第3話 次なる目標
「恵美ちゃん、元気してた?」
「してたしてた」
早口で答えるのは、優の妹の恵美ちゃん。一般に、妹は兄の女友達に敵意を示すこともあると聞くけれど、彼女に限って、そういう様子は微塵もない。かえって、歓迎されているような気がするのは、思い上がりか。
いや、小説のことで、色々と一緒にやっているぐらいだもの。好かれているのは間違いないはず。少なくとも、なついてくれてる。
「お兄様へ、挨拶は?」
優が不服そうに言うと、恵美ちゃんは髪をなで上げ、
「尊敬できる兄貴だったら、してもいいけど」
と、片目をつむりながら言った。
「言ってくれるぜ。そういうことは、男の友達でも引っぱり込めるようになってからにしなっ」
続けて、けけけという感じで笑う優。お互い、口は悪いみたいだが、この兄妹、それなりに仲はいいと見受けられる。
「よけいなお世話っ。――ねえ、悦子おねえちゃん、兄貴なんか放っておいて、小説、次の作品のこと、考えよ」
「放っておくことはできないけど」
片手で口を覆い、笑いをこらえながら、答える。
「恵美ちゃんの都合に合わせるわ。いつがいい?」
「うーんと、今、実は宿題やってて……」
「おうおう、高校生はつらいのぉ」
優が妹をからかう。いつものことだ。
「うるさーいっ! そっちだって、レポートでひいこら言ってるくせに。……多分、晩御飯前までかかっちゃうだろうから、食べ終わってからでいい、悦子おねえちゃん?」
「いいわよ。何なら、見てあげようか?」
「ううん、いい。邪魔したら、やっぱ、悪いし」
首を振り、意味ありげにウインクする恵美ちゃん。私と優のことを言っているのは、間違いない。今の高校一年生、これぐらいの洒落っけは当然かな。
「そう? じゃ、頑張ってね」
「そちらこそ」
ということで、私と優は、彼の部屋に。
恵美ちゃんは色々と想像を働かせているみたいだけど、現実はそうでもないのだ。もちろん、夕方から大胆なことができるはずもないが、そもそも、私と優の関係は、幼なじみの域をほとんど脱していない。
「映画、いつ行ける?」
突然、前から約束していた話を持ち出され、返答に窮してしまう。
「あ……うーん。学祭が終わるまでは、ちょっと苦しいかな」
「じゃあ、学祭が終わってから、最初の休みは」
卓上カレンダーに目をやる優。
「十二日か。この日は?」
「大丈夫よ、多分」
「問題は、その日までやっているかどうかだ」
観たい映画の上映期間のことを言っているのだろう。
映研所属の優は当然、映画好き。多分、観たい映画でなくても、付き合って観てくれるだろうけれど、やはり観たい映画に越したことはない。
「あとで、確かめとこう」
それから二時間ほど、お喋りやらゲームやらで、時間を潰した。
食事を食べ――もとい、いただき終わると、先に食べ終えていた恵美ちゃんが、待ちかねたように立ち上がる。
「さ、行こ」
「あ、ご馳走様でした」
腕を引っ張られながら、私はおばさんに頭を下げる。
「恵美、宿題は?」
「終わった。中坊じゃないんだから、いちいち聞かないでよ」
そう言う恵美ちゃんは、母親の方に背中を向けたまま、さっさと自分の部屋に行こうとしている。
「あまり迷惑かけちゃ、だめよ」
おばさんが言った。
いえいえ、迷惑なんて、とんでもない。こちらこそ。
そう思いながら、私は恵美ちゃんの部屋に向かった。
「……何で、兄貴が」
入り口のところに立ちふさがり、頬を膨らませる恵美ちゃん。
「だって、寂しいんだもーん」
冗談めかして、優。女言葉は、やめてくれ。
「いつものことだからいいだろ」
「一言で表すと、鬱陶しい」
恵美ちゃんは、私の顔に視線を向けてきた。
「悦子さんはどうだか知らないけれどね」
「ほう、そう来るか」
優は腕組み。
「二学期の前期試験のとき、勉強を教えてやったのは、どこのどなただったか」
「あ、きったなーい! そんな昔の話を」
「どこが昔だ、どこが。ま、次の期末、どうなってもいいんなら、俺は出て行くだけね」
しばらくの間、妹は沈黙し、兄は返事を待った。
「……いてください」
これまでと変わりなく、兄と妹の口喧嘩は終結をみた。私も慣れっこになってしまって、楽しんで見ていられる。
「では、遠慮なしに」
クッションの一つを取って、腰を落ち着ける優。このクッションカバーの色合いは、男には似合わないと思うのだけど、本人はお構いなしらしい。
「汚したり、引っかけたりしないでよ。……あ、悦子おねえちゃん。『アウスレーゼ』の批評、読んだよ」
兄に注意し、さらに座卓を置きつつ、恵美ちゃんは私に話しかけてきた。
私は座卓に肘を突き、いささかの演技を交え、ため息。
「どうしたの?」
恵美ちゃんは、私の正面に座りながら、気安い調子で言う。
「今の悦子に、それは禁句。結構、落ち込んでいるみたいなんだ」
優が横手から、いらぬことを口に出す。
「本当?」
恵美ちゃんは、優から私へと、視線を戻した。
「ううん、今はそれほどでもないんだけど、あれだけ書かれると、何かこう、自分の力不足を痛感……」
「そんなあ。プロを目指そうって人が、こんなのでいちいち落ち込んでたら、始まらないよ。こんなときは……この間は惜しかったけど、とりあえず忘れて、次を目指して頑張る、でしょ?」
「それはそうなんだけど」
高一に慰められるのも、何だかなあ。
「とにかく、次の、考えよ」
恵美ちゃんは、アイディアノートを広げた。いつにも増して、熱心だ。推察するに、試験期間中もアイディア探しをしていたのかも。
「当然、次もF&M狙いで、ファンタジーでしょう?」
「そのことだけど、来年の六月三十日まで、たっぷりあるんだから、F&Mの前に別のに投稿してみようかなと思ってるの」
「あー、大学生は暇だもんね」
「うーん、まあ、それもあるけど」
言っては見たものの、他に理由はない。強いて言えば、早く、何かの賞を取りたい。より端的に表現すると、早くデビューしたい。それだけ。
「狙うとすれば、どんなのがあるのかしら?」
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