ロストナイン
洞廻里 眞眩
一話
大空と雲の隙間から、鳥のような影がポツリと現れた。
薄く引き伸ばされた大気の中を悠々と切り開いて進んでいく。何者にも邪魔されることなく。
やがて影は雲の中に消えた。
かなり遠くを飛んでいたので具体的な大きさはわからないが、全長にして数メートル程度では済まないだろう。
「あんな大きな鳥見たことないぞ……」
ポケットの向こう側から小さなコンパスを取り出して、水平に持ってみた。コンパスの針はぐりぐりと狂ったように動き回って、一向に止まる気配がない。やはり、自分は正確な方角を完全に失っているようだった。
周りには草木しかなかった。遠くに山らしきものが見えるので、それを目印に動くのがいいだろう。
コンパスが役に立たなくなってから、同じような景色をもうずっと眺めさせられていた。いい加減森から出たい。
そう思って歩き出した。だが、雲の隙間から姿を現した新しい影に気が付き、再び足を止めた。
「…ん?」
影は黒い煙を上げてゆっくりと落ちていく。
「あれは……」
それは巨大な鉄の塊のような重厚感を放っていた。少なくとも鳥などの生き物が皆持っている、生命の躍動感は感じない。
「あ、落ちた」
この森のどこかに墜落したのか、衝撃でかすかに大気が震えた。
「……見に行ってみるか」
手に持ったコンパスをポケットの中にしまう。
そして、音の方向に向かって歩き始めた。
◯
「見失った、だって?」
一隻の黒い飛空艇は、雲海の波の隙間を縫うようにして飛んでいる。その足取りはどこか覚束ない。
追跡していた標的が姿を消してからおおよそ十数分が経過していた。黒いサングラスをつけた男は、右足をせわしなく揺すり続けた。
「はい……」
男の部下が、顔に緊張を浮かべながら男の前に立っている。声には若干の震えが混じっていた。
「あのボロ船に俺のバルーンが追いつけないっていうのか?」
「いえ、飛行困難と思われる強力な磁場の影響が見受けられましたので、追跡を断念しました」
ピクリと、眉が動く。
「……この船の船長は誰だ」
「?……もちろん、モラン様ですが」
サングラス越しに光る眼が、目の前の部下をきつく睨みつけた。睨みつけられた部下はたじろいだ。
「なぜ船長に黙って船の行き先を決めた?
俺の代わりにお前が船長になったのか?」
「いえっ、そんなことは……」
サングラスの男、モランを怒らせるととんでもない目に合うということは、この男の部下になったら、まず初めに学ばなければいけないことだった。
モランの部下は、なるべく彼に刺激を与えないよう精一杯努めていた。その努力が今水泡に帰さんとしている。
「……今度俺の命令を聞かないで勝手な真似したら、許さんぞ」
だが、部下の予想に反して、モランが声を荒げて怒鳴り散らすことはなかった。これはモランにしては珍しい反応だった。
「はいっ、申し訳ありませんでした!」
「……よし」
部下は安心して息をついた。しかしモランの自分に対する評価はこれで低くなってしまっただろう。自らの評価を取り戻すには、これから馬車馬のごとく働いて評価を取り戻さなければならない。
「では、私は持ち場に戻ります」
背を向けて立ち去ろうとする部下に、モランは侮蔑の眼差しを向ける。
「俺は勝手な真似をするなといったはずだが」
「えっ」
それが部下の最後の言葉だった。ばったりと床に倒れ伏した部下の頭から、血がとめどなく溢れて流れ出した。
部下はもう瞬きすらしない。
「誰が『戻れ』と命令した」
モランは一部始終を見ていた周りの船員たちに、顎で「片付けろ」と命じる。
「ああ、それとこの船の行き先だが」
モランは死んだ部下の後釜となる男を呼びつけた。呼ばれた男は、渋い顔を精一杯ごまかす努力をしなければならなかった。
「えぇと、奴らを追いかけますか?」
「何バカなことを言ってる。
あんな磁場の中を飛んだら、俺の大事な船の精密機器が壊れちまうだろうが」
「そうですよね……」
周りにいた船員の内何名かが、死んだ男に一瞬視線を投げかけたが、モランにばれる前に視線をもとに戻した。
「とりあえず燃料補給だ。
なに、焦らなくても奴らは逃げ出せんさ」
そう言ってもランは「コケケケケケッ」と奇妙な笑い声をあげる。それを耳にした部下のほぼ全員が顔をしかめた。
〇
「ワァ……
すげぇ……
ボロボロ……」
巨大な飛空艇が煙を上げている。
一見して破損は少ないように見えた。が、熱い鉄板の隙間や小さな窓枠の向こうから、黒の煤煙などがじわじわと湧き滲んでいるのは、どう考えてもその船がどこかおかしくなっている、何よりの証拠だった。
もともとそこまできれいな船でもない、どころかかなり型落ちしているオンボロ船みたいだから、航行中に故障して不時着してしまったのだろう。
少し近づいていくと、船の中からガタガタと音がした。続いて大きな音を立てながら、船のハッチがバカッと開いた。そこから黒煙が一気に放出されて、周りにゆらゆらと漂って消える。
足をぴたりと止めた。それと同時に、腰のベルトに反射的に手が伸びた。だが、出てきた人影を見て、手を止めた。
中から這いずるように出てきたのは、少女だった。頭から血を流して、目はうつろだった。
「お、おい!大丈夫か!?」
彼はすぐに警戒を解いた。少女に駆け寄って、けがの具合を確かめようとした。
「あの……大丈夫、です」
少女の瞳はうつろで、何も景色を映していないような印象を受ける。大丈夫だとはとても思えない。
「いいから、取り合えず手当しなきゃ。俺はハルだ」
素性の知れない男を警戒しているのかもしれない。そう思って彼は少女に自分の名を名乗った。
ハルは少女の手を取って船から引っ張り上げた。安定した大地の上に寝かされると、少女は深く息をつく。
そこで幾分か余裕も生まれたのだろう。
彼女は自分の名を告げた。
「……アロです」
アロと名乗った少女の目にはようやく力がこもり始めていた。焦点の定まり始めた瞳で、ハルの目ををじっと見つめる。
「た、助けてくれて、ありがとう……でも」
ぼんやりとした目で言葉を紡いでいたアロだったが、ハルの顔を見ていた目がハッと急激に見開かれた。
「……あーっ!!」
続いて信じられないほどの大声を上げる。
「えっ、ちょ、なに!?」
ハルは驚いて、荷物から取り出して手に持っていた包帯を取り落とした。
「おま、お前勇者だろ!!」
ハルは、「勇者」と聞いてギョッとした。
「い、いや……」
「黒髪黒目!!そしてその平たい顔!まちがいない!」
「平たい顔て……」
やっぱり日本人の顔ってそんな風に見えるのか、とハルは感慨深げに嘆息した。
ハルがそんなことを考えている間にも、アロは急いで彼から距離を取ろうと必死に手足をばたつかせている。先ほどのしおらしさはどこへやら。
「さっきまで意識朦朧って感じだったのに急に元気だな。
もしかして大したケガじゃない?」
「やかましいわ!!
覚悟しろ!!」
ある程度距離をとったところでアロが懐から取り出したのは。
「ん、えぇ!?」
拳銃だった。
ハルは反射的に両腕を上げた。
「んなもんどこで手に入れたんだ!?」
アロは素早く撃鉄を起こした。
「ちょっとまて!いくら俺が勇者だからって、今日初めて会ったお前に殺される筋合いないって!!」
今日初めて会って、しかも救命しようと近づいたら、殺されそうになる。こんな理不尽な目に合うのは初めてだった。
「私の故郷めちゃくちゃにしただろうが!」
「故郷?」
アロは銃口をしっかりとハルの体に向けて照準を合わせる。そのよどみのない所作に、ハルは本能的な焦りが身を焦がすのを感じた。
「竜の里だ!!」
「竜の里……?」
しばらく眉間にしわが寄っていたハルだったが、ようやっと思い当たる節を見つけ、驚愕で顎が落ちそうになった。
「竜の里ぉ!?」
「そう!!」
「え、まさか竜人?
あの時全滅したはずじゃ……」
いよいよアロの怒りは天を穿つ勢いで燃え始めた。心なしか口から気炎がほとばしっているような気さえする。
「お前らが来てみんな殺したんだろ!これでもまだ「仕返しに殺される筋合いはありません」って言い張るのお前はっ!」
「いやあるけど……でもちょっとま」
アロは躊躇なく引き金を引いた。ハルの言葉を遮るように、一発の銃声があたりの草木にこだました。
しばらくは森のざわめきと、壊れた船のくすぶりしか聞こえなかった。
「……え?」
ハルはほんの少し後ろによろめいただけで、その場に平然と立ち尽くしていた。よけようとする素振りすらなかったというのに、ハルは全くの無傷だった。
「そ、そんな」
外してしまったのだろうか。
アロはもう一度銃を構えようとして、その場に倒れ伏した。
明らかに血の足りない頭で、申し訳なさそうに頭を掻いているハルをかろうじて視界に納めると、うすぼんやりとした意識を完全に手放した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます