終幕 祝賀会の中

 ハモンは帝都が獣の大群に襲われた当日の記憶が曖昧あいまいだった。

 イチヨのしゃく徳利とっくり一本分の酒を飲んだはずだ。追い掛けて来たユウゲンを追い返した筈だ。

 だがその辺りから記憶にもやが掛かっている。


 次の記憶は寝起きだ。

 寝巻ねまき浴衣ゆかたには着替えた様だが結び目は片結びだった。布団ふとんかれ、卓袱台ちゃぶだいの食器も片されている。左肩には包帯の感覚が有り罅抜ひびぬきによる傷口も手当されたのだろう。

 腕の中のイチヨも浴衣姿でハモンはその背を抱いていた。


 何も可笑しな事は無い筈だ。

 しかし起きたイチヨは妙に顔が赤いし店の遊女や娘達には距離を取られた。

 ハモンが酔った勢いで何かやらかしたのだろうが誰も真相を教えてくれない。知らぬという事の恐怖を見せつけられた様な気分だった。


 帝都はお祭り騒ぎだ。

 詩人の誇張こちょう抜きに三日三晩をようする巨獣オオクニ討伐とうばつ。それが獣の大群も含めてものの二刻二時間討伐とうばつされたのだ。

 住民は安堵あんど、商人は商機を感じて連日連夜、白仮面と白羽織しらばおりが売れている。

 ハモンの顔を知る者は限られている。それだけに帝都住民から白革羽織を見て流行りに乗ったにわかと思われるのが面倒だった。


 ただし、悪い面ばかりでもない。


 帝都大通りを北へ進むと皇帝が住まいまつりごとの場でもある皇居が建つ。その前に広がる広場が名前の通り皇居前広場だ。

 市井しせいの者が皇帝に目通めどおり出来る唯一ゆいいつの場であり、公共施設と行政施設の二つの面を持つ。その為、広場内の随所ずいしょに彫刻が立ち階段の斜面には中央門と同様に玄武、青龍、白虎、朱雀の壁画へきがが彫られている。


 ハモンには皇居に描かれた巨大な龍の意匠いしょうの意匠の意図が分からない。帝国では皇帝の威光を示す為に龍がもちいられるのだが帝国の外の人間には分かりようが無い。


 そんな広場で開かれた帝都防衛の祝賀会でハモンの白革羽織は埋没まいぼつしていた。

 帝国では公共のもよおしでは職業に合わせた羽織をかぶる。軍人は黒革羽織、おかきは群青ぐんじょう革羽織。

 だが傭兵には決まった色が無く羽織を被っていれば良い。その為か先日のハモンにあやかって白い羽織の者が多い。お陰でハモンが目立つ事もない。


 ハモンが小柄な事も幸いした。

 巨獣オオクニの首を裂いたと言われてハモンの様な小柄な少年剣士を連想する者は居ない。広場前に集まった群衆も大部分が白い羽織の大柄な傭兵達へ視線を向け誰がくだんの傭兵かと探している。


 祝賀会は討伐に参加した者達へ功労賞こうろうしょう授与じゅよする式典も兼ねている。その為に祝賀会は最初に功労賞の授与を行い、のちに兵も民も交えた交流会だという。


 授与式は粛々しゅくしゅくと進んだ。

 ハモンが帝国式の礼儀作法を知らぬ為にユウゲンが代表者として巨獣オオクニ討伐の表彰を受けた。

 皇居を背にする様に置かれた装飾の多い椅子に腰掛ける四十代程度の男が皇帝らしい。その左右には有力な貴族だろうった刺繍ししゅうの着物を着た者達が並んでいる。


 司会者らしい女の指示に合わせ兵達がこうべを垂れるのでハモンもそれに合わせた。


 何の意味が有るのか分からぬ礼や手拍子が続き、何も分からぬ内に授与式が終わる。ユウゲン以外にも数名の武功を立てた者が皇帝の前にかしずいて短剣やら硬貨やらを受け取っていた。

 市井しせいで使われる硬貨とは色も形も大きさも異なるので名誉を示す品だと想像出来る。


 授与式は恙無つつがなく終わった。

 後は交流会となり皇居前広場に設営された出店でみせにぎわいだす。正午しょうごを前に串肉や粉物の焼ける匂い、醤油を使った店ごとに特徴の異なるれの香りが広がり出した。

 貴族らしい着物姿の参加者は見当たらないが黒革羽織や群青革羽織の姿は見えるので御上おかみでも参加不参加が異なる様だ。


「兄様兄様、羽模様はねもようが一杯だよ」

「あらあら、お兄様に色だけでのうて模様まであやかりはったんですねぇ」


 授与式の後にハモンはイチヨと遊女ゆうじょスイレンと合流した。

 イチヨは普段通り赤茶のショートジャケットだがスイレンも妓楼ぎろう仕事ではないので真紅のジャケットとジーンズだ。遊女らしい化粧もしていないので彼女を間近で見慣れている者でないと遊女だと気付けないだろう。

 今日のスイレンはイチヨだけで人混みに入るのは危険だと同行している。

 西表楼いりおもてろうの面々は遊女とその世話係の娘達で遊んでいるという。スイレンだけは騒ぎに成るかもしれないハモンとイチヨに同行し、彼女の世話係の娘たちは別の遊女に引率されている。


 二人の言葉に吊られてハモンがいくつかの出店を見れば飯屋ではなく小物店や服屋の様だった。どこも白羽織しらばおりや羽模様、仮面といったハモンとユウゲンに関わる品を並べている。


 一見するとハモンは羽模様の白革羽織で流行りに乗った様に見える。だがよく見れば羽織の節々に汚れを落としたり糸のほつれたあとが有り普段使いしている事が分かる。

 その為か目端めはしく商人達にはにわかと思われなかった。


 ふと長身で仮面の岡っ引きという目立つユウゲンに人がたかる様子が無い事に気付く。

 ハモンはこういった場でユウゲンが目立たない事に疑問を覚えて周囲を見渡した。直ぐに女顔の大男と目が合い快活な笑みを浮かべた大男が近付いて来る。


「ようよう御三方おさんかたあんちゃん取り合う三角関係かい?」

「あらぁゲンさん、ワッチは勝てへん勝負はしない主義よ」

「はっは、こりゃ野暮だったな。わりわりぃ」


 好き勝手に話し始めた二人に白けてしまうハモンだが構えば調子に乗るので放っておいた。イチヨと適当にお好み焼きを買い二人で食べ始める。


「あぁっ、あんちゃん空気読めって。俺っちも何か食いてえよ」

「自分で買え」

「ちょっ、こいつ遠慮えんりょ配慮はいりょえな」

「終始こんな調子ですえ。大事なんはイチヨちゃんだけや」

「兄様、紅生姜べにしょうが、辛いよう」

「裏に貼り付いていたか」


 スイレンの指摘など今更なのでハモンも気にしない。

 イチヨはあやまって口にした紅生姜が苦手らしく舌を出して嫌がっている。

 ハモンがふところに入れていた水入りの竹筒を手渡せば少量を口に含んで辛さを薄め始めた。


「そうそうあんちゃん、本格的に巨獣オオクニを斬ったのがお前さんだって噂に成り始めてるぜ。白羽織しらばおりの傭兵達が小柄で羽模様の剣士だって広めてるらしい」

「自分とは限らないだろう」

「ところがどっこい、あんちゃんが西表楼いりおもてろう用心棒ようじんぼうしてる事や街中で盗人ぬすっとを捕らえた事まで広まってる。人の口に戸は立てられぬってな」


 言われてハモンが周囲を見渡せば傭兵達の言葉を聞いたらしい者達が彼の様子をうかがっていた。

 人に囲まれるのを好まないハモンとしては嫌な状況だ。


「騒ぎになる前に帰るとしよう。イチヨ、何か買っていくか?」

「あら優し。ワッチには何かないんどす?」

「イチヨの面倒を見てくれて感謝する。何かおごろう」

「イチヨちゃんとのさぁ女子おなごへの感謝が飯は流石にちゃいません?」


 イチヨ以外の女に小物をおくるのは違うだろうとハモンは首を横に振った。

 スイレンも冗談のつもりだったので肩をすくめそれ以上は小物を強請ねだる事はしない。ハモンの隣で安堵あんどの息をくイチヨを見て正解だと微笑ほほえんだ。


「まあさっさと帰るのは賛成だが、あんちゃんのとこには後でユウゲンさんが出向くはずだぜ」

「ん?」

「自覚がえ様だが山崩しとまで言われる巨獣オオクニ討伐は間違いなく英雄並みの偉業いぎょうだぜ。個別に褒美ほうびが与えられるだろうよ」


 そんな物かと肩をすくめたハモンだが褒美に興味は無い。適当にぜにでも求めれば良いと考えイチヨの小物選びに付き合った。

 既に赤い硝子玉がらすだまの首飾りを持っているのでイチヨは服に着ける装身具そうしんぐを探し始める。

 矢張り話題の羽模様や双角仮面をした品が多い。

 ゲンが是非ぜひにと仮面をかたどった品を勧めるがイチヨが拒否した。あまりに明確な拒否にゲンがへこんだが誰も気にしない。


「あら、お嬢ちゃんは白羽織しらばおりの剣士様が好きかい?」

「うんっ」

「そうかいそうかい。少し前から羽模様は流行っていたんだが山崩しを倒す剣士様が現れたし早くしないと売り切れちまうよ。いやぁ、ユウゲンさんに似せた仮面も人気だし帝都は安泰あんたいだね」


 恰幅かっぷくの良い女店主にかされてイチヨが慌て始めた。

 直ぐにハモンがイチヨの肩に手を乗せてなだめ落ち着く様にうながす。

 別に必要の無い物を買う必要も無いのだ。


「あの、服に着けられる羽模様の飾りは有る?」

「おっと、耳飾りや髪留めも有るが服に着けたかったのかい。ちょっとお待ち……有った。昨晩さくばん作ったばかりの品で良けりゃどうだい?」


 そう言って女店主が取り出したのは裏の金具で服に着ける装身具そうしんぐだった。羽模様をうるしで保護しており簡単にはがれなさそうだ。


「耳とか髪だと自分で見れないから、それが良い」

「そりゃ道理だね。売り文句に使えそうだ。と言うかお兄さんはまるで噂の剣士様そのものだね。羽模様の白革羽織なんての良い服屋が居たもん、だ……おんや?」


 女店主は出店の勘定台かんじょうだいの下から取り出した品をイチヨに見せて確認させる。耳飾りや髪留めが人気なので売り場が開くまで並べていない商品だったらしい。


 話の種にとゲンやスイレンを見てからハモンを見て傭兵達の話す特徴に合致する事に気付いた様だ。特に羽織が昨日今日買った新品ではなく使った痕跡こんせきの有る品だと分かり驚いている。

 男物の革羽織や女物のジャケットは仕立したてに数ヶ月をようする。今現在に羽模様の革製品を出している店は偶然に幸運を拾った者という事だ。


「あまり騒がないでくれ。人混みは苦手だ」

「あ、ああ。いや悪かったね。その羽飾りは是非ぜひ持って行ってくれないかい」

「ん?」

「帝都を救ってくれた剣士様からぜに貰うのもね。まあ商売上がったりは困るから今回だけさ」

「そうか……では、別に一品買わせてくれ。この子と揃いだと有難い」

「ぷっ、あっはは。良いね、同じ品が有るよ。持ってきな」


 無料ただで持っていくのは少しの心苦しさが有る。しかし野暮やぼだと苦笑くしょうで流し羽飾り一個分の銭を支払った。女店主の気遣いを無下むげにするよりはこの方が良いだろう。

 ハモンが二つとも受け取って片方をイチヨの胸元に着けてやると嬉しそうに小さく踊り始めた。もう片方を自分の胸元に着けイチヨに見せてやれば抱き着いて来る。


 小物売りの女店主に指摘される程にハモンの人相にんそうが出回っているらしい。

 騒ぎになる前に退散しようとハモンはゲンに別れを告げた。


「おう、また何か有ったらよろしく頼むぜぃ」

「何も無いのが一番だがな」

「兄様兄様、お揃いっ」

「あらぁ、ワッチは仲間外れ?」

「えっと、スイレン姉さんは……お好み焼き一緒に食べる?」


 わざとらしいスイレンに流石は客商売だと肩をすくめハモンはイチヨの手を引いて帰路に着いた。

 しばらくの間、帝都は巨獣オオクニ討伐の話題で他の噂は聞けないだろう。

 ほとぼりが冷めるまで、腕の怪我が治るまでは西表楼いりおもてろうの仕事に集中しようと決めてハモンは罅抜ひびぬきの柄頭をでた。

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