第5話 さあ、召し上がれ
「学園から法案の奏上だと?」
「は、法律学を専門とするジャッツラー教授より、現法における重大な瑕疵が発見されたと」
王城の王陛下執務室では、法務大臣と財務大臣が報告というか、奏上を申し上げていた。
「それで瑕疵とは」
「貴族の相続に関するものです。現状では慣習法によって為されているのですが、王国歴385年発布のゲルバリウス王法と421年のハーミルトン王法が共に有効であることが証明されました」
「2つの法と慣習法が共存しているということか」
「まさしく」
汗を拭きながら、法務大臣が答える。
「そんな200年以上前の法に有効性はあるのか」
ちなみに現在は王国歴634年だ。
「新法も法改正も、廃法も行われていないのです。むしろ、そちらが問題視されるべきなのです」
ハッブクラン王国は、これでも立派な法治国家だ。それでも未熟な法体系であり、様々な抜け道はあるのだけれど。
「つまり3法の折り合いをつけ、現行に沿った法が必要ということだな」
「ご明察にございます」
「では会議を開かねばならぬな」
これは面倒な話になったと、王は思い耽る。貴族にとって相続とは大きな問題だ。基本は長子相続ではあるが、財産分与となると揉め事も多い。ゆえに明確な法でもって断を下すのが良いのだが。
「ん、まて、奏上と言ったな?」
「はっ、まさに。こちらをご覧いただければ。ジャッツラー教授による草案です」
見事ではないかと王は感心した。不備を指摘しつつ、是正案を提示してくるとは。王の中で名も知らなかった教授の評価が上がった。
筆頭著者の下に共同研究者として、フォルテとアリシアの名前を見つけるまでは、だった。
王はぱさりと草案を膝に置き、財務大臣の方を向いた。たしかに彼がいるのはおかしくない。だが嫌な予感がする。
「卿は何かあるのかな?」
「はっ、先ほどの話にも連なりますが、学園より画期的検地方法が提出されたのです。これにより、財産分与にあたり、より正確な判別を下すことが可能になるかと」
王は、ちょっとした眩暈を起こした。
「説明はよい。渡せ」
「は、ははっ」
渡された論文の筆頭著者は、聞いたこともない数学教授の名だった。ただし共同研究者には、例の二人の名があった。
「下がって良い。こちらについても精査の上。採否を決めることとなろう」
2か月後、貴族における相続法の制定と、新手法による測量検地が採用された。
◇◇◇
みーんみんみん、みーんみんみん。
数か月が過ぎ夏である。
この世界にも夏はあるし、セミもいる。別に農薬で巨大化して襲ってきたりはしない。首は大丈夫だ。
「はいみなさん。本日の調理実習にようこそ」
そんな蒸し暑い日に調理実習室では、多くの婦女子があつまり料理講座が始まろうとしていた。
講師はローザリア男爵夫人、御年56歳だ。
「今日はみなさんに、クッキーを作ってもらいましょう。美味しく出来たものを、ご婚約者や想う殿方にお渡しするのも一興ですよ」
「まあっ!」
実習室に黄色い悲鳴が上がる。
やってやるぜと、一部の令嬢が拳を握った。
「ところで、ヴィルフェルミーナ嬢、アリシア嬢、それは?」
「寸胴です」
ミセスローザリアの問いに、間髪入れずフォルテが答えた。
「ええと、クッキーを作るのに寸胴は」
「わたしたちには必要なのです。王子殿下にご満足していただく逸品を作り上げるためですので」
アリシアも戸惑いなく答える。
「そ、そうですか。頑張ってくださいね」
ハッブクラン学園は王国の最高府である。そして、最近そこに新しい不文律が加わった。
『ヴィルフェルミーナとアリシアに手を出す事なかれ』
それに従い、ミセスローザリアも黙認を決め込んだ。人生とは妥協の連続であった。
実習室の全体に甘い香りが漂っていた。皆がオーブンを熱心に見守っている。焦げてはしまわないか、生焼けは困る、などなど。
もう一方では、別の匂いがしていた。酷くスパイシーで食欲をそそる香辛料を混合した香り。そしてもうひとつは鳥ガラスープの濃厚な匂いだ。なんでこうなった。
じゅわー、っと油が音を立てる。揚げ物だ。
横では、モヤシとタマネギを豪快に炒める音もする。だからなんなんだ。
「完成です」
「こちらも仕上がりましたわ」
額の汗をハンカチで拭い、フォルテとアリシアは獰猛にほほ笑み合った。
◇◇◇
みーんみんみん、みーんみんみん。
「ふぅ、夏の野外訓練は堪えるな」
「そりゃ殿下、それこそが戦士の本懐だぜ」
ワイヤードが笑うが、王子はちょっとバテ気味だ。
「どうぞ」
ライムサワーが苦笑いをしながらも、魔法で創り出した氷入りの冷水を差し出した。
「ああ、助かる」
そんな時だった。
「王子殿下、調理実習で作ったお料理をお持ちしました!」
アリシアの元気な声が教室に響いた。
「『婚約者様』の為に頑張って調理いたしましたわ」
続いてフォルテの登場だ。
教室にいた男子生徒たちが一斉に距離を置く。あれは危険だ。ライムサワーとワイヤードまでもが1歩、いや3歩後ずさった。
「そ、それはありがたいね。確か今日は、く、くく、クッキーを作ると聞いていたが」
顔を真っ青にした王子が対応した。この王子、相変わらず中々の度胸であった。王の器か。
「ええ、ですけど、運動をした後ですからもっと体力のつく料理を用意しました」
「力作ですわよ」
「り、力作、か」
みーんみんみん、みーんみんみん。
「まずはわたくしからですわね」
王子の目の前に置かれたトレイの上には、東方由来のライスの上に分厚いトンカツが載せられていた。厚さ2センチ、1センチ間隔で6つに切り分けられている。ツヤツヤとしたライスが輝き、同じく揚げたてと思われるトンカツも美しい。
フォルテはそこにルーをかけた。もちろんカレーだ。具材は少ない。タマネギのみじん切りを念入りに炒め、少量の牛乳で香辛料と絡めた、極シンプルなそれはカツカレーだった。
みーんみんみん、みーんみんみん。
「さあ、お召し上がりください」
「あ、ああ」
ここでこれを拒否するというオプションは存在しない。食べるしかないのだ。
宣戦布告の書に押印するのはこんな気持ちなのかと、そう決意を固めた王子がスプーンに手を伸ばす。震えている。
しかし一口食してみれば。
「美味い……」
王子の口の中では少量のライスと、ちょっと緩めのルーと共にトンカツの濃厚な味わいが広がっていた。食レポか。
同時に、どっと汗が噴き出す。
「殿下、お水を」
なんとか立ち直って近づいて来たライムサワーが、冷水を差し出す。それを一気に飲みこむ王子。これがまた何とも言えない絶妙の緩急だ。
「美味であるぞ、フォルテ」
「感謝の極み」
だが、王子の全身から垂れ流される汗の量は増える一方だ。脱水とか大丈夫なのだろうか。
「ふう。見事であった」
「ありがとうございます」
「じゃあ、つぎは私ですね。伸びない内にお食べ下さい」
次弾はアリシアだった。
「野菜たっぷり味噌バターコーンラーメンです!」
トンコツじゃないよ。作者が北海道だからね。
ドンブリにはたっぷりと炒めたモヤシ、タマネギがつややかに光り、大ぶりなチャーシューとコーンのトッピングがなされていた。頂上に乗せられた四角いバターが薄らと溶け始めている。表面を分厚く覆った油分が熱を逃がさない。すなわちアツアツである。
みーんみんみん、みーんみんみん。
王子の頬から汗が顎を伝った。
震える手でレンゲと箸を手に取り、王子はラーメンをすする。ああ、東方貴人との会食もあるので、王国の貴顕は箸を使えるものが多いのだ、念のため。
「うむっ、こちらも美味い」
シャキシャキとした野菜と味噌バターの風味が混じった食感が最高だ。ちぢれ太麺もまた悪くない。
「ら、ライムサワー。水を、水を」
「はっ!」
そして王子はそちらも一応完食した。顔色は青を通り越して紫色に近い。ジェット機でも1日で直りそうなくらいだ。
「此度はわたくしの勝ちのようですわね」
「な、なにを」
「ごらんなさいませ」
フォルテが扇で刺した先には、ラーメンのドンブリに残されたスープだった。
「完食できない食事など」
「まだです!」
「なっ!?」
珍しくフォルテが驚愕の表情を浮かべた。
「こちらをご覧ください」
アリシアが取り出したのは、茶碗に盛られたライスであった。それをラーメンドンブリに投入し、さらに少量のトウガラシをかけた。
「さあ、これで最後です。美味しいですよ殿下」
「あ、ああ」
みーんみんみん、みーんみんみん。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます