第17話 気を利かせたんだから

「嫌なら、よすけど。井藤悦子さんが亡くなったことと、関係しているとか?」

「そうじゃないけれど……」

「だったら、考えてほしい。部誌だって、君が書かないってことは、部長さんと一年の新倉さん、二人しか書いてないんだろう?」

「そうだけど……」

「縁川さんみたいに、それだけ本を読んでたらさ、普通、自分で書きたくなるんじゃないかなあ」

「前にも言ったでしょう、書きたいと思ったことなら、いくらでもあるの。悦子さんにアイディアを出したこともあった」

 ペンを置く恵美。アンケートは、すでに書き終えていた。

「その気持ちで、一つ、書いてみない? 今なら、何だって挑戦できるよ」

「そんな……無理よ」

「決めつけないで。さっきの話だと、俺――僕の読む本と、縁川さんの読む本、似ていると思うんだ。だから、縁川さんが書いた物語なら、きっと僕も、面白く絵にできると思う」

「ジャンルが重なっただけよ。それぞれが読んだ本は、きっと違う」

「そうかな。実は……気にしていたんだ、縁川さんの名前」

「名前? 私の?」

 目をぱちぱちさせてしまう恵美。津村は一つ、大きくうなずいた。

「そう、中三のときから。図書の貸し出しカードに、名前が記入されるだろ。で、自分が借りる本を、前に誰が借りていたのか、何の気なしに見ていたら、半分以上に、その名前があるのに気が付いた。『縁川恵美』って」

「……」

「同じクラスだったから、すぐに分かった。気になりもした。でも、そんなことで話しかけたら、変に思われるんじゃないか。そういう意識も働いて、特に言い出しはなかったけど。……だけど、去年の十一月のあれにはびっくりした。お姉の大学の学祭で、ばったり会うんだもんな。絶対、感性が似ているんだと思う」

「例えそうだとしたって、私が書いたのなんか、面白くないよ……多分」

 そこへ、園田がまた近寄ってきた。

「小説を書くんだったら、及ばずながら、手伝えると思います」

 どうやら、聞き耳を立てるのをやめていなかったらしい。辺りを見れば、ぽつぽつとお客が来ている。

「よっぽど暇みたいだ、部長さん」

 呆れるように、津村。

 同学年と先輩、男子二人を無視して、恵美は立ち上がった。

「どうしたの?」

「そろそろ時間だから。ごめんね」

 確かに、時計は正午五分過ぎを示していた。美術部の展示室に残っている桃代とした、昼食の約束まで残り五分。

「あ、そうか。悪い、引き止めちゃって」

「ううん。じゃあ」

 内心、悪いことしたかなという意識もあった。けれども、創作についてあれこれ言われるのは……。さっきは否定したけれども、悦子のことが影を落としているのは、間違いなく、理由の一つだ。

「あ、も一つ」

 呼び止められた。立ち止まり、相手の言葉を待つ。

「大したことじゃないんだけど……明日は、弁当、持ってこなくていいよ」

「?」

 表情と仕種で、分からないと答える恵美。

「片山さんにも言っといて」

 分からないなりに、恵美はうなずく。とにかく、この場を早く離れたかった。


 戻ると、桃代と幸枝がお喋りしているのが、目に飛び込んできた。二人とも、まだお弁当は広げていない。

「ああ、お帰りぃ」

 桃代は両頬杖をついた体勢を解き、のんびりした声を上げた。

「どうだった?」

「どうって?」

 弁当箱を取り出した恵美は、席に着きながら、敢えて聞き返す。

「だからぁ……もう、あいつとのこと」

 こちらも弁当を開けながら、桃代は唇を尖らせた。気を利かせたからには、結果報告を聞く権利があると言わんばかり。

「これといってなし。ほんとよ」

「何で?」

 それから桃代は声をひそめた。

「この際、はっきり聞くけど、津村のこと、好きなんでしょう?」

「あのねえ……。好きとかじゃなく……去年のあのとき、未知の物語を絵にしてみたいって言ってた彼、格好いいなと感じて」

「……それまで、いい加減なところしか見せてなかったからね、あいつ。だから、その反動で、よく見えたのかも」

 きしし、と笑う桃代。

「そんなことないって!」

「むきにならなくても。ほら、他の人に聞こえちゃうよぅ」

 慌てて口元を押さえる。

「それで、どういう会話をしたの?」

 静かに箸を運んでいた幸枝が、不意に言った。気にはなっていたらしい。

「小説の話」

「それだけ?」

 不満そうな桃代。

「そもそも、どこを見に行ってたんだっけ?」

「図書部よ。私は気が進まなかったけれど、津村君のご希望でね」

 それから、急いでポスターを作ったことを、恵美は、短くまとめて話した。

「あっきれたなあ。そんなんじゃあ、まともなデートとは言えないじゃない」

「何がデートよ。ほんの一時間ほど、一緒に話しただけ」

「ま、いいわ。話の中身を聞きたいの。小説の話って?」

「例のごとくって言っていいのかしら。小説、書いてくれないかって方向に行っちゃって。私、だめだって言ってるのに」

「ふむ。向こうも結構、気に入ってるみたいね、恵美を」

「えっ、気に入ってる?」

 自分の顔が、少し赤らんだ気がする。恵美は、桃代に見える方の頬を、右手で隠した。その様がおかしかったのか、幸枝は一人、くすくす笑った。

「そうと思うけど」

 厚焼き卵を口に放り込む桃代。その表情から判断するに、楽しみに取っておいた物らしい。

「それは……読んでいる本の傾向が似通っているからよ。趣味が合うという点だけ、気に入ってるんだわ」

「趣味が合うのは、大きなポイントじゃないかしら。――ま、あまり首を突っ込んだら面白くない……じゃなくて、よけいなお節介だろうから。ね? あとは自分でやりなよ」

「な、何よ、それ?」

 恵美が問い質そうとしたところで、部屋に入ってきた者があった。

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