9.クラブで十五枚

 警察署に戻ると、夜勤のロザリンドが休憩室で夜の休憩をとっているのが見えた。思わず駆け寄ったツグミの形相に、ただ事ではないと察して、ロザリンドは頬張っていたチョコチップクッキーを飲み下す。


「ツグ、どうしたの?」

「ジーンが」


 涙声になって言葉に詰まったツグミの背中を、ロザリンドが労わるように撫でた。


「勤務外の奴らはさっさと帰れ!明日も勤務だぞ!」


 心配して集まってきているお祝い会参加者を、荒っぽくも優しく追い払うセリカが、タブレット端末を持ってロザリンドとツグミの傍に寄る。


「なにごと?」


 外回りから戻って来たサキも顔を出して、ツグミたちのところに来てくれた。


「ジーン・リードがアンドリュー・ミルワースに捕獲されている。現場にはアスラとヴァルナが残ってる。早急に彼が『自分の意思で』あそこにいる理由を探らないと」

「ジーンが壊れる……」


 両手で顔を覆ったツグミの頭を、サキが小気味のいい音を立てて叩いた。叩かれて驚いているツグミに、サキはあまり表情を変えないまま、「ごめん」と言った。


「でも、泣いてる場合じゃないだろう?」

「はい……」


 顔を上げたツグミの顔色はあまりよくない。


「ジーンって、自分の部屋が焼けても大してダメージがなかったんだよね」

「バイク壊されたって言ってた時も、あまり気にしてなさそうだったよ」


 セリカの確認に、ロザリンドが説明を加える。物にも自分にもあまり執着のなさそうなジーン。ピアノを弾くことは確かに大事にしていたが、それも、警察署での仕事と引き換えにした。

 久しぶりにバーでグランドピアノを弾いたジーン。


「ツグミ、じゃないよな?」


 ひょいと覗き込んだカイの言葉に、ツグミは自分より少し高い彼の顔を見上げた。


「俺? 俺に何かするってことか?」


 かかってこいと即座に怒りモードに変わったツグミに、デスクのパソコンを操作していたリョウがセリカの端末に入手した情報を送ってくれた。


 ジーン・リード、元陸軍中尉、五年前二十九歳で退役、その後住居を転々とする、この署の管轄内に住み始めたのは約二年前。


「ねぇ、家族構成は?」


 妹がいると言っていたと声を上げるロザリンドに、セリカはデスクのリョウにメールを打つ。すぐに情報が戻って来た。


 八歳で両親が離婚、十二歳で軍学校に入学。


「軍学校に入学後に、父親が再婚してるね」


 端末をスクロールさせるセリカの手元を全員が覗き込んだ。


「あった! 妹のリリア・リード、十七歳」


 セリカの指差した先に、確かにその名前はあった。ただし、それ以上の情報がない。軍に所属しているわけでも、警察に所属しているわけでも、犯罪歴があるわけでもない。


「連絡先どころか……顔も分からないなんて」


 ため息を付いてもう一度両手で顔を覆うツグミに、ロザリンドがにんまりとした。


「ツグ、今時の十七歳だよ、何のSNSも使ってないわけがない」


 促されて、ツグミ、セリカ、カイがロザリンドのデスクに向かう。サキは呼び出しが入って、「しっかりね」とツグミを労って出動していった。


「お邪魔するよ」


 リョウがノートパソコンを持ってロザリンドの隣りのデスクに座った。すぐにロザリンドが本名でリリア・リードが登録しているSNSを探し出す。よくあるプロフィールページには、ストロベリーブロンドの非常に幼く見える少女が、同級生らしい少女と微笑んでいる写真が貼られていた。


「これで、顔は分かったと」


 元気を出せとカイに背中を叩かれて、ツグミが咳き込む。


「相変わらず、怪力のカイなんだから」

「そのページからメッセージとか送れないのか?その年代だと、そういうの敏感だからすぐに気付くかもしれない」


 カイの言葉にリョウが眉間に皺を寄せた。


「逆に、いたずらと思われるかもしれないね」


 それは考えていなかったと額に手をやるカイに、ツグミが「俺に、やらせてくれない?」と申し出る。席を譲ったロザリンドに礼を言って、ツグミは自分の携帯の端末を取り出した。そこにはジーンのメールアドレスと番号が乗っているが、これだけで信じてもらえるとは思っていなかった。

 真剣な表情でメッセージを書き出したツグミに、覗き込んでいたセリカとリョウが微妙な顔をして、ロザリンドが笑った。



 リリア・リード様


 野菜と肉と魚が嫌いで、レバーペーストと芋と米が好物のお兄さんのジーン・リードのことで連絡を求めています。



 初めの一行で、リリアは即座にこのメッセージがいたずらではないと理解した。口数が少なくて表情が読みにくく、食に対してあまり関心のなさそうな兄の好みを正確に書いてある。もちろん、その下に書かれた兄の連絡先も自分の端末のものと比べて確認したのだが。

 メッセージに書かれていた番号に、リリアは電話をかける。



「嘘だろ……あれで、うまくいっちゃうんだ」


 電話がかかってきた時、ツグミの正直な感想はそれだった。だがすぐに切り替えて、端末の向こうの少女に説明する。


「お兄さんが事件に巻き込まれていて、一時的に君を保護したいんだけど」


 上司にあたるリョウが説明すると、電話口で少女の嗚咽が聞こえた。


『ジーンに何があったの?』

「説明は後でするから、すぐにそっちに人を向かわせるから、ご両親に気付かれないように支度をしておいて」


 特に父親に、と口に出さずともリリアは察したようだった。通話を切ってから、リョウはロザリンドを見る。


「安全運転で行ってくるね」


 任せてとロザリンドがカイを連れて出て行くのに付いて行こうとするツグミのシャツを、リョウが引っ張った。


「ツグちゃんは、ここにいて、妹さんが保護できたら、すぐにミルワース宅に行こう」

「ありがとう」


 息を吐いて椅子に体を沈み込ませたツグミに、セリカが少し席を外すと告げて、端末を持って部屋を出て行った。



「ヴァルナ、あんた、ジーン・リード採用の時にも手を回しただろう。さっさと判事に令状を出すように圧力かけな」

『やだわ、かけ間違いじゃないかしら?アタシはディアンナ・リーよ?』

「ヴァルナ……今の変な声録音したから。あんたの大事なフェリアとアスラに聞かせてあげるわ」

『ちょっと、エリカー!?なんで、この番号知ってるんだよ!くそっ!アスラか?』

「私も、確信が得られるまでかける気はなかったんだけどね」


 サキに話をされて、確信を得てからアスラの端末をすり取って、写したデータの中に、交友関係のあまり広くないアスラがかけるには、明らかにおかしい番号があった。何よりも、アスラが自分からその番号にかけたことがないこと、その番号からはアスラが仕事中でない時にかなり頻繁にかかってきていることが、決定打だった。


「あんたが、アスラから離れられるとは思ってなかったけど……毎日かけてるって、どういうこと!」

『あーもう、分かった! 令状は取らせる! だから、もうかけてくるな! 詮索するな!』


 半泣きのヴァルナの声に、セリカは鼻で笑う。


「私から逃げられると思うんじゃないよ」

『エリカさん、あなた、ストーカーですかぁ!?』


 ひぃんとわざとらしく泣き声を上げて、通話は切れた。端末を握りしめて、セリカは長く息を吐いた。鮮やかな青い目に涙が滲む。


「生きてた……私のヴァルナが、生きてた」



 電話を盗聴していたのか、玄関口で待っていた白髪交じりの壮年の男性、ダニエル・リードにロザリンドはドヤ顔でタブレット端末に送られてきた令状を示した。


「児童虐待の通報があったので、リリア・リードを一時保護させてもらう」


 小柄なロザリンドよりも更に小さなリリアは、カイに肩を抱かれるようにして、車に乗り込んだ。




 リリアが無事に保護されたという知らせを受けて、リョウとツグミの姉弟が出動する。これが正解だと思い込んでいるが、もし違ったらなどと嫌な考えしか浮かばなくて、リョウが買って来たコーヒーのカップを噛むツグミに、リョウはハンドルを強く握りしめた。

 ツグミが失った兄のスサキ・ギアも生きていれば、ジーンと同じ年になる。兄と重ねているのか、それともそれ以上なのか、リョウも弟の気持ちを測り兼ねていたし、ツグミ自身も迷っているような、はっきりしない雰囲気を感じ取っていた。


「ツグちゃんは、あの人が大事なんだよね?」

「そうだよ」


 二人きりになると、リョウとツグミは十一年前に戻ったような気がする。十一年前の兄が死んだ日に気持ちを引き戻される。

 リョウもアケビもツグミも、母のカリンも、みんなぼろぼろで切り離せない程にくっ付いていなければ生きていけなかった。特に、母は一人になるのをとても恐れた。大学生のアケビと家に戻っていたが仕事があったリョウは、ずっと母の傍にいることはできず、母はツグミに異様に過保護になった。


「ずっと私たちを繋いでくれてたんだよね、ツグちゃんは」


 もういいんだよと、リョウは声にしなかった。


 アンドリュー・ミルワース宅の門の外に佇むのは、黒と白、大小の双子。リョウの車が来たのに気付いて、ヴァルナが跳ねて両手を振る。アスラは組んでいた両腕を解いた。

 車を降りたリョウの無言の指先だけの、突入のサインに、アスラ、ヴァルナ、ツグミが銃を抜いて門を乗り越える。広い庭を抜けて、「警察だ!」の決まり文句と共に、扉を蹴り破る。一階は人を感知して点くライト以外は消えている。安全確認をして、二階に静かに駆け上がっていくアスラ、ヴァルナ、ツグミ。

 寝室のベッドの上にぐったりと横たわるジーンと、その傍にバスローブを来て座っているミルワースの姿を見た瞬間、ツグミの中で何かが切れる音がした。


「リリア・リードは保護した!アンドリュー・ミルワース、膝を付いて両手を頭に付けろ!」


 銃を構えたツグミの乱入に、ミルワースは嘲笑うように唇を歪める。


「少し遅かったようだな」


 脈拍が速くなる。ツグミの薄い色の目に映っているジーンのベッドから床に垂れた白い腕が、あまりに白すぎるような気がして。


「待て、撃つな!」


 頭が真っ白になってツグミが引き金を引こうとした瞬間、アスラがツグミを抑え込む。それとタイミングを合わせたように、ベッドに沈んでいたジーンの体がばね仕掛けのようにしなやかに起き上った。

 軽く跳躍した裸のジーンの膝が、綺麗にミルワースの顔面にめり込むのを、アスラ、ツグミ、ヴァルナは唖然として見ていた。鼻血を出して、前歯が折れたと喚くミルワースを見下ろして、ジーンはあっさりと言った。


「あー……すっきりした」

「ジーン……!?」


 言葉を失っていたツグミに、笑いかけてからジーンが前のめりに倒れるのを、ツグミは何とか抱き留めた。背中の皮膚が何か所も裂けている上に、性的暴行も受けたであろうジーンは、ツグミの腕の中で、寝息をたてていた。その体をベッドから引っぺがした布団に包んで、ツグミは壊れ物のように持ち上げる。

 喚いているミルワースの逮捕は、アスラと、場違いに爆笑しているヴァルナに任せて、ジーンはリョウから連絡を受けたアージェマーが手配してくれた病院へリョウの車で直行した。

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