後日談『副官指名』 ジョーカー(リリア・リード)の場合

――副官とは、ナポレオンが特定のカードによって指名するものであり、カードが開示されるまでは連合軍の中に紛れて戦うことができる。

――例えば、スペードのAオールマイティとか、正ジャックとか、裏ジャック、またはジョーカーが指名されることが多い。



 リビングの長いソファに身を埋めて、タブレット端末で電子書籍を読んでいるジーンの横顔を、斜め前の一人掛けのソファに座っていたツグミが、明日のお弁当のメニューを考えながら見るともなくぼんやりと見つめていた。しばらく読書に熱中していたジーンだが、視線に気付いてふと顔を上げる。目が合ったツグミは、へにょりと笑った。


「なにか?」

「いや、なにも」


 用があるのかと問いかけるジーンに、ないと答えるツグミ。端末を膝の上に置いて、ジーンは少しだけ考えてから、口を開く。


「キスがしたいのか?」

「え? どこから出てきたの、その考え!?」

「したくないのか」


 納得して読書に戻ろうとするジーンに、ツグミは赤くなって口ごもる。


「し、したくないわけじゃないけど……していいなら、したい」


 ソファから立ち上がったツグミに、ジーンは端末をローテーブルに置いた。本当にいいのかと躊躇うようにツグミの手がジーンの頬に触れた瞬間。


「ジーン、ツグミ、新作できたよー!」


 無邪気に出来上がったばかりのイヤリングを持って、リリアが部屋の扉を開けた。硬直するツグミと、「そうか、良かったな」と平然と声をかけるジーン。


「えっと……ごめんね!続けて!」


 空気を察したリリアは、部屋に戻って行った。



「っていうことが、あってね」


 警察署近くのコーヒーショップで、ジーンの仕事が終わるのを待ちながら、リリアはロザリンドとおやつを食べていた。リリアがレアチーズケーキをつつき、ロザリンドがアップルパイを齧る。


「ジーンって、やっぱりツグが好きなのかな?」


 もぐもぐと咀嚼してから興味津々に目を輝かせるロザリンドに、リリアはジーンとそっくりな動作で首を傾げた。


「どうなのかなぁ?嫌いではないと思うの。でも、ジーンってあまり他人に興味持たないから」

「そういう人、知ってる」


 呟くロザリンドに、リリアは身を乗り出す。


「そういう人って、どうすればいいのかな? 私、ほっといたら、ジーンは私が成人したら死んじゃうんじゃないかって怖いの」


 マンションを買ったのも、車を買うと言っているのも、全部リリアのためだとリリアには分かっていた。もしかすると、ツグミさえも、リリアのために一緒に暮らしているのかもしれないと怖くなることがある。

 もちろん、ジーンに自殺願望があるとはリリアも思っていない。それでも、目を放したら永遠に手の届かないところに行ってしまいそうな、存在の希薄さがジーンにはあった。


「ミザリーとは仲がいいみたいだけど」

「ミザリー! 誰? ツグミのライバル!?」


 食いついたリリアに、ロザリンドが笑う。


「ミザリーは違うよ。ジーンのカウンセリングをしてた人でね、今度飲みに行くって言ってたよ」

「ミザリー、ロザリンド、サキ、アレックス……相変わらずみたいね」


 呟くリリアに、ロザリンドが「何が?」と目を丸くする。


「ジーンね、なんていうか、十二歳の時から軍学校生活でしょう? 体格のいい男の人たちの中で、ジーン小柄だったから、そういう風に見られることが多くて……タフとか、そういうのじゃない、冷静さとか、正確さとかでジーンは勝負してたみたいなんだけど……」


 はっきりとジーンが語った話ではない。父親のダニエルが久しぶりに帰って来た息子を、なじるために投げかけた言葉。


 教官に性的なセクハラを受けそうになったジーンが、その教官を病院送りにしたという。

 それに対して、ダニエルは「お前は忍耐力が足りない」と言った。

 ジーンは終始冷めた目でダニエルを見もしなかったという。


「私がすごく小さい頃で、それでも、それを話のネタに、お父さんは何度も何度もジーンに言ってたの。だから、ジーンはお父さんを始めとして、世の中の男の人に、無意識に警戒心を抱いてるところがあるんじゃないかなって」

「なにそれ、酷い」

「だから、私、ジーンの口から男の友達の名前を聞いたことがないのよね」


 言い終わって、リリアはレアチーズケーキをフォークで削って口に入れる。


「ツグとは結構長く一緒にいるよ。話もしてるみたいだよ」

「うん、だから、ジーンはツグミが友達なのか、それとも恋愛対象なのか、よく分かってないんじゃないかなって心配で」


 ジーンは童顔だが、年齢的にツグミよりもかなり年上で。


「ツグミが離れて行っちゃったら、ジーン、本当にそばにいても、すごく遠い場所に行っちゃいそうな気がするの」

「そっか」


 ロザリンドは自分よりも小柄なリリアが涙目になっているのに、そっと肩を抱いてくれる。


「大丈夫だよ、ツグはすごーくジーンが好きだもん」


 救出劇の夜を思い出して、リリアの背中をさすって励ますロザリンドに、リリアは彼女を見上げた。


「ロザリンドって、お姉さんみたい。ねぇ、ロジーって呼んでもいい?」


 涙を拭いてリリアは微笑んだ。

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