードのA(ジーン・リード)の場合

 再三、嫌じゃないかと聞かれて、ジーンは繰り返される問いかけに、律儀に何度も「嫌ではない」と答えた。それが五回くらい続いた後で、ツグミは質問を変えた。


「じゃあ、そうしたい?」


 変化球にジーンはしばし黙り込む。逡巡してから、言葉を選ぶ。


「ツグミは、嫌じゃないか?」

「俺が?どうして?」


 心底意外そうなツグミに、ジーンは深い空色の目に僅かに影を落とした。


「私は、年上だ。父親のような男と寝ていたことがある」

「ちょっと、待って」


 ツグミはジーンの言葉を遮る。


「俺は、ジーンがあまりよく眠れてないみたいだから、そばの床ででも寝ようかと思ってたんだけど」

「寝たいと言ったから、セックスするのかと思った」


 直接的な表現を使ったジーンに、ツグミが違うよと慌てた。それから、真顔になる。


「あんた、俺としようと思ったのか?」

「したいなら」


 嫌ではない、ツグミがしたいなら、ツグミは嫌じゃないか、全てジーンの言葉は明快な「了承 イエス」ではなかった。


「俺のこと、少しでも好き?」


 絶望的な気分で問いかけたツグミに、ジーンは静かに答えた。


「嫌いではないと思う」


 更にランクが下がった気がして、ツグミは頭を抱える。ミルワースの時と同じ。ジーンは好きではない相手に従って、性行為を受容することができる。だが、そんなことはツグミは全く望んでいなかった。


「あんたなぁ……さすがに、俺も、頭にくるぞ!」


 怒鳴りはしたものの、ジーンの不思議そうな、少し驚いた表情の裏に、僅かな怯えのようなものを感じ取って、ツグミは「お休み」と言って自分の部屋に戻る。リビングでジーンは立ち尽くしていた。



「アレックスさん……あの人はずっとあんな感じなんですか?」


 仕事上がりに一杯飲もうと誘われて、ツグミは珍しくアレックスに付いて行った。待ち合わせをしていたらしいアレックスは、褐色の肌に灰色の髪の胸の豊かな女性とバーの近くで落ち合った。ピアノバーは新しいピアニストを入れたらしく、流行の曲が流れていた。


「マリアンナ、こっちは後輩のツグミ」

「よろしくな、ツグミ!」


 元気よく挨拶をするマリアンナに、ツグミは笑顔を返す。そういえば、女性とデートなど長らくしていないと思い出す。ジーンともデートらしいことはしたことがない。


「僕の可愛いマリーだよ。マリー、ツグミはジーンに恋してるんだって」

「あの上官さんか」

「元上官で、今の上司ね」


 説明するアレックスに肩を抱かれて、マリアンナはリラックスした表情でアレックスの体に寄り掛かった。


「ジーンさん、いい人だよな。アレクとあたしが恋人同士って話をしたら、奢ってくれた」

「僕にはもったいないって皮肉を言われたけどね」


 くすくすと笑い合う恋人同士に、ツグミは心底羨ましくなる。


「ジーンって、究極のフェミニストとか、言わないですよね?」

「どうだろうね。部下や周囲の人間を大事にする人ではあるよ。弱者を苛むものとは、徹底的に戦う、結構熱い人だったんだけどね」


 軍を辞めるまでのジーンを知っているアレックスの言葉に、ツグミはため息を付いた。


「いっそ、嫌だって殴られた方が、すっきりする」

「ツグミってドM?」

「違います!」


 何かを我慢させたり、感情を押し殺させたりはしたくないと、ツグミはひとりごちた。



「アージェマー、好きはよく分からないんだ。抱きたいって言われたら、そうなのかって思うけど」

「それは良くないね、ジーン」


 アージェマーに言われて、ジーンはよく分からないまま名前だけで選んだノンアルコールカクテルを一口飲む。甘い味に顔を顰めるジーンに、ソルティードッグ風のを頼めば良かったのに、とアージェマーが笑った。


「何かの代償として性行為を考えてるんじゃないか?」


 カルーアミルクを飲むアージェマーに、ジーンは「それも甘いだろう」とため息を付いた。


「好きってなんだろうな、アージェマー」

「最近、カウンセリングじゃなくて、恋愛相談室になってきたな」

「これは、恋愛なのか?」

「恋愛じゃないのか?」


 問い返されて、ジーンは目を瞬かせる。


「分からない」


 キスをしたいとか、体に触れたいとか、抱きたいとかいう、行為なら分かるが、好きとか、愛しているとかいう、好意はよく分からない。恋愛経験がないわけではないし、昔は分かったのだろうが、退役する原因の事件が起こって以来、そういう感情に蓋をしている感覚があった。


「私は、怖いのかな」


 ぽつりと呟いたジーンに、アージェマーがその肩を軽く叩く。


「あれだけの経験をしたんだ、怖くて当然だ」

「怖くても、いいのか……」


 納得したように、そして、少し安堵したように呟いて、ジーンはノンアルコールカクテルを一口飲んで、甘い、と顔を顰めた。

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