第六幕 捕物の最中

 西表楼いりおもてろう根城ねじろにし始めて数日、イチヨが様々な事に積極的に成った。

 妓楼ぎろうを手伝う娘たちに読み書き算盤そろばんを教える合間あいまってスイレンに何かを教わっているらしい。


 そんな彼女を見て少しのさびしさをおぼえつつ、ハモンは仕事前に外出がいしゅつする様に成っていた。

 夜は妓楼の用心棒ようじんぼうをする為に日中は寝なければ成らない。だから外出するのはおやつどきに起きてから一刻一時間二刻二時間の間だけだ。


 夕暮ゆうぐれの道をく。

 何処どこを目指している訳でも無い。

 木造もくぞうの家々に差す夕日ゆうひの反射に目をほそめる。


 屋台やたい串肉くしにくを買い寝起きの空腹くうふくたす。

 最初は火加減ひかげんや塩の塩梅あんばいに驚いたものだ。帝都だからこそ調味料ちょうみりょうも多く、火加減を習得しゅうとくする為の情報や機会きかいも多いのだろう。


「兄ちゃん新しい商人か? やっぱ外から来た商人は品揃しなぞろえが違うねぇ」

「なっはは、分かるかい? 俺はギンジってんだ。いずれ帝都一ていといちの商人に成る男、覚えておいてそんはさせないぜ」


 大通りには旅商人たちが自分の露店ろてんを開く場所が有る。そこから聞き覚えの有る男のうた文句もんくが聞こえたきた。

 ただ声は掛けられない。


 ここは帝都。

 幾人いくにんもの人間が往来おうらいする。

 常に問題に満ちている。


「またか」


 今もハモンの目の前で物取ものとりが起きた。

 茶革羽織の男が老婆ろうばの背後から走り寄り彼女が腕に掛けたこん買物袋かいものぶくろを奪う。

 その勢いで老婆が転びかけていた。


 間に合う距離だ。

 周囲の目も気にせずに地面をブーツで蹴り老母に向けて飛び出す。老婆が倒れる直前に腰に腕を回してどうを地面に割り込ませて受け止める。


「ぎゃっ!?」

「……怪我けがは?」

「え? あれ?」


 返答を聞く前に腕で押して起こし、直ぐに物取ものとりを追う。

 人混みの中を逃げる為に物取りの逃走は遅いかと考えたのだが想像以上に速い。

 老婆から手際良てぎわよ買物袋かいものぶくろを奪った手腕しゅわんと合わせると常習犯じょうしゅうはんの可能性が高い。

 地上を行っても追い付けないどころか見失う。


「誰か! 物取りよ!」


 老婆が大きな声を出して物取りをらえる様に周囲に呼びかける。じきおかきも来るだろう。

 そう判断してハモンは物取りを捕らえるよりも見失わない事を目標とした。

 商店の壁にまれた荷物を足場に軒先のきさきへ飛び出し一階の屋根に跳び上がる。視界を確保した状態で追走ついそうを再開し、物取りを追って大通りを南端なんたんから中央門に向けて駆け出す。


 人混みを逃げる物取ものとりと、足場は良くないが妨害ぼうがいされない屋根上のハモン。

 下手に路地に入れば身軽みがるさでが悪いと判断したのか物取りは直ぐに大通りかられる事はしなかった。

 お陰でハモンは物取りを見失う事無く追う事ができるが捕らえようと地上に降りれば直ぐに路地に逃げられるだろう。

 雪道を数ヶ月にわたり旅し、虫獣むしけものや野獣の駆除くじょ生計せいけいを立てていたのだ。かわらや建物同士の隙間すきまが有っても速度がいちじるしく落ちる事は無い。


 物取ものとりよりもハモンの方が注目を集めている。

 屋根の上をぱしる者を見る機会など演目えんもく義賊ぎぞくくらいしかない。大通りでは親に連れられた子供らがハモンの白革羽織を見て興奮した様子で手を上げている。


 帝都は広い。

 大通りは人混みを掻き分けながら走るとなれば南端なんたんから中央門までいくらか掛かる。それこそ騒ぎを聞きつけたおかきが駆け付ける時間は掛かる程だ。

 大き目の路地ろじから西表楼いりおもてろう顔通かおどおしした仮面の岡っ引きユウゲンが飛び出して来るのが見えた。


「ユウゲン! 紺の買物袋かいものぶくろ、茶革羽織の男だ!」


 屋根の上、走りながらハモンが大声で伝えれば意図いとは伝わったらしい。

 岡っ引きを示す群青ぐんじょうの革羽織をひるがえしながら追走ついそうを開始したユウゲンに物取ものとりが悲鳴を上げた。


蒼鬼面そうきめんが出るなんて聞いてねえぞ!」


 聞き慣れない単語だがユウゲンの異名いみょうらしい。周囲の通行人つうこうにんたちが次々つぎつぎと道を開け物取りとユウゲンの間に障害物しょうがいぶつが無くなった。

 不思議な光景こうけいだが今は物取りの追走が優先。

 そう思っていたハモンの前で見逃せない事態が起きた。


 帝都の大通りを作る整えられた石畳いしだたみ

 ユウゲンが蹴った部分が割れた。


 人間の力ではない。

 脚力きゃくりょく発達はったつした飛蝗ばったを思わせる速度でユウゲンが物取りに向けて直線に飛翔ひしょうする。

 背後から物取りの茶革羽織を蹴り飛ばし、飛翔の勢いで追い抜きつつも物取りの首を背後から掴む。そのまま引き摺り倒して石畳の上を滑りながら着地する。

 あれでは物取りの顔はやすりに掛けられた様に血塗ちまみれだろう。


 そう思ったが、滑ったはずの部分を見れば血痕けっこんが無い。

 大の男二人分は滑った筈で、同じ事をハモンがやれば確実に血塗ちまみれにしてしまう。

 どんな妖術ようじゅつだといぶかしんで屋根からりて走り寄る。


 茶革羽織の物取ものとりは蹴られてか顔面を叩かれてか気絶しているが流血りゅうけつはしていない。

 大の男をユウゲンはく片手で持ち上げ肩にかついだ。

 重さを感じさせない軽々かるがるとした動きだが仮面に隠れないほほを見れば少し青褪あおざめている様にも見える。最初に見たのが蝋燭ろうそくの中、今は夕暮ゆうぐれなので正しく判断できるか自信は無いが違和感は有る。


「羽模様の白革羽織、西表楼いりおもてろうのハモンだったか」

「ああ」

「協力感謝する。こやつ近頃ちかごろ大通りをさわがす物取りでな。早期にとららえる事が出来たのは間違いなく貴様のこうだ。何か褒美ほうびをやりたいが、今はうばわれたしなを返してやりたい。少し時間を貰えるだろうか?」

「仕事の時間が近い。褒美欲しさでもない。捕らえたのはお前だ。忘れてくれ」

「むぅ、それではしめしがつかんのだが。まあい、いずれ時間の有る時に聞くとしよう」


 ユウゲンの走力そうりょくに置いていかれた部下らしき群青革羽織の岡っ引き二人が息を切らして駆け寄って来る。

 そちらにユウゲンの意識がかれたのを見てハモンは適当に声を掛けて立ち去った。

 思わぬ大捕物おおとりものに驚く通行人たちの中にまぎれ、買物袋かいものぶくろを返す必要が有るユウゲンの追及ついきゅうのがれる。


 礼をいっした態度だ。

 しかも西表楼いりおもてろうに居るとれている。

 会おうと思えば直ぐにでも会えてしまう。


 それでも人前で目立つ事を嫌ってハモンは大通りを離れた。

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