第四話 雲を掴む

 ──どれほど優れた発明であろうが、人を殺す。どれほど凶悪な発明であろうが、人を生かす。   ブレンダン・ムーア




 プティは精神的に疲弊していた。魔道法廷を明日に控え、エミリーの聴取という名の追求が激化していた。身体の傷は癒え始めていたが、心は対照的に重さを増していった。


「カラセナの村を壊滅させたのは、あなたの魔法である可能性が高い」


 それがエミリーの指摘だった。足元をすくわれて倒れこむように、プティは絶句した。長時間の孤独を味わったことで感情が摩耗し、言葉を失う害の反応を起こすことはできなかった。辛うじて口を突いて出たのは疑問符だった。


「なぜそんなことを言うんですか」


「未認可の魔法所持。魔法符を渡したという両親の死亡。近年、あなたほどの年齢の子供による魔法関連の事件は後を絶たない。一時的な感情で魔法を武器に変え、家族や友人を傷つける例は枚挙に暇がない」


 カラセナの様子が伝わり、人々があるべき形で弔われることを期待していたプティにとって、これほど思いを裏切られようとは夢想だにしなかった。ただ一人生き残った自分が、村を破壊した……否定しようにも、ここで彼女の言葉はなんの意味もなさなかった。魔法犯罪のほとんどは詳細な証明を必要としない。状況が許せば、一生を監獄の中で過ごすことになる。


 エミリーは請求する量刑に確信を持っているようだった。プティの弁明を裏付ける証人はいないのだ。ただ、現場周辺の森林地帯に残された大規模な破壊の跡は説明が難しかった。


 森が途切れた箇所は不明だが、木々を倒しながら何かが移動していたらしい。それはカラセナから東へ数キロの地点からすでに始まっていた。真っ直ぐにカラセナに向かった後、村の北方面へ抜け、やがて森が途切れたところに到達し、痕跡を追うことができなくなった。現地に派遣された治安維持局の調査隊は周辺の捜索を続けているらしいが、西方戦線の影響で捜索範囲が限定されているようだ。


 状況からすれば、魔法によるものと考えるほかはない。森林を切り開きながら進むような巨大な生物は存在しない。人間の集団が進んだとも考えられない。木は凄まじい力でなぎ倒されていた。人間が道具を使って木を切り倒したのではないことは明白だし、そもそもそんなことをする理由はない。


 大質量の物体を移動魔法によって動かす技術は古来より使われてきた。今回もそれに類する魔法の存在が示唆される。


 ところがカラセナ内部に関して言えば、その状況は一変する。大質量の何かは明確な攻撃意思を持って村人を殺戮したとしか思えないのだ。これを一人の少女がやってのけることができるだろうか。村人のほとんどは屋内にいる状況のまま潰されていたが、狭い村とは言え数人は逃げようと試みただろう。そうした人々は明らかに狙われて殺害されていた。凄まじい重量で叩き潰されていたのだ。エミリーは、何者かの共犯の可能性も視野に入れていた。裁判やその後の調査によって明らかになるだろう。


 魔道法廷で争うのは、中堅弁護人のネイサン・アリ。エミリーも何度か法廷で顔を合わせることがあった。直接的な対峙はこれが初めてだが、勝算はあった。


 ネイサン・アリには、第三種以上の魔法犯罪を取り扱った法廷での白星がない。それどころか、そもそもの経験数が少なすぎる。魔道府が選定した府選弁護人ではあるものの、明らかに人選ミスであるように思えた。検事である自分が言うことではないが、魔道法院は一人の少女を見捨てるつもりなのだろうかとエミリーは思う。


 弁護人が指摘するとすれば、村を壊滅させた魔法が再現性の観点から実在が確認できないとかせいぜいその辺りだろう。手腕が疑わしい弁護人ならば、どのような魔法が使われたのか専門的な見地から明らかにしようとするだろうが、ネイサンには魔道士資格がない。魔道士アドバイザーを雇うにしても大した魔道士を引っ張ってこれるとは思えない。魔道法廷におけるアドバイザーは報酬と仕事量が比例せず敬遠されがちだからだ。


「石の怪物……」


 不意にプティがそう口にするのが聞こえた。エミリーの聴取では滅多に有用なことを喋らない彼女が、声を震わせていた。


「石の怪物?」


「石の怪物が村を襲ったんです」


 思ってもみない単語に、エミリーは虚を突かれた。


「急に何を──」


「もう嫌です。どうしてこんなに苦しめられなきゃいけないの……」


 充血した少女の目はまるで燃えるようにエミリーを捉えていた。薄暗い石の小部屋に閉じ込められると、ほとんどの人間はプティのように変貌する。狭い部屋の中に押し込められることが人の精神を苛めるのだ。エミリーにしてみれば、ようやく人間らしい様子を見せるプティに安心感すら抱き始めていた。


「石の怪物って、ゴーレムのこと?」


「分からない。だけど、大きな石の怪物……」


 ここに来て、エミリーは確信を得た。魔法犯罪を起こした子供は精神を病んでいるケースが多い。そうした子供たちは犯行中の記憶が曖昧で、幼い頃から植え付けられたゴーレムという畏怖のイメージを投影する。自分と、加害者である自分とが分け隔てられ、一種の精神分裂を引き起こすのだ。


 量刑請求には影響しないが、プティの処遇は違ってくるかもしれない。いつ暴走するかもしれない魔法犯罪者は、異端審問プロトコルが適用される。異端審問の結果によっては、監獄よりも厳重な封印牢への収監が決まる可能性もある。かつては、処刑人による極刑が実施されていたが、いまではいかなる犯罪者も命を奪われることはない。


 エミリーは石の怪物に関する話を聞き出したものの、肝心のプティの記憶がやや曖昧で、より精神分裂の線を強めることになってしまった。手帳を閉じ、措置所を出るエミリーは、別の案件に意識を向けていた。




 グラムはエニシングとネイサンを前に興奮冷めやらぬ様子だった。擬似的にゴーレムを再現する方法についてのメモを握りしめながら、部屋の隅の黒板にチョークで文字を書き殴る。魔法式だ。


「移動魔法に複雑な条件を組み込むことで、石の塊を人間のように動かすことができる。関節部分は領域魔法で接合することで、あたかも生物のように振る舞わせる」


「そんなに複雑な条件を組み込めるものですか?」


 ネイサンは理解の外にある魔法式を見つめていた。


「身体の各部分の位置関係で移動魔法の移動方向や速さを変更させる。条件分岐によって移動魔法の詳細を指定すれば、理論上は実現可能だ」


 理解した振りをして頷くネイサンだが、エニシングは釈然としない様子で煙草を消した。


「全体の魔法式はかなりの分量になるだろう。ゴーレムの身体にそれだけの魔法式を組み込むことができるか?」


「遠隔魔法だよ。ゴーレム自体には、全体の魔法式を代入させるメタ構文を組み込んでおく。全体の魔法式自体はそこに記述する必要はない。ゴーレムに駆動用の魔法を飛ばせば、問題は解決する」


「仮にそれが可能だとしても、パルヴィさんの嫌疑を晴らす材料にはならないかもしれません」


 ネイサンは至極冷静に状況を説明する。エニシングもまたゴーレムの再現性には疑いを抱いたままだった。


「アリさんが聞き出したように、パルヴィさんは石の怪物が明確な攻撃意思を持っているようだと言っていた。そういった意思は魔法では作れないはずだ」


「これは仮説だが、ゴーレムには一定の攻撃原理が組み込まれていたんじゃないだろうか。例えば、声や体温といった環境情報は条件構文に代入することができる。そして、俺の仮説通りであれば、ゴーレムに駆動魔法を送信している魔法具か何かがあるはずだ」


 それが見つかれば、プティのカラセナ壊滅の疑いは晴れる。グラムはそう断じた。エニシングは依然として腕組みして相好を崩さない。


「だが、それはあくまで送信魔法が見つかればの話だ。そもそも存在するという証拠もない」


「ですが」希望を見出すのはネイサンだ。「その送信魔法がどのようなものか、仮定することができればパルヴィさんの嫌疑を逸らすことができるかもしれません。現にパルヴィさんは、何かそれらしいものも持っていませんし、カラセナの調査でもいまのところは特に何かが見つかったという報告も入っていません」


「魔法式は少なくとも一般的な魔道書一冊分くらいはあると思われる」


「その送信魔法というのが破棄されている可能性は?」


 門外漢が放った疑問はグラムの懸念と一致していた。ゴーレムに駆動魔法を代入させれば、あたかも竃に火を入れるように、後は駆動魔法が条件に従って動くだけだ。送信元の魔法具は処分してしまっても問題はないというのが、グラムが想定していた魔法構造だ。


「そのゴーレムはいまも動き続けているのか?」


 新しい煙草に火をつけて煙と共に問いを吐き出すと、エニシングは黒板の魔法式を眺めた。


「治安維持局の調査隊がゴーレムを発見していないことから、ゴーレムは長時間駆動して長距離を移動したことは明らかだ。いまも駆動している可能性もなくはないだろう」


「ならば、魔法発動のリソースとしての群青石も大質量のものになるんじゃないのか?」


 ハッとして手帳にペンを走らせると、ネイサンは笑みを浮かべた。


「パルヴィさんにそれほどの群青石を入手できなかったという争点であればこちらにも勝機があるかもしれません。まあ、ゴーレムの件を証明することが先決ではありますが……」


「それでも、二回目以降の魔道法廷に望みを繋ぐことはできる……」


 グラムも期待感に仮面の下で頬を緩ませた。




 プティの魔道法廷裁判、その第一回目は雲ひとつない快晴の日に行われた。グラムはエニシングと別れ、ダンテ・パーシヴァルとして魔道法院に向かった。


 弁護人控え室でネイサンと固い握手を交わす。ネイサンは濃い紫のスーツに身を包み、気合十分だった。


「パーシヴァルさんは魔法アドバイザーとして同席していただきますが、基本的な弁論は私が行います。魔道法廷裁判官がパーシヴァルさんに質問した場合のみお話しください」


「分かってる」


 短く答えてグラムは黒いスーツを整えた。長い髪は後ろでまとめてある。白い仮面を撫でる指は硬い。法廷での一挙手一投足がプティを助け出す一手になるようなものだ。そう思うと、グラムの気も引き締まる。ネイサンは手帳を開いて熱を帯びた声を投げかけた。


「我々が主張するのは、一、カラセナの壊滅とパルヴィさんの意思との間に関連はないということ。二、カラセナの壊滅にはゴーレムが関与しているということ。三、ゴーレムの再現に必要な群青石をパルヴィさんは持ち得なかったということ。四、所持していた魔法符はパルヴィさんの両親に持たされたということ。これで再調査請求を行います」


「うまく行くだろうか」


「難しい綱渡りではあります。相手はエミリー・ガーランドですし」


 エミリー・ガーランド……グラムは彼女と過ごした日々を思い返していた。居住区にある古いアパートメントの一室で、時に笑い合い、時に魔法談義に花を咲かせ、時に喧嘩をした。


 アルビノの彼女はその容姿から子供の頃からいじめられ、西方魔道府に入る頃にも奇異の目で見られることが多かった。御伽噺では、悪の魔術師はアルビノとして描かれることが往々にしてある。特に魔女はそのような容姿として登場する。かつてアルビノに対する迫害の時代の名残だったのだ。現在ではそういった風潮は払拭されてはいるが、根強くアルビノを嫌悪する人々がいることも確かだ。


 エミリーはいつでも人の陰に隠れていた。研修期間を終えて、彼女は第一希望の治安維持局戦略室へ配属された。戦略的思考とマネジメント能力を買われての選定だった。


 治安維持局戦略室は、国家連合的な組織である魔道府が擁する治安維持部隊と各地の戦況や異常、災害を勘案して部隊の編成や派遣、各国各地域との折衝をも行う。そこには、武力解決や交渉といった問題解決プロセスが存在し、世界の均衡維持に努めている。


 ここダネヴェは治安維持局戦略室の功績の象徴的な街だ。戦争の要衝地であったダネヴェは度々激戦地と化し、多くの戦死者や戦争被害者を生み出していた。六十年ほど前に中央魔道府がダネヴェ平定作戦決行を決議、西方魔道府が実行部隊を派遣し、ダネヴェは迅速に魔道府の管理下に置かれた。


 ダネヴェの都市機能運用には、近隣の都市が名乗りを上げたものの、議論は紛糾。結局は西方魔道府の直轄地となった。この一連のダネヴェ平定の戦略指揮を執ったのが中央魔道府と西方魔道府合同の治安維持局戦略室だった。


 ダネヴェ平定の実行部隊は戦闘のスペシャリストである治安維持局特殊強襲部隊だ。十五年前のグラムは第七部隊の隊長として在籍し、七十二名の隊員を指揮していた。


 グラムとエミリーが出会ったのは戦略演習の場だった。仮想の戦況に対する実戦的な行動演習だ。その戦略会議で意見を求められたエミリーは、損害を最低限に抑える提案をした。その的確な判断に周囲は舌を巻いた。彼女に対する偏見は次第に鳴りを潜め、グラムは彼女の聡明さに惹かれていった。


「──……いいですか?」


 物思いに耽るグラムの意識をネイサンの声が打ち破った。


「すまん、なんだ?」


「この後、開廷前打ち合わせで魔道法廷裁判官と検事、弁護人でおおまかな裁判の流れを確認します。パーシヴァルさんは同席してもしなくてもいいんですが、どうしますか?」


 仮面をつけているとはいえ、エミリーと対面するのは気が引けた。少人数で言葉を交わすことのリスクは計り知れない。自分の正体が露見してしまえば、全てが水の泡に帰してしまう。


「俺は遠慮しておく。念のために魔法式にもう一度目を通しておくさ」


「分かりました。打ち合わせの後、開廷になりますが、廷吏が呼びに来ますのでここで待機していてください」


 ネイサンは足取り軽く部屋を出ていった。ひとりになってグラムはほっと一息つく。ダンテを演じる間は下手な失敗を踏まないか気が気でない。ここは異端者にとって敵陣の真っ只中に等しいのだ。




 午後一時、魔道法院に鐘の音が響いた。法廷内に続々と役者が揃う。弁護人席には、ネイサンとグラムが隣り合って座り、広い空間を取った向かい側に検事席がある。久しぶりに見るエミリーはさすがに年齢を重ねていることを感じさせたが、変わらずに美しかった。グラムは仮面の中から、準備をするエミリーの痩身と真っ白い髪が揺れるのを見つめていた。


 傍聴席には、記者らしい数人と見学者らしい男女が疎らに腰掛けていた。エニシングの姿はなく、グラムはやや気落ちしたが、居住まいを直し、裁判官席の方を向いて魔道法廷裁判官の入室を待った。


 やがて、裁判官席の後方にある大きな観音扉がゆっくりと開き、白髪頭の老齢の紳士が姿を現した。全員が起立し、魔道法廷裁判官が着席するのを待った。


 アルト・ルブ・エンブラ魔道法廷裁判官。この道四十年のベテランだ。厳格な雰囲気を漂わせるものの、ユーモアを持って裁判を円滑に進め、判断を下してきた。


「これより、第一回プティ・パルヴィ審判を開始します。皆さん着席してください。それと、廷吏は被告人を」


 廷吏に連れられ、プティが法廷内に姿を現した。ずいぶんやつれているようにグラムの目には映った。だが、弁護人席に目をやったプティは思わず目を見開いた。明らかに一目で分かるグラム・グランが我が物顔で席についているのが見えたからだ。これまでの数日間、彼女を覆い尽くしていた孤独の霧が一気に晴れ渡るとともに、「なんでここにいるの!」という言葉をもう少しで高らかに発するところだった。


 周囲の目を盗んで一瞬だけ人差し指を口の前に持ってくると、グラムは他人の振りをした。何かを察したらしいプティもそれ以上は反応を見せなかったが、被告席に着くまで不思議そうにグラムの顔をチラチラと盗み見た。同時に心の奥底から湧き上がる喜びが表情を崩さないように努めるのが大変だった。


「弁護人の補佐としてダンテ・パーシヴァル氏が同席されます」エンブラが厳粛に言い渡して、グラムは頭を下げた。「出来るだけ開廷前打ち合わせには出席してください」


 グラムが釘を刺されると法廷内に小さな笑いが起こった。謝罪の言葉を待つ間もなく、エミリーによる量刑請求の冒頭手続きが始まる。エミリーは肩口に流していた髪の束を後ろに払った。後ろで束ねた髪が馬の尻尾のように揺れる。それが彼女にとってのスタートの合図だった。


「エル・アルバ暦六百十二年獅子月の第七日、イストリア領カラセナにおいて、魔法行使により四十二名の人名、十八の建造物破壊の廉で被告プティ・パルヴィに第一種魔法犯罪の適用を求めます」


 かつてとは声の強さが違う、とグラムはぼんやり聞き入っていた。


「当法廷は本量刑請求を受理し、これより請求審査を開始します。まずは、エミリー検事、請求事由を陳述してください」


 咳払いをひとつしてエミリーは陳述書を読み上げた。


「本件は、被告による魔法行使が原因で発生したものと考えます。すでに提出しております被告による証言は、家族内虐待による精神的な変容が認められます。証言内の『石の怪物』は、被告が事件当時、精神分裂をきたしていた可能性を示唆していると考えられます。なにより、被告の数々の証言には裏づけがありません。よって第一種魔法犯罪を請求します。これは魔法令目における刑罰優先論が支持すると考えます」


 エンブラが頷いて、ネイサンに視線を向けた。


「では、ネイサン弁護人……この法廷ではお久しぶりですね」


「お久しぶりです、裁判官」


「それでは、弁護側の反対請求と請求事由を陳述してください」


「本件は、被告による魔法行使は行われず、第三者的要因によって引き起こされたものであると考えます。その第三者的要因とは、魔法によって再現されたゴーレムです──」


 法廷内にざわめく声が飛び交う。記者たちがペンを走らせる音がそれらを助長しているかのようだ。エンブラは木槌を叩き、静粛を呼びかける。


「陳述中は静粛に願います。ネイサン弁護人、続きからどうぞ」


「また、そのゴーレムの駆動維持に必要な群青石量を推定したところ、被告に所持し得ないものと考え、魔法犯罪自体の不適用を請求いたします。加えて、未認可魔法符所持につきましては、被告の主張通り被告の両親であるガラド・パルヴィとサテラ・パルヴィ両名によるものであるとして全面的な無罪を請求いたします」


 再び法廷内はどよめきに満ちた。耳を圧迫するような強い木槌の音が響き渡る。すぐに静けさが戻ると、エンブラはエミリーを見た。


「弁護側の主張について、反論はありますか?」


「もちろんです、裁判官」エミリーは強い語気を伴って立ち上がった。「弁護側は魔法令目が尊重する大多数生命保護の原則を無視しています──」


「ここでは、本案件についての主張を行なってください」


「弁護側は、ゴーレムという実在性が曖昧なものを既定して主張を行なっています。それは弁論ではなく、詭弁であり、検事側への反対請求としての役割を満たしていないと考えます」


 エミリーとネイサンの視線は自然とエンブラに向けられる。彼は白髪頭を撫で付けて、エミリーに座るように促すと、ネイサンに困惑したように問いかける。


「彼女の主張はもっともらしく聞こえます。さきほどの打ち合わせでも少し触れましたが、弁護側の主張は飛躍していると評価せずにはいられませんね……」


「ゴーレムの再現性については、こちらのパーシヴァル氏の助言のもとに主張に組み込んでおります」


 エンブラは頬杖をついてグラムを見つめた。


「パーシヴァルさん、法廷では初めてお目にかかりますね。魔道士資格の等級は何ですか?」


「"夜半"です、裁判官」


 グラムは胸元のバッジを指で弾いてみせた。エニシングが調達してきたもので真贋は明らかではない。それよりもグラムの心を揺さぶったのは、エミリーが声に反応して素早くこちらを見たことだった。


「ふむ」グラムの微かな動揺はエンブラによって打ち切られた。「私の記憶が確かならば、世界の魔道士、それも"白日の魔道士"でさえも、ゴーレム研究で成果を挙げた例はなかったと思いますが……」


「それは、ゴーレム自体を作り出すという研究が進んでいないということです」


「ええと」エンブラは再び困惑の表情だ。法廷で仮面をつけた人間と相対する機会などなかったことも、うまく波長を掴めない理由かもしれない。法廷規則には仮面をつけてはならないという条項はない。「つまり、ゴーレムは実在し得ないということを認めているわけですか?」


「ゴーレムの創造とゴーレムの再現は似て非なるものです、裁判官。ゴーレムそのものではなく、与えた条件に従って駆動する擬似的なゴーレム……便宜的に"パラゴーレム"と名付けましょうか、パラゴーレムは再現可能だということです」


 エンブラは腕組みをして、グラムの主張を吟味しようとしていた。考慮に入れるべき、正しい魔法知識によるものなのか判断がつかないようだった。


「私には魔法の専門知識がありませんし、魔道法廷としての決定をする上で、正式な検算を行う準備がいまはありません。一度、休廷とします。魔道法廷における魔法検算員を召喚した後に、パーシヴァル氏の主張するパラゴーレムについて議論の俎上にあげるべきものなのか考えましょう。廷吏は被告を別室へ。それから、エミリー検事とネイサン弁護人、パーシヴァル氏は一緒に来てください」


 狭い裁判官室で、四人は神妙な面持ちを突き合わせていた。


「パーシヴァルさん」低い声を最初に放ったのはエンブラだ。「法廷は円滑に審理を進める義務があります。それは長時間拘束されている被告のためでもあるわけです。それは理解していますね?」


「はい、裁判官」


「事前に専門的な検算が必要であるということが分かれば、魔法検算員を召喚した時点で開廷することができます」


「それについては申し訳ありません」


 だが、鼻息荒いのはエミリーの方だった。


「裁判官、このゴーレムの……」


「パラゴーレムです」


 訂正したグラムをギリっと睨みつけて、エミリーは先を続けた。かつてはあり得なかった彼女の反応に、グラムは思わずたじろいだ。


「パラゴーレムの検算は弁護側の時間稼ぎに思えますよ。不当な審理遅延行為です」


「しかしね、実際にそうしたものが魔法で再現できるのであれば、これは正当な主張になるわけだよ。弁護側は常に不利なわけだから、これを認めないと裁判自体が不当であると看做されかねない。それは君にとっても痛いことだと思うんだがね、エミリー検事?」


 正論を返されてエミリーは歯軋りした。


「こんな仮面で顔を隠した弁護補佐にここまで馬鹿にされると思わなかったです」


「いやこれは火傷痕を隠すためにつけてらっしゃるんですよ」


 ネイサンはグラムを庇って取り繕う笑みを浮かべた。


「あなた、どこかで会ったことあるかしら?」


 エミリーの真っ赤な瞳から逃れるように目をそらして、グラムは首を振った。場を取りなすエンブラが魔法検算員の到着はそうかからないと告げたところで、短い会合に終止符が打たれた。エンブラを残して三人はそれぞれ違う足取りで法廷に戻った。


 エンブラの言葉とは裏腹に、法廷再開は長引いていた。待ちわびたというようにエミリーが舌打ちしたところで、表情を強張らせたエンブラが現れると、木槌を叩いて注目を集めた。


「本法廷を休止とします」


 法廷内は騒然とした。記者たちが不満げな声を上げる。疑問が挟まれるよりも先に、傍聴席後方の扉が勢いよく開く。


 十人弱の集団だった。一様に純白の兵装。各々が武器を携え、物々しい雰囲気が空間に充満する。


「治安維持局特殊強襲部隊……」


 グラムが呟く。ネイサンは驚きに息を飲んだ。


「ええ……? なぜ法廷に?」


「分からん」


 歩み出た隊長らしき男が発した言葉に誰もが耳を疑った。


「ダンテ・パーシヴァル、パゴタ鉱山襲撃の廉で拘束する!」

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