第二十一幕 巨獣との陣中

 巨獣オオクニの咆哮ほうこうによりハモンは仕切り直しと罅抜ひびぬきを握り直す。

 まるでオオクニが咆哮により呼び寄せたかの様に周囲の獣たちの注目が集まった。


 だから一気に軍人や傭兵達が獣の数を減らす事が出来る。

 乱戦の最中さなか、手が震える程の咆哮に驚いたのは人間だけではない。獣とてオオクニとその周辺に注目してはいるが、同時に驚愕もしている。


「討ち取れえええええええっ!!」


 オオクニから遠い一人の指揮官が絶叫ぜっきょうと間違わんばかりの指示を飛ばす。

 お陰で軍人たちは訓練で染み付いた感覚により機械的に手近な獣に得物を叩き込む事が出来た。

 それでも見渡す限りの大群、完全に討ち取れる訳も無い。数えるのも億劫おっくう、百か二百かと錯覚さっかくする程の獣がオオクニに向けて走り出す。


 馬鹿げた数が迫る中でハモンはオオクニから目を離せなかった。

 身軽で獣狩りに慣れた自分なら息が続く間はオオクニと向き合っていられる。だが息が切れればそれまでだ。

 目を合わせているだけでも呼吸が荒くなる。ここまでオオクニによる死者が出ていないのが不思議なくらいだ。


 目を細める。

 眼前のオオクニを見ながら、意識の一片いっぺんだけ記憶を掘り起こす。


 初めて人を殺めた記憶。

 実の父に罅抜ひびぬきを振るった瞬間。刃を通して手に伝わる肉を裂く感触。訓練よりも獣退治よりもずっと小さい動作でも心臓が早鐘はやがねを打った。ただ立っているだけで呼吸が荒くなった。


 意識を完全にオオクニへ戻す。

 あの記憶に比べれば随分ずいぶんと気が楽だ。緊張する必要など無い。

 意図的に口で深い呼吸を行いオオクニの挙動きょどうに集中する。


 オオクニが右前脚で地面を掻いている。

 闘牛が突進する直前の様な姿に背後を確認し、誰も居ない事を確認した。

 横幅は大の男程度、避けるならば全力で跳ばなければならない。それでも回避先へ向けて首を振って牙で追われれば後は博打ばくちに成る。


 オオクニが地面を蹴った。

 ハモンは小さく右へ体をらす。

 オオクニがハモンに到達するまで三歩。首は既にハモンを追っており二歩目で修正するだろう。

 オオクニに残された歩数とハモンが使える歩数はほぼ同数だ。体を逸らして使った一歩、オオクニの突進を避ける為にも残り二歩を無駄遣いは出来ない。


 オオクニが二歩目で進行方向を完全に修正した。

 ハモンも逸らした体に合わせて足を寄せ、腰を深く落として跳躍ちょうやくの為に力を溜める。


 オオクニの三歩目、思い切り地面を蹴ってハモンへ突撃する。

 腰を落としたハモンは大きく左へ跳躍した。足での着地は考えずに全力で跳び地面を転がる。

 背後で轟音と風圧が鳴った。恐らくオオクニの首が振られて牙が空を切った音だ。


「目を潰せ! 砂煙でも反射でも何でも良い! 白羽織しらばおりを追わせるな!」


 ユウゲンの指示が飛んでいる。

 誰かがオオクニの視界を阻害そがいしハモンへの攻撃を邪魔したのかもしれない。


 転がってばかりはいられない。ハモンは地面を回転しながら起き上がりオオクニをにらむ。


 巨体の突進は強力だが制動距離は長く全身に力を込める必要が有る。

 巨獣オオクニは駆ける事が出来ないなどとほざく学者共に見せてやりたい。地面を滑り砂煙を立てる威容を前にどれだけの妄言がけるか試してみたい。


 オオクニの顔面に向けて右から複数の弓矢が飛んだが、剛毛と皮膚ひふで弾かれた。


「獣を近付けるな! 横も背後もがら空きだぞ!」


 指揮官らしいよく通る声が響いた。オオクニから視線を外さずに意識だけで周囲を見れば獣が次々と討ち取られている。

 いつの間にか軍人が増えた様に見えた。城壁で矢をっていた者達が降りて来たのかもしれない。


 ハモンが静かに罅抜ひびぬきを正眼に構えれば、矢張りオオクニは彼に向き合った。


 その横顔にユウゲンの拳が突き刺さり肉体の内側で理法による風の刃が生み出される。脳の有る頭部で肉体の内側に生まれる風の刃は、内側からオオクニの左目を弾き出した。


「ぐおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 巨獣オオクニに人が理解出来る感情が有るか分からない。

 それでも確かに痛みで絶叫しているのだろう。

 目をえぐられる事が痛く無い存在、そんな者をハモンは生物とは考えない。

 つまり、切っていれば殺せるのだ。


 痛みに暴れるオオクニから全員が距離を取った。

 多少の運任せは有るがおおよそ十歩、オオクニが一歩では詰め切れない距離だ。


 数秒暴れたオオクニが荒い呼吸に肩を大きく上下させ体勢を整えようと足を小刻みに揺らす。

 ハモンが待っていたのはその瞬間だ。


 新たに生まれた巨獣オオクニの死角、顔の左側から走り寄る。

 片目を失った直後でも獣は獣、聴覚も嗅覚も人よりするどくハモンに反応したオオクニが左を向く。


 残った右目に向けてハモンは理装を構えた。

 放つのは得意の火球。着弾させる事も考えたが、正面から獣に当てるのは難しい。

 だから着弾する直前、鼻先で意図的に爆発させた。


 視界は完全に塞ぐ事が出来た。耳も爆音で数秒は殺せただろう。嗅覚だけは何とも言えない。

 それでも勝負を掛けるなら今だ。


「ユウゲン、足場だ!」


 意味が通じるか怪しい指示だったがユウゲンは直ぐにハモンへ走り寄った。

 少し離れた位置で腰を落とし体の前で両手を組む。

 そうして生まれた足場にハモンが飛び乗った。

 ユウゲンの腕が振り上げられ、ハモンの体が上空に吹き飛んだ。


「す、済まない!」


 飛ばしてから気付いたのだろう、ユウゲンがハモンを飛ばしたのはオオクニの背中の上だった。

 だがオオクニの背に飛び乗っても直ぐに振り落とされてしまう。地面に転がれば体重だけで挽肉ひきにくにされてしまう。

 狙うなら、首だったのだ。ハモンの指示通りに足場だけ用意して跳躍の方向は彼に任せれば良かったのだ。


「問題無い」


 空中で姿勢を崩していないハモンが、左手を振る。

 オオクニの首の反対側、空に向けて爆炎を放ち反動で首に向けて自分を吹き飛ばす。


 聴覚が回復したのかオオクニが爆音に反応した様にあごを上げた。

 四本の牙が上空から首に飛来するハモンを迎撃する為に突き上げられる。


 斬った。

 両手でしか罅抜ひびぬきを握り、爆炎の反動で回転する勢いに腰の捻りを加えて牙を横に斬り飛ばす。

 四本の牙が宙を舞うのを見送りながらオオクニの首に着地した。


「斬れぇっ!」


 誰かの声が聞こえた。言葉は違うが複数人が同じ事を叫んでいる様だ。

 言われるまでもない。


 目一杯に引き絞った罅抜ひびぬきを巨獣オオクニの首に突き刺す。


 命の危機に暴れるのはどんな生物も同じだ。

 首に乗るハモンを振り落とそうとオオクニが体を左右に振る。


 その程度で罅抜ひびぬきから手を離す様な事はしない。腕が無くなろうと噛み付いてでも離す事はしない。


 断ち切れぬ程の剛毛と岩の様に硬い皮膚を無視して刃を立て肉を断つ。

 首の一周の内、刃を通せたのは四半四分の一程だ。罅抜ひびぬきの切味が良過ぎて刃を立てた瞬間に肉も骨も断ち切ってしまう。

 これではオオクニの首に立ち続けられない。


「足を狙え! 暴れさせるな!」


 ユウゲンの言葉にハモンは良い判断だとは思うが具体性が無いとも感じた。狩猟用の投げなわでも有るのかと思ったが、そちらに目を向ける余裕が無い。


 左手で剛毛をつかみオオクニに組み付き続ける。

 獣は頭が良い。一度経験した事は対策してくる。再び空中から爆炎で飛来する荒業あらわざはもう通じない。

 ここで首を落とさねばき殺されるだけだ。


 そう思っていると暴れるオオクニの横腹に軍人が三人掛かりで何かを突き刺した。

 人影に隠れて見辛かったそれは、切り落とされたオオクニの牙。

 軍人たちは直ぐにオオクニの暴走に弾かれ、一人は倒れたところを巨体の足で踏まれ頭部が砕けた。

 犠牲は有ったが、確実に巨獣の体力を減らす事に成功している。

 既にオオクニの足元には首、脇腹の切傷、横腹の刺傷で血溜まりが出来ている。


 剛毛を掴んだ左手を、罅抜ひびぬきが作った傷口に捻じ込んだ。


「焼き付け」


 ハモンの得意な理法は火球。

 それが体内で生まれるだけでオオクニの内部を焼き壊せる。

 既に肉体的な疲労と、理法を数回使った頭痛で高威力は出せない。

 生物の体内に手を突っ込む気色悪さを戦いの興奮で意図的に押し流し、肩まで血肉で汚す程に左腕を伸ばす。


 何か硬い物に指が触れた気がした。

 頭蓋骨か、首の骨か、オオクニの肉体に詳しくないハモンには分からない。

 腕全体で感じる焼ける様に熱く柔らかい嫌な感触も肉の繊維せんいなのか脳や目玉に関わる物なのか分からない。


 何も分からなければ、好き勝手に暴れれば良い。


 短絡的に考えてハモンは火球を作り出した。

 急いで左腕を引き抜き、可能な限り罅抜ひびぬきが肉を断つ様にオオクニの首から跳ぶ。


 首の傷口から、両目の眼下がんかから、鼻の穴から、火が噴いた。

 巨獣オオクニの悲鳴は無い。

 体を一度だけ大きく震わせ、火を吐き出し、山の様な巨体が力を失い地面に倒れた。


 着地の事など何も考えて居なかったハモンが血溜まりの中に肩から落ちる。

 左腕を少しだけ罅抜ひびぬきで斬ってしまったが、安静にしていれば七日程度で塞がる傷だ。


 巨獣オオクニの血と自分の血をまとめて罅抜ひびぬきすすっている。

 そんな錯覚さっかくを覚えながら刀身の血肉を振り払い、納刀した。


「巨獣オオクニ、討ち取ったりいいいいいいぃっ!!」


 まるで声を上げる気の無いハモンを見兼みかねてユウゲンが高らかに宣言した。

 周囲の軍人、傭兵、おかきも聞いている。

 群のあるじを失って統率とうそつを保てなくなった狼の群の様に獣たちが散って行く。

 そのさまを見て勝利の実感が沸いたのか一人、また一人と雄叫おたけびを上げる。


「我々の勝利だ!」


 ユウゲンの声に吊られた男たちの咆哮ほうこうが合唱を作る。

 余りのうるささに溜息をいたハモンは、血溜まりから歩み出て地面に座り込んだ。

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