小説短編2022-2023
@TUKISHIRO3
四月
『あるいは、あの春の先に花が咲くなら』
四月……始月、死月。
君が死んだ春で、私が足を止めた冬の始まり。あれから、あまりにも無為に季節を巡った。カレンダーは未だに2020年の四月で時を止めている。
真っ白なそこには立春の桜の蕾のように一つだけ赤丸がついている。
タバコ休憩を言い訳に外に出た。ドレスの隠れる上着を着て店を出てしまえば、私はただの通行人にすぎない。
可愛げのない性格が祟って売り上げもどんじりの私が、このまま消えていなくなろうと誰も困らないに違いない。
こめかみを軽く押すとじんと痛んだ。
「今日は調子乗って飲みすぎたなァ……」
痛みの奥から緩やかに広がる酒の酩酊感につい瞼を閉じてしまう。
瞼の隙間に鋭い光が走って、反射的に瞼を開ければ目先に車が迫っていた。
もう、このまま死んでもいいかも。なんて思ったのも束の間で、何事もなく車は横を通り抜けていった。ぬるい風に覆われ、倦怠感が重く身体にのしかかる。
いつの間に足を止めたのか。気づけば薄暗い自販機の前で佇んでいた。
ぬるい思案に任せ、タバコのレシートと共に包まれた小銭で缶ジュースを買った。頬に押し当てるとひんやりと気持ちがよかった。
ブランコに腰掛けて缶ジュースを飲む。靴擦れのチリチリとした痛みが酔いのさめかけた身体には酷だった。
同じように足が痛んだ日があった。二年前の丁度きのう。あの日、私は病院にいた。彼の手を握るために。
でも、彼のすぐ横で足踏みする死の予感にたまらず逃げ出した。
彼が薄暗い病室から開花を見守っていた桜はできそこないのハンコみたいに雨でコンクリートに貼りついていた。そして夏が来て、凍えるほどの冷たい冬を乗り越えて、気づけば公園のブランコに深夜二時。
それでも目まぐるしい日々だった。目まぐるしさを離れれば狂ってしまいそうな日々だった。とりとめのない事に目を向けなければ、浮かんでくる殆どはもういない君だ。
私のこんな現在を見たら彼は泣くだろうか。あるいは、笑うだろうか。あるいは?
そう、あるいは。それは彼の口癖だった。
私が卑屈だったから彼の口癖になった。
あるいは、に続く言葉こそが私や彼にとっての真実だった。
「……余命幾ばくもないのにさ。よくもまあ、私みたいな卑屈で可愛げのない女と最期の恋愛をしようと思ったよね」
「あるいは、繊細で、自分の足で歩いていける人だから。そんなあなただからそばにいたいと思ったんだ」
君と出会わなければ、君に恋をしなければ、最期のときまで君といれば。
あるいは、君が死ななければ。
「……桜、もうすぐ咲きそうだね。もう僕は下から見上げることはできないからさ、君が代わりに沢山見てきて」
ゆるゆると体を起こす。ベンチに座って体を縮こまらせていたら、そのまま眠ってしまったらしい。そばに転がる空き缶は吸い殻の灰で黒ずんでいた。
空は既に白んでいて、あちこちに桃色が散らばっている。そうか、桜だ。もうこんなに咲いていたんだ。携帯の刺すような眩しさの向こうに五時と見えた。
四月は、始月であり死月。彼が生まれ、そして死んだ春。
淡い日の光を感じるのはどれくらいぶりだろう。こんな風に光を浴びながら一人で咽び泣いていた朝があった。
彼を失った朝とよく似ている。夢の中みたいだ。霞がかった視界の先に広がるのは、どこまでも綺麗な日の下の世界だった。
あの春が今さら手招きしている。彼の見たかったものを、今更私が見ている。
ああ、死にたくないなあ。暗い画面に映った自分は、思っていたよりもぐしゃぐしゃでみっともなかった。
ハイヒールを持ち裸足で立ち上がる。足を洗いたいと思った。今現在の全てを断ってしまいたい。
あるいは、あわよくば、まだ生きていたい。
カレンダーを止まっていた二十四ヶ月分めくった。
現在は真っ白な三十日が静かに並んでいる。これから少しずつ書き足していくつもりだ。
真っ白な十一枚の奥には、花のような赤丸がふたつ。そこにはまだ君が居る。
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