二話





「勇者に助けられるなんて……」


 頭に包帯がまかれて寝かされているアロ。彼女のそばでぱちぱちと燃え盛る焚火、その向こう側に、シチューっぽいものを作っているハル。


「呉越同舟って感じだな」


 アロはずきずきと痛む頭を押さえながら、ゆっくりと体を起こした。


「オー……船は?」


 アロは周囲を見回す。


 あたりはすっかり暗く静まり返っていた。夜のとばりは、くすぶっていた狂った船の全容を覆い隠している。だが、焚火の光のおかげで、その闇の中に船の影がうすぼんやりと浮かび上がっていた。船の姿を確認したアロは、ひとまず安心してほっと息をついた。


「倒れるくらいなら騒がなきゃいいのに」


「誰のせいでっ!!」


 数々の罵倒がアロの脳裏を掠めたが、猛烈な頭痛に襲われてうめき声をあげることしかできなかった。


「大丈夫か」


「お前に心配なんかされたくない」


 アロは何とかそれだけ言い終えると、再び体を横に寝かせた。激痛がいくらか収まったような気がした。


「……船は治せるのか?」


 ハルは懲りずに話しかけてきた。

 一瞬ムッと眉を寄せたアロだが、体中が痛くてだるいので、抵抗するのも億劫だったのか、観念してぼそぼそと答え始めた。


「わからないよ。計器が完全に破損しちゃってるかも」


 アロはそう言いながらも内心では、本当に船が治らなかったらどうしよう、と不安で胸が窮屈になっていた。

 一方のハルは、いつかの狂ったコンパスの針を思い浮かべていた。


「近くの山に強力な磁場を生み出す鉱山があるんだ。磁気を帯びた岩なんかがたくさん転がってる。


 多分それに近づきすぎたんだと思う……」


「詳しいんだな」


 意外だった。アロはこのあたりに来たことがあるのだろうか。


「まあ……何回か通りかかったことあるし」


 ハルは、シチューもどきをかき混ぜていた手をぴたりと止めた。じっと、見定めるかのようにアロを見た。


「知っててなんでそんなところに船を近づけたんだ?」


 アロは焚火の炎に背を向けるように転がった。

 答える気はないみたいだ。


 敵意のある沈黙の壁が、アロとハルの間に硬く築かれてしまったようだ。


 ハルは無言でシチューらしきものを作るのに没頭した。ぐつぐつと煮える汁物の下で、焚火の炎が燃え盛っている。


 しばらくは放っておこうと思った。


 だが間が悪いことに、シチューだと思われるものはもうすぐできてしまうみたいだ。

 これではそれほど時間稼ぎにはならない。

 ハルはそっとアロの様子をうかがった。


 背を向けていたはずのアロは、いつの間にか再び焚火の火に目を向けていた。


 焚火の炎が煌煌とアロの顔を照らした。彼女は無表情だった。


 アロは、あの日の光景を焚火の炎の中に見ていた。


 あの日アロの故郷は燃えた。

 そして父親が殺される瞬間も、焚火に燃える炎はしっかりとその光景を思い起こさせてくれた。


「……どうして里を襲ったんだよ」


 自然とそんな言葉が漏れた。


 言ってからアロは後悔した。アロは別に勇者たちの事情を知りたいなどとは、大して思っていなかったし、ハルに自分が里を襲われた理由を知りたがっている、だなんて思われたくもなかった。だけどいまさらわざわざ発言を撤回するのもなんだか悔しいので、アロはそのまま黙っておくことにした。


 ハルが口を開くのに、ほんの少し間があいた。


「……理由は、知らない。


 勝手な話だけど、俺たちは姫様に命令された通りに動いただけだからな」


 ハルはシチューっぽいものが焦げないよう、焚火の炎から離した。


「今でも思い出せるよ。

 ただの中学生だった俺たちがあんなことを……」


 ハルは火の光から顔を背けるようにうつむいた。


「本当に悪かった」


「許すと思ってるの」


「いや……」


 アロは影が濃く落ちたハルの顔をちらちらと盗み見た。見た感じでは、まじめに落ち込んでいるように思える。


 あの日里を襲っていた連中の中に、同じように平たい顔をしたやつらが何人もいた。


「あの日は数年に一度のお祭りだったのにさ」


 つい試すようにそう呟いてしまった。今度は反射的というよりは、魔がさしたといった感じだった。


 心なしか焚火の火が強くなって、ハルの顔に落ちる影が濃さを増したように感じた。

 少し落ち込んでいるみたいだった。

 期待通りの反応をハルが示してしまったことで、アロは、魔が差したとはいえどうしようもない期待を抱いてしまった自分に狼狽えた。が、表情には出さないように努めて無表情を装った。


「あれお祭りだったんだな。

 ……通りで人がたくさんいたわけだ」


 一か所に集まってて好都合だった、なんて当時は考えていたことをハルは思い出した。シチューもどきが放っている、食指を働かせるいい匂いがかえって嫌になった。


 二人はそれっきり黙ってしまいそうになった。


「いや、その」


 アロは慌てて何か話そうと試みた。


 なぜ慌てたのか、アロ自身にもよくわからなかった。


「竜誕祭っていう名前の祭りなんだけど」


「……竜誕祭?」


 ハルは顔にまとわりついた陰気を振り払うように頭をぶるぶると震わせると、アロの話に興味を持ったかのような素振りを見せた。


「まあ、私も大したことは知らないんだけど……」


 そして、アロは流されるままに説明し始める。


 竜誕祭とは。


 それは数年に一度、竜の里で催される竜の誕生を祝う祭りなんだそうだ。


「まあ、正確には竜と人との間にできた子供の誕生祭らしいんだけど」


「へぇ……

 そういや、ここに来てからずっと気になってたんだけど、竜って本当にいるのか?」


「……いるわけないでしょ。


 すくなくとも私は見たことない」


 アロは体の中に残った膿を吐き出すかのように毒づいた。

 心底気に食わないなにかに触れてしまったみたいだった。


「だからあのお祭りも、ずっとくだらないって私は思ってた。


 実在しない竜なんかのために、なんか変な踊り覚えさせられるし、しかもそれ踊るのすごく大変だし」


「へぇ」


「それでなんかもう嫌になっちゃって、あの日は祭りに参加してなかったんだ」


「やっぱ問題児だったんだなお前」


「やっぱって何!?」


「でも、そうか……だから助かったのか」


 ハルは顎に手を当てて、なるほど、と呟いた。


「うん、まあ……」


 もし祭りに参加していれば、確かにアロも殺されていただろう。


 アロはあの日、里が燃やされているのを、遠目で見た。それでアロは急いで里に戻り、そしてその時に父親が殺される瞬間を目撃したのだ。


 脳裏にその時の光景が、電光のように素早く浮かび上がった。アロは今でも父を切り殺した奴の姿を朧気ながらも覚えていた。


「とにかくすごいヘンな髪形だった」


「……?」


 ハルは首を傾げた。


 確かに教師に見咎められてしまうような頭髪のクラスメートはいた。だがすごいヘンと言われてしまうような、「お前なんでその髪型で学校来れるの?」みたいな髪形のやつはさすがにいなかったはずだが。


 少なくとも自分のことではなさそうな気配に、ハルはほっと一安心する。


「変な髪形、ね」


「間違いないよ、あんなの忘れるわけない」


 クラスの連中がやったのではないのかもしれない。


「……まあ、あの場にいたのは俺たちだけってわけでもないからな。もしかしたら勇者じゃない他の奴らがやったのかも」


「どちらにしろお前らは加担してたんでしょ」


「そうだな」


 アロの目に苛立ちが募っているのを如実に感じ取ったハルは口をつぐんだ。


「……そろそろ食べよーぜこれ」


 気まずい空気が流れそうになるのを阻止するべく、ハルは頃合いを図って、シチューであろうものを椀によそい、アロに手渡した。

 それはちょうどいい具合に冷めているようだった。


 おいしそうないい匂いがした。


 アロはふと、自分がハル個人に対してそれほど忌避感を覚えていないという、自分からしてみればかなり意外な心境に気が付いた。


 それどころか勇者という存在にしてみても、アロにとってはそれほど忌まわしい存在でなかったのかもしれない。


 彼らとその仲間に故郷を滅ぼされ、あまつさえ両親も殺された。

 だけど、アロにとって故郷は決して居心地の良いものではなかったし、両親との仲も良好というわけではなかった。


 むしろ、アロは人より自己中心的で、情愛に疎かった。


 両親を殺されてショックだった気持ちも、今や保持することすら億劫なほど薄れてしまっているかもしれない、という懸念が、ここしばらく胸の内で燻っていた。


 勇者らへの恨みを自分が捨てないのは、それを忘れないことで、アロが故郷を襲い虐殺を行った彼らとは違う、善良な人間であるというある種の差別化をはかりかったという側面が強かったからだと思う。


 だからハルへの頑な態度も、はっきりと言ってしまえば、アロがただ意固地になっているだけなのかもしれない。


「やっぱ鶏肉が欲しいなぁ……あ、そうだった」


 ハルはお椀を地面にそっと置くと、上着のポケットをしばらくまさぐっていた。アロはそこで初めて、ハルの腰に巻き付いている奇妙な形状のベルトに気が付いた。

 右の腰のほうに、手の平にすっぽりと収まるかどうか、という程度の大きさのボールのようなものがいくつか、ベルトに固定されていたのだ。

 それぞれ大きさが、それから色も違う。

 何に使うのか、アロには全く見当がつかなかった。


 そうこうしているうちに、ハルは何かポケットの奥から引っ張り出して

「これ、返しとくよ」

 と言いながら、焚火の向こう側にいるアロに投げてよこした。


 かなり小さなものだった。

 アロは難なくキャッチする。


 しばらく投げ渡されたそれをしげしげ眺めていたが、それが何かわかったアロは驚愕のあまり、目が零れそうなまでに瞼を見開いた。


「……え!?これって」


 それは焦げてすすけた銃弾だった。

 焚火の炎に照らされて、金属特有のぬらりとした光沢を放っている。


「お前が俺にぶっ放した弾だ」


「どうやって……まさか掴んで止めたの!?」


「いやいやスタ〇プラチナじゃねぇんだから」


 焚火に近づけてよく観察してみる。火薬で汚れている以外に、特に変形した後は見られない。表面にひっかき傷のようなものがある程度だ。


「もしかして……これが勇者の力?」


「まあな」


 手の平をじっと見つめるハル。


「でも銃弾を止めたのは初めてだった。

 大丈夫とわかってても、銃を向けられるのはやっぱ怖かったな」


 アロは風のうわさで聞いたことがあった。勇者には自分たちにはない特別な力が備わっているのだと。


「姫様は勇者の力のことを『異能』って言ってた」


「銃が効かないなんて……」


「まあ、でもいいことばかりじゃない。


 異能があるかわりにかどうかは知らないけど、ここの世界の人みたいに強くなれないし」


「弾丸止められるなら十分だよ……」


「そうでもない。タネが割れたら異能って役に立たないから」


 ハルはそう言うと、勢いよくお椀の中身を吸いつくした。


 アロもちまちまとシチューもどきに手を付け始める。悔しいがうまい。でも確かにハルが言うように鶏肉があれば、さらにおいしいかもしれない。


 ハルが「せっかく異世界に来たんだから、竜に会いたかったなー」とぼやいたのを、アロはぼんやりと聞き流した。


 随分久しぶりにこうして人と釜の飯をつつき合った気がする。


 お腹が膨れてくると同時に、焚火の火がちろちろと弱まってきた。


「枝木でも拾ってくるか」


「いまから?

 もう暗いけど」


「大丈夫、明かり持ってるから」


 ハルは立ち上がって夜の森の中に入っていった。暗闇にハルの背中が完全に飲み込まれてからしばらくして、奥のほうでぼんやりと光が灯った。


「……あいつ明かりなんか持ってたかなぁ」


 アロはふと夜空に浮かぶ星を見上げた。星以外には何もなかった。特に何の感傷もなかったが、いつか父が教えてくれた惑う星のことを唐突に思い出していた。


 アロは、父親が盲目的に竜の伝説や伝承を信じる人だと思っていたので、その話も信じなかった。星が惑ったりなんかしないと、鼻で笑って聞き流した。

 その時父がどんな顔をしていたかは覚えていない。

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