第五幕 赤茶少女の心中

 西表楼いりおもてろう勘定場かんじょうば仕事が始まって数日。

 ハモンが用心棒ようじんぼうとしての仕事をこなす間、イチヨは勘定場の裏部屋うらべや算盤そろばんはじく。

 別にやりたくて始めた仕事ではない。それでもハモンの気遣きづかいを拒否するという考えの無いイチヨは勘定場の仕事と子供たちに読み書き算盤を教える事を受け入れた。


「イッちゃん、これ何て読むの?」

「『アザカ』だよ。だから後の文を読むと『アザカが笑った』って読めるの」


 そんな風に勘定計算の合間に同年代の子供たちに読み書きを教えている。


「イッちゃんイッちゃん、算盤そろばんお願い」


 勘定場かんしょうばに座る娘が部屋を分かつ小窓こまどを小突く。

 小窓から勘定場の娘の手元を見る。木簡もっかんに今回の会計が記載きさいされており、客である太った男が勘定台に置いたぜにとの差額を算盤そろばんはじく。


 半額も不足している。

 勘定場の娘も勘定計算に慣れた者ではあり怪しんでいる。ここまで堂々と勘定を誤魔化そうとする相手は珍しいので念の為にイチヨに計算を頼んだらしい。


「全然足りないよ」


 イチヨが不足額も含めて伝えると勘定場の娘がおどおどし始め、ハモンが口をはさんだ。


いくらか足りないようだ」


 そう言ってハモンが男をにらみ上げる。たたみで片方だけ立てて座っており、罅抜ひびぬきつばに手を寄せ男を威嚇いかくした。

 鯉口こいぐちは切っていない。ただ納刀された切っ先で軽く畳を叩いただけだ。

 男の方も誤魔化す事は無理だと理解したらしく直ぐに財布さいふに手を伸ばした。


「い、いや済まんな。最近は耳が遠く成って勘定かんじょうを聞き間違えたらしい」

「そうか。聞き取り辛ければ字で示そう」

「いやいや、それにはおよばんよ。うむ、それにはおよばぬとも」


 イチヨは直ぐに再犯さいはんするつもりだと感じた。ただ初犯しょはんが相手だと白を切られれば追及ついきゅうも難しい。

 見送りに来た遊女ゆうじょも文句を言わない事から口をはさ道理どうりも無いと判断する。


「むぅ。あからさまなのに」

「まあまあイッちゃん。色町で勘定かんじょうのちょろまかしは毎日よ。だから算盤そろばんはじけるイッちゃんは本当に凄いんだよ」


 読み書きにいた娘たちが小窓から事の次第しだいを見届け口々に言う。適切な金銭すら支払われない事が孤児こじや親無しの娘たちの日常だと慣れてしまった姿だ。

 ただ不満を持っていないのは西表楼いりおもてろうに来て日が浅い娘が多いらしい。ここに来て数年経っているという娘たちは口でイチヨをなだめながらも不満そうだ。


 イチヨは自分よりも幼いむっつの娘の頭をでながらハモンを見下ろした。こちらに背を向け用心棒ようじんぼう忠実ちゅうじつこなす姿にほほゆるむ。


「あ、イッちゃんまたハモンにい見てる」

「うん。兄様にいさまの仕事振り見ておきたいし」

「あれれ? ここは『そ、そんな事無いよっ!』って言うところじゃな?」

「そうなの?」

「うん。お姉ちゃんたちが読んでくれる恋物語こいものがたりだとそうなんだって」


 そう言って彼女が取り出したのは読み書きの勉強にと言われて手渡された糸でつらなった木簡もっかんだ。読み進めれば確かに恋物語なのだが内容は貴族の長兄ちょうけい義妹ぎまいの禁断に近い恋模様こいもよう

 娘がハモンを見るイチヨを見て嬉しそうに笑うのも納得がいく。これでは恋物語の再現に成ってしまう。


「イッちゃん、ハモンにいと本当の兄妹じゃないんだよね?」

「うん。ウチを助けてくれたのが兄様にいさまなの」

「キャー! 恋物語! 禁断の恋模様!」


 兄様にいさまという呼び方が悪いのだろう。これが『ハモンさん』や『ハモンにい』なら娘の興奮も別の方向だっただろう。

 ハモンが人に評価される姿は我が事の様に嬉しい。

 同時に彼が遠くに行ってしまう様で少しだけさびしさがつのる。


 小窓こまどから後頭部だけが見えるハモンはずっと共に居ると約束してくれた。ただ不安や寂しさを感じてしまうのは仕方が無い。

 ハモンに我儘わがままな娘だと思われたくはない。役立たずや足手纏あしでまといと思われたら捨てられるかもしれないと不安に成る。


 なので仕事終わりにスイレンを捕まえた。


「どしたんえ、イチヨちゃん?」

「その、お願いが有って」

「うん? 何でもえけどはよう言うて。眠くてかなわんわぁ」

「わ、分かった。ハモン兄様にいさまの、役に立ちたいの! 何か男の人が喜ぶ事を、教えて貰えないですか!」

「……ふむ」


 東の空がしらみ始めている。

 スイレンは仕事終わりで疲れているだろう。定食屋をいとなんでいた両親を思い出せば無理は言えない。

 だから考え込むスイレンに断られれば別の遊女ゆうじょを頼るつもりだ。

 勿論もちろん、ハモンを誘惑ゆうわくした遊女はのぞく。


「本気の様ね」


 そう言ったスイレンがイチヨのほほに手を伸ばして来る。

 蝋燭ろうそく心許無こころもとなでも目立つ赤い派手な着物。肩と胸元むなもと露出ろしゅつした姿を見慣れてきた自分にイチヨは驚いてしまう。

 しゅしたくちびるが少し動くだけで鼓動こどうが高くなる。


「あら、ワッチはついに女子おなごまで落とせる様に成りんしたか?」

「にゃっ!? ちが、ちょっと恥ずかしくなっただけだよ!」

「あっはは! そうでありんすねぇ、遊女ゆうじょ後輩こうはいに教えるのと同じ事なら教えて差し上げんしょう。家事は勿論もちろん、男が喜ぶ手管てくだも」

「お、願いします!」


 そうは言ってもスイレンも仕事終わりで眠気ねむけが強く、イチヨも目を開けているのがつらい。

 男を喜ばす手管てくだというのが何かは知らないが遊女ゆうじょは男を喜ばせる仕事。

 きっとハモンも喜ぶ内容を教えて貰えるのだろうと期待してイチヨはスイレンと別れハモンの待つ自室に戻った。


 自室のふすまを開く。

 布団ふとんは一枚。ハモンは浴衣ゆかた姿で壁を背に首だけで窓からしらみ始めた夜空を見上げている。


「帰ったか」

「うんっ。やっと寝られるね」

「ああ」


 赤茶のショートジャケット、白いワンピース、黒タイツ、ショーツを脱いで寝巻ねまきの浴衣に着替える。イチヨの着替え終わりを待って視線を室内に向けたハモンの腕につつまれて布団に入る。

 少し体温の低いハモンの硬い体が心地良ここちよい。彼にいつか捨てられるかもしれないという不安は有る。それでもこの感触が自分だけの物だと思うと心が満たされた。

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