深夜の商店街
『だから私も変われない』
うとうと、くらくら。眠気に合わせて頭部がふらり、ふらりと揺れては戻る。電車の中みたいだけど違う。とても寒いしお尻が冷たくて痛い。座っているのも床らしい
眠気に肉体を支配されそうになった時。もたれかかっていた番重の台車が動いたことで私は午前一時の現実に引き戻された。
……ここは……?
眼球を刺すような眩しさ、重苦しい天井に点々と直管型のライトが灯っている。
目が安っぽい明るさに慣れてくると目を引いたのは閉じ切ったシャッターの群れだった。 高所に取り付けられた看板は飲食店のものがちらほら。
ここは地下商店街か。永遠に思えるシャッター街の最奥は此処からでは伺えない。
張り紙にはご丁寧な矢印と共に“のぼりエスカレーター”とあった。その更に奥にも張り紙があるようだ。ここが果たしてどこなのか確認しなくてはいけない。
座ったまま軽く身じろぎをすれば背後のシャッターが嫌な音を立て小さく悲鳴が出る。幼い頃から、大きな音や金属音が怖かった。
不気味さを感じながらも立ち上がる。バイトの求人、アイスクリームの広告。特に目立ったものはない。ただ、張り紙からここが自宅から比較的近いX市であることがわかった。
歩くたび感じる違和感に足元を見ると、片足がクロックスでもう片方がサンダルだった。
裸足のまま河川敷に行き足裏から血を流していたことに比べれば今日はましだ。
エスカレーターが封鎖されていないことを祈り歩き出す。明日も早いし、はやく帰らないと。サンダルとクロックスが交互に地面を叩き歪な足音を立て始める。
とん、たたん。とん、たたん。カタ。とん、たたん。とん……ガシャン!
背後から、確かに音がした。シャッターの奥から、誰かが拳を打ちつけたみたいな。本能的に振り向いてはいけないと思った。走り出したいのに、足が動かない。
ガシャン! ガシャン!
「あけて、あけて!」
少女の声。気づいてしまってから声は尚のこと大きくなる。
「いるんでしょ! あけて! あけて!」
ここは商店街で今は深夜だ。子供だなんて普通いるはずがない。部屋着にしていたジャージのポケットを両方ともひっくり返す……からっぽ。嗚呼、つい昨日洗濯したせいだ。
……嘘。どうして、なんで。今日に限って!
「もうしないから、もうしません!」
がりがり、がりがり。爪で引っ掻く音。合わせてぎぃぎぃと鳴る金属……知っている。私、この後どうなるのか知ってる。爪が割れて、出血し泣き出す。“あれ”が更に怒るのに、最後には開けてくれると信じているから。
ぎゃあああああ。想像通り、幼い断末魔。早く此処を出よう。私までおかしくなる。
「さむい、寒い。死んじゃう、しにたくない」
前に進んでいるのに、どうしてシャッターしかないの。なんで、なんで、なんで。
……どうして、するはずのない声に苛まれないといけないの……!
全部覚えている。十二月、友達と夕方まで遊んでいた日。家でお風呂に入っていたら裸のまま髪を掴まれて締め出された。裸のまま、雪の中に放り出された。
「なんでよぉ……なんで、私だけ」
ひとつシャッターの前を通り過ぎる度に声がする。覚えている。私だけ修学旅行にいかせてもらえなかった。泣いていたら打たれて締め出された。
「もう嫌だ……死にたい」
薬が切れたからだ。帰らなきゃ、錠剤を飲まなきゃ。こいつらを、消さなくちゃ。忘れなくちゃ、忘れなくちゃ。冷や汗が伝う。急に足から力が抜けて地面にへたり込む。
ざらざらと、砂に呑まれたラジオみたいに歪んだ音しか聞こえない。悲鳴、怒声、罵声、金属音、泣き声。静寂、静寂。
「あいす、おかあさんがかってくれたの! わたしね、おかあさんだいすき!」
一つ声がした。後ろに、誰かいる。
……私は、大嫌い。アンタ、そのアイスを地面に落として、初めてお母さんに打たれるんだよ。
「だいじょうぶ。あなたも、すぐにこっちがわになるよ」
……やめてよ、なにが大丈夫なの? 過去のくせに! 知った口聞くな!
今生きている絶望も、どうにか生きる必死さも、生きて産まれる歪みも。全部、未来には汚泥の過去として一緒くたにされるのか。
でも現にこうして“今”の私は、過去を見ている。人は変われやしないから。十数年にも渡って母は私を苦しめたのだろう。
「だいじょうぶ、だよ」
一生彷徨ったままがいい。生きたくも死にたくもない。産まれたくもなかったんだから。
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