第二十幕 戦場の真中

 巨獣オオクニが戦線に参加を始めた。

 砂煙に身を隠していたのが嘘の様だ。ハモンを見つけた直後から獲物をさだめた剣客の様に周囲の獣をもハモンにけし掛ける。


 野獣や虫獣むしけものは未だ健在。

 軍人、おかき、傭兵。

 乱戦を駆ける者達も即座にオオクニに刃を向ける事は出来ない。


それがしが受け持つ! いか、決して死ぬな! 下がり続けてでも時をかせぐのだ!」


 巨獣オオクニに挑む貧乏くじを引いたのはハモンの周囲に居た十名程だ。

 その中でも最もくらいの高いユウゲンが率先そっせんして声を上げる。


 軍人達は多少の不満を示しつつも冷静にユウゲンの指示の的確さを認め従った。

 ここで本丸を足止めしなければ帝都の城壁が破壊されてしまう。死も負傷ふしょうもオオクニを足止めする数の減少に変わりはない。

 この命令は自分の命を大事にしろ、などというお優しい意味では無い。帝都を一瞬でも長く防衛し次に繋いでから死ねという死刑宣告だ。


「仮面殿、この任が終わったら是非ぜひ貴殿の顔にあやかりたい」

「ああ、そうだそうだ。お前程のかおが有れば遊女ゆうじょ共が向こうから寄って来よう」

「ふっ。傷無しで切り抜けた者には伝授してしんぜよう!」


 軍人や傭兵たちが下品な冗談をユウゲンに向ければ喜色ばった声が応えた。

 部下二人が呆れて肩をすくめている。


 ハモンの正面から猪、遅れて左から野犬が迫る

 猪に手間取れば野犬にのどを食い破られてしまう。

 獣の突進をける時に対人剣術の様な最小限の回避は危険だ。人とは骨格が異なり動きも予想が付き辛い。

 先程の乱戦では猪の狙いが分かりやすく単体だった為に牙ごと切断できた。ただ猪の背後に野犬が控えていると話が変わってくる。


 猪と野犬が共闘している異常事態に対する混乱は乱戦が始まって直ぐに捨てた。

 足で砂を蹴り上げ猪の視界を一瞬だけ塞ぐ。

 獣を相手に人間向けの不意打ちの効果は薄い。猪もハモンを見失ったのは一瞬。視界を塞がれた事を気にした様子も無く突進を続けている。


 その一瞬でハモンは踏み込んでいた。

 蹴り上げた砂煙から猪が顔を出した瞬間、頭を右足で踏み付ける。牙や剛毛による怪我は脛当すねあてを頼る運任せだ。

 踏み付けにした頭を足場に跳び上がる。宙で身をひねって体を横に回し罅抜ひびぬきで猪の背を斬り裂いた。


 野犬がハモンの着地を狙い跳躍ちょうやくする。

 その野犬を横から岡っ引きが十手じってで殴り付けた。

 着地と同時に地面に転がった野犬に肉薄しのどから切り落とすが足は止めない。


 巨獣オオクニに向けて駆け続ける。


白羽織しろばおり!?」


 ユウゲンの悲鳴も最もだ。時をかせげと言ったのに突撃する馬鹿が居るとは思わなかったのだろう。

 人を従わせ慣れた者らしい驚愕だとハモンは思う。


 巨獣オオクニはあごを振り上げ、岩石すら割ると言われる牙を振り下ろす。

 ハモンの突撃は思ったより速度が出なかった為にオオクニの牙は当たらない。猪や野犬を相手に速度が乗らなかった事が幸いした。


 ハモンの数歩前の地面が牙に崩される。

 地震の様な揺れ共に地割れを思わせる陥没かんぼつが起きた。ひざまでの深さの穴が開き下手に走り回れば足が取られる様に地形が変わる。


 力を込めずに罅抜ひびぬきを軽く振った。

 狙いは頭部から大きく突き出す異常に発達した四本角。その硬さを確認する様に横へ振る。

 硬い音を立てて罅抜ひびぬきと牙が打ち合い体格差からハモンは後方に弾かれた。


「硬い」


 気の抜けた斬撃、障子しょうじの木枠すら斬れぬと自覚しての一撃だ。

 如何いか業物わざものとて正しく振らねば正しく斬れぬ。その常識すらくつがえ罅抜ひびぬきだが今回はハモンの意図に従ったのか硬さを確かめる様に牙と打ち合った。


……こんな自分に付き合ってくれるか。


 罅抜ひびぬきには母と妹の意思が宿っている。

 少なくともハモンはそう思っていた。

 遺品いひんとも言えるしなを失う為に旅する自分が罅抜ひびぬきを頼る。我が事ながら余りの身勝手にわらってしまう。


 周囲はそんなハモンを見て少しだけ気味悪がった。

 普通は自身より巨大な化物と相対あいたいして笑みを浮かべる者とは関わりたくない。

 気の触れた者、たがの外れた者。

 そのたぐいに関わりたがる者は、矢張り何処どこか可笑しな者だろう。


 オオクニに対峙たいじするハモンに野犬や猪の注意が向き軍人や岡っ引きの手がいた。

 明確な獣たちの隙にユウゲンが攻勢の指示を飛ばす。

 軍人たちがサーベルで野犬を横から刺し、ユウゲンが猪の首へ拳を叩き込み理法で切り落とす。


 巨獣オオクニとハモンが止まる訳でも無い。

 牙の叩き付けでは逃げられると判断したのかオオクニはあごを引いた。

 ハモンは背後に誰も居ない位置取りを心掛ける。オオクニ程の巨体が突撃すればかすめただけで死人が出てしまう。


 巨獣オオクニが踏み出した。

 余りの巨体にオオクニは走れぬ等とうそぶく学者も居る。

 対峙すれば分かる。

 走る必要が無いのだ。

 人間の倍以上の背丈せたけに、その巨体を支える脚は樹齢じゅれい数百年の巨木の様に太い。


 つまり、一歩で男が跳ぶよりも動くのだ。


 下手に走ろうものなら簡単に通り過ぎてしまい狙うのが難しい。

 だから走らないだけなのだ。


 顎が引かれた為に牙が前に突き出されている。

 ハモンにすれば六歩の距離だがオオクニにとっては一歩でも近い。苛立いらだった様子は見せたが確実にハモンを牙で突き上げる為に小さな歩幅で顎を振った。


 いのししの牙とは思えない程にオオクニの牙は太い。

 ハモンは自分のどうと変わらぬ太さの牙を罅抜ひびぬきで受け止め、オオクニの膂力りょりょくに乗って後方に弾かれた。

 十歩では済まない距離を吹き飛ばされて背中から地面に倒れ、転がりながらも起き上がる。背が痛みほほも石で軽く切ってしまった。背中には打身が出来ているかもしれない。


 巨獣オオクニは既に追撃を始めていた。

 ハモンに向けて走り始めており一歩では届かぬ為に二歩目に足を上げている。


「何で小僧ばかり狙われてるんだ!?」

「横から討ち取れ!」


 転がりながらも聞こえた声にハモンは同意する。

 野犬や猪だけではない。巨獣オオクニは明確にハモンだけを狙っている。先程もハモンを見た蛇や猿、虫獣むしけものすら例外無く襲い掛かって来た。

 そして狙いが自分なら他の者は横から討ち取れるという事だ。


 ユウゲンがオオクニの横腹に拳を叩き込んだ。

 今までと同様に体内へ風の刃を打ち込んでいるらしくオオクニの体から少量の鮮血せんけつが噴き出した。

 人間にすれば指先が木枝に引っ掛かり裂けた程度の傷だ。殺し合いの最中でなくとも集中していれば無視できる程度の痛みしかないだろう。

 だが痛みは確実に存在し少なくとも痛みを与えた相手への反応が有る。


 巨獣オオクニはユウゲンに見向きもしなかった。

 ここまで完全な無視を想定していなかった軍人や傭兵が驚いて足を止める。


「本丸はがら空きぞ! 総員、刺せ! 刺すのだ」


 ユウゲンの指示に軍人たちが動き始めた。集団行動に於いて命令される事に慣れたゆえの迅速な行動だ。

 傭兵や岡っ引きは一拍遅れての行動となる。


 先頭の軍人が振ったサーベルがれた。

 オオクニへ振り下ろされた刃が軍人の腕力と剛毛の硬さに耐えられず中程でれてしまう。

 続く軍人の槍の柄が折れた。

 突き出された穂先ほさきが剛毛に受け止められ、やはり皮膚ひふに届く事無く壊れてしまう。


 武器は地面に落ちている。各々おのおのが別の武器をひかえている。

 だが武器を無駄に浪費ろうひ出来るはずも無い。


 巨獣オオクニへ有効な攻撃手段を持つのは現状ではユウゲンだけだ。


 再び顎が振られて牙がハモンに迫る。

 小さく横に跳んで身を低くしてかわす。前方に駆け抜けながら罅抜ひびぬきでオオクニの脇腹わきばらを切り裂く。


 これで有効な攻撃手段を持つ者はユウゲンとハモンに増えた。


 傭兵達がときの声を上げる。

 少しでも攻撃の通じる姿を見て士気高揚の為だ。本来の巨獣オオクニ討伐とうばつではこれほど早くに出血させる事は出来ない。

 国を失う懸念けねんを抱く程の犠牲ぎせいを出しながら、鍛冶師が気絶する程に武器を潰しながら、剛毛と皮膚ひふの弱い部分を探すのだ。


 巨獣オオクニと戦い始めて四半刻十五分も経っていない。

 既に緊張と獣共との戦闘で息は荒い。

 それでも普通では有り得ない程の早さでオオクニを削る事が出来ている。


それがし白羽織しらばおりを援護しろ! 確実に彼奴きゃつけずり殺す!」


 ユウゲンの声が戦場に通る。

 ハモンの笑みに対する不気味さは押し殺す。

 それ以上に巨獣オオクニと正面から切り結べる頼もしさに声を上げる。

 槍やサーベルは役に立たない。周囲に群がる野獣と虫獣むしけものに使う。そして陽光の反射や砂煙を使ってオオクニの視界を塞ぎハモンとユウゲンに繋げるのだ。


それがし達には三日三晩も必要無い! 今日、この場で、巨獣を討伐する!」


 声を上げる男たちには見向きもせずハモンはオオクニと向き合った。

 脇腹わきばらを浅く切った程度で止まるはずも無い。


 今日、この場で討伐とうばつするというのは賛成だ。

 疲労と緊張にかわいた唇をめて湿らせる。


 オオクニが巨獣の名に恥じぬ咆哮ほうこうを上げる。

 腹に響く轟音から耳を塞ぎたい衝動に手が震え、歯を食いしばって抑え込む。


 人の倍以上の巨体、余程よほど上手く立ち回らなければ先に息が切れて殺される。

 周囲の兵やユウゲンの具合が分からない。

 それでも一人で巨獣オオクニに挑む様な事態に成らず良かったと息をいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る