四話
『いったい何だったんでしょうね?』
一連の流れを見守っていたオーケストラが口を開く。
『これいったいどこから来たんでしょう』
これというのは、吹き飛んで壊れた真空管テレビのことだろう。嫌な臭いを放っているので、アロは近づいてよく観察しようとは思わなかった。
「よくわからないけど……
やっぱり、あいつにも色々事情があるのかもね」
たとえば、誰かに追われてる、とか。
『姫様でしたっけ?
結構かわいらしい声でしたね』
「そうなの?よくわかんないけど」
アロはハルが消えていった方角をよく確認してから、声を若干細めるようにして言った。
「どっちにしても、面倒なことになる前にあいつとは別れたほうがいい」
『でも、勇者って確かお強いんでしょ?
だったらハルさんに頼んで追っ手をどうにかしてもらえばいいじゃないですか』
「馬鹿なこと言わないで」アロはじくじくと痛む頭を押さえた。「勇者に借りを作るなんてありえない」
色々複雑な思いが、胸の内で幾度となく絡まったが、やはり故郷を無茶苦茶にした勇者たちに気を許すべきではないという結論に至っていたアロにとって、オーケストラの提案は一蹴して然るべきものだったのだ。
頭を押さえた拍子に、ハルがまいてくれた包帯に手が当たる。
……それとも、自分を助けて、オーケストラの修理も手伝ってくれたハルには心を開くべきなのだろうか。そんな簡単に他人を信用していいのか。
『悪い人には思えませんけどね。
お互い困ってるなら話し合って協力すればーー』
「……やっぱ無理」
オーケストラの提案を即座に切り捨てるアロ。
彼女はなんだか、若干意固地になっていた。
「私が信頼してるのはオーケストラだけだから」
アロが里を飛び出してから、幾度もつらいことがあった。その中で最も苦楽を共にしてきたのがオーケストラだった。ついこの前会っただけのハルなんて信用できるはずがない。
言おうかどうか少し迷ったが、アロはやはりきちんと言葉にしてオーケストラに日ごろの感謝でも言っておこうと思った。今度いつまた壊れてしまうとも限らないのだから。
いや、感謝というのは少し違う。
アロがオーケストラに伝えたいことは……。
「オーケストラは私の……」
『アロさん』
オーケストラはアロに近づく複数の足音を鋭敏に感じ取っていた。アロはオーケストラの緊張に気が付く。
「……探したぞー」
「!?」
アロはギョッとして後ろを振り返った。
そこには複数の男たちがいた。
十数人ほどが、それぞれ手に物騒な獲物を携えている。剣とか、斧とか。
そしてその先頭には黒い帽子を被った男が仁王立ちしていた。
「まさかこんなところに落ちてたとはなぁ。なんにせよ船が無事でよかったぜ」
男が顔を上げると、サングラスが黒光りした。
「お前……」
「お前?ちがう」
男はサングラスを少しだけずらして、獰猛な視線でアロを射抜く。
「モランだ。一応聞いておくぜ、『マーブルコア』はちゃんとアレの中にあるんだろうな?」
そう言ってオーケストラを指さすモラン。
だが、アロはモランの話を全く聞いていなかった。アロは口を大きく開けて、モランを凝視していた。
いや正確にはモランの頭部を見ていた。
そして口をパクパクさせた。
「逃げようったって無駄だぞ~」
「……っ!」
アロは懐から銃を取り出して、モランに向かって引き金を引いた。
いや、引こうとした。
だがアロの手から銃は弾き飛ばられた。破裂音の後、骨を砕かんとするほどの衝撃を手に受け、地面に鮮血が飛び散った。
「ううっ」
この空気を切り裂くような衝撃。
覚えがある。
「……そんな」
アロはモランの手に銃が握られているのを見た。ショックから頭が立ちなると、血が流れだす手に、徐々に痛みが戻ってきた。あまりの激痛に意識が遠のきそうになる。
モランは銃から溢れ出た硝煙を息で吹き飛ばす。
「そんなもん持ってたとはな」
すたすたと、モランはアロの元に近づき、血で汚れた銃を拾いあげた。
「俺のと、全く同じか……」
モランは「コケケケケッ」と、気味の悪い笑い声をあげた。
アロには、その笑い声にも聞き覚えがあった。
「……その笑い方、それにその髪形も……」
「ああん?」
モランは歩いてアロのそばまで近づく。
そしてアロの小さな腹を全身全霊でけり上げた。
「ーーっ!!」
声にならない悲鳴とともに、アロのみぞおちがモランの固い靴の先に押しつぶされた。
口から臓物を吐き出しそうになりながら、力なく地面に転がる。
アロはもうピクリとも動けない。
「俺の髪形に何か文句があるのか、ん?
……この、ガキが!!」
何度も蹴り上げられる。
黙って耐えることしかできない。
呼吸すら今は難しい。
口内いっぱいに生々しい鉄の味が広がった。
モランは、アロが何度か血反吐を吐くのを見届けると、ようやく蹴りを止めた。
「ったく……」
そして銃をアロの頭に突きつける。
『待ってください』
モランは動きを止めた。
そしてボロ船、オーケストラを見た。
『アロさんを傷つけるのは許しません』
「はっ」
モランは足元に這い蹲っているアロをけり転がす。
「たかが船のお前が、今何をできるっていうんだ?」
『自爆します』
オーケストラの『自爆』という物騒な言葉に、モランの部下たちに動揺が走った。モランは口元に浮かんだ笑みを崩さないよう努めて冷静を装ったが、若干口角がぴくぴくと痙攣していた。
『そうなればあなたたちの望みもかなわないですよ』
「自爆だぁ~?
……あの、ホントですか?」
爆死の恐怖からか思わず敬語になってしまったモラン。周りの部下はギョッとした目をモランに向けたが、後が怖いので気づかないふりに徹することにした。
「自爆できる飛空艇なんて聞いたことが……」
『ああっ、ダメ、もう……我慢できない……っ!!!』
オーケストラの船体からプスプスと煙が漏れ出すのを見て、モラン慌てたように首を振った。
「ああ~っ!!
待て待てわかったわかった!こいつは殺さない!」
そう言って、モランはアロから銃口を離した。
「さすがにガキを殺すのは忍びないしな」
ここで「あれ?でもこの前のはずいぶん楽しそうにヤッてませんでしたっけ?」なんて言おうものならモランに殺されてしまうのは明白なので、部下たちは満場一致で「口を挟まず黙っているのが吉だ」と思った。
「わかった、交換だ。
お前が抵抗しない限り、俺はこいつを殺さないと約束しよう」
『感謝します』
「よし……
おい、お前ら!」
モランに言われて、部下たちはオーケストラにおずおずと入っていった。モランに向かって「お前がいけよ」などとは誰も口にしなかった。
アロはいまだに治まらない激痛をこらえながらも、オーケストラの元に向かおうと懸命に身体を動かしたが、1メートルも前進できない。
「待って、待って……」
アロはかすむ視界の中で何とかオーケストラの姿を捉えると、オーケストラに手を伸ばした。
ここでお別れだなんでありえない。
だけど、事はアロにお構いなしにどんどん進んでいく。
『……さよなら』
オーケストラの身体が大きく震えた。
そして沈黙した。
「……オーケストラ」
オーケストラの中からモランの部下たちが、ぞろぞろと這い出てきた。宛ら宿主の腹を食い破って出てくる寄生虫のように。
その一人の手の内に、オーケストラの心臓ともいえる部品が握られていた。モランはあれがずっと欲しくてアロとオーケストラをずっと追い続けていたのだ。
アロはあれを奪われるわけにはいかなかった。
オーケストラはあれがなければ二度と動かない。もし代わりとなる部品を手に入れたとして、それを使ってオーケストラを直せば、オーケストラはオーケストラではなくなってしまう。
「モラン様」
「これが『マーブルコア』か」
部下に手渡されたそれを、モランはしげしげと眺めまわした。
白と水色のマーブル模様の球体。飛空艇の心臓部ともいえるそれは、オーケストラから引き離されたことで回転をやめ、輝きを失い始めていた。
「間違いなさそうだな」
アロには、オーケストラの心が、心臓が止まった屍のように冷たくなっていくのが手に取るように分かった。
「そんな……」
アロの漏れ出た言葉を耳にしたモランは「コケケッ」と満足げに喉を鳴らした。
アロはモランを睨みつけた。
「おいおい怒るなよ。
俺はこれが欲しかっただけなんだぜ?別に好きでお前をいたぶってたわけじゃねぇ」
「嘘だ」
アロはそう断言する。確信があった。
「里を襲った時、あんなに楽しそうに殺してた奴が……」
「ンン~?」
モランは地面に這い蹲ったままのアロを見下ろす。そして、ニンマリと笑った。
「なるほど」
手に持っていた『マーブルコア』と呼ばれている球体を手で遊ばせながら、モランはアロの周りをぐるぐると回り始める。
「なるほどなるほど」
ちらりとオーケストラのほうを確認した。ピクリとモ反応しないオーケストラを見たモランは、アロに顔を近づける。モランの顔には、獰猛な笑みが張り付いた。
「お前、竜の里にいたんだな」
「お前こそっ!!」
怒って体を起こそうとするアロを、モランは足で押さえつける。いまだにお腹に鈍痛の響くアロは抵抗すらできない。
「覚えてたのか」
「……そんな髪形のやつを忘れるわけがないだろ」
「おいおい、それ以上髪のことを言うとうっかり殺しちまうぞ」
モランはアロに向かって、容赦なく発砲した。銃弾はアロの脇腹を貫通した。アロは痛みで気絶しそうになった。
「安心しろよ、この程度じゃ死なねぇ」
この時モランは非常に楽しそうだったが、モランの部下たちは暇でしょうがなかった。だがモランがいる手前で駄弁るわけにもいかないので、手に持っていた武器を各々ぶらぶら揺らして遊んでいた。少女をいたぶって楽しいのはモランだけだった。
「一ついいことを思い出したぞ」
アロは聞きたくなかったが、おなかが痛くて耳を塞ぐために両手を動かすことすらできない。
「あの里で俺が死ぬほどいたぶって殺してやった女のことだけどな。
そいつがずっと俺に懇願してくるんだ、「娘だけは見逃してくれ」ってな。父親も近くにいたな。
そいつらの娘の名前、何だったかなぁ……
確か、「アロ」だったと思うんだよなぁ」
「……ッ!!!」
すでに痛みでぐしゃぐしゃだった目から、涙がさらにあふれ出てきた。
悔しかった。こんな奴に、両親は殺されたのだ。
今までのうのうと、糊口を凌ぐことだけを考えて、恥を知らないで生きてきたアロも、この時だけは怒りに打ち震えていた。でも、震えることしかできなかった。今アロが、ここでどんなに足掻いたとして、それは無駄なことなのだ。
それが余計悔しかった。
そして今、アロはオーケストラまで奪われようとしている。
もう、アロにはどうすることもできない。
アロは目を閉じた。意識が遠くなっていく。
「おう、久しぶりだな、勇者」
ハッとした。
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