回想を入れる
『偶像崇灰』
フォロワーの皆様に報告があります。まず、僕はこのアカウント、虚空えるの兄です。
先日、えるが亡くなりました。ひとまず葬儀が終わったためにここでご報告させていただきます。まだ遺族も皆混乱していおり、うまくお話できそうにありません。少しずつ落ち着いたら詳細をお伝えします。
私の推しが死んだらしい。
仕事終わりに通知音がなって携帯を開いてみたらこのざまだ。
天候のきまぐれが続く寒い日、エイプリルフールの一週間前のことだった。彼女のツイートが途絶えて数日、どこかおかしいとは思っていた。
これがあと七日あとの知らせならどれだけよかっただろう。
今週末のライブのために入れていたヘアメイクの予約、取り消さないと。落書き付きランダムチェキの通販、発送はどうなるんだろう。きっと彼女のことだからまだ落書きなんかしていないと思う。チェキそのものだって撮影されているかも怪しい。
考えれば考えるほど予定が崩れていって、未来が途絶えていくような感覚が胸をしめて。気付いたら足が止まっていた。
目の前でぴしゃりとドアの閉じた満員電車は流れるように走り出した。錦糸町駅のホームはいつだって眩しい。スカイツリーがバックの夜景はいつだって目がちかちかする。
『ええ、只今新小岩駅で人身事故が起こっており、その影響で電車に大幅な遅れが……』
ふいにホームに響いた声で我にかえった。しばらく一人、何かを考えて居るようで考えたくないような心地でホームに立ち尽くしていた。後ろを振り向くと、自分と似た格好をしたOLや、疲れた顔のサラリーマンがわらわらと列を成していた。
あいにく、この気持ちを分け合える人は私にはいない。
『繰り返します、新小岩駅で人身事故が……』
人身事故、人身事故だって……。ひそひそと後ろから聞こえる人身事故というワードが異様に私の心を揺さぶって離さなかった。
“駅のホームに立つとふっと体が軽くなって、そのまま前のめりに倒れていきそうになっちゃう……変だよね”
数ヶ月前、そんなことを彼女はつぶやいていた。どうにか地にふんばっていた足が立つだけの力を失ってゆく。体がぐらりと傾きそうになり、目の前が赤くちかちかと光った。
「あ……わ、わあああああああ!!」
後ろにいたOLを押し除けもつれる足でホーム奥の駆け出した。背中のうしろで電車
それから転げるように階段を降っていった。自分でも何をしているのか、何が起こっているのかまるでわかっていなかった。
駅内に設置された鏡には情けない風貌の女が映っていて、目の下のクマがまるで病人みたいだった。
落ち着いてくると、急にヒールのせいでできた靴擦れが赤くひりひりと痛んだ。電車から降りてきた人々に揉まれるようにして改札口へ歩きだす。不思議なことに、今更ようやく泣きたくなってきた。
駅の南口を出て、近くのコンビニに立ち寄った。適当にホットココアと肉まん、それから絆創膏を買って、駐車場で無為に時間をすり減らした。両手を温めてくれた肉まんも、温かみを失って薄い袋に皮が張り付いている。
二十三時十九分。もう終電の時間だ。携帯のロック画面ではまだあの子が微笑んでいる。ミルクティーピンクの髪を巻いてこちらにVサインを向けている。毎日変わらず見ていたものだった、これからも、ずっと見続けていくのだと思っていた。
帰らないといけないはずなのにもう足は動きたくないと悲鳴をあげていた。かと思えば厚化粧な目元がかゆくなって家に帰りたくなり、しばらく右往左往して、結局駐車場の横に蹲った。
店内へ物流トラックの荷物が運ばれていくのを私はぼぅっと見ていた。運転手と目が合うもすぐに逸らされた。生暖かい突き放され方が、今の私にはどこか落ち着いた。
冷めた肉まんを口に運び携帯を開く。ブルーライトが乾いた目に染みた。
やっぱり彼女が死んだらしい事実は変わっていなかった。
新しく駐車場に入ってきた真っ黒な大型トラックが大音量の音楽を垂れ流しながら注射される。耳を塞ぎたくなるような大音量だった。家に帰られくて良かったと思った。静かな空間に閉じこもってしまえば、私は虚空えるのことしか考えられなくなっていたに違いない。
駅前は普段と何も変わらないから気楽だ。派手な格好の女性が客引きをしている、終電を逃したらしい男性の集団がまじかよぉ! と悲鳴をあげている。
『〜♪!!』
トラックから爆音で流れる悪趣味な洋楽に耐えられず、私は有線のイヤホンを携帯に繋いだ。
『君となら、空の果てまも──』
えるの声を聞いていると眠気が襲ってきた。お世辞にも上手いとはいえない歌声。それでも私は彼女の声が好きだった。
「みさきちゃん、今日もライブきてくれてありがとう!」
ライブあとの握手、チェキ会。私はえるの小さくて白い手が私の不恰好な手をきゅっと握りしめた。骨の上に薄く皮膚が乗っただけの腕は、あまりにも細すぎた。
「う、ううん。えるちゃん、今日も可愛くて……」
あの時から、ぼんやりとは思っていた。この子は、いつかふといなくなってしまうんじゃないかって。
それでも、えるはファンに会う時はいつだって笑顔だった。自分はここにいるよ、消えたりしないよ、そんな風に私たちを安心させるような笑顔だった。
少し抜けているところがあったけど、そこもまた一つの魅力だった。よくも悪くも、彼女は打算的じゃなかった。
「うん! 今日、ちょっと髪型変えたの。気付いちゃった?」
「ま、前髪も少し切った?」
薄いピンクブラウンの眉毛が薄い前髪から覗いていた。普段は眉が隠れていたからすぐに気付いた。
「そう! すごいねえ、すぐわかっちゃうんだもん……グループを抜けてからもこうして会いにきてくれて本当に嬉しい」
えるは元々、五人組の地下アイドルグループに所属していた一人のアイドルだった。私がえるを知ったのもそこからだ。
「今度は自分のペースで頑張るから、みんなのこと裏切らないように頑張るからね」
彼女は、半ば蒸発するようにして前のグループを抜けた。私たちの界隈ではそれは大きく取り沙汰された。フォロワー数千人、ライブのキャパが週百人程度の界隈であろうと、誰かの生きる支えになっていることはには変わらなかった。
ライブ前日の脱退。運営からの知らせはひどく簡潔だった。
“本日で虚空えるは脱退という運びになりました。グループ内で足並みを揃えられないという彼女自身の声をうけ、運営としても辞退と脱退の意思を尊重することに致しました”
小さなコミュニティの中で、彼女は燃えに燃えた。
つまりは、彼女が悪いということらしかった。ダンスの振りを間違える、声量が小さい。煙のように消えてしまう前から彼女は裏でひそひそと悪口を言われていた。
私は、はじめてライブの予定を蹴った。
「……そろそろお時間で〜す」
ストップウォッチを構えたライブスッタッフの気怠げな声で、彼女はすっと手を離した。
「チェキ、今日はどんなポーズで撮ろうか」
「……ハートがいいな」
「今日も? 五枚とも?」
「い、いやですか?」
「ううん、いいよ。いつもありがとう」
三枚はえるのピンで、二枚は一緒にハートを作った。私が硬い表情で左手を突き出すようにハートを作っているのに対して、えるは全身を使って大きなハートを作ってくれた。
一番可愛い顔で撮ったから! と言って彼女は私を笑顔で見送ってくれる。
「あ、みさきちゃん!」
えるが呼び止めるなんてすごく珍しいことだったから、すごく驚いた。えるはニコニコして目元を指さした。
「マツパ、したでしょ? カワイイよ、似合ってる」
どきっとして、何度も何度も首を縦に振った。彼女はそれだけいって、またねと手を振った。そういう、些細なところが私は好きだった。
休もう、休もう、絶対、休もう。休もう、今日は。仕事は。休んで。
頭の中でそればかり考えながら携帯の画面をスワイプしていた。充電が残り五パーセントをきったから、私はネットカフェに移動した。深夜三時、ぼろぼろのOLが入店しようと何か言ってくるひとはいない。
携帯を備え付けの充電器に繋ぎながら、ただ画面をなぞり続けた。眠気はもはやなかった。
今日のニュース。ハロウィン、戦争。える。浮気、不倫、える。ダメだ、駄目だ。今は目を逸らせ、考えるな。第一、死んだかなんて本当かまだわからないじゃないか。兄なんてそんな話聞いたこともない。そうだ。
話題の動画。猫、犬、もふもふ、いいね、ハート、える、える!
だめだ、だめだ。今考えたら止まらなくなる。
……それなら、いっそ一回きちんと調べて見てしまった方がいいんじゃないか。
えるのアカウントのツイートは、今までにないくらい伸びていた。可愛い自撮りよりも、生誕祭の写真よりも、彼女が消えたことでつくいいねの方が圧倒的に多かった。
背中が冷たくなったり暑くなったりするような気がした。座っていた椅子がガタン、と音をたてる。いびきを立てて眠っていた隣の席の中年サラリーマンが、フゴッ! と豚のような声をあげて起きた。
ああ、ようやく死んだんだ。グループ時代から嫌いだった。加工強すぎ。前のグループで虚言癖って話題になってなかった? これも嘘なんじゃないの?
心配、不安の声もあったのに、どうしてかいいねの多い誹謗にばかり目がいく。目が回って、口からいろんなものを吐き出しそうになった。隣から舌打ちが聞こえたけど、椅子の上で固まって息をすることしかできない。
会社でヲタクってバカにされても無視する方法なら知っていた。いつまでたってもうわついた話のない私にせっつく両親のいなしかたも知っていた。仕事でやらかした時の頭の下げ方、会食料理の食べ方、涙の堪え方。
いろいろなことを知ってきたはずなのに。どうしよう。私、推しが死んだ時にどうすればいいかなんて知らない。
──推しを亡くしたヲタクの会、なんてものがあることを知ったのは偶然の産物だった。
安っぽいニュースサイトに、さも怪しげに取り上げられていた彼らは何らかの理由で亡くなった推しのアイドルをいまだに信仰し続けているそうだ。
「サキさん、サキさん……大丈夫ですか」
そうだ。私はみさきから二文字とってサキという偽名で会に乗り込もうとしている。
「はい。ええ、大丈夫です」
入会希望者を受け入れる歓迎隊の一人だというタナベさんは、駅で合流してから何度も大丈夫か、大丈夫かと訪ねてきた。
まるでお前は大丈夫じゃない、と言われているようでその度に肩を縮こまらせた。
緊張は、会合場だというマンションの一室に足を踏み入れてからより一層大きくなった。
「ええ、みなさん。紹介します、本日見学にいらしたサキさんです」
部屋にいたのは妙に若いタナベさんを除けばほとんどが中年のおじさんだった。ヲタクというカテゴリに属する人間の大半がそうであることは知っていたけど、本当にそれっぽい空間だと思った。むさ苦しいし臭かった。
まばらに拍手が起こる。初めまして、いらっしゃい。生ぬるい歓迎ムードが漂った。
それからはいかにもボスっぽい妙に陽気なおじさんがその場を取り仕切った。
平成初期の病死したアイドルのライブを見ながらおっさんたちがくちゃくちゃと茶菓子をつまんでくっちゃべっている。
「そう、そう。これがよかったんだよなあ……今のアイドルときたら」
「本当に惜しい子ばっかりいなくなっていきますよね。悲しいばっかりですよ、本当」
昔は、昔は。こいつら、ただの懐古厨じゃないか。正座していた足の裏がじっとりと汗ばんでいく感じがした。
普通であるかのように振る舞っている一人異質なタナベさんは正気でないと思った。
「……じゃあ最後に、会費を回収します」
タナベさんの掛け声を合図に会員たちはいっせいにカバンを漁り始める。
封筒を次々とタナベさんに手渡してゆく会員たちを見て、私はようやく感じていた既視感に気付いた。昔、学校の課題でいかされた教会の雰囲気と一緒なんだ。神に祈ったり長ったらしい説教にうなずいていても、金を払う時の顔はやはり人間くさいのだ。
善人ぶりながらも根っこは人間なのだ。
ああ、そりゃあカルト認定されるべきだ。死ねばいいのに、安易にそう思った。
「サキさんもよければ正式に参加しません?」
封筒を一つ一つ自分のカバンにしまっていくタナベさんが似合わない赤いリップを塗りたくった唇を歪めた。こういう集団に一人はいる存在を忘れていた、ヲタサーの姫だ。
ピロン、と携帯の通知がなった。私は、えるのSNS以外の通知は入れていない。
「私は、いいです」
「……そうですか、わかりました」
さして残念でもなさそうにタナベさんは言った。当たり前だ、女が増えたって嬉しくないに違いない。
もしかして、もしかして。嘘でもいいのだ。今までのが全部話題作りのための嘘だっていい。だから、生きていて。
“妹の遺書が見つかりました。ここに妹のことが好きだった人ばかりではないのを承知の上で、投稿しておこうと思います。妹が、虚空えるとして書いた、最後の文です”
あれから全部の通知を切った。本当に彼女は死んだんだろうと思った。ようやく、心に全てがぶつかってきた。
何度も職場から電話がかかってきていたけど、今朝からそれも止んだ。脱ぎっぱなしのスーツを今更どうしようという気にもならない。毛布にくるまってイヤフォンをさして赤子のように眠っていた。
外部からの情報を受け入れたくない。
『大丈夫、私がそばにいるから〜♪』
うそつき、えるも嘘つきだった。それでも好きなのがこの上なく辛い。
『私があなたの手をとるから〜♪』
もう、いないじゃない。あなたは手すらないじゃない。灰になったくせに。
『ずっと、ずっとあなたのことを〜……』
ぶつん、と音を立てて何も聞こえなくなった。ずっと使っていたものだったから、いつ壊れても不思議ではなかった。
スマートフォンの中に残るなけなしの彼女にも拒否された気分だった。自分のすすりなく声だけが部屋に響く。
『ピンポーン、ピンポーン!』
連打にも近いチャイムの音に、起き上がる気にもならなかった。
「ああくそ、またいないのかよ」
薄いドア越しに男性配達員の不機嫌な声が聞こえる。がたん、がたん! と音がした。どうやら、荷物を薄い郵便受けにつめこもうとしているらしい。
「いますか〜! じゃあ、ここに置いときますからね!」
……どうやら、荷物を外に置いたらしい。ひどい態度だとは思うが怒りすらわかなかった。あの態度を見るに、何度も配達にきたらしい。
這うように廊下を進んでゆく。ふらふらするのはお腹が空いて居るかららしいということにようやく気づいた。
三和土には何枚か不在票が落ちていた。両親からの仕送りだろうか。ただ、郵便受けに入るかギリギリの荷物を送ってくることなんてあるっけ。
ぼんやりした頭のまま扉を開けた。夕日の眩しさが泣き腫らした目を刺すようだった。
立てかけてあったのは、ささやかな厚みのある封筒だった。
「あ」
震える腕で広いあげた封筒の中身、なんとうなく検討がついた。
急いで家の中にひっこみ、ハサミで開封する。
「チェキだ……」
予約限定の手書きのチェキ。ちゃんと書いていてくれた。
『みさきちゃん! 今日もハートのプレゼント!』
丸文字で書かれたえるの文字に涙が込み上げてきた。
どうしてハートばかりで頼むのか、なんで言わなかったんだろう。いつの間にか膨れ上がったチェキサイズのアルバムに、私は新しいチェキを入れてゆく。えるを推し始めてからチェキの保存を始めた。最初はぎこちないハートだったのに、今じゃすっかりさまになっていた。
『はーとと、ちゅ〜のお裾分けです♪』
二枚目、投げキッスをしているえるの落書きにはそう書かれていた。えるを囲むようにハートの落書きが施されている。
「ふふ、なにそれ……」
どうしてだろう、これがある限り、彼女は過去になったりしない気がした。
「ああ、やっぱり大好きだなあ」
閉じたカーテンの向こうの夕焼けに、今日は妙に惹かれた。これが死にたいということなんだろう。他人事みたいに思いながら。遮光カーテンを開けはなった。
“あなたへ
今までたくさん愛してくれてありがとう。今までしてもらったこと、ずっと忘れません。
あんなに愛されておきながら私はすごく弱い生き物だと思います。今。いろんなことが怖いです、未来のこと、アイドルを続けること、生きてくこと……。
たぶん、私は死んでもファンのみんなが」大好きです。信じてくれないかもしれないけど、死んでもみんなを愛してる。弱くて、ごめんなさい“
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