第3話 『アンジェ・シリル・ブックマン』

 定期船はしばらく、大海蛇シーサーペントとの戦いで損傷した箇所を特定する為、東京湾のど真ん中で数時間停留することになった。大海蛇シーサーペントを簡単に屠った琥珀は、新入生の魔女っ子たちに囲まれて照れもせずに話をしている。


琥珀こはく、僕は少し海を見てくるよ」

「ほろび、分かったわ。あとから私も追いかけるから」


 その間に、デッキに出て、また海の様子を見ることにした。不思議と戦闘をしたはずなのに、高揚感を覚えることはない。本気を出すなという琥珀の命令が原因の一つでもあるが、なんとなく頭の隅で気になることがあった。


「魔法学院……――魔女の花園か」

「あれ、ほろびさん……みんなと一緒にいるのかと思ったわ」

「アンジェ、お礼を言うのがまだだったね。琥珀を連れてきてくれてありがとう」

「魔法で戦えないブックマンとしては貢献できてうれしい限りよ」


 それを聞くと、素っ気なく再び海の方に身体を向ける。アンジェがわざとなのか隣に立つ。どうやら話がしたいようだ。なんとなく誰かと話したいという自分らしくもない欲求が沸いていたので都合がいいことこの上ない。


「ほろびさんは、アリスの宿題を片付けたいんだよね。それってどの宿題?」


 魔女の真祖アリスの宿題――世界中のダンジョンを全て踏破すること。魔法を極めて最果ての景色に至ること。世界をあるべき姿に戻すこと。どれもまだ達成されていない宿題ばかりだ。

 真面目に夢を見る者は馬鹿か夢想家として、白い眼で見られ、笑われる。果たしてアンジェは笑うだろうか。


「僕は……――その中でも数百年議論の絶えない『世界をあるべき姿に戻す』のが目標なんだ」

「ロマンチックな夢ね。でも挑んだ人は死屍累々としているわよ。もし夢が破れたら、教えて頂戴。ブックマンは色んな財界人とコネがあるから」


 そこで強い潮風でアンジェの長い金髪が乱れる。美しいと思わず感じてしまう。只々、金糸のような金髪が揺れるのが艶やかで、少しラピスラズリの目を細めて海を眺める姿が瀟洒で、じっと見つめてしまう。


「アンジェは……――昔のアリスの肖像画にそっくりだね」

「もしかして、口説いているの? 私そっちの気はないけど」

「そういう意味じゃないよ」


 海にしばらく視線を向けたままだったアンジェの瞳がまだ理解できない感情で揺れる。僕も同じ方向を向くと桜が咲き誇っている魔法学院が見えていた。逆巻く風に吹かれて桜吹雪がライスシャワーのように降り注ぐ。


「桜って本当に綺麗よね。日本には何度も旅行に来たけどこの季節が一番好きだわ」

「…………そうだろうね」

「ほろびさんは桜の季節は嫌いなの?」

「いや……――まだよく分からない」

「ほろびさんは不思議だね。まるで……深い意味はないけど――非人間的な美しさが心も姿も象徴しているみたい。言い換えれば、誰も触れたことがない純真無垢な子供みたい」


 それは、少なからず当たっている。アンジェの鋭い洞察力に舌を巻き、心の中で身構えた。これ以上は踏み越えさせてはならないと早鐘が鳴るような心地がする。この子は、姫様と同じ程度には勘が冴えているようだ。


「アンジェ……――僕は……この辺で客室に戻るよ。姫様が困っているかもしれない」

「姫様? ああ、竜胆家りんどうけの現当主琥珀さんのことね」

「ほろび、その……必要は……ないわよ」


 弱々しいがそれでも凛とあろうとする声が僕とアンジェの背後からかかる。カツカツと戦闘用のブーツの強気な足音がした。時々理不尽な要求をされることを除けば優しい性格をしている。忌まわしい存在である僕を屋敷の外に連れ出すという寛大すぎる心を持った人格者だ。そんな彼女が、船酔いをしてそれでも気高くあろうとする姿が胸を打つ。


「先刻は……挨拶もせず申し訳ありません。私の名前はアンジェ・シリル・ブックマンです。これ以後お見知りおきをお願い致します」

「改めまして、私は竜胆琥珀……ブックマン家の次期当主と学友になれるのは嬉しい限りです」

「琥珀さん、せっかく知り合えたんだし、普通に話しましょう?」

「そうね、アンジェさん……アンジェさんは私が魔剣士でも怖がらないのね」

「お爺様が魔剣士だったから……――かな?」


 段々と桜が満開な港が近づいて見える。浮足立った気持ちを隠しきれずにいると、琥珀に刺すように睨みつけられた。奇跡のように初めて出会った時から、何故か僕の心を琥珀は見通してくる。その程度には繋がりは深い。その程度には信頼されている。


「ほろび……竜胆家の一員として、もっと自覚を持ちなさい」

「はい、承知致しました。ロンドニキア魔法学院は実力至上主義ですからね」

「決闘を申し込まれることもあると聞いたわ」


 アンジェは決闘という言葉を話す時、声が若干震えている。魔法が使えない魔女であるブックマンの血筋にとって決闘など恐怖でしかないだろう。ブックマンは戦いの前戦に立つ兵士ではない。後方で知恵を出すブレインのような存在だ。


「アンジェさん、安心して。学院では友達として、あなたを守るわ」

「そうだよ、アンジェ。それに決闘と言っても命を奪われるのは稀だって聞くし」


 僕はどうしたら相手を殺さずに勝てるかを師匠からつい最近まで徹底的に教わった。思わず相手を殺してしまう程度には、僕はイレギュラーな存在だ。

 そして魔法は魔女が、剣は騎士が扱う世界でも、僕はイレギュラーな存在だ。


 僕――竜胆ほろびは――――――世界唯一の男の魔法使いだった。



――――――――――――


 ここまで読んで頂き誠にありがとうございます。もし面白いと思った方は評価や応援をして下さるとモチベーションが上がります。面白くないと思った方は評価を☆一つにして下さると幸いです。よろしくお願い致します。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る