第6話
土砂降りとなった午後八時。マリは、再び家のドアの前で立ち止まっていた。
なんて言えばお母さんは水素水買ってくれるかな。……分からないな。でも、ずんだくんが教えてくれたものなんだから絶対買ってもらわなきゃ。……水素水を飲み始めたらクラスの皆は私に優しくしてくれるかな……。
ようやく言葉が決まった様で、マリは、ドアを開けた。
「お母さん! 水素水って知ってる?」
既に母親は家を出た後の様で足音がしない。
「……もう行った後か」
玄関のメモ書きには「勝手に」の文字だけが書いてあった。
久しぶりに長時間会話をしたせいだろうか。マリはリビングに入るやいなや、床に寝転んだ。その後雨音にかき消されながらも独り言を呟き、やがてそのまま眠りについた。
……マリちゃん。そんなところで寝てたら風邪ひいちゃうのだ……もちろん水素水を飲んでいれば風邪なんてひかないのだ……でも、水素水を飲んでいないマリちゃんはそんなびしょ濡れのまま寝てたらだめなのだ……
夜中の三時。マリは目を覚ました。
ずんだくん……起こしてくれてありがとう……。水素水……早くしなきゃ。
マリは濡れた制服を脱ぎ、異臭のする布団に移り、再び眠りについた。
……マリちゃん、偉いのだ。風邪をひいたら良くないのだ。僕の言う事を聞いて偉いのだ。しっかり寝るのだ。そうしたら、明日また会おうね……。
午前六時。マリが目を覚ました。風邪は引かずに済んだらしい。やけに元気そうな顔で、朝の支度をする。制服は生乾きだが、流石に着ない訳にはいかない。「勝手に」のメモを一瞥し、ドアを勢い良く開ける。
自転車に乗りながらマリは考える。
今日皆に水素水をどれくらい飲んでるか聞いてみよう……それからどこのお店で買ってるのか。……今日はずんだくんはどんな事を教えてくれるのかな……楽しみだな。
その日もマリが一番初めに教室に着いた。昨日と同じ様に席につき、自転車に乗っていた時と同じ様な独り言を呟いていた。次に教室に着いたのは、二人組だった。昨日のクラスメートと同じく教室に入るのを躊躇ったが、二人だった為であろうか、意を決して入ってきた。
「うわ、こいつ、制服透けて……」
「本当だ……きっつ。まぁこいつの母親……」
マリは相変わらず聞いていない。唐突に二人組に話しかける。
「ねぇ! 二人共! 水素水はどこで買ってるの? どこが一番いい? 知ってるでしょ」
二人組は互いに顔を見合わせマリを無視する。
「ねえ、知ってるんでしょ!」
二人組は怖気づき、少しずつドアの方向に後退りする。自分から逃げていることに気がついたマリは、忽ち大声で喚き出した。
「なんで教えてくれないの? なんで無視するの! ずんだくんが皆買ってるって言ってたのに!」
騒ぎ出したマリに二人は本格的に恐怖する。丁度出勤してきたであろう担任がカバンを持ったまま教室に駆けつけてきた。
「なんの騒ぎだ!」
「無視しないでよ! ずんだくんが言ってたんだから! もう! 教えてよ!」
マリは熱中する。二人は完全に怖気づき、担任に匿われて教室から脱出する。マリはその内騒ぐのを止め、静かに泣き始めた。
その後の処理は早かった。担任は、体調不良という体でマリを早退させ、二人組のケガの処置をした。マリの母親が学校に迎えに来て、マリを連れて帰った。
家に連れて行かれたマリはずんだ餅の事しか考えていなかった。マリの母親は
「勝手にしろとは言ったが、私にだけは迷惑をかけるなアホ娘」
とだけ言って再び仕事に出ていった。
マリは一心不乱にドアを開け、どんよりと曇る空、静かな木々の間を自転車で走りだした。
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