私の彼はフットボーラー

相沢孝

第1話 私の彼はフットボーラー

 シュポン!!


 バッグに入れていたスマートフォンからLINEの通知音が聞こえる。


 私はバッグからスマートフォンを取り出すとLINEを開く。見ると遥からの連絡だった。


「メッセージ読んだけど、来れなくなっちゃったの?」


「ゴメン」


 私はメッセージを返信する。


「そっかー、残念、久々に弥生に会えると思ったのに」


「急に仕事が入っちゃって」


「通話、今いい?」


「うん」



 すると、遥から通話が来た。私はスマホの画面をタップする。


「もしもし、弥生?」


「うん、遥ちゃん?」


 久しぶりに聞く遥の声は相変わらず元気そうで、それと同時に後ろの方から太陽君のやんちゃな声が聞こえる。


「うん、そうだよ。久しぶりー、弥生の声聞くの」


 遥ちゃんはとっても嬉しそうだ。


「後ろで聞こえるの、太陽君?」


「そうだよ、あ、ゴメンね、邪魔だった?」


「ううん、ぜんぜんぜんぜん、太陽君おっきくなったでしょー」


「おかげさまで明日で満一歳」


「あー、おめでとう」


「ありがとう、でも、明日は一歳児検診で病院に行ったり、うちの両親も司の両親も来て初誕生のお祝いやったり、その準備でいま大忙しよ。専業主婦も楽じゃないわ」


「そうだ、遥、太陽君にお祝い送っとくから」


「いいよ、いいよ、弥生。わざわざそんなことしなくても」


「いいの、いいの、せっかくのお祝いだもの、私も何かお祝いさせてよ」


「悪いわねー、弥生。じゃあ、お言葉に甘えて」


「うん、期待しないで待っててね」


「はい、心からお待ちしております」


 思わず二人、電話越しでクスクスと笑いだす。


「でも残念、せっかく弥生に会えると思ったのに。でも仕事じゃしょうがないよね」そういって残念そうなため息をつく遥。


「ごめんね、どうしても外せない用事が出来ちゃって」


 私は見えない遥に向かって頭を下げる。


「いいの、いいの、気にしないで、わざわざ新幹線使ってまで来るほどの試合じゃないし」


「いや、そんなことないよ。私、すごい行きたかったんだから」


「ホントにー?引退試合ったって、あいつ、最後の方にチョロッと出るくらいよ」


「それでも、すっごい行きたかったの!」


「はいはい、熱心なサポーターがそう言ってたって神児に伝えておくわよ」


「いいわよ、そんな事言わなくったって。それに神児君、私の事なんて覚えてないと思うし」


「そんなこと無いでしょー、同じ中学の時の同級生なんだから!!」


 そうなのだ、結局私と神児君は同じ中学の同級生以上の関係にはなれなかったのだ。


「それに、小学校も一緒だったし、一緒にボール蹴ったりしたでしょ。そんな忘れたなんて薄情なことは言わせないわよ」と、なぜか遥ちゃんはプンプン怒り出す。


「いいわよ、遥ちゃん、私、神児君と最後に会ったの中学の卒業式よ」


「えー、何言ってんのよ、神児が高校の選手権で国立で試合した時、一緒に応援行ったじゃない」


「そんなの、私、観客席にいただけだよ。神児君だって気が付かないって」


「えー、だって、神児、私たちの方向いて手を振ったでしょ」


「それは遥ちゃんがゲートフラッグ上げたからでしょ。『八王子SCの誇り』って」


「そうそう、一緒になって作ったわよねー」


「楽しかったなー」


「楽しかったねー」


 私たちはしばらくの間、高校生の頃に戻ってあの頃の記憶を呼び戻した。



「そうそう、でも弥生、今日の試合ダドーンで見るんでしょ」


「もちろん、それまでには仕事絶対に終わらせるから」


「別に大丈夫よ。録画再生で1週間の間ならいつだって観れるんだから」


「やーよ、ぜったいLIVEで観ますからね」


「そう、じゃあ、神児に画面の向こうで熱心なサポーターが応援してるから頑張りなさいって言っておくわ」


「ありがとう」


「どういたしまして」


「あ、でも、夏休み帰って来るんでしょ?」


「うん、その予定」


「じゃあ、その時会いましょう。司も神児も声かけておくから」


「ありがとう」と、その時、私のスマホにキャッチが入った。


「あ、ゴメン、遥、ちょっと電話入っちゃった」


「あー、はいはい、じゃあ、また後でLINE入れるね」


「うん、じゃあ、また、後で」

 

 私はそういうと、深呼吸をしてからキャッチを取る。


「おう、君嶋、今どこにいる?先方さんやって来たぞ」


「あっ、すいません、課長、今、資料室でちょっとコピー取ってます。すぐ行きます」


「わかった、俺はもう第三会議室に行ってるから」


「わかりました。失礼します」

 

 先方との打ち合わせが終わり、会議室での後片付けをしていると、「おう、君嶋、もう帰ってもいいぞ」と課長。


「えっ、でも、まだ仕事が……」


「いいよ、いいよ、今日も無理して出社してくれたんだから、ホントなら今日有給取って実家に帰る予定だったんだろ」そう言いながら、課長は会議室の後片付けをする。


「でも、大丈夫です。帰らなくなりましたから」


 私も一緒になって余った資料を集めている。


「いいから、いいから、早く帰らないと試合始まっちまうぞ」


「へっ、なんで、課長が知ってるんですか?」


「ああ、篠宮から聞いたよ。なんでも学生の頃の友達の引退試合なんだろ、今日」


「あっ、はい、まぁ」


 そうだ、この前、お昼休みに後輩の篠宮さんとご飯食べた時にその話したんだっけ?


 今度有給取って実家に帰るからお土産何がいい?って


「すまなかったな、無理してもらって、先方さんがどうしても契約の時、お前にいて欲しいって言われてな」


 そう言うと、すまなさそうに課長。


「いえ、お役に立ててなによりです」


「別に、契約の日を改めてもよかったんだぞ」


「いえ、半年かけてやっとここまでこぎつけたのですから、日を改めて心変わりでもされたら水の泡です」


 社会人4年目の私にとって、これまでで一番大きな仕事だった。最後の詰めでしくじりたくはない。


「だから、そんなわけで、お前はさっさと家に帰って、同級生の引退試合見てこい。後片付けは俺がやっておくから」


 尊敬する課長にそうとまで言われては反論する理由もない。


 私はお言葉に甘え、そのまま会社を後にした。



 会社から最寄り駅で電車に乗り、京都駅で乗り換えをする。


 ふとホームを見ると、新幹線ののぞみが止まっていた。


 このまま新幹線に飛び乗って実家の八王子まで行くとしたら……頭の中で一瞬考えたが……だめだ、そんなことしたら、せっかくの引退試合が見れずに終わってしまう。


 私は未練をかき消すように、足早に普段通勤で使っている電車のホームに向かった。


 私は大学を卒業して地元の酒造メーカーに就職すると、そこの社長がこの先の見聞を広めるためにと、三年目の去年、京都の伏見への出向を提案された。


 もともと地元の八王子で、江戸時代から続く作り酒屋から発展した会社だったのだが、このところのインバウンドの需要によって改めて日本酒の美味しさが注目されるようになってきたのだ。


 その上、先代の社長が趣味で始めたクラフトビールが国内の品評会で金賞を受賞して地元の八王子では大流行り。


 ここ数年、売り上げが前年度比150%を上回っており飛ぶ鳥を落とす勢いの我が社。不況なんぞどこ吹く風なのだ。


 実はこの会社に就職するまでは日本酒を飲んだことなど数えるくらい。ビールやワインなんかは飲んではいたが、日本酒に関してはホントにど素人だったのだ。


 そんな私が、どういう訳だか社長に気に入られてしまい、気が付いたら日本酒の勉強も兼て、京都の伏見にある作り酒屋に出向を命じられてしまったのだ。


 もっとも、作り酒屋と言っても、そこはしっかりとした株式会社で、京都市内に自社ビルも持っている。流石は『兵庫の灘』、『広島の西城』に並ぶ日本三大酒処の『京都の伏見』。


 ここのお酒は国内でも大変評判がよく、予約をしていてもなかなか手が入らないと聞く。その上社長がやり手らしく、アンテナショップをイギリスのロンドンやフランスのパリに出店していて、地元のミシュランの星を持つレストランにも卸しているのだ。


 うちの社長からはついでに「経営のノウハウも覚えて来てね」と、茶目っ気たっぷりでお願いされた手前、適当に手を抜くこともできずに、仕事以外でも真面目に日本酒の勉強をすることになってしまった。


 そんな感じで、直属の課長にも目を掛けられて、大切な商談の場にも駆り出されるようになったのだが……やはり、今日くらいはプライベートを優先させたかったなー。


 私は帰りの電車を待ちながら、バッグの中にしまってあった、もし今日、合うことが出来るのならば渡したかった、サッカーの神様のお守りをギューッと握りしめた。


「あーあ、神児君に会いたかったなー」



 京都駅から三駅の自宅の最寄り駅に降りる。


 自宅と言っても、家賃6万円の1ルームだ。


 近くに大きな大学があるためか、どことなく町全体が活気に満ちている。


 私は帰る道すがら、いつものコンビニによって、自分へのご褒美としてビールとストロングゼロを買う。


 やはり、サッカー観戦にはアルコールは欠かせない。


 自宅に帰って時計を見ると、まだ5時を回ったところだった。


 キックオフまでまだ1時間ある。さて、どうしようか……

 


 私はシャワーを浴びてお気に入りの八王子SCのユニフォームを着る。


 背番号はもちろん36番、名前は「NARUSE」と書いてある。


 もう一度このユニフォームを着てハチスタで神児君の応援をしたかったなー。


 私はそんなことを思うと思わずため息をする。


 テレビを付けると、ダドーンでは八王子SCと町田SCの西東京ダービーの配信が始まっていた。


 まだ、試合前のセレモニーをしているところだ。

 

メンバー表が映し出される。すると、控えメンバーの中に神児君の名前が入っていた。


 私は思わずその画面をスマホで撮る。


 そうそう、神児君の記事の載ったスクラップブックも持ってこなくては。


 新聞の切り抜きを張り付けたスクラップブックの1ページ目には、全国小学生サッカー選手権優勝の記事が……そして写真の中央には、神児君と司君がトロフィーの前で肩を組んだ姿があった。


 私はその新聞紙の切り抜きを触りながらつぶやく。


「神児君、がんばったね。お疲れ様」


 次のページには神児君と司君がお揃いのビクトリーズのユニフォームを着てVサインをしている写真が……


 そして、高校生になると、東京都の予選を勝ち進んで全国大会出場を決めた記事が……そして、最後のページには、今日の試合で引退をする神児君を扱ったクラブの広報記事が載っていた。


 私はあらためて言った。


「神児君、がんばったね。お疲れ様」



 テレビからは試合開始を告げるホイッスルが鳴った。


 アウェイの町田SCのキックオフからだった。


 試合開始直後から、一方的に攻められ続ける八王子SC。


 先制点は前半10分、コーナーキックからのこぼれ球を町田SCに押し込まれた。



 初めて、神児君と出会ったのは小学3年生の時だった。


 駆けっこでも、ドッチボールでもクラスの一番。いつも司君と一緒にいて、気が付けば二人でボールを蹴っていた。


 私はそんな神児君と一緒に遊びたくて、でも、なかなか一緒に遊ぼうって言えなくって、遥が気を利かせて一緒に遊ぼうって誘ってくれたんだ。


 遊ぶと言っても、神児君達とはサッカーばっか。最初はインサイドキックもまともに蹴れない私は、当然サッカーでもおみそ扱い。


 でも、それが悔しくって、遥にお願いして必死に特訓したんだっけかなー。


 そんなことを思い出しながら、ビールをクピリ。うん、やっぱ、サッカー観戦にはビールが欠かせない。


「おつまみおつまみ」一人でそんなことをつぶやきながら、冷蔵庫からおつまみの野菜スティックを持ってくると、我が八王子SCは、ペナルティーエリアで相手フォワードの足を引っかけPKを取られていた。


「何やってんだか!」

 

 当然のようにPKを決められて2-0。前半30分で2-0、かなり厳しい。


 気が付くとビールのピッチが上がっていた。

 


 神児君達と一緒にいたくって、八王子SCに入ったのだが、小5になると神児君達のプレーについていけなくなり、気まずさからスイミングに専念すると言ってサッカーを辞めてしまった。


 どうしてあの時、あんな簡単にあきらめてしまったのだろう。


 遥ちゃんと一緒に特訓すれば、まだ神児君達と一緒にサッカーを出来たはずだったのに。


 それが負い目になってか、本当に好きだったけれど、だんだんと気まずくなって疎遠になってしまった。

 

 それでも、サッカーの大きな大会の時は遥ちゃんと一緒に応援しに行っていた。


 テレビから歓声が上がる。見ると八王子SCのフォワードが抜け出して、キーパーと1対1。


 思わず握りしめたビール缶に力がこもる。


 フォワードの人はキーパーをかわそうとしたのだが、最後の最後でトラップが大きくなってしまい、ボールはコロコロとゴールラインを割ってしまった。


「なにやってんだよ、デコ助がぁぁー!!」


 ビールの缶がべコリとつぶれた。


 

 そのままいいところなく、前半を2-0で折り返す八王子SC。


 手持無沙汰だったので、台所に行ってサッポロ一番の塩ラーメンを作ることにした。


 やっぱ、野菜はしっかり入れないとね ♪


 冷蔵庫の奥で干からびていた人参と玉ねぎとしおしおになったキャベツを切って鍋にぶち込みひと煮立ち。


 仕上げにバターを乗っけて、弥生特製のサッポロ一番塩バターラーメンの出来上がり。


 洗い物がめんどくさいんで、そのまま鍋からいただきます。


 it’s 小池さんスタイル!! 

 

 ズルズルと鍋から直接ラーメンをすすりながら、ストロングゼロのダブルレモンをあおる。


 ラーメンの塩っけにレモンの酸味がとっても合う。


 やばい、止まらない、2本目いただきます。プシュッ。


 テレビから歓声が聞こえたので、目を向けると、DFの連係ミスから3点目を献上した八王子SC。


「だから、なにやってんだよ!!その程度のプレスでビビりやがって!!!」



 最大のチャンスは中学の卒業式だった。


 中学に上がってからは神児君も司君もビクトリーズのサッカーが忙しくって、ろくに会って話すこともなかった。


 クラスも違ったし。


 それでも、試合になったら、遥と一緒にビクトリーズの試合を応援しに行った。


 けれど、神児君も司君も中二に上がる頃には、膝を怪我したらしく、試合に全く出ることが無くなってしまった。


 お目当ての選手が試合に出ないうちに、いつの間にかビクトリーズの観戦にも足が遠のくようになってしまったら、ひょんなことから遥と司君が付き合うことになったのだ。


 もっとも付き合うことになったきっかけは司君がサッカーで怪我をしたことからだった。

 

 中三の冬、遥も私が神児君の事をまだ好きなのを気にしてくれて、卒業式に二人だけで会う機会をセッティングしてくれたんだけれど、ビクトリーズユースに上がることが叶わず、傷心している神児君に、「好きです」なんて、なんか弱みにつけ込んでいるみたいで言えなかった。


 ただ、「応援してるから、サッカー頑張ってね」と伝えるのが精一杯だった。


 私の初恋も中学の卒業と一緒に卒業しなくちゃ……そう思いながらも、気が付けば、それからも神児君の事を想い続けていた。


 遥には「神児君の事はもう諦めたから」と言った手前、高校生になった神児君の学校の試合をネットで調べて密かに応援しに行ってるだなんて恥ずかしくて言えなかったのだ。


 だって、小学校の時の初恋の子よ。どんだけ引きずるのよって話よ。


 でも、神児君が高三の時、冬の選手権で国立に応援しに行った時、ピッチで走り回る神児君を見て、ああ、私はまだ神児君の事が本当に好きなんだなーと諦めにも似た思いを自分自身で実感した。


 けど、傍から見たらどう?って話でしょ。


 小学校の頃の初恋を忘れられなくて、最後に会って何年も経ってから「実はずーっと好きでした。付き合ってください」だなんて、どっから見ても立派なストーカーだわ。


 別に神児君に好きになってもらいたいだなんて図々しい事は思わないけど、気持ち悪い女って思われるのだけは絶対に嫌だった。


 だから、高校生になってからは、遥からはさりげなく、神児君の最近の様子を訊ねるだけで、大学生になってからはきっぱりと忘れるつもりだった。

 

 でも、大学を卒業すると、まさかの状況が一変したのだ。


 なんと、神児君が私たちの地元のサッカークラブに入団したのだ。それもプロ選手として。


 週末にスタジアムに行けば神児君に会える。しかもクラブの人達は、是非また来てくださいとお願いしてくる。


 さらに、就職した会社が八王子SCのスポンサーとなって社員にもスタジアムに行って応援することを勧奨してくれる。


 私は大手を振って神児君に会えるようになってしまったのだ。


 なんか推しのアイドルに会いに行くってこんな感じなのかなと思ってしまった。


 神児君に会いに行ける毎週末が本当に楽しみで、でも、「22歳にもなって中学の頃の初恋の人に会うために毎週末スタジアムに通ってるんです。」だなんて恥ずかしくて誰にも言えやしない。


 この想いは私だけの心の中にしまい続けておかなければならないと思ったのだ。


 そして、この気持ちに踏ん切りをつけるためにも、私は会社からの京都行きの話に乗ったのだ。


 そして気が付けば26歳になっていた。

 

 ところが、ここに来て、まさか、まさかの状況ががまた変わって来たのだった。


 初恋の人が、華やかなプロサッカー選手の世界に飛び込んだと思ったら、実際は手取り10万そこそこでご飯を食べるだけでもカッツカツ。


 しかも新婚家庭の遥の家に毎晩のように夕ご飯をご相伴に上がりに来てるという話を聞き、えっ、もしかして、これってチャンス!?だって私、定職持ってるよ。しかも正社員!!だなんて卑怯な考えも思い浮かぶようになってしまった、未だに中学生の頃の初恋を引きづったままの26歳独身女性……やっぱ傍から見たら、ちょっと引くわ。

 

 すると、気が付いたら後半35分、交代のボードに36番の数字が、


「神児くーん!!」


 気が付いたらテレビの画面に向かって絶叫していた。


 直後、ドンドンドンと隣の部屋から壁を叩かれた。


 あっ、どうもすみません。


 私は声とテレビのボリュームを下げて、本来なら今日、スタジアムで掲げようと思った手作りのゲートフラッグを掲げる。


 そして鳴瀬君のチャントをスタンドのみんなと一緒に歌う。


 お隣さんに迷惑が掛からないくらいの音量で。



♪行けー 鳴瀬神児ー、 


 行けー 鳴瀬神児―、


 行け― 鳴瀬神児ー、


 行けー 命の限りー♪



 命の限りってのはちょっと重すぎじゃないの。


 でも、鳴瀬君に似合っていてかっこいいかな。


 私は鳴瀬君のチャントを久しぶりに歌う事が出来て、涙が出るくらいに嬉しい。


 だって、去年も、一昨年も怪我でずーっと試合に出ていなかったからね。


 でも、ここまで来れたんだ。頑張ったね、神児君。



 ♪走れー 鳴瀬神児ー、

 

  走れー 鳴瀬神児ー、

 

  走れー 鳴瀬神児ー、

 

  走れ、願いを乗せてー♪



 掲げるゲートフラッグには「我らが誇り鳴瀬神児」の文字が……


 足をグルグル巻きのサポーターで巻かれて、それでも必死にボールを追う神児君の姿を見ていたら、涙が止まらなくなってきた。


「がんばれ」


「おしいっ」


「あともうちょっと」


「そう、その調子」


 気が付けば私は泣きながら神児君のチャントを歌っていた。



 ♪走れー 鳴瀬神児ー、

 

  走れー 鳴瀬神児ー、

 

  走れー 鳴瀬神児ー、

 

  走れー 願いを乗せてー♪



 時計を見ると、後半のアディショナルタイムに入っていた。


 神児君がこうしてピッチの上でサッカーをできるのはあとほんの数分。


 私は神児君に渡すはずであったお守りを握りしめ心の底からこう祈った。


「お願いですから神様、神児君にサッカーを、もっとサッカーをさせてあげてください」


 このお守りはこの前の週末、わざわざ電車で4時間かけて、サッカーの神様が祀ってある神社まで行って買ってきたものだった。


 すると、ディフェンダーがクリアし損ねて、神児君の足に当たったボールがコロコロとゴール前に転がってゆく。


 そのボールに誰よりも速く反応した神児君がシュートを放った。


 糸を引くようなシュートが町田SCのゴールに突き刺さる。


 私は思わずその場でぺたりと座り込んでしまい、お守りを額に当てて神様に感謝した。


「ありがとうございます。神様、ありがとうございます」



 最後の最後で、私の大好きなフットボーラーはプロ入り初ゴールを決めたのでした。

 


 呆けたように画面を見続ける私。


 その後の事はよく覚えていない。


 気が付くと試合は4-1で終わっていた。


 神児君が照れくさそうにゴール裏のお客さんの前で頭を下げている。


 遥の話ではこの後、八王子SCのコーチになるらしい。


 よかったね、神児君。まだ、サッカーをすることが出来て……


 するとその時、ピコンとラインの通知が来た。


 見ると「あなたの願いをかなえます」と。

 

 また、これか……せっかくの感動に水を差されてため息が出る。


 なんでか分かんなけれど、数日前から、宛先不明のラインの通知が私のスマホに届くようになっていたのだ。


 そのたびに削除してブロックするのだが、いくらやってもこの変な通知が届いてしまう。


 せっかくの感動を邪魔されたのと、アルコールが回ってたのがいけなかったらしい。


 普段ならさっさと中身なんか見ずにゴミ箱に入れていたのに、今日は文句の一つでも言いたくなり、そのラインの通知を開いてしまったのだ。


「どういうつもりよアンタ!」


「どういうつもりって何ですか?」


 おやおや、返事が返って来た。


 てっきりPCで自動送信されているものだとばかり思ってたのに……まあ、いいやついでだから文句の一つも言ってやろう。


「だから、願いをかなえるって詐欺?それともなんかの宗教なの?」


「ま、まあ、宗教って言えば宗教ですけど」


「おあいにく様、わたしんちは先祖代々真言宗です!」


「あっ、そうですか、でも日本は八百万の国ですので、信仰している宗派がございましても、私共は一向にかまいませんよ」


「私が一向にかまうの、もう、変なメッセージは送らないでちょーだい!!」


「でも、あなたからメッセージが送られてきたのですよ。もっとサッカーをさせてくださいって」


 途端に背筋がぞわっとした。


 えっ、なに、この部屋、盗聴器でもあるの?


 私は辺りをキョロキョロ見回す。


「いえいえ、スマホから連絡がはいりまして……」


「えっ、なに、スパイウェアでも入っているの!?このスマホ!?」


 私はスマホから思わず手を離す。


「いえ、そういうわけじゃあ……」


 そこで私は幾ばくか冷静になって、そのラインの主に質問してみる。


「一体何が目的なの?」


「いえいえ、そちら様の祈願が届いたからご返信したまでですよ」


「きがん!?!?!?あっ、お願いごとの事ね」


「はい、なにやら、もっとサッカーをしたいと」


「……でっ?」


「はい、当方、サッカーの神社としてそれなりに名をはせておりますので、そう言うお願い事でしたら、まあ、出来なくはないかなと……アレですよ。お金欲しいとかそう言うのは無しですよ」


「分かってるわよ。じゃあ、そのためには私何すればいいのよ」


「まず、お神酒を用意してください」


「おみき?……」


「お酒です」


「それって日本酒?」


「いや、アルコールが入っていれば何でもいいですよ」


 部屋の中を見まわすと、先日社長に頼み込んでどうにか手に入れた我が社の純米大吟醸の超レア物の一升瓶が目に留まる…………これ、売値で三万以上するのよね、正直開けたくない。するとその隣に、この前のお正月に遥の家に遊びに行った時、司君からもらったテキーラの瓶が目に留まった。


 ……まぁ、こっちでいいか。


 私は司君からもらったテキーラを用意する。


「他には!?」


「えーっと、後、鳥の心臓」


「あるわけないでしょ!!鳥の心臓なんて!!」


「そう言われましても、それが作法でして、当方のご神体が烏なものなので」


 すると、ふと思い出した。私は冷凍庫を漁ると、先日、会社の人達と行った焼き鳥屋さんのお土産をレンジでチンする。


「これ……焼き鳥のハツなんだけれど、これでいける?」


「……多分」


「頼りにならないわね」


「そう言われましても……」


「あと他には?」


「鳥の血を……」


「あるわけないでしょ!!」


「そういわれましてもー……」


 すると、焼き鳥のハツをよく見ると、血の塊が付いていた。


 そういや、焼き鳥屋さんで食べた時、血がポタポタ滴って、篠宮ちゃん悲鳴上げてたっけかなー。


 そしたら、焼き鳥屋の大将が、「それが美味いんだからグダグダ文句いってんじゃねーよ!!」って怒ってたなー。


 結局篠宮ちゃん、涙目になって食べてたけれど……まぁ美味しかったからいいんだけれどね。


「これでいい?」


 私はそう言うと小皿にハツにこびりついていた血の塊を乗っけた。


「……たぶん」


「頼りないわねー」


「で、どうするのよ」


「それらをお猪口に入れて飲み切ってください」


「おちょこって……湯呑みしかないけど……」


「もう、それでいいです」


「なんか、あきらめ入って無い?」


「そんなことはありません」


「……でっ!!」


「一気にあおってください」


 テキーラ一気か……ちょっとキツわねー


「あのー」


「なんですか?」


「ストロングゼロで割ってもいい」


「ストロング……なんですか、それ?」


「お酒よ、お酒」


「ああ、お酒だったらいいですよ」


「了解」


 私はぐい飲みに焼き鳥のハツと、血の塊とストロングゼロとテキーラを入れて指で混ぜる。


 血が溶け出して、ピンク色の泡が立った液体の中にハツとてらてらと光る油……なんかゾッとしないわね。


「じゃあ、グイっと」


「これ……飲むの」


「はい」


「ホントにかなうのよね」


 まあ、本気にしてないけど。


「あなたの信心しだいです」


「言ったわね」


「はい」


 売り言葉に買い言葉とはこのことで、私は一気に、その焼き鳥のハツとテキーラと血の塊とストゼロのカクテルをあおった。


 ……まあ、焼き鳥とレモンサワーよね……悪くないかな。


「そしたら、お守りを握って、願いを三回唱えてください」


「あいよ」


 私は例のお守りを額に当てて……とその時ちょっと気が変わった。


 サッカーの願いをかなえてくれるというのならば、ちょっと追加でお願いしよう。


「神児君達にもっとサッカーをさせてあげてください、神児君達にもっとサッカーをさせてあげてください、神児君達にもっとサッカーをさせてあげてください……」


 まあ、どう変わるかは分かんないけど「達」の一文字くらい入れてもバチは当たるまい。


 あわよくば、私も一緒にできちゃったりして……そんなストゼロのお陰でいい感じにとろけた頭で考える。

 

 とたん、今までに感じたことのないような強烈なめまいが襲ってきた。


 やばい、調子に乗り過ぎた。なにいたずらLINEに付き合ってアホなことやってるんだ、私。

 

 ヤバイ、水、水、みず~~~

 

 這いつくばるようにして、キッチンに向かって行ったところで記憶が途絶えた。



 目が覚めたら、見知らぬ天井……いや、これは実家の天井だ、。


 私は一旦目を閉じる。


 ヤバイヤバイ、まだお酒が残ってるのかしら。


 もう一回、目を開ける、やはり住み慣れた我が家の天井だ。新日本ハウスじゃないけれど。

 

 あれれー……私はもう一回目を瞑り、頭の中でいろいろシミュレートしてみる。


 もしかして、いつの間にか、実家に帰ってた?


 んなわけあるまい。


 もしかして……深酒しすぎて、急性アルコール中毒になって、救急車に運ばれて、そのまま意識が戻らずに何年もたって、容態が安定したので、実家で寝たきり生活送ってたとか……


 そこまで発想を飛躍させたのだが、意外と布団の中で手足がピンピン動くのでどうやら違うらしい。


 どうしたことやら……とりあえず、ベッドから起きてみる。


 うん、やっぱ、実家の私の部屋だ。


 でも、なんか、ちょっと、違うなー……全体的になんか大きくなったような気が。


 けだるい体でドアを開ける。


 あれ……ドアを開けると廊下には日の光がいっぱいに差し込んでいる。

 ……朝!?!?、今、朝よね。これって。


 たしか、最後の記憶では、夜にお酒飲んで気を失ったわけよね……


 すると……「弥生ー、いつまで寝てるの、さっさと起きて来なさいー」とお母さんの声が!!!


 うーん、ちょっと、状況がまだよくわかんない。もしかして記憶喪失?


 いつの間にかここ何年かの記憶が無くなったとか?なんか以前に雑誌の記事で読んだことがある。


 気が付いたら、1年後で全く知らない土地の電車に乗っていたとか……こわっ!


 まあ、でも、その人に比べたら、実家なのだから安心って言えば安心だ。


 私はとりあえず返事する。


「わかったー」と……


 そしてそのまま、1階に降りる。


 そこで私は私の異変に気が付いたのだ。


 階段を下りるたびに体が軽いのだ。


 まあ、体が軽いというか、正確には胸が軽いのだ。ほら、階段で降りるたびに胸が揺れるじゃないですか。もっともそんなおっきくはないですけれどね。


 それか、まるで少年のように軽やかに階段を下りられる。


 どういう事?と思い思わず胸に手を当てる……が、無い!!

 

 えええええええええええええっっっつ!!!!!

 

 私はあわてて胸を確かめる、無い、ない、ナイ、いや、正確にはちょっとはあるけど、圧倒的にない。


 私は階段を駆け足で降りて洗面台に飛び込んだ。


 …………うそでしょ。


 鏡の前には小学生の私がいた。


 その時、後ろの方で誰かがささやく。


「それでは、心置きなく、サッカーを楽しんでください」と。


 うそでしょ、私、神児君にもっとサッカーをやらせて上げてってお願いしたけれど、私やりたいだなんて……あっ、


 そこで私は思い出したのだ。


 私が最後にしたお願いを……そうだ、最後に、神児君達ってお願いしちゃった……えっ、達って、私も含まれるの!?!?


 えっ、えっ、どういう事!?!?


 って、事はアレだ。


 神児君はこの世界に私と一緒に来ちゃったってこと!?!?


 頭にたくさんのハテナを浮かべながら、一旦自分の部屋に戻って、考えを練り直す。


 とりあえず、今は小学生の君嶋弥生を演じなくては……っていうか、私って今何年生?


 机の上を見る。すると見慣れたお守りが!!!


 すぐさまお守りを手にすると、そこには明らかな抜け殻感が……こんな軽かったかしらコレ。


 ってか、ボロボロになっちゃってる。どうしよ。


 あっ、とりあえず、ランドセルの中にあった教科書を見ると6年生と書かれてある。


 カレンダーを見る。


 なるほど、今は2008年の6月だ。


 と、その時、「弥生ー早く起きて来なさい、また2階行っちゃったの!?、今日は神児君達の試合観に行くんでしょー!!」


 お母さんのその声で確信した。


 カレンダーの29日の場所には赤丸で「決勝戦」と書いてある。


 そうか、今日は6月29日の土曜日だ。


 私はすぐに支度を整えるとすぐに家を出た。


 後ろから、「あんた、ご飯ぐらい食べていきなさいー」とお母さんの声。


 私は「すぐ戻って来るー」と言い残す。


 とにかく今は、神児君に会わなくては。大人の記憶を持っているのか、それとも、私だけがこの世界にやって来てしまったのか……

 

 私は神児君の家の前に来ると、意を決してチャイムを鳴らした。


 すると、玄関から神児君の弟の春樹君が出てきた。


「あっ、弥生ちゃん、おはよー」


「おはよー、春樹君、えーっと、あの」


 すると、春樹君は、


「お兄ちゃんたち、裏の広場で司君達とサッカーしてるよー」と。


「あ、ああ、ありがとう春樹君」


 私はそう言うと、すぐさま、いつもみんなでサッカーをしている広場に走って行く。


 するとその時、遥が目の前の路地を横切って走って行った。


 どうやら私の事に気が付かなかったらしい。


 どうしたんだろ、あんなに急いで……


 私は息せき切って、広場に走って行くと……そこには小学生の神児君と司君がいた。

 

 私はとりあえず、広場の隅にある土管の陰に隠れる。なにやら二人で話し合っているみたいだ。


 すると、「バカヤロー!!今日は太陽君の大切な1歳児検診の日なんだよー!!!」と司君が絶叫した。


 あああああああ!!司君も来ちゃったんだ。こっちの世界に。


 うん、遥が言ってたもんね、今日は太陽君の1歳児検診だって!やっば!!


 尚も二人は何かを話し込んでいると思ったら、いきなり司君は神児君に馬乗りになって、


「やっぱ、テメーの仕業じゃねーかー、神児ー!!!」と再び広場一杯に轟くような怒鳴り声を上げた。


 そして司君はそのままの勢いで神児君の襟首を締め上げるとグイングイン。


 あらやだ、神児君、ちょっと白目剥いちゃってるじゃない。おー怖っ。


 ごめんなさい、司君、実は私のせいなのです。とりあえず私は心の中で謝っておいた。


 だって、今、下手に出て行ったら、何されるか分かったもんじゃないじゃないですか。ゴメンね神児君。


 私はとりあえず、そのまま二人に気付かれないように家に戻る。


「あら、あんた、早かったわね。早く朝ごはん食べちゃいなさい」


「うん、わかった」と言いつつ、小走りで自分の部屋に戻る。


 そして机の上に置いてあったお守りを持ってもう一度お願いする。


「ゴメンなさい、嘘です、昨日のアレは無かったことにしてください」


 ぺらっぺらになったお守りに一生懸命お願いをする。


 でも、どう見てもそのお守りは抜け殻のようになっていて……


 すると、その時電話が鳴った。


 私の部屋の中に家電の子機があったのですぐさま電話に出ると、「今回のご依頼については、クーリングオフは適用されませんのでご了承ください。それでは心ゆくまでサッカーをお楽しみください」


 そうとだけ言うと、電話はブツっと切れた。


 開いた口の塞がらない私。


 手に持った電話機からは、ツーツーツと通話音だけが鳴っていた。

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私の彼はフットボーラー 相沢孝 @t-aizawa1971

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