三話
薄暗い空間の中心部に置かれた白と水色のマーブル模様の球体が、ゆっくりと回転し始めた。
「動いた……動いた……っ!!」
アロの歓声。
それとは対照的に、煤と汗にまみれたハルの顔は疲れ果てていた。ようやく休めるのか、とアロには気付かれないようそっと溜息をついた。
球体の回転速度は徐々に増していき、それに伴って淡い輝きを発し始めている。それでも薄暗い空間を完全に照らすほどの光量はなかった。
二人はなんとか飛空艇の狭い通気口から這い出た。
「これで治ったのかー?」
「うーん……」
二人はボロボロの飛空艇を見上げる。船は全体を震わせて、唸るような音を出し始めていた。
「多分治ったと思うけど……オーケストラ!」
ほんの一瞬間が空いてから、船体の内側から轟くような声が聞こえてきた。
『……数日ぶりですね、アロさん』
「オーケストラ!!」
アロは嬉しそうに飛び跳ねると、オーケストラの船体に張り付いた。ハグのようなものなのだろうか。
それにしても、この世界の法則は何とも魔訶不思議だ。人間だけでなく、モノや自然にも明確に意思が宿っている。人の作り出した道具が、その構造が複雑だったり、込められた想いが強ければそれだけはっきりと意識を持つのだ。
『そこの男の人も、アロさんと私を治療してくれてありがとうございます』
「……ああ、もうすっかり具合はよさそうだな」
飛空艇ほどのものならばまず間違いなく人と同程度か、それ以上の意思力を持っている。
こうやって意思疎通することもたやすい。逆に食器などの簡素なつくりのものは、これだけはっきりした意思を持つことはまずありえない。
ハルとしては箸やスプーンが突然しゃべりだしたりしたらたまったものではないのでありがたい限りだ。
この世界に来てしばらくたつが、いまだにモノがしゃべっているのには慣れない。
なぜこのような現象が起こるのか、というのは今もよくわかっていないらしいのだが、話によると『エド』と呼ばれる大地が放つエネルギーが物質に宿るからだとかなんとか。
『あと二、三日もあれば、飛べるようになると思います』
「そうなんだ」
アロは若干失望をはらんだ声でそうつぶやいた後に、ハルの顔をちらりとのぞいた。言いたいことはわかるが、そこまで邪険に扱わなくてもいいと思う。手伝ったんだもの。
『あ、自己紹介がまだでしたね。私はオーケストラです、以後よろしく』
「よろしく?」
アロは鋭い目つきでハルをにらみつけた。
「何言ってるのオーケストラ、そいつとはもう少しでお別れだよ」
『そうなんですか?てっきり新しい仲間かと』
「今は成り行きで一緒にいるだけ」
「まあ、仲間とは言い難いな。一応銃で撃たれたわけだし、あ」
そういえば、とハルはアロに声をかけようとしたが、そこで初めて、アロがオーケストラに張り付いたままであることに気が付いた。
そんなに船が大切なのだろうか。
ハルはアロのそんな意外な一面を垣間見て、少し言い淀む。
「あー、その」
「何?」
アロからジトッとした目を向けられたハルは、慌ててかぶりを振った。
「いや、お前の持ってた銃だけど、それ『エド』の影響を受けてない『霊器』だよな」
「まあ、うん」
アロは意表を突かれたのか、少し茫然とした口調で応える。
「こんなに精巧なつくりなのにうんともすんとも言わない。かなり不気味だけど……それがどうしたの?」
「どこで手に入れたんだそれ」
ハルは、一瞬アロが言いよどむのが分かった。
この世界において、銃なんてものを普通の人間が個人で正規に手に入れることはできない。
アロが決して褒められるような手段で手に入れたわけではない、ということくらいハルじゃなくても分かるのだ。
だからいまさらハルに隠し立てする必要はないと思うのだが……。
「……里から出るときに、飛び乗った飛空艇の中にあったのをもらった」
「もらったっつーか、それ窃盗だよね」と指摘することは野暮なことだろう。だがそれはそれとして、ごまかすように少しウソをつくのはどうかと思う。
「それって、俺たちが襲撃した日か?」
ハルが、あっ、と声を上げる。
「もしかして俺たちが乗ってきた飛空艇に乗ってたのか」
「うん、まあ……」
「てことはやっぱりその銃、あの会社のだな」
「あの会社?」
「竜の里ってめちゃめちゃ高い山の頂上にあるだろ?徒歩で行くのは無理だから飛空艇をつかう必要があったんだけど、その時に民間の企業から何台か借りたんだよ。そいつらの船が大量の霊器を積んでたから」
「……いまさら返せって言われても無理だよ」
さっと懐に銃をしまうアロを見て、ハルはいやいやと手を振る。
「そんなこと言ってないって……。会社の名前も覚えてないし」
「これが無かったら多分私生きてない。ちょっと不気味だけど愛着もあるんだからさ」
「いや、俺は霊器にちょっと興味があっただけだから」
ハルはほんの少しだけアロの顔から眼をそらした。
「あくまでも俺の予想だけど、霊器って異能で作られたものだと思うんだ。
クラスメートに同じようなものを作る異能を持ってるやつがいたし。まあ、嫌な奴だったけど」
「ふうん……?
嫌な奴だったんだ」
「ああ、だから死んで当然だったな」
言ってから「しまった」とばかりにハルは顔をしかめていた。アロの表情をそっと盗み見た。
アロは別に何とも思っていない様子だった。
或いは何とも思いたくなかったから、敢えてそうしたのかもしれない。
「死んで当然って、俺もそうなんだけどさ。
お前の故郷を襲った以外にも、結構いろんなところで恨み買ってるしな、勇者って」
「……まあ、別にいい人でも悪い人でも、死ぬのは当然だよ」
そんなことを思わず口にした。
アロは雲しかない空を見上げて考える。
アロの父も母も悪い人ではなかったと思うのだが、結果的にアロよりも先に死んでしまった。村を襲った連中はおそらく大半が悪い奴のはずだが死ななかった。
今もまだ生きてるかも知れない。実際、ハルは生き延びていた。
何より今もこうして生き残っている自分自身が、大していい奴だとはどうしても思えなかったのだ。
多分悪さの加減で言えば、目の前にいる男と同程度といったところだろう。いや、もしかしたらそれよりも悲惨いかもしれない。
そんな心の奥底での考えが、素直に表に出た結果が先ほどの言葉だった。
「……」
ハルは黙って地面をじっと眺めていた。
何を考えているのか、ほんの少しだけわかってしまった。アロも、死んだ両親のことを考えるとき、あんな顔をしていたような気がする。
両親のことを思い出すと決まって、最後に会話したときのことが頭に浮かんできてしまう。決していい別れではなかった。両親とは喧嘩別れしてしまった。
アロはずっと里を出て旅に出かけたかったのだけど、父親は絶対にそのことを許さなかったし、消極的とはいえ母もおおむね父に同意見のようだった。
アロはそんな父親のことが嫌いだった。
憎んですらいたかもしれない。
むしろ嫌いだったからこそ村を脱出する方針を立てたのかもしれない。
父は熱心な信者だったので、竜の存在を否定してやったら、面白いくらいに怒った。
そうやって両親を精神的に傷つけるのがアロにとっての精一杯の反抗だった。
ある日、祭りの手伝いやら練習やらの一切をさぼっていたら、唐突に「出ていけ」と言われた。それが最後に聞いた父の言葉だ。母とはその日一度も口をきかなかった。
里を燃やした連中の船に臆することなく飛び込んで里を脱出できたのも、今にして思えば里の閉鎖的な風習や、頑なな両親に対する反骨心があったからなのかもしれない。
そういった理由で、アロ自身は村を襲った連中を、ひいては勇者たちを本気で憎んでるとは思えなくなっていた。だけど、いざ目の前にハルが現れた途端、今までにない怒りがふつふつと胸の奥から湧き上がって爆発した。
なぜだろう。
アロはハルに、そのことを、云おうかどうか少し迷ってから、やっぱり言うことにした。
「……あのさ」
アロの言葉は奇妙な音に遮られることになった。アロにとってその音は、初めて耳にしたと思われるほど、聞き慣れない物だった。
誰かがぶつりとスイッチを入れたかのような、それでいて、人の意思を酌まない無機質な音のように感じられた。
アロは後ろをむいた。
ハルも音のしたほうに顔を向けていた。能面のような表情を顔に張り付けながら。
そこには旧型の真空管テレビがあった。
湾曲した画面いっぱいに砂嵐が流れている。
もちろん、アロにはこれが何なのか全くわからない。ハルも、元の世界では馴染みがなかった。
「……何あれ」
「姫様だろ。追跡されてたんだ」
アロは真空管テレビの砂嵐の向こう側に、人影が徐々に浮かび上がってくるのに気が付いた。長い髪のシルエットからして、相手は女性だろうか。暗くてよくわからない。
真空管テレビからは、何匹もの羽虫がひしめき合っているかのような、ザーザーとした無機質な音が始終溢れている。
それが少しずつ意味のある形に変わり始めているかのように、アロには感じられた。
今まで生きてきて、こんなものには出会ったことがなかった。
興味深げなアロとは対照的に、ハルは冷めた目つきで真空管テレビを見ていた。
「ねぇ、なんなのあれ」
何か知っているらしい様子のハルに、好奇心を抑えきれないアロがそう尋ねる。
「さぁ……エドの仕業じゃないのか」
ハルは真面目に答える気が無いようだった。
アロは真空管テレビに自分から近づいていった。
真空管テレビが画面から放つ光には、人の目を引き付けて離さない不思議な魅力があった。アロには画面内の人物は何やら、こちらに語り掛けている気がした。
テレビのボリュームはアロが近づくのに比例して大きくなっていった。
清楚な印象を受ける女性の声が聞こえた。そう思うと、画面の向こう側にいる人物のおぼろげなシルエットも、はっきりと長髪の女性のものに見えてきた。
もしかして彼女がハルの話に少し出てきた「姫様」なのだろうか。
『ハル……桟原陽……』
ほんの少し聞こえてきた声の中から、覚えのある名前が聞こえる。
「これって、ハルの――」
アロは後ろで突っ立っていたハルのほうへ顔を向けようとして、ぎくりと肩を大きく跳ねさせた。
それは破裂音のように強烈な、
真空管テレビが吹っ飛んだ音だった。
画面の破片がパラパラと降った。中央にぽっかりと穴の開いた真空管テレビは、今まで味わったことのない刺激臭を周囲に漂わせながら、吹っ飛んだ先の茂みに大きく沈んで傾いていった。
「ちょ、ちょっと……」
ハルは手に持っていた何かを腰にしまっている最中だった。それはボールのようなものに見えた。
「何でもない」
何でもないことはないだろう。
だけどハルの醸し出している異様な空気に、アロは口をつぐんだ。
「あれは放置しておくと危険だったから」
「そうなんだ……」
依然異様なオーラを纏ったままのハルは、心ここにあらずといった具合だった。
それから、虚空を意味もなく眺めているかのような瞳で周囲をぐるりと見渡した。
「他にもあるかもしれないな……
ちょっと見てくるよ」
そう言って、ハルはさっさと森の奥のほうに入っていった。
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