ライバル

晴れ時々雨

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あたしのライバルはいつもヘドヴィカだった。あたしたちはともにご主人様から支配される身で、その寵愛を一身に受けたいがために秘かに競っていた。ヘドヴィカは普段そんな素振りを見せはしないが、ときおりあからさまにご主人様に擦り寄って見ているこちらを恥ずかしくさせる天才だった。彼女は今日、ご主人様から首輪をつけてもらっていた。中心にリボンがあり、その結び目から白っぽい金の鈴がぶら下がっている柔らかな黄色いサテンの首輪は、彼女の漆黒の被毛によく映えていた。今までは普通のどこにでもいる猫だったのが、「随分と」飼い猫らしくなった。主人を持つ動物の象徴をご本人から授けられたヘドヴィカは首を掻きむしった。失礼なやつ。こいつには飼い主に従う心がない。掻きむしって散った毛が空中に舞うのをセノーテ色の瞳で追いかけている。愚かなほどカラフルな生き物は自分の抜け毛にじゃれつきそうだった。数字の4みたいな格好のまま目だけきょろきょろしてる。ああいやだ、なんでおまえを見なきゃいけないの。ご主人様に目を移すともうどこかへ行っていた。しまった、ついヘドヴィカなんかを見つめてて、ご主人様のことを考えるのを忘れてた。でもヘドヴィカに関わるということは、大きい意味でご主人様のことを考えることとおんなじなのだ。

ヘドヴィカがこの屋敷に来たのは、三週間前の小雨降る日曜日の夜だった。あたしはショックを受けた。ご主人様のものはあたしだけだと思いこんでいたのに猫を飼うだなんて。これはよくあるただの猫なんだと思ったけれど、そのときは今さら猫を飼う意味がわからなかった。あたしは腹がたってお食事ストライキをしようと思ったけどそんな分際じゃないから我慢して普通にご飯を食べた。猫はヘドヴィカと呼ばれ、ご主人様の足元で平皿に盛られたぐずぐずな何かをちっちゃな舌で舐めていた。その頃のヘドヴィカは煤のかたまりのように小さく、震え、ミャーミャー鳴いていた。夜通し鳴くものだから、ご主人様はあたしをしごくのを中断して小さき無法者をご自分のベッドへ入れた。そしてあたしにキスすると、今夜はもうやすみなさいと仰って寝室から出した。お部屋を出る際にみた、ご主人様のベッドから顔を出したヘドヴィカは、産まれたばかりの夜の子どもみたいに眠る気などなさそうだった。この時からあたしはヘドヴィカが嫌いになった。

いつの間にか薄いブルーから光の射す陰にある深いブルーの瞳に変わったヘドヴィカは今日、従属者の第一の証である首輪を戴いた。このことは少しだけ感慨深い。ここへ来た当初の自分を思い出す。あたしも最初は首輪をもらった。あたしのは真ん中に銀のリングがついた黒革のハーネスだった。あたしは自分の役割を叩き込まれ徹底的に躾けられた。ご主人様は褒め言葉を口にしないけれど、あたしに触れるとき走らせる視線には昏い炎が揺らめくことがある。ご主人様があたしに求めるものの奥深さはそれを知るほど恐ろしく、また甘美で、その底の知れなさにおののいた。

最近のあたしは、ご主人様を甘くみていたのかもしれない。人間の身体と心はどんな苦境や苦痛でも段階を踏めば壊れずに際限なく耐えることができる。正しい加減で責められると無理なことがない。ご主人様に寄せる絶対的信頼があるから、全心身についた傷は元通りに治る。次はもっと、さらに耐えられるようになる。ご主人様は人を創りかえる才能を持つお方だ。あたしをまるで違う女にした。

ヘドヴィカはいつか無性になるだろう。そうしたらあたしには勝ち目がなくなる。ご主人様はあたしを、あたしだけを戦わせる。負けの烙印を押す焼きごてはよく時間をかけて炙って欲しい、なんて言えない。

ご主人様のくれた鍵つきの新しいベルトが腰の皮膚に瘡蓋を作りながらあたしの一部になる。ムカつくけど、ヘドヴィカのいない日はもう想像がつかない。

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