彼女は、戻りたかった

 聖魔法がパーティを出発して数時間ほどしてから私はパーティを離れることになった。少し間を置いて彼女のことを追って共に行動してほしいと頼まれたときは正気を疑ったが、彼の目を見ると何も言えなかった。


 私はあの目を知っている。


 そして、いろんな事情を抜きにしても彼女に誰かをつけるのは正解だった。彼女は早速森の中で方向を見失って迷子になっていたからだった。考えてみたら当然である、修道女に周囲に漂う魔力の機微から場所を推定するスキルが必要とは思えない。


 彼女はひたすらに不安に焦っていただろう――実際のところ、私の姿を見た途端に泣きながら抱きついてきた――が、私にとっては都合がよかった。その分魔族領に滞在する時間が伸びたからである。魔族領にいる内に暗部からの伝令と接触できた。さすがは連中、跡をつける魔道具を明後日の方向に動かしたのにやってきた。


 魔族の領土、首と体とが別れた邦人を見つけることもなかろう。これでパーティには指示が伝わらない。私にも『伝わっていないこと』にできる。予備の伝令がいたとしても、少なくとも伝わる時間を遅らせられる。


 彼女に一切を勘づかれることもなく国境を越えた。日はすっかり沈んでいるが、満月がこうこうと輝いている。修道女は月にひざまずいて祈りを捧げた。


「みなさんは元気でしょうか」


 彼女がゆっくり目を開ける。


「はじめは全くの見ず知らずだったはずなのに、今は皆さんの顔がずっと浮かんでいます。いつの間にか大きな存在になっていたのでしょう」


「あなただってみんなにとっては大事な存在よ」


「私はまだパーティの中では若輩者、皆様の助けになっているばいいのですが。皆さんお強いから私の出番なんてあまりないじゃないですか」


「たしかに実力はかなりのもの。けれど、彼らが倒れたときに助けられるのはあなただけ。平時には手持ち無沙汰かもしれないけれど、大変なときにこそ力を発揮するものよ」


「ですが」


 彼女が立ち上がると窓のさんに手をかけて身を乗り出してみせた。小さな足でつま先立ちして、月をより近くで見ようとしているらしかった。


「魔族領に入っていよいよ相手を倒そうとしているこのときこそ、私は離れるべきではなかったのでは?」


「大丈夫、大丈夫よ。今回が初めてじゃないから。何度も魔族領に入ってはもともとの領土を取り返してきた。今回だって同じ」


 とはいえ、彼らのほとんどの案件について知らないのは私も同じだった。前回の奪還のときが私にとっての初めてだったが、相当厳しい状況だったのを覚えている。色々な運が向いて辛くも成功した、といった印象である。それがいつものことなのか、あるいはいよいよ求められている結果に実力が追いつかなくなっているのか――


  私に向けた彼の目が脳裏をよぎる。


「実はずっと胸騒ぎがしているんです。心配な気持ちがそうさせているのかもしれないのですが、とにかく、嫌な予感がずっとしていて」


「パーティから一時的に離れているから不安になっているだけでしょう。教会にいた頃でもこんなことはなかったんじゃない? どこかへ行くにしても一人でなにかする、ってことは少ないんじゃない?」


「確かにそうですが、それでも今はあなた様が一緒ですよ。それでも不安が拭えないのに戸惑っていて」


「大丈夫よ。もう会えないというわけじゃないのだから。彼らを信じてあげましょう」


 私は彼女の後ろから優しく腕を回した。彼女と同じように月を見上げる。きっと彼らもこの月を見上げているであろう。


 月明かりは彼らの行く先を明るく照らしてくれるだろうか。

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